Track1-1 ある日森の中、お兄ちゃんに出会った

 VRゲーム機を頭に装着して電源を入れると、全身の力が抜けるような感覚と同時に何もない白い世界に浮かんでいた。ロードが終わったようで、数秒してから『ミーティアオンライン』というタイトルが表示された。


 このゲームは、空から落ちてきた迷い人プレイヤーが冒険者になり、世界を旅する剣と魔法のファンタジーVRMMORPG。テレビで流れていたCMの受け売りだから詳しくは知らないけど。ちなみにMMOは「みんなでまったり大騒ぎ」の略だと昔お兄ちゃんが言っていた。


 文字だらけの利用規約が表示されたり、きゃりぶれーしょん? とか、わーるど選択? とか、生年月日や一日の運動量などなど。とにかく色々な設定を済ませると姿見が目の前に現れて鏡越しにキャラクターメイクが始まった。


 鏡に映る自分の姿は、着ている服がベージュの質素な麻のワンピースだということ以外は現実そのままの顔や身長。ゲーム内の身長が現実と大きく違うと操作に違和感があるらしいから身長は変更なし。


 種族は普通の人間はもちろんのこと、エルフや獣人、ドワーフとかも選択できる。試しに種族の項目を変えると自分の姿が一瞬で変わっていく。獣人は更に細かく分かれていて犬や猫、兎や狐、狸までいた。どれにするか迷ったけど、見た目がかわいい猫獣人を選択。


 猫耳は立ち耳からたれ耳、野良猫風の先が切れた耳まである。尻尾も色々あって、悩みに悩んで背の小さい茶色の毛並みの立ち耳猫獣人の女の子を作成した。


 キャラクター名は『ねこ』を逆に読んで、それを名前っぽくして『ここね』。


 キャラクターメイクが終わって誕生したばかりのここねは、いきなり多くの人出で賑わう街に降り立った。ファンタジーな街並み、ファンタジーな恰好をした人たち。現実ではない光景なのに、まるでこの世界が現実かのようにやわらかい風が頬をそっと撫でていく。


 五感を感じることができるとは知っていたけど、ここまで再現されるなんて知らなかった。他のプレイヤーの頭上にその人の名前が表示されていたり、アイコンが表示されているのが、ここが現実ではなくゲームの世界だと気づかせてくれる。


「おっと、ごめんよ!」


 長い間ぼーっとその場に立っていたら、私の尻尾が他の人にぶつかったらしい。体験したことのない感覚が襲ってきて全身の毛が逆立つ。人間にはついていない尻尾の感覚まで再現されているなんて。すごい技術だけど、本当にすごい技術なんだけど、尻尾の付け根の辺りがすごくくすぐったい。


「あ、リスだ」


 邪魔にならないように尻尾を抱えて街を見て回り、気がつけば森に出ていた。見たこともない耳の長いリスを見つけてそっと近づくと、リスは警戒することなく頭を撫でさせてくれた。少し剛毛だけどサラサラな毛並みが気持ちいい。頭上の名前を見るとスクウィレルと表示されていた。


 あれ、リスじゃないのかな?


 鋭く尖った耳先に触れると、くすぐったかったようでスクウィレルが目を閉じて顔をぶるぶると振る。その仕草がかわいくて、ついつい何度もつついてしまう。それが嫌だったのかスクウィレルが逃げてしまった。


「待って!」


 後を追うと途中で見失ってしまい、疲れて手頃な倒木に座る。手触りが再現されているのにも驚いたけど、体の疲れまで再現されているなんて。そんなことを考えながら息を整えていると、突然、座っていた倒木が動き出した。後ろに転がり尻もちをつき、びっくりしてその場で動けずに見守っていると、根を足のように動かして倒木がまっすぐ立ち上がった。見上げると顔のようなものがある。


「も、モンスター!?」


 私の今の装備は麻のワンピース。キャラクターメイクで武器は選んでいないし、そんな選択肢なんてなかった。木のモンスターが枝を飛ばしながら追いかけてくるのを、尻尾のように留めている長い茶髪をなびかせて逃げる。


 まるで現実のように感じる木々を避け、涙顔で街道まで走ると悪い意味で見覚えがある名前のプレイヤーを見つけた。


「お兄ちゃん助けて〜っ!」


 HPがギリギリの状態で、つい恐怖心から咄嗟にそう叫ぶ。そのプレイヤーの後ろへ隠れると、慣れた手つきで大きな斧を構えてモンスターを斬ってくれた。モンスターは光の粒子になって消えていく。よかった、モンスターとの追いかけっこはここでおしまいのようだ。


 緊張の糸が切れて、私はその場でぺたんと地面に座りため息を吐いた。初期装備の麻のワンピースは肩からずり落ちそうなほどボロボロ。ゲームを始めたばかりなのに、最初からこんなことになるなんて最悪だ。


「えっと、大丈夫?」


「あ、うん」


 つい、いつもお兄ちゃんと会話するように素っ気なく答える。助けてくれたプレイヤーの頭上を見ると、やっぱり『イチニー』という文字が浮かんでいる。なんでこの名前にしたんだろう。見ているとしかめっ面になってしまう。それに声にも聞き覚えがある……というか毎日家で聞いているから間違えることなんて絶対にない。


「さっきお兄ちゃんって言わなかったか?」


 ……あっ。


「……い、言ってません」


 否定するとゲームキャラクター越しにも分かるくらい、お兄ちゃんが怪訝な面持ちで私を見てくる。つい視線をそらして左上を見つめると、森の木々から漏れる太陽の光が私を優しく励ましてくれた。ゲームなのに本当にリアルだなあ。


 さっきはお兄ちゃんって言ったけど、確かに言っちゃったけど、どうにかして誤魔化さないと。目をグルグルと回しながら脳をフル回転させる。


「えっと、そう! 学校で先生をお母さんって言っちゃうようなもの、とか……」


 人差し指を立ててそれっぽく言い訳をしてみるけど、お兄ちゃんは納得していない様子。それなら「お」から始まるもの。お菓子におにぎり、大判焼き。おはぎ、お団子、小倉あん。早く答えないと、という焦りでどんどん迷走していく。


「えっと、え〜っと。さささっきはお師匠さみゃって言いみゃした!」


「……は? お師匠、さま?」


 お兄ちゃんの心が一瞬揺らいだ……気がする。このままゴリ押しするしかない。種族を猫獣人にしてよかった、舌を噛んだことを誤魔化すために猫のような語尾でお兄ちゃんにもう一度言った。


「そうにゃ! お師匠さまって言いみゃした!」




 ―――――――――――――――

 ここねの誤用語修正パッチ【MMO】


 MMOとは「Massively Multiplayer Online」の略。日本語にすると「大規模多人数同時参加型オンライン」。その名の通り、多人数が同時に遊べるオンラインゲームのこと。多人数で一緒に強いモンスターと戦って楽しんでも、ゲーム内で非公式のユーザーイベントを開催して多人数で楽しんでもいいため、あながち「みんなでまったり大騒ぎ」というのも間違いではない。

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