第26話 得体のしれない化け物

 浴衣を着た私は千景と二人で家を出た。お母さんが「楽しんでくるのよ」と笑っていたけれど、強張った笑顔しか返せなかった。


 夕暮れの街にはヒグラシが鳴いていた。


 小学生の頃の私は、ずっと千景と仲のいいまま大人になっていくのだと思っていた。けれど現実にはそうじゃなくて、私たちは憎しみあう関係になってしまった。


 オレンジ色の空をみつめていると、隣を歩いている千景が不意に私の手を握ってくる。握り返すこともせずその端正な横顔をみつめていると、不満そうな表情で「握って。じゃないとお母さんに話すから」なんて脅してくるのだ。


 私が、もしも天才だったら。


 私が、もしも千景に並び立てていたら。


 無意味な後悔ばかり湧き上がってくる。憎しみだけならよかった。恨むだけならよかった。けれど私は確かに千景のことを大切に思っていて、こんなに千景が歪んでしまったことが、本当に悲しいのだ。


 私たちは手を繋いだまま、歩いていく。しばらくすると騒がしさと一緒に、祭りの匂いがしてきた。甘い匂い。おいしそうな匂い。いろんな匂いが交じり合っている。辺りには夜の帳が既に下りていて、屋台の明かりがまぶしかった。


 昔、家族で花火大会にやって来た時は、幸せだった。こんな未来が来るなんて思ってもいなかった。いつまでも心からの笑顔で笑い合えるのだと思っていた。


 けれど今私の隣にいるのは、得体のしれない化け物みたいになってしまった妹。幸せそうな顔をした人ばかりの雑踏の中を、どんな顔をして進めばいいのか、分からなかった。


 来たばかりなのに心が疲れてしまって、軽く千景の手を引っ張る。


「……ねぇ」

「なに?」


 私は屋台の並ぶ通りの脇に立ち止まって、千景に話しかけた。


「あんたは、復讐のためにこんなことしてるんでしょ?」


 千景はいつもの尊大な笑顔でつげた。


「そうだよ」

「……処女の次は私から何を奪うつもり? 命?」

「それもいいかもね」


 千景はなおさら強い力で、私の手を握り締めてくる。かと思うと、突然私の胸に飛び込んできた。ぎゅっと背中に腕を回して、私を抱きしめている。


 私はそれを見下ろしながら、ため息をついた。


「理解できない。いくらあんたが天才でも、人の死は隠し通せない。人生を無駄にすることになるよ」

「別にいいでしょ。どうせ誰も私のことなんてみてくれないんだから」


 忌々しいくらい可愛い上目遣いで、私を見上げてくる。それだけのことで、なんだか胸が騒がしくなるのが嫌だった。


「……あんたは、おかしい」


 私が低い声でつげると、千景はぎゅっと抱きしめる力を強めて、私の胸に顔をうずめた。


「知ってるよ」


 傍からみれば仲のいい姉妹にみえているのだろう。微笑ましそうな笑顔を浮かべた人たちが、視界の端に映った。


 私を抱きしめたまま、しばらく千景は動かなかった。だけどやがて私から離れて手を繋ぎなおしたかと思うと、まるで小学生の頃みたいな純粋な笑顔で、射的の屋台を指さした。


「射的やろうよ。お姉ちゃん」

「……それも命令?」

「違うけど」


 狂い果てたと理解しているのに、過去の面影を追いかけてしまう私は馬鹿だ。小学生の頃みたいに、千景は私の手を引っ張って射的の屋台に向かった。


「あ、でもお財布持ってきてないかも……」


 千景は悲しそうな顔で私をみつめた。今の千景は優しくて可愛い理想の妹みたいだった。だから思わず、私も優しい笑顔を浮かべてしまう。


「大丈夫だよ。持ってきてるから」

「そっか。ありがとう。お姉ちゃん」


 悪意なんて微塵も感じさせない笑顔で千景はつげる。今でもたまに思うことがある。薄い壁を一枚隔てた先に、小学生の頃のような理想の千景がいて、ほんの些細な努力で連れ戻すことができるのではないか、なんて。


 千景はわくわくした様子で射的の銃を構えたかと思うと、どれを取ろうか悩んでいるのか、銃口を迷わせていた。だけどやがて大きなくまのぬいぐるみに目標を定める。


「やめておいた方がいいと思うけど」

「あれが欲しいの」

「……勝手にすれば」


 千景は片目を閉じて、しっかり狙ってからトリガーを引いた。けれど弾は巨大なくまのぬいぐるみにかすりすらしなかった。


 そういえば、千景は色々なことができるけれど、射的は全然できないんだった。小学生の頃の花火大会のことは今でも覚えている。


 あの日も今日みたいに大きなくまのぬいぐるみを狙ってたんだった。けど千景は一度も弾をあてることすらできなかった。これまで挫折を知らなかったからか涙目になっていた。


「お姉ちゃん。あたらないよぉ……」


 そんな千景をみて、私はようやくお姉ちゃんらしいことができるのかと嬉しく思ったのを覚えている。


「お姉ちゃんに任せて!」


 私が笑うと、千景は目をキラキラさせて私をみつめた。


「頑張って! お姉ちゃん!」


 私の弾は百発百中だった。けれどくまのぬいぐるみは全然落ちてくれなかった。弾はあっという間になくなってしまって、お父さんとお母さんにおねだりするも、断られていた。


 欲しいものが手に入らなかったせいか、千景は涙を流していた。けど、私だってたくさん泣いていた。やっとお姉ちゃんらしいことができると思っていたのに、ただ千景を悲しませただけだったから。


 本当に、悔しかった。

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