6:愛亡き愛

 こんな夜遅くに訪れてしまって、情けない告白で申し訳ありません。

 私が殺そうとしているラビーに、どうしてああも愛され続けるのか、私には解らないんです。解るはずもないのです。


 率直な思いを告げると、あなたは心の底から可笑しそうに笑いました。


 いつもそうです。私の愛情のなさを確認するたびに両目をいっぱいに歪めて楽しむあなたを、だからといって糾弾することなどできません。明らかにおかしいのは、可笑しいのは、私なのですから──そう思い込んできました。


 少し前までは──


「でも、やっぱりオカシイのは同居人の方なんじゃないか、と。レナという少女は恐れおののいて逃げ出してきたという事だね」


 詩織さんは持っていた書類をデスクに置いて、代わりにタバコの箱に手をやった。


「それで、私のところを訪れたのは、何を期待してのことだ? この期に及んで言い淀むいわれもあるまい」


 ──私はゆっくりと、あの子の殺し方を教えてください、と言った。

 確かに、あの子の愛が怖い。私に愛は受け止められない、まして愛し返すことなど。


「おまえさあ」いつもの青白い煙がうっすらとくゆる。「やっぱり何も解っちゃいないな」


 何も言い返せなかった。

 何が解っていないというのかも、私には解らなくて。


「別に悪いコトじゃないんだ、解っていないというのは。そういうのは無かったことにして、全部知ったような顔をしていればいい。それが現代の摂理だと教え続けてきたのはほかならぬ私だしな。

 ただ──これからもおまえが「少女」として生きていく道を選ぶなら、その「未知」はいつか致命傷になる」


 ましてやあのトウキョウじごくに帰りたい、などと抜かすならば。


「ククク、そんな皿を割った餓鬼のような顔をするなよ。たかがヒト一人殺せないくらいで──そんなザマで、トウキョウに行ってさあ、

 

 「組織」の頂点に立てば、殺したくてたまらない奴にも会えるんだろうからなあ」


「やっぱり──全部お見通しなんですね」


 私を誰だと思っている、と詩織さんは紅い前髪をわざとらしく大仰にかきあげた。


「それに、ついさっき、現行の「組織」のエースさんと謁見させていただいたばかりでねえ」


 私も昼間に話したばかりの、あの緑髪の少女のことを思い出す。


 今日だけで、鴨川に巣食う数百もの異世界人を殺した『幻滅』のことを。


 怒情を失くしてしまい、悲喜こもごもに未知を殺し続ける現役女子高生の──「組織」の頂点に立とうとしている彼女のことを。


「話を戻そうか。まず、これは流石に自ずと理解されたと思うが、おまえの手では、厳密にいえばその『炎光』とやらでは、同居人を殺すことは絶対にできない。だからどうやったら殺せますかという純朴な問いに対して、私は「包丁かロープでも持てば一瞬で解決だ」と答えるだろう」


「けれど──」


「けれど、おまえにそれはできない」

 

 私には。


「「少女」たちは各々の力によってのみ、殺しを許可されているからな。だから徐々に悩み始めるおまえに対して、私は「「組織」の規律を表立って破り、その頂点に立つことを諦めれば、ヤツを殺せるだろう」と答える」


「……」


「ククク、解ってるって。紆余曲折を経るまでもなく、おまえがまず認めなければいけないのは、あの同居人を殺すことなどできない、アイツの愛に相対しなければいけないという、残酷と表現して過言じゃない事実」



 トウキョウへ行くためにラビーを殺せと言ったのは、他ならぬあなたじゃないですか──と、切り返すのはナンセンスなのだろう。詩織さんの、『赤眉』の思惑は、「組織」にとってすら未知のままだ。



 かちり。

 壁掛け時計の長針の音が、またひとつ。



 でも……今の私にとって、ラビーの愛は、未知よりも未知の恐怖なのです。


 未知は見つけ次第、殺して解明バラして無かったことにしてしまえと、あなたも「組織」も私に教えつづけてきました。


 じゃあ、絶対に殺せない未知を、私はどうしたらいいのですか。


 『炎光』の力を得る代償として、「組織」入りする代償として喪った愛情を向けられて、私はこれからも、誰からも共感されない恐怖を抱えるほかないのでしょうか。


 トウキョウで活躍する「少女」達も、皆そのように、未知の感情を無かったことにしているのでしょうか。



「そこを解っていないんだよ、おまえは」



 詩織さんと一瞬だけ目が合う。すぐに彼女は目線を逸らし、私よりも遠くを拝むように顎を上げた。



「おまえは確かにどうしようもなく愛情亡き少女だが、

しかしだからといって、その愛情が未知ってことにはならないだろ」


 ───

 ──

 ─



──おまえにもかつて、愛が芽生えていた頃が、あったはずだ。


 最後にそう言ってやると、レナという少女は忘れていた夏休みでも思い出したかのように、目を丸くして、一目散に京都支所を出ていってしまった。


「まったく──酷なことをしてしまっている」


 紅髪の女性は机に突っ伏していた。


「ほんとうは──これ以上アイツに、殺してほしくはないんだがなあ」


 どの口で言っているんだか、とすぐに自嘲を挟みつつ。


 なんだろうなあ、この邪な感情は──いや、とっくに解明できているのだが。


 これは「組織」の人間としてではなく、研究者としてでもない。 

 あるいはその資格があるかも怪しい、保護者としての感情でもない。


 トウキョウにどうしても殺したい人がいる。レナという少女はついに一度もはっきりとは口にしなかったけれど、彼女はいつもそういう目をしている──隠せぬ憎悪の色をしている。この三ヶ月、あいつの目はずっと京都ではなく、トウキョウに向いていた。


 だからそう、この感情は──


「横恋慕、なんだろうね」


 *


 いつも以上に静かに感じた宿舎の階段をのぼり、三〇一号室の玄関のドアを開ける。


 ふだんは夜分にふさわしくない歓待を浴びていたものだったが、今日はドアの軋んだ音が、私の家のなか特有の匂いを運んでくるだけだった。


 私は何も言わず廊下を進み、六畳の一間へと足を踏み入れると──



 敷布団の上で、ラビーが体操座りをしてうずくまっていた。



 十秒ほどであっただろうか。彼女のつむじをしばらく眺めていると、不意に顔をあげた大きな蒼い目と視線が合う。


「──」


 ラビーなりの意地があったのだろう。曇っていた表情を一瞬で拭い去り、けれども蒼い目の隈に残っていたほのかに赤い跡を隠しもせず、


「レ、レナちゃん」


 なんだ、いつものように私に飛びついてこないのか。

 そりゃあそうか。ついさっき私が、彼女を拒絶したばかりなのだ。殺したいと馬鹿正直に告げたばかりなのだ。


 でも──そんな日を見るよりも明らかに、私だけが責められるべき状況でも、全部無視して私を好きだと言い放ってきたのが、他ならぬきみなのだと思えば。



 今からきみが味わうはずの感情は、これまで私が飼いならしてきたものだ。



「──!? ちょっ……」


 敷布団に座りこんだままのラビーの背後にまわり、


「せっかく私が帰って来てやったのにおかえりのひと言もないなんて拍子抜けするよば……」


 ああ、詰まってしまった。それなりに予行演習してきたつもりなんだけどな。


 きみのいつもの天衣無縫さを、脳に焼きついた振る舞いを、思い出して。



「──ばーか」


 背後から思い切り抱きついて、青い髪に顔をうずめた。





「おまえにもかつて、九十八種の感情が十全に備わっていた頃があった。「組織」に入らされる前にな。で、今、愛の御し方が解らないというなら──その頃を思い出すなんて無理難題に挑むまでもなく、過剰な愛のかたまりのような存在が、おまえの一番近くに格好の教材として居るじゃないか。

 アイツの振る舞いを真似れば、それがすなわち過剰な愛だ。──なんて、ちょっと考えれば合点がいくだろ。解らないことで困ってるんだったら、相手にもその解らなさを押しつけてやれば、平等じゃないか」


「けれど、ただふるまいを真似ただけで、内心どこにも愛情がないというのは、ただの嘘じゃないでしょうか……」


「莫迦だな、まったく! おまえは世間知らずが過ぎる」


「それはほぼ百パーセント、あなたたちのせいです」


「愛情がなくても愛さなきゃいけない。愛亡き愛も、過ぎれば愛。仮に「現代」の教科書があったとして、冒頭数ページには絶対載っているようなあたりまえの摂理だよ」





「──ごめんね、さっきは変なこと言って、怖がらせちゃって。私も最近仕事が多くて、疲れちゃってたんだ──って、言い訳にすらならないのは解ってる。けど、本心では、あんたに死んでほしいなんて微塵も思ってない。どころか絶対に、いっしょに、もう一度トウキョウに行きたいって心から思ってる」


 心から。


 ああ……こんなにもよどみなく、私は喋ることができる。

 三年前には考えもつかなかった事態だ。


 どころか今も、ラビーに向けてすらすらと口上を述べるなんて真似は私にはできないはずだった。


 でも──


「大好きだよ、ラビー」


 


 臆面なく言える。



 きみを抱きしめるこの両手が、背中に押し当てた鼓動が、耳元で立てる淡い息が、すべて、愛亡き愛だから。



 とはいえ一気に用意していた文言をまくしたててしまったので、かすかな目まいに襲われて、私は彼女の身体から手を離し、背後の壁に頭を打ちつける仕方でもたれかかった。


 窓際のドラセナが視界に入る。開け放されていたカーテンの奥は何もない闇だった。


「え、えと、」


 気づけば目の前の少女は、私に背中をむけるのをやめ、再びその蒼い両目をもって居直っていて。


 普段の彼女ならばありえない静寂を、私に寄越していて。


 でも当然だし、上等だ。これが私をさいなんできた困惑なのだ。


 自分を殺そうとしてきた不愛想な同居人が、突如浴びせてきた過剰な愛を受けて、きみは



「……ありがとう!!! ラビーもレナちゃんのことずっと大好き!!!」


「──え?」


 飛びついてきたラビーとともに、バランスを崩して布団に倒れ込んでしまう。冷房も扇風機もついていない一室で、ふわふわとしたシーツと、彼女の肌の感触が、やけに熱くて、頭に血がのぼる感覚がした。


 過剰な愛を受けて何とも思わないのか、なんて聞き返す余地などもうなくて。

 倒れ込んだままで私の顔を見ては無邪気に喜ぶラビー。

 私は覚悟を決める。もういちど両手をまわして、彼女の頭を胸に抱きよせる。




 愛情がなくたって、愛することはこのようにできる。


 空虚だろうが、嘘だろうが、私たちだけの世界であれば関係ない。


 それが「少女」として生きてゆく術だと、詩織さんは知ったような顔で私に教えたかったのだろう。


 その思惑はまた、明朝に報告に行く際にでも隙があれば問い質してみるとして。




 どこへだってついていくよ。ついていきたい、とラビーは胸元で呟いた。


 まずは外で歩く練習をしなきゃだね、と私は奥の壁を見ながら返す。



 途端、ここ二日の疲労が包むように襲ってきて。



 このまま寝ちゃおっか、ときみだけに聞こえる大きさで囁きながら、


 無言で胸の中でうなずくきみの頭の感触を覚えながら、


 ──ああ、やっぱり微塵も愛おしくない。無理やり演じてみたところで私の本質は変わらないようで。いまの自分を充たしているのは、まったく別物の──しかしそれでも、


 この感情まで「組織」に奪われていなくて本当に良かった、と私は思った。



 そうして二日ぶりの眠りにつく。


 ───

 ──

 ─


(続)

 

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