7:他添われ時
次の日がいわゆる平日か休日かは立場上、未知であるけれど、とにかく朝からいつものように詩織さんの支所へ赴くつもりでいた。
「──っ」
目が覚めると、
いつもより明らかに蒸し暑い空気と、刺すような日差しが。
「あーーーーーーーーー」
布団にころげたままで事態の七割五分を察した私の第一感を表現するかのような叫びを、しかし六畳一間にひびかせているのは同居人のほうだった。寝起きで私の耳がバグっているのかと思ったけれど、首だけを起こして音源を見るや、扇風機の真ん前で恍惚の表情を浮かべているラビーが、いつものピンクガウンのラビーが視界に入り、
「あ! レナちゃん起きた! おはよ!」
「……この時間はおはようって言わないんだよ、残念ながら」
「えっそうなの!? どうして!?」
「……」
寝坊したからね、私が。
無邪気は時として最大の邪気となると、火照った顔の感覚とともに思い知った。
引き続き扇風機のうごめくファンに向かってあーーーーーと声を掛け続けているラビーは、壁掛け時計を見ながら、あっもうじゅうにじかあ、と何の驚きもない様子で言う。右手にはうちわが握られていた(私がいないとき、いつもそんな空しい暇潰しをしてるのか)。
さて。
「──あんたはずっと起きてたわけ」
どうして起こしてくれなかったの、なんて問える権利がないことくらいは流石に理解しての確認だった。
「うーん、九時くらいには起きてたと思う! いつもラビーが起きる頃にはレナちゃんいなくなってるから、何が起きてるのか最初わからなかった!」
さもありなんだね、それは。
何が起きてるのかというか、起きてなかったんだけど。私が。
ようやく物事を俯瞰できるようになってきた私は、未だに仰向けのままで天井を見つめながら、あがるべきでない口角が自然とあがる。
確かに公平に見れば、昨日からの私は、いや厳密には一昨日から、ほぼノンストップで異世界人殺しに奔走してきた。昨晩ラビーを傍らに見ながら寝転がった際にかんじた、心地よいとすら言える疲労感もなぜか鮮明に憶えている。
それが今となっては──どんな前日であろうと規則正しく起床し、詩織さんのもとへ向かっていた勤勉たる私にとり、末代まで語られる恥だ、これは。
どうして。気でも緩んだか。そんな契機はどこにもなかったはずなのに。
「ていうかさ、びっくりしたよ!」ラビーはようやく扇風機から私のほうへ向き直り、いつもの無垢な笑顔を見せた。長い青髪は絵にでも描いたかのように艶やかで、少なくとも起き抜けの現実とは思えず。
なんとなく自分の後ろ頭を撫でてみると、無造作に跳ねていやがる髪の房が主張をたくましくする。
とかく、びっくりした、との同居人の発言だった。
「レナちゃんっていつも、あんな気持ち良さそうに寝てるんだね! ラビーが先に起きたのたぶんはじめてだから知らなかったけど、ほんとに見たことない顔してたよ」
両手がおのずと顔面に伸びていた。
「てか、今日もおしごとあるんだよね? いかなくて大丈夫なの?」
「んなわけ……」
そこでついに我慢の限界を迎え、私は発言権を超えたセリフを吐いてしまう。
いい加減、夏場にはクーラーを導入すべきだと思った。顔も身体もあつすぎるから。
「なんで起こしてくれなかったのって、ええー、レナちゃん、あんな顔するんだなって、面白くなっちゃって。──えー、別にー」
こういう時に限って、現代人らしく濁すのかあんたは。
「てか、まだねむいんじゃない? もう一回いっしょに寝る?」
「お断りです」
「あっそぉー」
おそとに行く練習をしたい、とラビーが言った。
寝坊したことについて、詩織さんへの幾度とない謝罪の電話も梨のつぶてで。
ついにやることがなくなり、布団の上に鎮座しながら壁の染みを見つめていた頃合いだった。
「なにそれ、練習って」
とは訊いてみつつ、いや、彼女の言わんとすることは解っているのだけれど。いまの気分もあり私の性分もあり、つっけんどんな態度を押しつけてやらないと居たたまれないのである。
「だって、もうすぐレナちゃんとトウキョウに行かないといけないでしょ? 今のままだと行くことすらできないから、ラビーがおそとに慣れる練習は必須なんだよ」
確かに、思い出したくもない昨晩のきみのようすを思い出せば。
自宅から徒歩五分の一乗寺駅まで移動しただけで、ゲリラ豪雨にでも遭ったのかってくらい汗を全身から垂らしていたきみでは、トウキョウまで無事に辿りついている絵図なんて思い浮かばない。
「だからさ、ほら、きょうはレナちゃんおしごとないでしょ? ほら、つれてってよ! おねがい!」
いや、仕事は全然あるんだよね。
まさにその件で途方に暮れているわけで。
そんな言い訳すら説得力を失ったところの私は、抵抗もむなしく立ち上がり、窓から漏れる日差しもやや陰ってきた折、玄関へ向かうこととなった。
ラビーに背中を押されて。
というか、私の背中に顔をうずめるように、ぴったりと付いてきて。
お化け屋敷に行くんじゃないんだから。
そんな訳で、玄関のドアを軋ませながらも開けてみると。
「あああああああっっっっつううううう!!!!!!! 無理!!! 無理!!!
」
「ちょっ、うるさいって!」
「だって地獄でしょこれ、ラビーには無理だよ! てか人間には無理だよ!!」
家を出て三歩もたたない同居人が黙る気配を見せないので、愛なきボディタックルで無理やり我が家の中へと突き返す。
私たちが「組織」に住まわされている宿舎は、あいにく壁が大変薄い
掃除機をかける隣家の音すら鮮やかに聞こえてくるような環境で、ラビーの悲鳴がこれ以上駆け巡ろうものならいよいよ罪の色を帯びてゆくだろう。
とかく、暑いの一点張りで出門を諦め、とはいえ「おそとに出る練習」を諦めたくはないというラビーに私は精一杯の愛なき配慮をみせ、完全に日が落ちてからまた外に出てみようと提案した。
京都の夏は夜でもまるでお構いなしに暑いけれど、それで無理なら今度は日本の四季を信用して移ろいを草葉のように待ちぼうけるしかなくなる。そんなのはイヤだ。
「それなら、きのうの続きを行ってみたいな!」
ようやく呑気にもお腹が減ってきたので、冷蔵庫の奥で死にかけていたそうめんを二人分茹でていると、ラビーは先の一瞬で汗だくになってしまったピンクガウンを脱ぎ捨て、べつのピンクガウンに着替えつつあった。
「きのうの続きって?」
「ほら、電車にさえぎられてその向こうにいけなかったでしょ? レナちゃんがあの向こうに自転車で行っているのを何回か見たことがあるんだよ」
気になってたんだよ窓から見てて、と部屋の奥をさすラビーを横目に見て。
ふと、なんとなく。
「そのピンクのやつ以外、着る気ないの?」
「え? ……だって、ラビーにとっての服はこれしかないし。そういうもんじゃないの?
レナちゃんだって、いっつもその服じゃん」
「──」
白い麺が溺れる湯面から、視線を自分の身体へと移し。
白のブラウスに、赤黒いリボン。チェックのブリーツスカート。
通ってもいない学校の制服を着せられていることを、確かに指摘されるまで、何の不思議にも思っていなかった。
そういう次第で、学生の本分も「少女」の本分も果たすことなく、宿舎でだらけた一日を過ごしてしまった私だけれど、実は物事が何も良き方向にすすんでいないということに気づいていない訳ではなかった。
だって、詩織さんのお達しどおりにラビーを殺せていないし、どころか彼女をなんとかやり過ごす世渡りを自らにインストールしただけだし。
トウキョウへ行くためのミッションを何一つ解決できていないことにふつふつと焦りをおぼえた私は、ラビーとそうめんをすすりながら、夜に彼女と出向く場所をひとつに定めていた。
期待をまったく裏切らない熱気にブラウスを汗ばませつつ、宿舎から徒歩五分の一乗寺駅の踏切──ラビー曰く、きのうは越えることができなかった踏切を二人並んで渡る。
私の右隣にいらっしゃる同居人は、頭ごと私の寝巻きをかぶり、顔を伏せつつ私の肩を借りて進んでいる。すれ違う地元の人々には犯罪者の連行現場だと思われていることだろうけれど、仕方ない。最初はこの方、昼間と同じように私の背中に顔を押しつけながら進もうとして、そっちの方がよほど傍目に異常だろうと。ちょうど目立つ青髪も隠せてよかろう(とはいえ、ピンクガウンがよっぽど目を引くのでほとんど無意味っぽい)と、依然としてがくがくと震えているラビーの背中を時にさすりながら、灯りが緩やかに無くなっていく夜道を進んでいた。
「……なんか、なんとなく大丈夫になってきたかも」
俯いたままでそんなことを言うラビーは贔屓目に見ても大丈夫だと評せそうにないけれど──ふと立ち止まり、顔をあげた彼女は閉じていた目をおそるおそる開けて、そして
「──わあ」
「何それ」
「──レナちゃん、そとって、暗いんだね」
「そりゃあ、いつも引きこもっていたあんたは知らないだろうね」
「でも、」
あれ見て、すっごくきれい、と彼女が指差す先には、
電光掲示板が陽炎のように光る中華料理屋があった。
いつもはチャリで何てことなく通りすぎる店が、大学にも近いこのあたりには林立している。そのうちの一軒にラビーはどうやら、目を奪われているようでして。
……はあ。反応に困る。ただ夜道に光って目立っているものを綺麗って飛びつくなんて、蛾じゃないんだから。そう鼻白んで彼女へ目をやると、
かぶっていた衣を外してあたりを見回すラビーの、散らばった長い青髪が。
まんまるに開いた両目が。
まだちょっと無理しているのか、暗がりでも解るレベルに火照ったその顔が。
私にとってはよっぽど──
なるほど、そういうことなのだろう。
私にとって、いつも独りで進んでいたこの道にきみがいるように、きみにとって、この世界自体が未知なのだ。私にとって未知はいつも殺害の対象だったのに、きみにとっての
きっと、あまりに眩しすぎて、外を歩くことが凄まじく怖かったのだろうけれど。
それを越えた先に、きみのその表情があるのだとすれば。
未だに少しでも心が揺らいでしまうと、どうしようもなく殺してやりたくなってしまう一方で。
ラビーと一緒にトウキョウに行って、果てしない未知を見せてやるのも悪くないなと、ほんの好奇心にせよ、はじめてそう思った。
「ねね、なんか楽しくなってきたよ! レナちゃんと一緒なら歩いても大丈夫そう! ほら、もう被らなくても大丈夫!」
いつもはチャリで二十分ほどの京都支所までの道のりは確かに二十分だったけれど、今日の徒歩で一時間ほどの道のりは、おそらく一時間ではなかった。
「八月二十日、本日の夜のニュースをお伝えします。京都では昨日、鴨川にて現地大学生による芸術フェスティバルが行われました。夏の名物である平和な催しに、街ゆく観光客も大変満足の様子で、猛暑がつづく京都に平和ないろどりが添えられました。
──こちらが当日の様子です。大勢の観光客が鴨川のほとりに集まるなか、形さまざまの平和を象徴するオブジェが見物されていますね。八月十五日から三十日まで開催されているこちらのフェスティバルは「日本の古き良き平和」をテーマにしています。ぜひ足を運んでみて、平和を味わってみてはいかがでしょうか」
「また、東京では帰省からのUターンラッシュのピークとなりました。各地の新幹線では、一時の別れを惜しむ家族たちの光景が──東京駅では日常に帰っていく人々の引き締まった顔が印象的でした。また平和な東京の、平和な日常が、夏の終わりとともに再開してゆきます」
「本日のトピックは以上となります。最後に明日の天気予報──」
私にとっては見慣れた京都支所の二階オフィスに、ラビーを連れてたどり着くと、そこに居てほしかった人間が居らず、もぬけの殻だった。
代わりにつけっぱなしになっていたブラウン管テレビが、天気予報を終えると午後九時の到来を無機質に告げた。
「──詩織さん?」
いつもここで寝泊まりしているはずのあの人がいない。どうして良いかわからず立ち尽くす私に、「しおりさんって、いつもレナちゃんが言ってる?」と横のラビーは尋ねる。何も答えないでいると、息を切らせながらもすっかり外を出歩くのに慣れた様子のラビーはひとりでオフィスの奥に進み、雑然としたあたりをきょろきょろと物色し始めた。そして、
「わーーーっ!! 何これ! レナちゃん、箱の中に人がいるよ!!」
とか言ってテレビをばんばんと叩く原始人、じゃなかったラビーに対し、我が家はテレビなんて奢侈品を置く余裕などないことを説いてやろうと、デスクの奥へと進もうとし、
そこで詩織さんのいつも座る机に、青い半券が四枚あることに気づく。
「なんてかいてあるの、これ? 文字がちっちゃくて読めないよ」
ちっちゃくなくても読めないだろうあんたには、とは言わずに、
「キョウトからトウキョウ、指定席券と特急券。明日の九時半出発。
──まあ要するに、これで二人でトウキョウに行けるってこと」
言いながら、自分のセリフが現実のものとは思えなかった。
詩織さんは何を思い、当然私が来ることも想定された今日、京都支所に姿を見せなかったのか。
そして何を企んで、トウキョウ行きの切符を私たちに残したのか。
まったく、あなたの思惑はいつも解らない。数ヶ月一緒に働かせてもらって、解らずじまいだ、最後まで──と、いうのは流石に先走りすぎだと思うけれど。
とにかく、私たちは念願のトウキョウ行きを叶えることができたようだった。
ラビーの過剰な愛をいなす心構えもできつつあり。
懸案であった、ラビーの外出恐怖症もなんとかなりそうで。
狐につままれるどころか顔面抉られたくらいの気分だけれど、自宅までの帰り道の残暑、トウキョウトウキョウと前を歩きながらはしゃぎまくるラビーを眺めつつ、ようやく口角をゆるめることができた。
明日こそは新幹線に乗るために、ちゃんと早起きしないといけないな。
翌朝、目覚めると横でラビーが息苦しそうに悶えていた。
「ああ、やっとおきたぁ──レナちゃん」
たすけて。
ラビーが高熱を出して、動けなくなっていた。
(次回:第一章完結)
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