【後編】第2話

 その後も店頭販売やセミナー商法の傍ら、神から卸された普遍文法による小売業の刷新に取り組み、毎日のように湧き出る商品創発の案を順に実行した。上手く軌道に乗る商品があればそうでない商品もあり、何に時間を割くべきかと若手経営者の足りない脳髄は絞られたが、怒鳴る上司や修辞法は存在しないのでそれもまた楽しかった。

 最も反響を呼んだサービスは姓名判断と資料解読の二種であり、前者はどの辞典にも立項が無いにも関わらず非常に重要性の高い名詞、つまり個々人の名前を一人につき三百オリアで読みと字義を解説し、追加料金百オリアで名前の由来や稀少性、同姓の有名人の有無といったあたしの知る範囲での豆知識を披露し、「凶意が強いから改名しなさい」一昔前に流行ったような数秘術は已の所で留めておいた。住人として買い求める単語はどれも優れた鮮度で聴音するはずだが、人間の固有名詞には特に目が無いらしい。

「『ユカリ』……私の名前。私は『ユカリ』で『女性』で『人間』、どれが本物の名前?」少女のように頭を捻る者は少なくなく、集合の図示は敢えて避けながら指差しで語との対応を植え付けた。「それじゃあ『アンナさん』は『アンナさん』だね!」少女のトートロジーからは真偽値以上の価値が見出されたので、無料サービスで将来有望な良い名前だよと占ってあげた。名前の普及は人間と人間を滑らかに繋ぐ役割を果たし、それまで『人間』と呼び合っていた人間と人間の区別が付かない人間的な人間達を微笑ましく眺めていたが、『人間』としか呼称出来ない人間はまだ人間だってと人間社会の闇に飲まれた。

 新しく生まれた赤ん坊の名前を付ける際には、そう言えば生殖に言葉は要らなかったと思いながら『ユーノー』『アーディム』等と適当に命名し、神話や歴史に因んだ名前は高く売れた。あたしは無宗派なので宗教ビジネスは程々にしつつ、文化資本が如何に根源的かを身に染みて理解する。「頼む、オレの名前を付けてくれ」生後数十年の経過する人間から拝命を頼まれることもあり、『馬鹿』と名付けたら何日で精神疾患を患うだろうという興味は胸中に押さえた。あたしが全村民の名付け親となる脚本もあり得た訳だが、家屋や書類に刻まれた印字から悪を裁定するのは時間の問題なので他人の距離感を保った。

 後者は各自の自宅等に眠る書籍や表札といった文字資料を解読するサービスであり、特に本を一度で巻末まで解説するのはコストと難易度と競争優位性の面から不可能なので、一日一ページ限定、一ページ当たり千五百オリアという破格な値段で受ける代わりに教材として借用するプランを考案し、実家の本棚には収まり切らない知識の収集とセミナーの題材探しを兼ねた。

 エンタメ事業にも裾野を広げ、「この名称を当てた人には賞金十万オリア!」参加費数千オリアの名前当てクイズイベントを企画した際には字数の多少で倍率を変動させ、負債が賞金を上回りそうなおじさん達には後で首を絞められないよう回数制限を設定した。あたしのような言語資本家が社会に格差を齎すのだなと歴史に学び、知識人としての襟を正した。しりとりや謎掛けやクロスワードといった言葉遊びも一回につき三桁オリアの範囲で企画する傍ら、「ことば屋所記紹介ツアー」と題して村内の抽象物や具象物を解説しながら観光するよりアクティブな企画まで実施した。商法としては「ことば屋メンバーシップ」を毎月十五万オリアで定期購読すればことば屋集会に通い放題、通常営業時も優先的に対応してもらえる等、富者専用のプランを用意した。変化の速い今だからこそ月額制の蜜を味わおうではないか。

「アンナさん、いつもより人が少ないね。これが『過疎』?」だけどこのビジネスが臨界点を迎えるのは目に見えていた。月明け二週目に入り嘗ての職能が手中に戻り始めた頃、噴水を挟んだ雑貨店の並びで本屋がその看板を翻した。あたしも以前は足繫く立ち読みしていたその本屋は小さい村の割には品揃えが良く、特に農業や商業を扱った専門書は数が豊富で、眼鏡の若禿店主に睨まれながら流し読みした思い出がある。身近な存在にも関わらずこれまで彼がことば屋を訪れなかったのは文字に溢れた環境故か不況に抗う書店主根性か。彼は更に北側で店を構える製紙業者との提携を再開したようで、新刊を手に浮足立つ一昨日までの常連が伺えた。

 仕事を放り敵地視察に向かうと本屋の前には長蛇の列が出来ていた。ことば屋よりも潤いのある表情で店を出ていく客達、そしてあたしの遠目は若禿の巧妙な眼差しでスナイプされ、明らかに宣戦布告と解釈出来る笑みを表した。「一冊五百オリアですね。三百オリアで朗読会を開いても良いですか?」喧嘩を売る処か純粋なショッピングさえ怪しい敵意を感じて自陣に戻る。暫くして本屋は村一番の成長産業となり、ことば屋アンナへの客足は次第に遠退いていった。

 実はあたしも数日前、製紙の方に営業は仕掛けていた。しかし「うぅん、お嬢ちゃん少し考えさせてね……」と顰め面で保留にされたのはこの小さな体が原因かと呪ったが、あの時既に本屋と独占契約を結んでいたのかもしれない。「『先立つ物』なら幾らでもありますよ」財布をチラつかせても一切動じず、どうやら完全に敵として見ていたらしい。あたしが本や小冊子等に手を出さなかった理由は流石に製紙や造幣のノウハウには欠けるという点に加え、製本より音声中心のマーケティングの方がコスパは良かったという点、また元より珍しい語彙の収集は好きだが泥臭い文章化があまり得意ではなかった点が挙げられる。

「お姉ちゃんこの本読んでぇ」目の前の少女が差し出すようにことば屋としても勿論悪いことばかりではないが、何れことば屋が本来不要な業種であることに皆気付くだろう。それに週に一度届く都市部の会報から察するにアフェイジア以外の地域では言葉の忘却が起きていないらしく、今の仕事はこの村に限定したローカルな優位性しか見出せず、新天地で言語開発に勤しむことも叶わない。勿論出版や教育、娯楽以外にもコンサル、広告といった言葉を武器としたビジネスは存在し得る。だけどこうしたソーシャルキャピタルは大人の腕力と体力が勝負を決めるので、能記でしか人心の闇を知らないあたしには荷が重い。投資家になる道も考えたが敵陣以外に有望な投資先が見つからない。「この村は発展が遅くて利益率が低い」雷鳴以前から商人が嘆くように村の価値は何処にでもある天然資源くらいで、今後もそれは変わらない。もう少し粘れば製紙屋を説得出来たか、下手な言葉を売っている場合ではなかったかと反省するが、サンクコストの誤謬に浸る暇は無い。

「おじいちゃんの兄弟の子どもの子だから『はとこ』で良いの?」有り余る金を手にしながら何をしようかと悩む中、近所の子どもが片割れに対し仕入れた知識を移出する。皆思うよりも馬鹿ではないようで、書籍の流通相俟って言語資本の発展が速い。ゲームの変化に合わせてことばの売り方を変えなければならない。平均的な生を全うするなら箪笥の貯金で足りるだろうが、この憎らしい世界を牛耳る最後の機会と思えば立ち止まる訳にはいかない。造語の経験から元の世界とは関係無くどんな概念も普及し得ることが分かった。リスキーだけど、あたしが成り上がる為にはこうするしかないように思えた。営業時間を短縮した代わりに本棚の奥へと手を伸ばし、次の週に備える。


「『死ね』は要りませんか?」あたしは排水溝に溺れる鼠の首を絞めて言った。「『死ね』は『死ぬ』の命令形、つまりコイツが生気を失うよう願うことを指します」鼠の四肢を操りながらまだ常識化されていない死の概念について説明する。客の婆さんは胡乱な表情を浮かべながら、音波に伴う不吉な雰囲気に街往く人々の視線が集まる。あたしは『悪意』を売ることにした。

「『殺す』『消す』『犯す』『騙す』『葬る』『詰る』『責める』『惨め』『憐れ』『痛い』『酷い』『弱い』『汚い』『可笑しい』『気持ち悪い』『気違い』『間抜け』『阿婆擦れ』『頓珍漢』『馬鹿』『阿呆』『頓馬』『白痴』『凡愚』『愚劣』『蒙昧』『無知』『無学』『不様』『醜悪』『病気』『障害』『憂鬱』『迷惑』『害悪』『最悪』『邪魔』『低能』『無能』『野郎』『餓鬼』『変態』『下手』『糞』『屑』『滓』まだまだ沢山ありますよ!」禍々しい書体に載せて街路に毒蛇を棲まわせる。これらは今の所人口に膾炙した表現ではなかったので、性善説の方が正しいことは証明されたが対立仮説を疑う程の上り調子で購買が為された。「『殺すぞ』ははは」新しい玩具を手にした男子共が屈託の無い笑顔でメタファーを刺し合うように、子どもから大人へと順調に悪の波動は広まった。

「『愚脳』『痴鈍』『白迷』『無盲』『猿鶏』『痴低』『鈍劣』『白漢』『鈍凡』『遅悪』『馬女』『鬱者』『死顔』『不蒙』『負葬』『魔害』『魯壊』『迂陋』『盆子』『暗食』『臭色』『浅尻』『薄語』『虚肩』『塵卵』『欠迷』『損運』『外漠』『寝躯』『枯茎』『姦具』『過眼』『苦似』『阿唖』『爾病』『消精』『滅人』さぁ如何ですかぁ!」悪意がインフレになる程世の中は幸福ではないだろうと踏み、実在して不思議の無い讒言を適当に生産してみた。売り言葉に買い言葉は造語センスに裏打ちされ、あたしの操り糸に口形を委ねる皆が可愛くて仕方が無い。当初は情勢の為に敢えて封印していた節もあるが、勿論誰が広めずとも動物同士には衝突が付き物なので、辞書には無い悪口が生まれるのも時間の問題だったとは思うけれど。『公序良俗』等の倫理観は相変わらず販売未定なので規制を求める奥様おば様の声は春を知らないけれど、規制から新たな表現が生まれるのも史実なので何にせよ売上には繋がりそうだ。

 悪念商売を始めて約二週間、辞書から負の気配漂う単語を選び取る毎日が続く。現在の所持金、凡そ三億千六百二十万オリア。この村のマネーストックがどの程度か知らないけど相当な額を稼いだに違いない。今月の売上を大まかに分類すれば直接販売が三千八百七十万オリア、セミナーとメンバーシップの収益は九千二百十万オリア、ツアーやクイズ大会等を含めた諸々のイベント収益が一億六千二百八十万オリアとなり、顧客は若禿組を覗いたほぼ全ての村民。讒言は直接販売の主力商品として収益をV字形に回復させた。ただし悪念商売の問題点としてイベントに展開し辛いことが判明し、ブラックジョークを演出した所で肯定的に解釈されたら元も子も無い為自然の文脈に流した。またこれは経済と文化のどちらに非があるか分からないけれど、道端に浮浪者や荒くれ者が増えた。通りすがりに唾を吐かれることも増えた。だけど稼いだ金額の重みに比べれば些細な事だと耐えられた。先月隣で歌った少年は窓枠の隅で死ねと笑っていた。

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