第12話 普通の幸せ
想像していた通りだった。よほど千景は私に罪悪感を抱かせたいらしい。姉に憎まれたい、なんて倒錯した趣味を持たせてしまったのは私だから、拒むわけにはいかない。
だけど積極的に受け入れるような覚悟は、まだなかった。避けて通れるのなら、それが一番なのだ。今のところ、私が千景に報復しなければならない理由はない。今日の千景は素直でまるで小学生の頃のようだった。
「……でも今日の私には、あんたを憎む理由はない」
そう告げると、千景はしょんぼりした表情になった。かと思うと、いつもとは違う頼りない声でこんなことをつげた。
「もしもしてくれるのなら、私、もうお姉ちゃんから何も奪わないから」
「……分からない。あんたは私を憎んでるんでしょ? 私に憎ませるために私から大切なものを奪っていくんでしょ? それをやめるのは、あんたにとってかなりの痛手だと思うけど」
別に大切なものを奪われたいわけじゃない。ただ、たった一度千景を犯すことと、千景がもう二度と私から大切なものを奪わなくなること。その二つは釣り合ってないように思える。
すると千景はますます不安そうな表情になった。
「……もしも聞いてくれるのなら、普通の姉妹になってあげてもいいよ。小学生の頃みたいに」
「あんたは、そんなの望んでないでしょ? 今の自分を見て欲しいって言ってたよね? 憎しみで執着して欲しいって言ってたよね?」
千景はこくりと頷いた。
「それがあんたの本当の願いなら、別にいい。でも、まぁあんたに限ってないとは思うけど。……私を心配してるとかなら今すぐにやめて」
千景がこんな風になるのを止められなかったことに、私は罪悪感を覚えている。だから罪滅ぼしのために、千景の歪んだ欲望を聞いてあげているのだ。
なのに、千景がそれを我慢するのは違う。
別に、進んで憎みたいわけじゃない。憎まれたいわけでもない。私はただ、千景をお姉ちゃんとしての立場から心配しているのだ。
歪みが元通りになって、本人が望むまま普通に戻るのならいい。でもそうじゃないのならどれほど歪んでいたとしても、本当の自分を隠せなんて言わない。ありのままの自分で生きるのが、一番楽に決まっているのだから。
じっとみつめていると、千景は肩をすくめて笑った。
「お姉ちゃんって、もしかしてばか?」
「……あんたねぇ」
「それか、よほど虐げられるのが好きなの? マゾヒストなの?」
せっかく千景のことを思って言葉にしたのに、相変わらず千景はろくでもない奴だ。でもそれでもたった一人の私の妹なのだ。ないがしろにはできない。
「なんでもいいよ。マゾヒストでもなんでも」
「お姉ちゃん。私は馬鹿じゃない。別に憎まれるようなこと、何もしてないのに本気でお姉ちゃんが憎んでくれるなんて思ってない。なんのご褒美もないのに、本気になってくれるなんて思ってない」
千景はやけに真剣な表情でみつめてくる。
「今日は、本気で私を虐めて欲しいの。それで私のこの気持ちが勘違いだってこと、教えて欲しいの」
「この気持ち?」
問いかけるも千景は無視して言葉をつづけた。
「もうお姉ちゃんから大切なものは奪わないし、普通の姉妹にもなってあげる。だから、今日は本気で私を憎んで。私に執着して。私を犯して。私を傷だらけにして」
千景の表情は本気だった。
それが本当に千景の願いだというのなら、私は断れない。断る理由もない。千景を本気で憎んで犯せば、学校でみんなの前でキスされる、なんて目にあうことはもうなくなるのだ。
表向きだけでも、私の望む姉妹の形に戻ってくれるのだ。それが千景の本懐だとは思えないけれど、千景はそうなることを今、許容してくれている。
芽衣だって千景には千景の人生があって、私には私の人生があると言っていた。私だって人並みには、自分の人生を生きたい気持ちはあるのだ。恋愛だって、人並みにはしてみたいのだ。
妹と爛れた関係でありたいお姉ちゃんなんて、どこにもいない。そうじゃなくなれるのなら、喜ぶべきなのだと思う。
「……けど、結局、妹を犯してる時点で、普通じゃないでしょ」
私がため息をつくと、千景は笑った。
「私みたいな妹を持った時点で、お姉ちゃんに普通の姉妹なんてものを享受する権利はないんだよ。でもそれっぽいものを与えてあげるって言ってるんだから、素直に従いなよ」
千景はいつもの尊大な表情に戻って、私に顔を寄せた。だから私は少し不安になって、千景に問いかける。
「裏切らないって保証は?」
「……裸の写真でもなんでも撮ればいいでしょ。流石に私もそういうのネットにばらまかれるのは辛いから」
千景はさも当然のように、そんなことを言う。私はお姉ちゃんだ。ネットに妹の裸の写真をばらまくわけなんてないし、そんなことしても傷つくのは私だ。少し苛立ちながら、私は口を開く。
「馬鹿なこと言わないで。写真はいらないよ」
「そう? お姉ちゃんがそれでいいなら、私もそれでいいんだけど」
「……でも約束して。もう人前ではキスしないこと。あと、みんなを見下すのをやめること。ちゃんとコミュニケーションを取るんだよ? あんたは賢いんだからできるでしょ」
千景が普通の姉妹を演じてくれるというのなら、千景にも普通の人生を生きて欲しい。ありのままの自分で生きるのが一番だけど、普通の姉妹になれば千景のありのままを受け入れてくれる人はいなくなる。
それは悲しいことだと思うから、千景にはほんの少しずつでもいいから、普通になって欲しいのだ。普通の幸せを、手に入れて欲しいのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます