8:小さな世界の話

「それで、示唆的な失踪とともに気味良く物語から退場しようという解釈どおりの計画を立てていた私を再度引っ張り出してきて、しまいには自動車の運転までさせて、そんなレナという少女が向かいたいのはトウキョウで間違いなかったか?」


「あの、重ね重ね申し訳ないと思っています」


「申し訳ないという感情が本当にあるならな、他にいくらでも謝意の示し方は開かれていたはずだ」


 蛇行する高速道路に、一定のペースで繰り返される振動を感じながら。赤いアウディの助手席に私は座っていた。徐々に透けていく空の青を眺めつつ、こんな高い車持っていたんですね──とか聞ける場のテンションになることは終ぞなさそうだと理解した。


「例えば、そうだ」詩織さんはいつもの伊達眼鏡ではなく、外車に合わせているのかサングラスを装っている。「なんて置いていって、おまえひとりでトウキョウに行けば良かったじゃないか。なあ、なんのための愛亡きおまえなんだ」


 じぶんの脚本どおりに話が進まなかったことに珍しく苛立っていらっしゃるのか、いつもより口調が高圧的だった。


「それは流石にないですよ。いくら愛情を喪っているとはいえ──あの有様のラビーを置き去りにすることは、別の何かしらの感情に引っかかります」


 言いながら、後部座席で横たわって眠りこけている、病み上がりの同居人のことを思う。





 京都一乗寺の我が家には体温計がなかったので推測になるけれど、三十九度は出ていただろう。


 そしてこれまた、高熱の病院を看護する側にまわるのは初めてのことだったので、中途半端に客観視できるぶん、おそらくじぶんで罹るよりもずっと、危機的状況と感ぜられたと思う。


 とはいってもできることはごく陳腐だ。病院にかかれるような市民権があるはずもない。つぎはぎの知識を動員した結果、悶えて私にすがるばかりのラビーに無理やり毛布をまいて、安静にさせて、近所のスーパーへ買い出しに行くくらいしか。そして甘ったるく病人に優しそうなペットボトルドリンクとか、喉あたりが良くて病人に優しそうなレトルト食品などを無造作に買ってきて、ついでに首に巻くひんやりグッズなんかも調達してきて、帰宅するやすべて遠慮なしにラビーへ与えていった。


 一通りの処置が終わり、頬を上気させながらもようやく仰向けで安眠についた同居人を尻目に一息つきながら、余裕が出てきた私はようやく、この場において適切な感情、たとえば心配とか、慈しみとか、そういうもののまったき欠けた自分を俯瞰できるようになった。愛亡きじぶんではあるけれど、昨日は相当ラビーとうまくやれた自覚があったものだから、ひょっとすると自分を構成する感情にもなにかしらの変革が起きているんじゃないかと、何の根拠もない期待をみずからに寄せていたのだけれど、やっぱり世界はそう簡単に変わらないようである。「組織」が私に課した罪──絶対に誰かを愛したり、慈しんだりできないというのは、絶対の摂理のようである。


 からして諦めて、壁掛け時計を目にした。短針が10をさしている。二日連続の欠勤──いい加減、「少女」失格の烙印を押されても仕方ないな、と達観にも似た寒気を覚えながら、それでも懲りずに、昨日もコールしたばかりの電話番号へ発信した。

「──おお、どうだ。そろそろ時間的には新大阪を過ぎたあたりか? やれやれ悪かったね、無言であの支所を後に


「申し訳ありません。本日トウキョウへ向かえなくなりました」


 ────

 ──

 ─


「……ずいぶんと略述して振り返ってくれたものだが、実際はもっと深刻で大変だったんじゃないのか? 同居人さんは元々、身体の強いほうでは明らかになかっただろうに」


「──いえ、べつに。大体、どんな深刻で心配な状況だろうと、私にできることは限られてますから。ただ、おそらくラビーが体調を崩したのは、前日の無理な外出が祟ってのことだ──ということを察したとき、流石に間抜けすぎるだろうと頭をかきむしりたくなりましたが」


「それはまあ、私からも事前に忠告する余地はあった点だし、思う事がない訳ではないが……」


 詩織さんとしても恐らく、ラビーを不用意に外に出すと多寡こそあれ不測の事態をまねくと、予見しうるだけの知識があったのだろう──いくらラビー自身が気丈に振る舞っていたとはいえ。


「とかく、結果としてレナという少女は、トウキョウ行きの文字どおり確実な切符よりも、愛おしくもない同居人の看病を優先した。それはどういう経緯か、私個人としても興味がない訳ではないな」


「そんな、大した理由じゃありませんよ。

 ただ、トウキョウへ行くには必ずあの子といっしょでなければならない、とあの時強く思っただけです」


「ほう、それはどういった風の吹き回しだ?」


 同居人は風邪で済んだようだから良かったがな、と笑う運転席の詩織さんに対して、あなたが理由ですよ、と単刀直入に告げると、あなたはふっと表情を消した。


「だって──確かにあの日、詩織さんは、新幹線のチケットを、用意したじゃないですか。そこには必ず意味があると思った──かたやラビーを殺せと私に命じ、かたやラビーの愛をいなす術を私に教える、掴みどころのてんでないあなたが、二人で新幹線に乗れといった。私はそういう風に受け取ったから、そうであればと、ラビーの看病を優先したってだけです」


「ククク、やっぱりおまえは」詩織さんは私の長台詞をうけてそうとだけ言ったけれど、続きは聞かなくとも自ずと理解された。


 アウディのルームミラーに、安らかに目を閉じる青髪少女の姿が捉えられる。


「それで、勤勉で愛亡き少女であるところのおまえが、私に頭を下げて自動車での直通を依頼したのも止むを得まい──先にもつぶやいたが、おまえ達の世界にそういうことが起きうる可能性を、私の立場では当然予期すべきだったのだ。とかく、あまり気にするなよ。この車だって、「組織」からの支給品だし、途中事故ったってお咎めが少し効くくらいで済む」


 支給品だったんですね。

 咎め云々関係なく事故らないでもらいたいところですが、高望みでしょうか。


「それに、おまえ達がトウキョウに行ってしまう場合、私はまたキョウトで何も仕事がないド暇に戻り転げてしまうし、久々のトウキョウ観光じごくめぐりもわるくない」


「結構な言い方ですが……そういえば詩織さんって、私がキョウトに来るまでは何をされてたんですか?」


「忘れた。生憎私は「組織」から記憶という感情を奪われていてね」


「──」


「いや嘘だよ。あの松ヶ崎支所に飛ばされてから三年間は、ひたすら本とかを読んでた。それが結局、発展も衰退もしない、いちばん楽で面白い生き方だって私なりに結論づいてね」


「ふうん──よく存じ上げませんが、昔は詩織さんも苦労されてたんですね」


「苦労、だって! ククク──まったく」


 いつものように人を馬鹿にしたように笑う詩織さんの横顔は、風になびく紅い髪でよく見えなかった。


「この際だし、どうせトウキョウまでは後何時間もかかるだろうから、もう少し与太話に花を咲かせようか──後部座席で死んだように眠ってらっしゃるおまえの同居人さん……けっきょく、彼女の「過剰な愛」とやらは大丈夫になったのか?」


「大丈夫か……は自分では解りませんが、詩織さんの言いつけ通りに、目には目をで返してやったまでですよ。愛という「未知」に対して、殺す以外の手段が現代にあるんだなというのを教えてもらいました」


「ふうん、そりゃ結構だ」


 ブウン、と向かいから自動車がやって来、一瞬で通り過ぎていった。


「苦労してきた私なりに偉そうにアドバイスしてやれば、あの「同居人」とどう上手くやっていくのかはひとつ、「少女」の格を決定する基準になっていくからな。あの怒れない理生なんかが良い例だ──あいつの「同居人」はあまりに短気で癇癪持ちのようだが、全部を嗤い飛ばすことで事無きを得ているようで、今じゃ異世界人殺しのパートナーとしても働いてるみたいだぞ、ただの同居人を超えて」


「ただの同居人──」


「ソイツと上手くやれないようじゃ、理生を超えて「組織」のトップになるなんて途方もない夢の域を出ないぜ」


 もう一度、ルームミラーに映る青髪を見る。

 確かにこの子は今のところ、ただの「同居人」以上でも以下でもない。


 と、いうか──


「まあおまえも薄々感づいているだろうが、感情を奪われたスキマで「能力」を得た「少女」たちは、皆何かしらの「同居人」を飼わざるを得ないんだ。おまえたち「少女」にしか見えない、小さな世界として」


「私たちにしか見えない──」


 まあ、それも何となく理解というか、合点は行くけれど。


 ラビーの目立つ格好で昨日、あれだけ無防備に外を歩いていても、衆目ひとつ集めなかったのだから。


 私が気になるのはそこというより、


「じゃあ、どうして詩織さんは──ラビーが視えるんですか?」


「はあ? そんなの、少し考えれば解るだろう。大体、他にどんな縁があってこんなとち狂った集団に居させてもらってると思ってるんだ。


 ああそれでもな、に比べれば、まだ三年しか経たないが、だいぶ視えづらくはなっているんだよ。なんとなくの気配と熱気で、それとなくそこに居るんだなって判断させてもらっている」


 三年しか経たないが、と詩織さんは言った。


 確かに私にとってもその時は一瞬であった。毎朝の京都支所への出勤のように──ああ、もうトウキョウにいくからそれは日常じゃなくなるんだっけ。



 とかく、三年前からしばらくの間はあの白い空間に囚われていた私にとって、三年前というのは、詩織さんのそれとかなり違う意味を持って胸にのこっているのだろう。三年前が、あるいはこの三年が、現代にとって、世界にとって、どのような意味を持っていたのか──それはこれから、トウキョウで確かめることになるのだろうけれど、ゆくゆくの話として。


「詩織さんって」束の間の沈黙を破ってみる。「もしかして案外私たちと年齢変わらないんですか? 三年前までは「少女」だったってことは」


 言い終わらない間に、急に身体が前方に引っ張られる。車が減速したようだった。

 どうして、見渡す限り誰もいない高速なのに。


「レナという少女には愛情以外に余計な感情が残ってるみたいだな。この後謁見するであろう「組織」にまた診てもらうといい。ああ、ようやく本当の意味で忙しくなるなあ、おまえも──」


 その後、誰から喋るということもなく、馬鹿みたいに一様に澄んでいた空の青にも淀みが掛かってきて、私はなんとなく、京都で過ごした三ヶ月間のことを無言で思い返していた。


 はじめて京都支所に上がったときに、その雑然とした雰囲気に衝撃を受けて。


 ふたりで住むにはあまりに狭いボロ宿舎に絶望して。


 部屋の居心地が悪くて夜に散策した鴨川、下鴨神社の鬱蒼とした夏らしさであったりとか。


 この三ヶ月はあの三年よりも濃く感じられたな──ってのは流石に、


「おい、レナという少女はこの後人生で最も忙しくなるんだ。トウキョウまでは長いんだから、別に寝てたっていいんだぜ」


「詩織さん」


「なんだ」


「あの、三ヶ月でしたが、本当にありがとうございました。私のトウキョウに行きたいっていう本来無謀な夢まで、面倒を見てくれて──」


「ククク」横の運転手はふとハンドルから手を離した。「まったく、どこまでも勤勉な少女だねえ──別に、大したことはない。ただ、

 

 愛情よりも多くのものを喪っては欲しくないと、おまえのような少女にとってそれは重すぎると、先輩として情が湧いたのだよ」



 おっとこれは言い過ぎだな、情は湧くものじゃなく演繹されるものだ、とあなたは可笑しくなさそうに嗤った。




 私は徐々にまどろみながら、アウディが爽快に風を切る裏で、タバコの煙のように儚げな寝息を立てる後部座席の同居人を聴いていた。




〈第一章 過言残暑(前):完〉


〈第二章 境界少女に続く〉



 *


「ねえ、レナちゃんはトウキョウに行きたいって思う?」


「うーん、べつに、そんなにかな。でも、ここじゃないどこかには行きたいかも」


「そうだよね! 今よりひろーい世界に、レナちゃんと一緒に行きたい!」


「──うん」




 その日も青黒い水面のひろがる夜の砂浜で、私はともだちと語り合っていた。


 中学生だった頃の私にとって、あれは何てことない日常だと享受していたのだけれど。


 失いたくないと思うには至らない、ささやかな幸せのはずだった。




 失いたくはなかったと今では思う、愛があった頃の青春の消息である。


(続く)

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