第21話 私が歪めてしまった

 担任の先生は私の成績表をみて、顔をしかめた。


「いったいどうしたんだ?」


 私は何も答えず成績表を受け取り、うつむいたまま席に戻った。


 いつもなら簡単に分かるはずの問題が分からなかった。そもそも問題を理解できないのだ。頭が痛くてずっと何かに締め付けられてるみたいだった。


 お姉ちゃんは私がどれだけ酷いことをしても私を見捨てなかった。ずっと私に張り合ってくれた。でも今はもう、お姉ちゃんは私と話してもくれない。


 それだけ本気で私の恋心に向き合ってくれていたのだろう。でも私はお姉ちゃんの覚悟をないがしろにした。お姉ちゃんに振られて傷つきたくない、なんて自分勝手な理由で。


 自業自得なんだと思う。私はみんなに嫌われてる。今も教室の人たちは私の成績について面白そうに話していた。私が凋落することを望んでいるみたいだった。


 きっとお姉ちゃんも同じなんだろう。もう、私のことなんてどうでもいいと思っているに違いないのだ。私は甘えすぎてたんだと思う。ずっとずっとお姉ちゃんの優しさに依存してた。


 でもそれ以外に、お姉ちゃんのそばにいる方法も分からなかった。だって私の普通は普通じゃなくて、誰もが私を特別視してしまう。誰も私を対等だとは思ってくれない。同じじゃない人のそばにいたいと思うわけがないのだ。


 小学生のときだってそうだった。私だって恋バナとかは興味あったのに、ただ色々なことができるってだけで、同じ人間じゃないみたいに扱われて、仲間外れにされて。けど、お姉ちゃんだけはいつだって私のそばにいてくれた。


 それが本当に嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて。だからこそ、怖いと思った。大きくなるにつれて、私とお姉ちゃんの差はますます広がっていく。お姉ちゃんは必死で努力してたみたいだけど、全然私には追いつけなかった。


 心の距離だって、少しずつ離れているような気がした。


 だから小学六年生の私は、手加減することを覚えた。本気を出さず、周りにあわせる。するとみんな手のひらを返して、私と仲良くしてくれるようになった。でもそれはとても窮屈で、小さな小さな檻に閉じ込められたような気分だった。


 できるのに、できないふりをしないといけない。本当の自分を隠して、生きていかなければならない。これから先、一生、こんな風に生きていくのかな。


 不意にそんなことを考えて、とても怖くなった。


 どうして私は普通に生まれられなかったの? どうしてみんなと同じじゃないの?


 望んだものがやっと手に入ったというのに、みんな笑顔で私に接してくれるというのに、それでも私は幸せにはなれなかった。なんだか学校に行くのも辛くなってきて、次第に休みがちになった。


 小学生のお姉ちゃんはそんな私をとても心配してくれていた。


「千景? 今日も学校行かないの?」


 私は暗い部屋のベッドの上で横になっていた。お姉ちゃんは部屋の外から呼びかけてくれている。でも私はなんの返事もしなかった。私が手加減することを覚えてからは、お姉ちゃんとの距離は近くなったように思う。


 つまり結局はお姉ちゃんも、みんなと同じなのだ。本当の私よりも今の取り繕った私の方が好きで、もしも私が元通りになれば今よりも私を嫌いになってしまう。私はもう、誰にも嫌われたくなかった。けど自分を隠すのも辛かった。偽りの自分を好いてもらっても、なにも嬉しくない。ただ虚しいだけだ。


 黙り込んでいると、お姉ちゃんが部屋に入ってきた。


「千景が学校に行かないのなら、お姉ちゃんも学校休もうかな」

「……そんなことしなくていいよ」


 私の言葉も無視して、お姉ちゃんはベッドに入ってきた。ぎゅっと後ろから私を抱きしめてくれる。なんだか泣きたい気分だった。こんなにも近いのに、優しいのに、結局お姉ちゃんが見てくれているのは、作りものの私なのだ。


 それが悲しくて、私は泣いてしまった。


「千景?」

「……お姉ちゃんは、今の私と、少し前までの私、どっちが好き?」


 問いかけると、お姉ちゃんは悩むこともせず即答した。


「どっちも好き。千景は千景だから。どんな千景でも、私の妹だから」


 私は振り返ってお姉ちゃんをみつめた。


「……でも前よりも今の方が優しいよね?」

「千景が辛そうにしてるからね。前まではなんでも自由にやってたのに、最近はずっと自分を抑えてるようにみえる。それが心配なんだよ」


 私は目を見開いた。


「……お姉ちゃんは、どんな私でも受け入れてくれるの?」

「うん。私はお姉ちゃんで、千景は大切な妹だから」


 私はじっとお姉ちゃんをみつめてから、ぎゅっと抱きしめた。お姉ちゃんは優しく背中を撫でてくれた。嬉しくて、本当に幸せで。私はもう涙を抑えることは出来そうになかった。


 お姉ちゃんは私の全てを受け入れてくれる。どんな私だって好きでいてくれる。


 その日を境に、私はありのままの自分をさらけ出すようになった。本気を出した私には誰も敵わない。誰もが私を避けてしまう。でもいつだって私の隣にはお姉ちゃんがいてくれるのだ。もう、何も怖いものはなかった。


 けれど本格的に思春期に入ると、どうしようもなく不安になってきた。自覚していないみたいだけど、お姉ちゃんはモテるのだ。だから視線を集めることもよくあって、そのたび私は自分の立ち位置が誰かに奪われてしまうことを恐れていた。


 私は妹で、お姉ちゃんの彼女じゃない。結婚もできない。将来的にはまた一人になってしまうのだ。そういう不安もあったし、なにより私はお姉ちゃんに姉妹愛以上の感情も抱いてしまっていたのだと思う。


 当時は自覚なんてしていなかったけれど、お姉ちゃんが誰かに告白されるたび、胸がざわざわして、なんだか辛くなっていたのを覚えている。立場を奪われることへの不安だと思っていたけれど、実際には恋愛的な嫉妬もあったのだと思う。


 だから私は歪んでしまった。


 私は妹で、恋人にはなれない。でも姉妹愛ではいつか一緒にいられなくなってしまう。それなら、それ以外の手段でお姉ちゃんを私に執着させなければならない。


 最初は怖かった。けれど、一度やってしまえば、もう平気だった。姉妹愛じゃない、純粋な憎しみの感情。憎しみをぶつければ、憎しみを返してくれる。私はそれに途方もない喜びを感じていた。


 お姉ちゃんが「妹」としてではなく、ただ一人の人間として私を憎んでくれている。自分でもおかしいと分かってはいるのに、止められなかったのだ。


 関係が悪くなるにつれて、私は芽生え始めていた恋心に蓋をした。どうせ報われないのだと無意識に踏みにじっていたのだろう。けれど、高校生になった今、もう手遅れになってしまった今、私は気付いてしまった。


 自分のこの気持ちが、憎しみじゃなくて、むしろその反対の感情なんだってことに。自分がお姉ちゃんに恋をしているのだということに。


 だけどもう、私たちは歪みすぎている。憎悪でしか結びつけない関係になってしまったのだ。それにお姉ちゃんは私の恋心を真剣に考えてくれたみたいだけど、それでもそれを「間違った考え」だと断定した。


 私の恋心は知らない間に、異常なまでに膨れ上がってしまっていた。けれどそれを受け止めてくれる土壌はどこにもなくて。私は狂い果てたと思われても自然なほどの憎悪を、お姉ちゃんにぶつけることしかできない。


 今日も本当の気持ちは心の奥底に沈めて、偽物の感情でお姉ちゃんを傷付ける。


「……また、私とえっちして」


 妹とそんなことをすれば、お姉ちゃんは傷つく。でもそれを目的に性行為を求めているのだと、私は嘘ばかりつく。それ以外の関わり方なんて、もうないのだ。


 私たちは姉妹と言うには、歪み過ぎている。


 私が、全てを歪めてしまったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る