第5話 私しか分かってあげられないから
千景が教室を去ってしばらくすると、クラスのみんなはざわめき始めた。
「同じことで報復してあげる、って言ってたけど」
「えっと。一応確認するんだけど、姉妹だよね?」
「いや、ほんとにさっきの凄かったね。エロすぎる」
「あんなの初めて見たかも……」
史上最悪な気持ちだった。みんなに好奇の視線を向けられて、これ以上教室にいるのに耐えられなかった。震える足のまま立ち上がり、教室を出ていく。
うつむいたまま廊下を歩き、人気のない別校舎までやってくる。そして一人、階段に腰を下ろした。
「あーもう! なんでこうなるの……!」
階段に拳を振り下ろす。私はあいつのことをなめ過ぎていた。動揺した姿を初めて見たからって、油断しすぎていたのだ。
でもだからって、まさか人前であんなことするなんて。……狂ってる。
「最悪最悪最悪……」
大きくため息をついて、奥歯を噛みしめる。昔は可愛い妹だったのに。なんでこんなことに。なんであんな奴に……。人を見下すことしか頭になくて、私を傷付けることに執着してて。
「はぁ……。なんでこんな風に育っちゃったんだろ……」
そう考えた瞬間に、不思議と怒りはしぼんでいく。私はあいつのお姉ちゃんで、小さなころからずっと一緒だった。あいつがここまで歪むのを止められなかったのは、私の責任でもある。
昔の可愛い千景を知っているからこそ、そんな風に思ってしまうのだ。
もしも私に、あいつと対等にやりあえるだけの才能があれば。もしも一度でも、あいつに勝てていたら。あいつは普通に育っていたかもしれない。周囲を見下して、友達も作らず、いつも孤独。
そんな寂しい高校生活は送らずに済んだのかもしれないのに。
「……大丈夫? 凛」
うなだれていると、追いかけてきてくれたのか、心配そうな表情の芽衣に顔を覗き込まれた。私は力なく笑って、肩をすくめた。
「大丈夫にみえる?」
「……ううん」
芽衣は眉をひそめたまま、私の隣に座った。しばらく私たちは沈黙していたけれど、やがて芽衣が口を開いた。
「もしかして千景ちゃんから奪った大切なものって、ファーストキス?」
「……嫌ってる私に奪われたら、屈辱を受けるって思ったんだよ」
あのひねくれた性格が治って、普通の可愛い女の子に戻ってくれることも、ほんの少しくらいは期待していたけれど、そうはならなかった。
「それで、教室であんなことされちゃったんだ」
「……馬鹿だよね。私」
「ホントだよ! 好きでもない相手にディープキスなんて。というか、凛って初めてじゃないの? これまで誰とも付き合ったことないでしょ?」
私もファーストキスだった。けど、それでもあの時は、それ以外に報復する方法が思いつかなかったのだ。
「妹が初めてって、それでいいの?」
芽衣は私の瞳をじっと覗き込んでいる。だから私は顔をあげて、力なく笑った。
「私は別にそういうの気にしないから大丈夫。でもこれからどうしよ。……本当に最悪」
あの教室に戻らないといけないのだ。みんな、からかいの視線とか、あるいは理解できないものを見るような視線とかを向けてくると思う。これまでの高校生活とはおさらばしないといけなくなるかもしれない。
別に人気者ってわけじゃなかったけれど、それなりにはクラスには馴染めてたのにあいつのせいで一瞬でぱぁだ。
考えても考えても憂鬱な未来しか浮かばない。ふさぎ込んでいると、芽衣は肩をすくめて、優しく私の手を握ってくれた。
「凛。教室戻りたくないなら、保健室いく? 私もそばにいてあげるから」
「嫌だ。それだと私があいつに負けたみたいでしょ。戻るから」
私が意地になっていると、芽衣は不機嫌そうな声をあげた。
「……昔から気になってたんだけど、なんで千景ちゃんにこだわるわけ? 放っておけばいいでしょ?」
放っておけるわけがない。あいつは結局私の妹。小学生の頃の可愛い千景の記憶がある限り、どれだけ傷付けられても、お姉ちゃんでなくなることはできないのだ。
「千景は千景で苦労してるんだと思う。あんなに歪んだのはきっと本人だけの責任じゃないよ。人は一人では歪めない。私はお姉ちゃんなのに、……あいつのこと、心から大切に思ってたのに、歪むのを止められなかったんだ。もしも私があいつに一度でも勝ててたら、防げたかもしれないのに」
「……だから千景ちゃんに張り合うの?」
「誰もあいつには張り合おうとしない。だったら、せめて私くらいは対等な存在になりたいんだよ。それでいつか、あいつをぶっ倒して、小学生の頃の可愛い千景を取り戻したいんだ。……まぁ、時々、怒りのあまり本来の目的を忘れたりしちゃうけどね。今回みたいに」
私は妹を助けるべきお姉ちゃんなのに、報復の名目でディープキスをした。元はと言えば、それがこの状況を呼んだのだ。でもやっぱり妹じゃないただの一人の人間としての千景は大嫌いだから、あれは仕方なかったのだと思う。
「……凜はいいお姉ちゃんだね」
「本当に。普通あんな妹、一日と経たずに見捨てられてもおかしくないんだから。それに付き合ってあげてる私を褒めて欲しいよ」
私がやれやれと肩を落とすと、芽衣が優しく抱きしめてくれた。
「でも頑張り過ぎはだめだよ? 辛くなったら、諦めていいんだから。凛には凜の人生があって、千景ちゃんにも千景ちゃんの人生があるんだから」
「ありがとう。でももう少し頑張ってみようと思う。私、やっぱりお姉ちゃんだから」
私はそっと芽衣を抱きしめ返して、微笑んだ。
「よし! そろそろ教室戻ろう」
私が立ち上がると、芽衣は私の手を優しく握ってくれた。
「そんな無理に明るくしなくてもいいよ。私の前ではね」
「……ありがと」
私は小さく微笑んで、芽衣と二人で教室に向かった。
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