11:コウモリでないとはどのようなことか
ハシビトが生誕する瞬間というのは
──そう、生活。逆に言えば、生誕の次第をのぞいた彼らの生活について、私たちが識らないことはないといって良い。というか私たちと何もかも同じだ。人間に混じって住居を構え、人間と同じように家族めいたものを構成し、人間とともに働き、あるいは人間らしく学校にも通う。そんな周枦島という世界は、だからあえて私が述べるまでもなく、ささやかながら
「ねー、もうかえっちゃうの? 学校ってあんなに楽しいのに!」
私の下校に虫のごとくつきまとってくる水髪のハシビトの思惑は、しかるに当分酌量できそうにない。
中学校は明日をもって夏季休業突入ということで、おなかが空いてくる頃合いで校舎をはなれ、数時間前に歩いたばかりの帰路についているときのことだった。
茶色を基調とする長屋が狭いアスファルトを挟んでずらりと並ぶ。朝方には暖簾が降りていなかった食事処や用具屋に大人たちの顔がちらほらと見える──当然、彼らの中にもハシビト達はいる。少し前まではまるで気にしていなかったのだけれど──私はくたびれたローファーを見つめつつ歩いていた。その視界の埒外からきゃんきゃんと騒ぎ立てる彼女のことを、もし朝のように周りに同級生たちがいたらとうとう許せなかったかもしれない。
「てかてか、なんでレナちゃんだけ帰っちゃうの? そういう決まり?」
傘を忘れた小雨の中、そそくさと進んでいるときのような気分。
「──あー、おなかすいた! ねえレナちゃんラビー昨日からなにも食べてないの!」
「……そもそも、なんで当然のように私についてきてるわけ?」
「あっようやく喋ってくれた!!」
眼前にぬっと現れ、私の両肩をがっと掴んだラビーは、長いストレートヘアーを揺らしながらくしゃっと笑った。面食らってしまい、しばらくお互いそのままの態勢。ラビーの乱れた前髪のすき間に汗がきらきらと輝いていた。
引き続いて前に進みたい私は、邪魔なんだけど、と何度か言おうと試みたのだけれど、凍ったように口が動かなくて。閑寂を次に破ったのは、
「──」
「ぷっ、レナちゃんもおなかすいてるじゃ~ん!」
「……わかったから。とりあえず移動しよう。私も食べに行く予定だったから」
「やったー!!ついていっていいんだ!!」
昼食を取りに行こうとしていたのは本当だったけれど、それ以外の大体の感情に納得がついたわけではない。私は言うことを聞かない自分の腹をさすりながら、どうせ聞いちゃいないだろうと思って大きく舌打ちをした。
「てか話をもどすけど、なんでレナちゃんひとりだけ先に帰ってきたの? いっしょの部屋にいた人たちは残って話してたよね? ──うわっなにこれ食べれるの!?」
店先の白い丸テーブルを囲んで座る私たちに、香ばしい風がふっと吹き込んでくる。
「お待たせえ、まかないバーガーだよ」
「すみません……この子の分まで」
「はは、ひとつもふたつも変わらないのよそんなに」
テーブルにお盆をふたつ置きながら笑う彼女は
目の前に置かれたふたつのハンバーガー。地域で取れた名前も解らない魚が一緒くたにフライにされたものが挟まっている、まかない。つまり廠さんの奢りだ。ただの中学生である私にとってこれほどありがたいことはない、とはいえ、いつもいつもでは悪いのでまかないを頂くのは月に一度までと決めている。
「それに、今や玲奈ちゃんはお嬢様だからねえ。──ああごめんごめん、冗談だって、関係ないからね」
「──いえ、まあ、事実ですから」
表情を殺すのがここ数ヶ月で随分うまくなったはずなのだけれど、年上のお姉さんには容易にお見通しということか。あとはまあ、この店では多少緊張をほどいても良いと解っているというのもある。だって──
「ていうか、このかわいい子は誰? 玲奈ちゃんが誰か連れてくるなんて久しぶりだね」
「はい! ラビーっていいます!! かわいいです!! なんか昨日気がついたらこの島にいましたっ!」
「あはははっ、元気だねえ。──ってことは、ああ、新しいハシビトさんか。最近にしては珍しいね」
「なんかそうらしいです!! きょう学校でラビーたちがそのハシなんとかだってのを教えてもらいました!」
「うんうん、そっかあ」廠さんはお母さんかって思うほどやさしそうに微笑んだ。「じゃあこれ、ハンバーガーって言うんだけど、丸ごと食べられるからね。──玲奈ちゃん、なんて顔で見てくるのよ」
「──無表情だったと思いますが」
「ふ。もう、玲奈お嬢ちゃんも中学生なんだから、もっと感情豊かにしたらいいのに。良い顔が台無しだよ」
と、心をそばたてるセリフとともにお店の方へ戻っていく廠さんの背中を見ながら──いや、単にちょっと考え事をしていただけでして。
物珍しそうにまかないバーガーを行儀よく諸手を膝にやって見つめるラビーの前で、私は自分のぶんを両手に持ってかぶりつく。目の前のうるさいのはその様子を見て合点がいったようで、同じように手を伸ばし、勢いよく口を開け閉めし、おいひー、と嬉しそうにした。ハシビトはこの島にやってきたばかりとは言え、赤ちゃんではないので予想外なところで要領が良かったりする。まあ、ネジがだいぶ外れた同級生として接するのが妥当だと当座は思っている。
このハシビトが結局私と同じクラスの中学生扱いなのは未だに怪奇だけれど──
ハシビト。
私が──お嬢様の私が、おそらく明日も殺さないといけない相手。
廠さんがもしハシビトじゃないと解っていなかったら、私はもう気軽に『TOSYO』へ通えなくなっていただろう。
そんなことを考えていたところ、ラビーはハンバーガーに夢中と相成って暇になってしまったので、私はすでに二度無視した彼女の話題に殊勝にも乗ってあげることにした。
「私だけ先に下校した理由だけど。うちの学校は明日の放課後から夏休みなんだけど──夏休みってわかる? 風習で、グループごとにわかれた課外学習とレポートが課されるの。多分だけどハシビトとの交流みたいな意味合いもあるんだろうね、まだクラスができて数ヶ月だし。で、私はグループで特にやることがないから、帰宅」
「ふぅ~~ん」
ハンバーガーをほおばりながらラビーは私にまっすぐ視線を向けてくる。
彼女の無知は、この場においてはちょっとした心地よさとして機能した。
「ん、ぃやあまっへ」
「まず飲み込んでね」
数秒の咀嚼ののち。
「じゃあさ、ラビーもどこかのグループだったのかな?」
「そうだね。つまり本来今は皆と一緒に教室に残っているべきだったと思う」
「うわー、そういうことじゃん!!! 思わずレナちゃんについてきちゃったよ!!」
大丈夫、今からでも間に合うよ。私のもとを離れて学校に直行しなきゃね。
いっしょに机を囲んでいるこの状況で発するには、流石に性悪すぎると気づいたセリフをハンバーガーと一緒に呑み込む。ラビーはといえばすでに両手サイズの逸品をたいらげており(昨晩から何も口にしていなかったとの事で、ハシビトといえど堪えていたのだろう)、口に手をやって考えるような仕草をしてから、
「まあでもいっか! 明日も学校あるもんね! きょうはレナちゃんといっしょにいたかったし!」
ぞわ、っと背中が震える。
「だってさぁ、レナちゃん誰とも話してなくてさびしそうだったじゃん! ラビーはそれでも言いつけ通り、レナちゃんに話しかけないって言いつけを守ったんだよ。でもいまは話しかけ放題だもんね!」
「それは──」
私がクラスにおいて今、どういう立ち位置なのかを弁えずの発言、というのは解っている。解っているからこそ。
彼女の無知が、今度は反対方向に機能したのを感じた。
そもそも、ラビーは学校において私のいいつけを守るまでもなかったのだ。
そりゃ、久々の編入生、それもハシビトである。ただでさえ私たちの学校においては少なくとも、人間とは少しだけちがう彼女らを、しきたりを超えた素直な感情によって歓待するのがふつうだった。加えてあの天真爛漫とも天衣無縫ともいえる屈託のない振る舞い。オーバーサイズな装束姿の際はわからなかったけれど、我々と同じブラウス・スカートの制服姿になると見て取れる、幼くも流麗さのあるスタイル。一目で人気を集めるのも当然で、ラビー自身の人懐っこさも文字通り相まって、仮に私が話しかけたくっても叶わないようなグルーピングが今日の午前中にして形成されていた。
そんな彼女が私にさびしそうだったと言った。奥の店の厨房でパチパチと油が跳ねる音がする。指に切り傷を作ったような鋭くもほのかな痛みを幻覚した。
「ラビー、はさ」彼女の名前を呼んだのは実はこれがはじめてだ
った。「私に話しかけるんじゃなくて、クラスに溶けこむのを優先したほうがいい」
それがあなたの為になると、これは僻みでも皮肉でもなく本心から思っている。
無風だった水面に、僅かな波音が立ちつつある最近の周枦島で、それが波風立てずに生きるすべだと。
その次に彼女から返ってきたことばは勿論予想できていたのだけれど、いい加減、訊かずにはいられなくなってきた。私は持っていたまかないバーガーを食べきり、一息ついてラビーに居直る。
「あ、レナちゃんも食べおわった!? じゃあ次はいっしょにどこへ」
「どうして、そこまで私にこだわるの?」
ただ偶然、昨晩砂浜に居合わせただけの私に。
砂浜。枦堂玲奈と名乗った返しに、こっちはラビー、と目じりを下げて言ったきみの、浜風になびいた髪先を思い出した。
「ふっふっふ」
ふっふっふ、と目の前のハシビトは言った。
「ふむふむ、レナちゃんはそのわけを知りたいのだね」
ん?
「よかろう──ついに言うときがきたね、レナちゃんとラビーのただならぬ因縁をっ!」
どうしたの急に、迷子になって。
「ラビーはね……レナちゃんに助けられたんだよ!」
ぱちぱち、と奥の厨房で魚のフライが焼かれる音。
「だからラビーはレナちゃんについていかないわけにはいかない! これは運命なんだよ。ね、わかってくれた? ──ちょっ、まだ途中だよ!?」
『TOSYO』にも長居しすぎたので、店裏にいるはずの廠さんに心の中で会釈をし、立ち上がってスカートの裾を払った。
「──あー、きょうも来てくれてありがとねー!」
奥から快活が声が小さいながらに飛んでくる。まったく、私と大して歳も変わらないのに、ひとりでお店をやっていて、廠さんは本当に立派な人だ。──家族とかいないんだろうか。
そうしてさっき来た道を再び歩いていると、後ろからまあ当たり前だけれどうるさい声が一層うるさくして覆いかぶさってきた。覆いかぶさるというのは文字通り、私に羽交い絞めを決める形で、背中から。
「なんで一人だけ行っちゃうの!? せっかく質問にこたえたのに!! てかこの後どこいくの??」
「自宅だよ。家に帰ってやることあるから」
「あっじゃあラビーも……」
「ダメに決まってるでしょ」
「えーーーっ!?!?」
ちょっと前の洋画くらい分かりやすく頭を両手で抱えるラビー。
「じゃあラビーはどこに行けっていうの!?!? この場所のことなにもわからないのに!!!」
「さあ──ていうか、説明受けたんじゃないの? あなたが帰るべき「家」がたぶん割り当てられてるはずだけど」
「知らないよそんなの、なにも──」
そのまま彼女を置き去りにして、いつものようにひとり帰宅してもよかったのだ。
でも、顔をあげたラビーと目があって。
そういう表情もできるんだ、とつい思ってしまった。
──それに、きっと彼女が困った様をクラスの誰かに見られて、その原因が私にあると告げ口でもあろうものなら、いよいよ枦堂玲奈の立場もあったものじゃない──そんなものとっくにないですか。じゃあつまり、これは自分への言い訳ですか。
「私さ」渋々口を開いた。「三日に一度くらい、昨日会った海岸の目の前にある山、あそこに夜、行く用事があるんだ。明日からは学校が休みだからもう少し頻度があがるかも。たぶん次は明日、行くと思う。──その時にあの海岸は通るだろうね。そういえば小屋とかもあったはずだし」
目の前のハシビトはしばらく、目を丸くしてぽかんと口を開けていた。──まったく、何をやっているんだ、私は。
「あーーーっ!!!」
「何よ、うるさいな」
「ふっふっふ、たったいま、ラビーの新しい家がけっていしました!!
あそこにいれば、絶対レナちゃんと会えるんだもんね!」
どうやら意図を汲み取ってくれたようだ。
「じゃ、また明日の朝、学校までの道で会えるね! その次は海岸! ──ほんとうはレナちゃんの家に行きたいけど」
「だから、」
ダメって言ってるでしょ。
私はいい加減、頭に血がのぼってくるのを微かにかんじて、あえて語気を強めて言った。
「あそこの海岸でなら、いくらでも会ってあげるから──これはあんたのために言ってるんだよ? もしあんたが、今の私の家に来ようもんなら……」
大げさじゃなく、殺されるよ。
未だに慣れない家の門をくぐり、玄関までの道を進んでいると、すれ違う黒服の集団の中に、見知った初老の顔があった。私は声にもならない挨拶だけを交わし、そのまま進もうとすると、
「遅かったな」
「──父上」
「喜べ、次は明日だ。昨今の情勢に鑑みて、平和のためにハシガリを急速化することを、
「──今朝、美由さんからもききました」
「そうか、ははっ! おい、先に行け」
サイズの大きいジャケットを着た、白髪の父親──
「俺はこれから晏司様と書物の打ち合わせに行って、今日は帰らない予定だから──今のうちに渡しておくぞ、これが」
明日の要件だと言って、私にずんと押しつけてきた書類。
表紙をめくると。
「え、これって──」
ついさっきまで、ハンバーガーショップで見たばかりの顔が。
その写真が、履歴書や個人情報とともにプリントされていた。
「──廠さん」
「ああ、明日は午後六時にいつもの小屋で待ち合わせるよう、この後さっきの奴らに伝えさせるからな。玲奈もそれまでに」
「──ちがうよ!」私は年甲斐もなく、ラビーみたいに声を急に張り上げてしまった。「だって、廠さんは、ずっと人間って……」
「ああ、そう吹聴していたらしいがな。「組織」の人達と調査した結果、実はハシビトだったということが判ったのだ」
組織。仰々しいその単語を、父さんは最近になってよく口にするようになった。
思わず持っていた書類を足元の砂利に落としてしまい。
慌てて拾い上げようとすると、父さんは頭上から聞き慣れた声で、
「それとな──明日も玲奈一人で、ハシガリだ。慈英のところの娘が、また体調不良だってなあ」
昨日もそうだった。あの子がハシガリにこないことを、どうして父さんはそうも嬉しそうに私へ報告してくるのか。その意味を理解するのに要した時間は、私が未熟な少女であることの証だったのだろう。
ただ──
「これでどんどん、島のハシビトが減っていくなあ」
私に嬉しそうにハシビト殺しを命じる父親は、かつて仕事帰りにお土産の惣菜を買ってきてくれた時と同じ笑い方をしていた。
(続く)
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