第27話 言葉なんかじゃ伝えきれない
千景はよく狙って巨大なくまのぬいぐるみを撃っていたけれど、やっぱり一発も当たらなかった。とても悔しそうにしていて、その表情が嘘だとは思えなかった。
「千景。お姉ちゃんに任せて」
「……え?」
私が告げると、千景は意外そうにしていた。
でも私が手を差し出すと、おとなしく銃を譲ってくれた。私は出来るだけ体を乗り出して、くまのぬいぐるみとの距離を近くする。そしてよく狙ってから、トリガーを引いた。
弾はぬいぐるみにあたった。けれど微動だにしなかった。弾がなくなるまで撃っても落ちてくれなかった。千景は肩を落として、残念そうにしている。
「やっぱり落ちないよね。お姉ちゃん。次は金魚すくいにでもいこうよ」
「……一人で行けばいいでしょ。あれを落とすまで、私は動かないから」
千景は目を見開いて、私をみつめていた。
六年前のあの日、千景の喜ぶ顔をみられなかったこと。それが後悔として残っていて、六年後の今の私を動かす原動力になっているのかもしれない。
今、私たちは高校一年生で、あんなくまのぬいぐるみ一つで、千景が喜んでくれるわけもない。その上ひねくれているのだ。理解できないほどに。しかも私たちはお互いを憎しみあっている。
そのはずなのに、諦めるという選択肢はなかった。自分でもよく理解できなかった。ただ、本能に任せるみたいに、何発も何発もくまのぬいぐるみに向けて撃った。
「……お姉ちゃん」
「あんたはあれが欲しいんでしょ。取ってあげるから」
ちらりと千景の表情を見ると、とても嬉しそうにしていた。でも今の私にはそれが本心なのかはもう分からない。憎んでいる私にプレゼントをもらっても、ちっとも嬉しくないはずなのだ。
馬鹿馬鹿しいと思った。それでも撃つ手は止まらなかった。やがて射的の店主さんが気の毒に思ったのか、くまのぬいぐるみを渡そうとしてくれた。けれど私はそれを拒んだ。
自分の手でつかみ取らなければ、納得できない。そう思ったのだ。
少しずつ、ほんの少しずつ、くまのぬいぐるみは動いていく。気の遠くなるほどの弾数をかけて、私はついにくまのぬいぐるみを手に入れた。
射的の景品にされている間は、なんだか特別な風格を感じていたけれど、いざ手にしてみるとただのくまのぬいぐるみだった。私は目も見ずに、千景にそれを手渡した。
「ほら」
するとその瞬間、満面の笑みで千景は私を抱きしめた。
「ありがとう! お姉ちゃん」
まるで本心みたいだった。けど、きっとこんなのは嘘なのだろう。もしも私が千景の歪みを阻止できていたら、もしも私に才能があれば。千景はきっと、大嫌いな私に復讐するためだけに、人生なんてかけなかった。
私を憎まなかった。孤立しなかった。みんなと仲良くできてた。幸せな毎日を送れてた。日常的に、本心から、今目の前に広がっている、ヒマワリのような笑顔を浮かべてくれたはずなのだ。
幸せになって欲しいって、思ってたんだ。今だって、本当は思ってるんだよ。大嫌いだけど。それでも。それでも、やっぱり私は、姉としてどうしようもなく。
千景を幸せにできなかったのが、悔しかった。
気付けば、頬を涙が伝っていく。口から嗚咽が漏れてくる。体が震えて、どうしようもなく辛い気持ちになった。私はお姉ちゃん失格だ。本当に、失格だ。
「……お姉ちゃん。どうしたの?」
「なん、でも、ない……」
「なんでもないなら、なんで泣くの?」
千景は本気で心配そうにしている。でも信じられないのだ。私はもう、千景を、ほんの少しも信じてあげられない。私は精一杯の憎しみを、自分への憎しみをむき出しにして、千景を睨みつけた。
「なんでもないって、言ってるでしょ! それとも、また、理由を教えろって、脅す!?」
際限なく涙が溢れてくる。唇が震える。涙で歪んで、千景の顔が良くみえなかった。けど声は本当に心配そうだった。
「……脅さないよ。教えて欲しい」
私は拳を握り締める。もう、裏切られたくなんてない。千景を嫌いになんて、なりたくない。だから、私は、絶対に、千景を、信じない。
「優しいふりをして、また私を傷付けるんでしょ? 千景は、そういう、やつだよ」
「……本当に、心配なんだよ」
千景の指先が、優しく涙を拭ってくれる。歪んだ視界が晴れて現れたのは、ぽろぽろと涙を流す、千景の泣き顔だった。
本当じゃない。嘘に決まってる。千景が私のために泣いてくれるわけがない。それでも、それでも、私は信じたいと思ってしまうのだ。裏切られたくなんてない。また裏切られたら、きっと千景を許せなくなるのに。
それでも千景が本当に私のことを、お姉ちゃんだと思ってくれているのなら……。私のために、泣いてくれているのなら……。私はきっと死んでもいいくらい、幸せになれると思う。だから。
私は千景から目をそらして、ぽつぽつと言葉をこぼした。
「……馬鹿馬鹿しいなって思ったんだよ。たくさん、たくさん、あんたに酷いことして、酷いことされて。それでもあんたに幸せになって欲しいなんて思ってる自分が。幸せにできない、自分が」
「私のこと、嫌いなんでしょ? ……見捨てればいいじゃん」
千景は私の手をぎゅっと握りしめて、ささやいた。でも見捨てられるわけなんてないのだ。私はそっと、千景の手を握り返す。
「あんたのことなんて、大っ嫌いだよ。なのに結局私はお姉ちゃんで、あんたも私の妹で、妹には不幸になんてなって欲しくないんだよ。あんたのことは大っ嫌いなのに、切り捨てられない。そんなどっちつかずな自分が気持ち悪くて、耐えられなかった。恨みたいって気持ちはあるのに、あんたに幸せになって欲しいって気持ちもあって。自分の気持ちが分からなくて、おかしくなりそうなんだよ」
涙を流しながら、千景をみつめる。千景は寂しそうに眉をひそめた。
「別に大嫌いなら幸せなんて祈らなくていいよ。どうせ私は幸せになんてなれない。お姉ちゃんの望みには答えられない」
「……あんたは歪んでるからね」
私のせいで、歪んでしまったのだ。
「そうだね。歪んでる人間の幸せのためには、この世界はできてない。そんな世界に生まれてしまった私に、お姉ちゃんはどうして欲しいの? どうしたら泣き止んでくれるの?」
望みなんて決まってる。千景には幸せになって欲しいのだ。普通じゃないと幸せを感じられないというのなら、普通の人になって欲しいのだ。
「……昔みたいな可愛い千景に戻って欲しい。それでいい友達を作って、いい人と恋愛して、いい人と結婚して、人並みでいいから普通の幸せを感じて欲しいよ」
でも私がそうつげると、千景は苛立たしげな顔をした。
「私に普通を押し付けないで。知ってるでしょ。私は異常なんだよ」
「私のせいでね」
私が千景並みに優秀だったら。隣に並び立てる人間だったら。劣等感を抱かなければ。自尊心を打ち砕かれなければ。両親の扱いの違いに打ちのめされていなければ。あの日、本気で頑張ってたテニスを奪われても、平気な顔をしていられたら。
私は千景に依存なんてしなかった。お姉ちゃんであることになんてこだわらなくても、自分の力で前に進めていたはずなのだ。千景だって真っ当に生きていたはずなのだ。私なんて、必要なかったはずなのだ。
私が、私が耐えなかったのが、悪いのだ。
「あんたがこうなったのは、全部私のせい」
「何言ってるの。そんなわけない。私がこうなったのは、私が異常だから」
「違う。私があんたと同じくらいすごい人間だったら、あんたはこんな風にならなかったでしょ? ……全部私のせいだよ」
私がそう告げた瞬間、ぱん、と音がした。音の方をみると、夜空に光の花が咲いていた。私は涙を流しながら、千景をみつめる。
「私、あんたのこと大嫌いだけど、大好きなんだよ」
でも千景は困惑の表情を浮かべるだけだった。
きっと私の気持ちは、言葉なんかじゃ伝えきれないのだろう。
だから私は、千景にキスをした。
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