こんなことは昼飯前

「メッセは見た。安心したまえ。正直私の手をわずらわせるほどのことでもないな」

 吾輩たちに遅れてロボ研究会室に入ってきた会長、坂本トオル殿は、先天的に偉そうな態度をさらに大きくしてメガネを光らせた。

「大丈夫か? 大丈夫なんだよな!」

 不安がるトイトイ殿の顔を、メンテナンスベッドにパイリァンを寝かせてメンテナンス道具一式をてきぱきと準備するマスターに向けさせて、会長殿は冷静に”処方”を告げた。

「まずは冷却液クーラントを入れ替える。それで当座の発熱は引く。その後で根本的な処置をする」

 説明している間にも手際よく”患者”の体にパイプラインが接続され、低いハム音を伴ってするすると新品の冷却液クーラントが循環し始める。赤みを帯びていたパイリァンの肌色がみるみる白さを取り戻していった。

「パイリァン……よかった」

 顔色の変化を見てようやく安心できたのだろう。トイトイ殿がふうっと息を吐き出した。

「まあ初めてのトラブルだ。慌てるのも無理はない。私たちに任せておけば、こんなものは昼飯前ひるめしまえだな」

 冷静さを取り戻したところで耳慣れない単語を耳にして、トイトイ殿が怪訝な顔を向けた。

「『昼飯前』ってなんだ? 『朝飯前』なら来日前に習ったんだが」

「うむ。落ち着きを取り戻したようだな。少々時間がかかる暇つぶしにでも聞かせて進ぜよう」

 会長殿は余裕の笑いを浮かべると、部屋の一角に安置されている旧式のパソコンを指さした。ネットにつなぐことさえできない、ひどく不器用で不便な機械。

「由来ははるかな昔、20世紀末にさかのぼるのだ。まだ『パソコン部』さえ珍しかった時代」

 会長殿は一旦言葉を切って、一同を見渡した。

「『TETRISテトリス』を知っているか?」

「『N-Lithエヌリス』の元祖だね。てゆか、全ての落ちモノ系パズルゲームの元祖」

 答えたのはトイトイ殿ではなく、応急処置中のマスターだった。まあ、もう作業は機械まかせなんでこのひともやることはないんだけれど。

「4ブロックから構成される”テトリミノ”を横に隙間なく積み上げると消えていくルールです」

 さらなる補足を加えたのは、影のように会長殿に従っていた慇懃天使なロボ、ケイ殿だった。”彼女”は旧型で基本的に自我が薄いので、うっかりしていると存在を忘れられそうになる。

「そのTETRISを当時のパソコン部員が自分で開発した時のことだ。まあ、版権に考慮して『TEIIS』と綴りをいじったのだが」

 会長殿はそこまで解説を進めて、軽く咳払いをした。

「少し脱線したな。その部員は朝一番に作業を始めて、昼食の前には全ての行程が完了したという記録が残っている。これには、当時はハードウェアへの直接アクセスが現在いまのコンピュータよりずっと簡単だったという事情もあるが」

「それ以来、パソコン部では『朝飯前』と言うほど簡単ではないのですが、少々手間をかければ片付くことを『昼飯前』と言うようになり、それがコンピュータ技術テクノロジーの一般化、重要化に伴って学園全体に広がっていったのです」

 ケイ殿が解説を引き継いで、「昼飯前」の故事はめでたく完結した。ついでにぴーと機械が鳴って、冷却液クーラント入れ替え作業もめでたく完結した。

「だから安心してください。処置後の姿を見れば、たぶん拍子抜けしますよ」

 吾輩は声はトイトイ殿に向けつつ、しっかりと焦点の定まったパイリァンの目を見てにっこりと微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る