3:慈愛に満ちた緑

 日本各地に計六箇所、支所を分け構える「組織ソシキ」。

 その集まりは無名。コードネームすら用意なく。

 二〇〇二年、現代人の誰もが知る由ない名もき我々は、二千を超える「少女ショウジョ」によって構成される。

 二千万を超えた、現代に潜む異世界人ビジター達を殺すために、私たちは──


 *


 仕事があるとかで詩織さんはあの後すぐに支所を発った。

 雑然とした事務所に放りおかれてしまった私は、独りになってしまった私は、普段の昼下がりならば同年代の高校生と同じ学習をしようという殊勝なルーティーンを組んでいたのだけれど、さっきはあのしなびたソファーに座っていても本という同じ一点を見つめることができなかった。

 浮かない気分なのか、浮かれた気分なのか。いずれにせよ、なんとなくで私は支所を飛び出して、なんとなくで、詩織さんがつい先ほど「面白いぞ」と称していた場所を訪れていた。


 

 午後三時、を長時計が刺している。


 耳を澄まさなくても四方から飛び込んでくる人々の歓声嬌声。なだらかな川の流れも最早場違いさえ思える、鴨川沿岸のうっそうとした人だかりを、三条大橋の近くにチャリを停めて、橋の柵に頬杖をつきながらぼんやりと眺めていた。


 詩織さんが言ったようにいまは「夏休み」という繁華シーズンらしく、ふだんならば見かけないような垢抜けた観光客らしき集団もちらほら。とは観察してみたけれど正直どんな人々がおわすかなんてこれっぽっちも興味はない。ただ、バカだなあと思って見ていた。

 私が興味あるのは一点、彼らの中にどれだけの異世界人が混じっているのか、この右手の「炎光」が反応するのかという事だけだ──もとい、すでに視えてはいる。呑気に口角を緩めていらっしゃるあの現代人たちのうちの三割は、私が殺すべき標的たちだということを、彼らは今後の人生で気づくよしもないだろう。気づかずに、呑気に幸せに生きるのだ。


 それで当たり前とは理解しているけれど、やっぱり莫迦ばかだなと内心毒づいてしまう。私たちがこうやって、普通の生活をてて、貴方たち現代人のために手を汚していることを、今更知ってもらいたいとは思わないし、知られたところで何の得もないとはこれも理解している。本当だよ? そうやって取り繕われた、衰退も発展もしない安定というのがこの二〇〇二年という



「知ってもらわなくても構わねえが、全員殺して殺ってもいいとは思うよな」



 柵の隣に緑色の影があった。


「勿論、異世界人を措いて他に一切の殺しを殺っちゃいけねえっていう規則があるから、面白半分涙半分で出過ぎた真似を殺るつもりはないがな。オレたちは規則に活かされてる身なんだから。ま、こんな「内心」すらヤツらは「解明」できるっつって得意ぶるんだろうがな──」


 その声は、

 聞き覚えがあって──


「ケッタイな事だぜ。どう思うよ? ──『』」


 ──私を。

 私を、そので呼ぶのは。


「おおっと。そりゃ規則違反だぜええええぎゃはははっ! いきなり面白れえのは結構だが、とりあえずはその「炎光」を収めな」


 既にその影の頭上にまで思わず右手を振り下ろしかけていたが、彼女の一言によってなんとか踏みとどまる。


 彼女──慈英理生じえいりお


 彼女の派手な緑色のショートボブを目にするのは数ヶ月ぶり、つまり、トウキョウで遭って以来の事である。


「キョウトでも元気で殺ってるみたいで喜ばしいぜ、『親殺し』。どうだ、トウキョウへ算段はついたのか? おい」


「──その辺の事情はもう、筒抜けってことね」


「そりゃあ、お前んとこの所長さんからな」


 私が倦厭すらしている呼び方をやめない理生は、いきなり無遠慮に核心を探ろうとしてくる。まずは近況といった世間話というのは、彼女にとって「くだらない」と一蹴どころか唾棄すべき退屈なのだろう。


「その前に──なんであんたがここに居るのかを訊きたいのだけれど」


「ええ? そりゃ、お前に会いたかったの一心だぜ──ぎゃははははっ! そしてアレだろ? オレがお前に一切気づかれることなくこの距離まで近づけたカラクリについては、説明不要って事で良かったんだよな?」


「それを決めるのはあんたじゃないね。非科学的で反吐が出る」


「──ぎゃははははっ! そうだな、そうだよな!」


 気分良さそうに哄笑する彼女は、よく見れば見るほど、普通のいたいけなカオをしている、はずなのだけれど。


 白地に英字がプリントされただけのTシャツも、青いデニムパンツも、いたって普通過ぎる服装だ。三条大橋を行く人々は、もし理生が目立った笑い方さえしていなければ、緑髪を措いて目に留める事すらないような──実際、奇妙なまでに素通りされているようだけれど。


「じゃあ数カ月ぶりに奇跡で喜劇な再会を果たしたお前に改めて能書きを垂らして殺れば、オレは「組織」のお前ら以外に気づかれないカラダになっちまったって訳だな。ちょっと操作すればお前らにすら追跡不可能なほどに気配を消せる。トウキョウからこっちまで来る新幹線も──ってのは止めておくか」


 実は理生の「それ」について私は詳細を知らなかったので、顔には出さないように鴨川の群衆をながめながら内心納得していると、隣の彼女は私の右肩に手をついて、


「で、お前はここで何やってんの? 今見てるアイツらを早速殺ろうってことか?」


「まさか。そんな事したら目立って大混乱になるって解らないの? バカなの?」


「──ああそうか! お前のはでっけえ炎だもんな! それでも上手く殺れば、あるいはだと思うが──」


 その点オレの──『幻滅げんめつ』なら、まるっきり現代人のバカどもに気づかれないように、殺しまくれる確信があるけどな。



 あっそう、と私はあえて彼女の期待を外すような返答を続ける。


「てか、ここで何やってんの? は私のセリフなんだけど。その「幻滅」とかいうの使って私をストーカーしてたって事でしょ? 生憎、特に面白い話も何もなくてね」


「ぎゃはははははっ!! 確かにその通りだな!!」


 期待を外してやったほうが、理生が喜ぶ。


「っていっても、大した用じゃねえぜ。ただつい数時間前、トウキョウ本所でお達しがあったんだ。キョウトの『親殺し』に誰か会いに来てくれ──って、これもお前んとこの所長からな」


 お前んとこの所長、と。

 詩織さんがさっき「打ち合わせ」と言っていたのは、そういう──


「ただまあ、お前もご存じの通り、『親殺し』ってだけで御免恐怖って奴らが多いからな。その点『親殺し』ちゃんとただならぬ因縁があるオレが選ばれたってワケ──おい、その炎収めろって、さっき目立って大混乱とか抜かしてたじゃねえかよぎゃははははっ!!!」


「別に、あんたが私を怒らせたい訳じゃないのは解ってるから、続けて」


「なんだあ、ただの脅し躾って事か! 畜生みてえな扱いだな。まあいい、で、お前んとこの所長さん──『赤眉しゃくび』がオレに命じたのは、お前さんに──」


 玲奈に東京行きを諦めるよう、説得して殺れって事らしい。



 近くの空を飛行機が飛ぶ重低音が聞こえた。



「──まあでもぶっちゃけオレにとってはんなもんどうでもいいし、何ならお前がこっちに来るのはちょっと楽しそうでもあるから、説得も何もするつもりはないから安心しな! なあこんなトコで立ち話もなんだから折角キョウト来たんだしあっちの商店街でも練り歩こうぜぎゃははははっ!!」


「……なんで、どうして」


「あ? ああ、商店街じゃなくてラーメン屋とかのほうが良かったか?」


「なんで詩織さんが、私に……」


 私の望みを叶えてやりたい気持ちはある、と言ったあなたの舌の根は、まだ乾いていないはずだ。

 真夏でじんわりと汗ばんでいたこめかみから急に汗が垂れた。


「それはオレにも解らねえなあ。『赤眉』さんの考えるコトが解ったら苦労しねえってのは、お前の方が何百倍も体感してるだろ? ──よしよし、収まったみてえだな。その辺の細かい事情は後日直接、所長さんに聞いて殺ってくれな。ぎゃはははっ!!

 それよりかオレは、お前がまだトウキョウに還ってくるのを諦めてねえってことに喜ばしさを感じるぜ。なんだかんだ京都ではんなり楽しんじゃってるんじゃねえかと杞憂してたんだが」


「……トウキョウには、一千万人を超える異世界人がいる。鴨川のあの人だかりにも、そりゃあ沢山紛れてるけど、比にならないくらい。そいつらと相対したいってだけだよ。そうしたら、今の京都での生活よりも、よっぽど日々が充実するし」


「本当にそれだけか?『親殺し』」


 その蔑称を──またここで呼んだのは、そういうことだろう。


?」


 私は何も答えない。


「お前はあれからずっと、そういう目しかできなくなってるんだぜ?」



 何も答えない。



「──ぎゃははははっ!!! すまねえな変なコト訊いて!! でもまあ、これでオレは形上は役務を果たして殺ったからな。後はオレと『赤眉』の忠告もむなしくトウキョウにどの面下げて舞い戻ってくる面白え展開を心待ちにしておいて殺るぜ。


 じゃ、そろそろ連れがキョウト飽きたっつってるから、適当に帰ることにするわ」


「つ、連れ? あんた一人じゃない」


 最早予想通りに理生は天を見上げて嗤う。


「──ずっとオレとお前の間に居たんだが、まあしょうがないよなコイツはオレにしか視えないようになってるから!! オレが『幻滅』の力を得てしまったばかりにコイツには申し訳ねえばかりだぜ、ぎゃははははっ!! 


 ……じゃ、お前のにも宜しく言っておいてくれ」


 そう言って緑髪のあなたは、橋の柵を乗り越えて、鴨川の沿岸のほうへ飛び降りていった。

 あなたにしか視えないという「連れ」も、急降下していくその背中を追っていっているのだろう。


 ──そうか、そうだよね。私と理生は何から何まで同じ身分だから。私の『炎光』に対してあなたの『幻滅』があるように、私にラビーがいることも、貴方は重々承知していて然るべきだ。

 そして、私がこうであるように──理生は「怒情」を亡くしている。亡くされている。


 だから人が通常怒るべき場面で怒らず、代わりに高らかに嗤う。




 二千万を超えた、現代に潜む異世界人達を殺すために。


 感情の一部を摘出して「うしなわせる」ことで、「少女」はそれぞれに特別な力を得る。


 異世界人という「未知」を解明するころす力を。


 私たちはそうやって生かされている。






 気がつくと理生の姿はとっくに群衆に紛れて、橋の上からでは見つけられなくなってしまった──あるいは『幻滅』によって私にすら視えなくなってしまったのかもしれないけれど。いずれにせよ実に都合の良い力だなと思う。



 私は停めていたチャリにまたがって、三条大橋を後にした。理生がおそらく現在進行形で、悲喜こもごもに異世界人を殺戮しているように──私にもこれから仕事がある。



──じゃ、お前のソイツにも宜しく言っておいてくれ



 いいや、それはできないね。

 今から私はソイツを殺すから。



 *



「おかえりレナちゃんちょっと朝からどこ行ってたのー!!! 昼に起きたらごはん何もなくて今まさにラビー餓死しそうなんだけ」


 玄関で出迎えてきたラビーの腹部に『炎光』を喰らわせた。


 彼女の身体が蒼い脳天からピンクのパジャマまで、瞬く間に燃えていく。


「ちょ、レ、レナちゃ……」


 ラビーは十秒と立たずに跡形もなくなった。

 

 私の『炎光』は一切の死体をのこさずに殺しきることができる点で、理生の『幻滅』とは違った方向で暗殺に適している──ともかく、これでミッションコンプリートだ。


 とにもかくにも、これでトウキョウに戻ることができる。私はちょうど「ひとりぶん」である我が家の、無人のフローリングを進んだ。



(続)

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