第43話 歪めてあげる

 私は千景とセックスした。憎しみなんて一切ない。ただただ愛だけをぶつけた。けれど千景は虚しそうな表情で、私に微笑むだけだった。


 私たちはホテルを出て恋人つなぎをしたまま、夜の街を歩いた。私たちは歪みすぎた。千景は私を信用していないのだ。私が執着の鎖につながれているから、好意なんてないままいうことに従っている。そう、思い込んでいる。


 千景はずっと孤独を恐れていた。きっと今も、千景は一人ぼっちに苦しんでいるはずなのだ。また私は千景を救えないのだろうか。


 私たちは家に入ってそれぞれの部屋に戻った。


 けど部屋の中にいても、ただただ辛いだけだった。千景は隣の部屋にいる。こんなにも距離は近いのに、どうして心はこんなにも離れてしまっているのだろう。


 私は部屋にいるのに耐えられなくなって、家の外に飛び出した。外は暗く、星々が瞬いている。昔は良かった。いつだって私たちは一緒だった。


 言葉は素直で、行き違えることもなかった。中学生になって、高校生になって、歪みに歪んでしまったけれど、それだってようやく元通りになるかもしれないところだったのに。


 無性に悔しくなって、私はアスファルトを走った。やがて走りつかれて、汗を流しながら私は公園のブランコに腰かける。この公園にも小学生の頃は二人でよく来ていた。


 でも千景はもう隣にはいない。キスもセックスも、なんだってできる。でも心は誰よりも遠い。私は千景に片思いしているのだ。千景だって私のことが好きなはずなのに、私は両思いになる方法を知らない。


 千景も、私と同じような辛さを味わってるのだろうか。


 ため息をつきながらブランコで揺れていると、不意に長い影が私の足元まで伸びてきた。顔をあげると、そこには芽衣がいた。片思いの辛さが分かるからこそ、芽衣とはまともに顔を合わせられなかった。


「どうしたの?」

「……片思いって、辛いんだね」


 その一言だけで、芽衣は何かを察したらしい。私の頭をぽんぽんとしてから、隣のブランコに腰かけた。


「あーあ。こんなシチュエーションなのに、どうして隣にいる人が凜なんだろうね。恋人じゃないんだろうね。本当に酷い人だよ。凜は」


 夜空の星をぼうっとみつめていると、芽衣は「話してみてよ」とささやいた。


「……昔は、信じられてたんだよ。お互いをさ。ほんの少し前まではまた元通りに戻れるって思ってたんだ。けど千景はもう、私を信じてくれないみたい」

「千景に振られたってこと?」

「……そうかもね。千景は私のことが好きみたいだけど、私の気持ちは信じてくれなかった。私の全てが偽物だって思い込んでる」


 芽衣は寂しそうな表情で笑った。その後ろで輝く沈みかけの夕日がまぶしい。


「相変わらず二人は歪んでるね」

「……。芽衣は、大丈夫?」

「どういう意味?」

「好きって気持ちが通じない。それがこんなにも辛いなんて、知らなかった」


 すると芽衣はますます寂しそうな顔になってしまう。でも声は優しかった。


「……私はきっと凜のために千景ほど歪めない。凜だって私のために歪めない」


 芽衣は私が罪滅ぼしとして体を許そうとした時も、こらえていた。幼馴染だからよく分かる。昔から、芽衣は真っすぐだった。


「千景や凛ほど面倒くさい人間を、私は知らないよ。そんな人と付き合ったところで、めんどくさがって自然消滅するのが関の山。酸っぱいブドウかもしれないけど、きっと私は凜が思うほど苦しんではない」


 芽衣は私から視線をそらして、夜空を見上げた。


「私じゃ、凜の相手はつとまらないからね。だいたい、憎しんでるって思ってる相手と体の関係を持つなんて理解不能だよ。付き合ったとしても、いつか関係は破綻してたと思う」


 私は何も言えず、芽衣の横顔をみつめていた。不意に水滴がその頬を落ちていく。


「でもね、もしも千景がいなければ。なんて思ってしまうことはあるよ。それか私が千景の立場だったら、相思相愛になれてたのかなって」

「……ごめんね」


 自分の頬を流れていくものに気付いたのか、芽衣は苦笑いを浮かべていた。


「やっぱり私、凜のこと好きみたい。でもね、結局私は歪めないんだよ。もしも二人みたいに歪めてたらどうなってたのかなって思うだけ。三人でどろどろの感情のぶつけ合いをして、不幸のどん底に沈んでいくのか。それとも案外三人で幸せになれたりするのかな」

「……私は芽衣のことも、大切に思ってる」


 私がささやくと、芽衣は「本当に凜はひどい人だね」と表情をこわばらせた。


「もしも私が悪い人だったら、凜を慰めるふりして略奪しちゃうと思うよ? 今の凜は、隙だらけだから。お願いしたらキスだってえっちだってしてくれそう」

「……でも芽衣にはそんな選択肢はないんでしょ?」

「そう、だね」


 芽衣は本当に悲しそうな顔で、小さくブランコを揺らしていた。


 それがいいことなのか、悪いことなのか、私には分からなかった。好きという感情を優先して、盲目的に呪いのような愛をまき散らせる人。それは周囲からすれば酷く迷惑だろうけど、それでしか手に入れられない幸せだってあると思うから。


「……私もいつか、私と同じくらい真っすぐな人と出会えるのかな」


 芽衣がぼそりとつぶやく。手を空に伸ばして、星の輝きを掴んでいた。芽衣は誰かの幸せを願える人だ。誰よりもまぶしくて、だからこそ私と芽衣は恋人にはならなかった。


「出会えるよ。もしも無理ならその時は、私が歪めてあげるから。……私と、付き合えるくらいに」


 芽衣はくすりと笑う。けれどその笑い声は次第に涙声に変わっていく。私が芽衣にできることは何もない。けど芽衣が求めてくれるのなら、私はいくらでも芽衣を歪めると思う。


 私が恋をしたのは千景だったけど、芽衣だって同じくらい大切なのだ。


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