第16話 嘘

 お風呂を上がった千景からは、いい匂いがしてきた。廊下で鉢合わせると、目が合った瞬間に、千景は顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする。


 でも千景は妹なんだから、お姉ちゃんを好きになるわけなんてない。きっとあんな、セックスみたいなことをしたせいだ。

 

 明日にでもなれば、きっといつもの調子に戻るはず。


 そう思っていた。けれど一週間たっても、千景は私と顔を合わせるたび顔を真っ赤にしていた。どうやら千景は本気で私のことを好きになってしまったらしい。


 昼休み、私は学校の窓際の席で、うなだれていた。すると芽衣が話しかけてきた。


「凛。どうしたの? 最近ずっと辛そうだよ? もしかして、千景ちゃんに何かされてる?」


 されていると言えば、されているのかもしれない。けど多分悪意なんてないし、なにより妹が私に恋をしているかもしれないなんて、あまりにもセンシティブな話題過ぎて、芽衣には話せない。


「そういうわけじゃないんだけどさ……」


 でもこのままでは一向に光明を見いだせないままだ。私は恋愛には疎い。だからあれだけ私を嫌っていた千景が私を好きになった理由も、性行為以外に思い当らない。


 でも千景のことだ。あの天才が、そんな単純な理由で私に惚れたわけがない。どうにかしてその理由を知って、どうにかしてまた私を嫌わせないと。


 姉妹で恋愛とか、おかしいから。


「ひとつ質問してもいい? 芽衣」

「なに?」

「芽衣ってさ、恋愛に詳しい?」

「もしかして凛、誰か好きな人でもできたの?」


 芽衣はどうしてか、とても不安そうにしている。


「そういうわけではないんだけど、質問があってさ」

「な、なんだ。そういうわけじゃないんだ」

「これまでずっと嫌ってた人を好きになることなんて、あるのかな。あるとしたら、理由って何なんだろう。友達が悩んでたんだけど」


 さりげなく当事者でないふりをする。これで誤魔化せるのかは謎だけれど、何もしないよりはましだと思う。


 すると芽衣は真剣に悩んでくれていた。


「うーん。ギャップとかがあったら、好きになっちゃうとかあるんじゃないかな。不良が子猫を拾ってる、みたいなさ」


 ギャップ、か。でも私はずっと一貫していたと思う。千景のことは嫌いだけど、お姉ちゃんとしては大切に思っている。そういうスタンスだったから。


「ギャップ以外なら、何かある?」

「んー。もともと好きだったけど、本人がそのことに気付いてなかったとか。でも無意識では大好きで、だからこそ素直になれなかった、とかかなぁ。好き避けとかあるでしょ?」


 千景が私のことを好きだった? そんなの考えるだけ馬鹿馬鹿しい。あいつは私を本気で嫌っていた。私から大切なものを奪い、罪悪感を感じさせ、そして苦しめ、執着させるように仕向けていたのだ。


 そこに愛なんてないと思う。


 悩んでいると、チャイムが鳴った。


「ありがとう。芽衣」

「参考になった?」

「うん」

「良かった。その友達の恋、上手く行くといいね」


 私は思わず苦笑いして「そうだね」とつげた。


 千景の恋が上手く行くなんて、万一にもあり得ない。今度は、今度こそは、千景を歪ませたりなんてしない。もう二度と、同じ過ちは繰り返したくない。


 その為なら、私はなんだってするつもりだ。


 千景の恋を阻むには、私を好きになった理由を知らないといけない。これまでは避けていたけれど、考えても考えても分からないのなら、本人に直接聞くしかない。


 放課後、私はいつも通り一人で家に帰っていた。千景が先に帰っていたようで、玄関に靴が置いてあった。それを見た瞬間、体が強張る。いくら妹とは言え、自分を好きになった理由を聞くなんて、緊張する。


 でも私はお姉ちゃんで、妹を正しい方向へと導く責任がある。かつては自分の能力不足のせいで歪むのを止められなかった。でも今回は絶対に止めてみせる。


 二階に上がって自分の部屋にカバンを置いたあと、一番奥にある千景の部屋をノックした。するとベッドがきしむ音がして、またどたどたと慌しい音が聞こえてくる。


 もしかして、また私のこと想像しながらしてたの……?


 扉を開いて現れた千景は顔を真っ赤にしていたし、息だって荒かった。


「……お姉ちゃん。どうしたの?」


 今日の千景は不機嫌そうだった。タイミングが悪かったのかもしれない。でもそれはためらう理由にはならない。


「ねぇあんたってさ……。私のこと、好きなの?」


 すると千景はほんの一瞬だけ、驚きを浮かべた。けれどすぐにいつもの尊大な表情になったかと思うと、私の言葉を鼻で笑った。


「……そんなわけないでしょ。ずっと嫌ってたのに、なに? もしかしてお姉ちゃん、私とえっちしたからって、彼女気どり?」

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