第二話 悪役令嬢、婚約破棄される。
「ヴィオラ! 君との婚約だが……破棄させてもらう!」
「何ですって……?」
ミズガルズ帝国、帝都ラインハルトの王宮で開かれたパーティーに招かれた伯爵令嬢ヴィオランテ・ヴァイオレント・ヴィオレットは婚約者である皇太子ヘンドリックに、会場に入るなりそう言い放たれた。
「お待ち下さいヘンドリック様! いきなり婚約破棄だなんて……そんな!」
「白々しいぞ! 君がこのアンナに働いた狼藉の数々と国家への背信……! 僕が知らないとでも思っているのか!?」
ヘンドリックは傍らにいるアンナと呼ばれた少女──平民上がりながら天才と呼ばれる魔法の才能を持ち、その人柄からかつて魔王の手から人々を救った聖女の再来と呼ばれる──を抱き寄せると怒りを顕にした。
「ッ……!」
怒りに燃える皇子にはもはや取り付く術はなかった。
しかし国家への背信までは濡れ衣である。彼女は皇妃への対立候補に嫌がらせ…もとい政治的行為を働いたことには働いたが、国家反逆など考えたことは無かった。
何かを察したヴィオラは辺りを見回す。
パーティーに参加している貴族たちからの好奇の視線が彼女に向けられている。
その中の数名──彼女の家、ヴィオレット家の政敵たる貴族たちは油でぶくぶくと太った厭らしいしたり顔で彼女の現状を愉しんでいた。
(やられたッ……!)
ヴィオラはその美しい顔を歪ませて唇を噛んだ。言うまでもなくこれは謀略だ。
「殿下……! 私のためにお怒りなのはわかりますが……」
激昂するヘンドリックを、アンナが宥めた。
「すまない、怖がらせてしまったね……」
それにより少し平静を取り戻した彼が言葉を続ける。色香に惑わされて鼻の下伸ばしやがって…とヴィオラは業腹だった。
「……それで、何か申し開きはあるか? このままだとお前は婚約破棄のみならず国を救う“聖女”への迫害、つまり国家反逆罪で帝国民権を剥奪の上追放ということになるが」
……そういうことか。とヴィオラは気づく。
つまり、アンナへ仕掛けた政争そのものが国家の反逆にあたる、と。……一体誰の差し金だ?まさか目の前にふんぞり返るこの馬鹿皇子の独断ではあるまいな?とヴィオラは美しい紫色の切れ長の吊り目でヘンドリックを睨みつける。
「国家反逆罪で追放…?随分お優しいのですね?殿下。帝国憲法に則れば…極刑に値するのではなくて?」
「私が…お願いしたんです。」
「は…?」
なぜお前が出てくるんだ?という顔でヴィオラはアンナを見遣る。
「だって……可哀想じゃありませんか……! 確かにヴィオラ様とは色々あったかもしれないけれど、それだけで殺されてしまうなんて!!」
アンナの放った言葉が耳鳴りの様に脳内を反響する。
可哀想…
言うに事欠いてこの女、私を可哀想だと?
このヴィオランテ・ヴァイオレント・ヴィオレットに情けをかけようというのか?この女は。
──あぁ、そうか、本当に、本当にお優しいことだ、この聖女様は。
お優し過ぎて──ああ本当に──
……不愉快極まる……!
決めた。コイツは、この“聖女”は、必ず殺す。もはや馬鹿皇子との婚姻などどうでもいい。貴様にくれてやる。脳髄に花を咲かせた者同士、私が殺すまで精々仲睦まじく乳繰りあっているがいい。
「アンナ……君というやつは……」
ヘンドリックがはにかみながら、熱を持った目でアンナを見つめる。
それに応えアンナも皇子に笑顔を見せた。
三流にも劣る茶番を見せられたような気分だ。……喜べ馬鹿皇子、お前も抹殺対象に加えてやる。
ならば、もうこんな所で油を売っていてもしょうがない。ヴィオラはくるりと踵を返して会場を後にしようとする。
その後ろ姿をヘンドリックが呼び止めた。
「何処へ行くつもりだ!」
「あら、私は追放なのでしょう? ……でしたら、何処へなりとも行って、そこで野垂れ死にますわ」
「それは……そうだが……」
「そういうことですから、ご機嫌よう。」
ヴィオラは元婚約者たちに笑顔で別れを告げると、堂々とその歩みを再開する。
しゃなりしゃなりと歩くその姿は、今さっき皇子との婚姻を破棄されたとは思えないほど凛々しく可憐だった。
そのまま出口に着くと、ヴィオラはもう一度群集に向き直り、ドレスのスカート部分を摘み、踵をクロスさせて優雅にお辞儀をした。大扉の前に侍る衛兵が丁度良く、ゆっくりと扉を閉じていく。
──あぁ、これは素敵ね。このくだらない三流喜劇の幕引きには相応しい。
そうして次に始まる演目は、私の舞台。目も当てられないような、地獄の悪鬼共さえ阿鼻叫喚する極上の
楽しみね、楽しみね。そうだ、きっと私の人生というものは、これから始まるのだ。
──楽しいわよ、きっと。
扉が軋み、完全に閉じるその瞬間まで、ヴィオラは内心の昂りを隠し通し、微笑んだまま幕引きを終えた。
◇
かつかつと、ヒールの音を響かせてヴィオラは王宮の廊下を歩いていた。
目的はただ一つ。あんな三流未満の茶番を見せられたのだ──
目的の場所まで辿り着くその間に、今後の身の振り方を思案する。
ヴィオラが相手にしようとする二人は国家そのものと言える存在だった。片や将来の皇帝である皇太子、片や帝国の錦の御旗である聖女──相手に不足は無いが、なんにせよ一人ではどうにもならない。殺すだけなら簡単だが、彼女の命も危うい。頭を花畑にしている馬鹿共と心中するつもりはさらさら無かった。
(少なくとも、ただの女から軍団を指揮できるくらいの身分に成り上がらないといけないわね……。)
難しい所だった。帝国民権を剥奪されていなければ、領地でいくらでも雌伏してやったのだが。
そうなると、どこぞの対立国家にでも身を売るか?
否、この国が王国だった頃ならともかく今や帝国。対立国家などいるとしても海の向こうだ。全土併合済みで──
……いや待て、いるではないか。お
帝国が未だ小競り合いを続けている相手が、あの“聖女”がいずれ相対しなければならない相手が。
「魔王国ニヴルヘイム……!」
自然と口角が釣り上がる。ここならば、帝国とやり合うには十分だ。ならばどうやってその軍門に入るか──という事を思案する前に、目的の場所にいつの間にか着いていたようだ。
帝国宝物殿、帝国がこれまで集めた戦利品等を保存する場所。そしてその最奥部にこそ目的の物はあった。
見張りはいない。パーティーの警護にでも割かれているのだろう。御苦労なことだ。
「──
最奥部──封印指定を受けた物品が所蔵されるその厳重な扉を爆破魔法で吹っ飛ばすと、目的の物まで脇目も振らずに歩を進める。
それは、一冊の魔術書だった。
ヴィオラはそれを手にとって表紙、背表紙と眺めて目的の物かどうか確認する。
──当たりだ。
『
帝国を相手取るのだ、これくらいの慰謝料を貰わなければ。
爆破の音を聞きつけたのか、衛兵共がこちらへやってくる音が聞こえる。
──目的の物は手に入れた。もはやこの城に用はない。
ヴィオラは宝物殿の壁に手を当てると、再び爆破魔法で壁に穴を空け、そこから飛び降りた。風が全身を撫でる。得も言われぬ心地だ。
風魔法で緩やかに地面に降りるまでの間、これからのことにヴィオラは思いを馳せていた。
──かつて何処かで、そしてこれ程幸福だったことがあっただろうか?
貴族のしがらみも、糞皇子との婚約からも、何もかもから私は自由だ。これから私は自由に生き、自由に戦い、自由に殺す。
ああ、そして、今こそ高らかに告げよう。舞台の始まりを!
然して天に輝く満月を観客に、ヴィオラは独り開幕を告げる。
「──さぁ! ……
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