第4話 報復

 千景にディープキスをお見舞いした日の夜は、久しぶりに熟睡できた。千景が私の足を犬みたいに舐める夢まで見たし、最高の気持ちで目覚めることができたのだ。


 あんな風に千景が顔を真っ赤にして恥ずかしがるなんて、正直、今でも信じられない。夢なのではないかと思う。けれどやっぱり現実らしい。


 朝食を取るためにリビングに降りると、千景がいた。体をびくりと震わせて、目をそらしていた。昨日のことを思い出したのか、顔が真っ赤になっている。いつもならふてぶてしい態度を取るだけなのに。


 そんな千景に蔑みの視線を向けながら、朝食をとった。私の態度が気にくわなかったのか、千景はすぐに表情を取り繕って、いつもの傲慢な態度に変わった。けれど私が自分の唇を指先でなぞってみせると、またしても顔を真っ赤にしていた。


「そんなに私の唇を見て、なにを思い出してるのかな?」

「……お姉ちゃんのばか。信じられないんだけど」

「私を恨むのはお門違いでしょ」


 ニヤニヤと千景をみつめていると、睨みつけられた。でも顔は真っ赤だし、耳まで赤くなっている。


「……絶対に報復するから」

「できるものならやってみなよ」


 私はもう、千景に全てを奪われている。だから報復なんてしたくても、できないはずだ。私は持たざるもので、千景はたくさん持っている。これからは、攻守逆転。私がやり返す番だ。


 朝食を終えて、身支度も整えて、私が先に家を出る。千景は最後まで恨めしそうな表情で私をみつめていた。


 太陽がまぶしい。夏らしい暑さだ。けれど気分は爽快だった。鼻歌を歌いながら通学路を歩いて、学校に向かう。教室に入ると、幼馴染の芽衣が怪訝そうな顔で私をみつめてきた。


「どうしたの。何か良いことでもあった?」

「あったよ。最高の出来事」


 私が満面の笑みを浮かべると、芽衣はますます訝し気に目を細める。


「なにがあったの?」

「あの忌々しい千景に一泡吹かせてやったんだよ。本当に、いい気味」

「千景ちゃんを倒したんだ? 凄いね」


 私は首を横に振る。


「違うよ。勝負したんじゃなくて、大切なものを奪ってやったんだ。勝つとか負けるとか、そういうことにこだわってるからダメだったんだろうね」


 私が堂々と胸を張っていると、芽衣は不安そうに問いかけてくる。


「……報復とか大丈夫? 千景ちゃん、相当に執念深いと思うよ?」


 確かに千景は執念深い。けど今朝の様子をみるに多分大丈夫だろう。


「大丈夫でしょ。もうすっかり怯え切ってるみたいだから」

「あの千景ちゃんが怯えるって、何を奪ったの……」


 芽衣は興味深そうにしているけれど、流石にファーストキスを奪ったことは、誰にも話せない。いくら報復とはいえ、姉妹でそんなことしたなんて知られたら、好奇の目は避けられないと思うから。


「秘密。とにかくあいつはもう、私にはうかつに手を出せない。もしも手を出して来たら、徹底的に報復されるって分かったと思うから」


 カバンを下ろして、窓際の自分の席でどや顔を浮かべる。先週まではテニスの大会の件でふさぎ込んでいたから、みんな不思議そうに私をみている。


 私はその視線にある種の心地よさすら感じながら、英単語帳を開く。今日はホームルームの前に英単語のテストがある。休日に勉強したから大丈夫だと思うけど、他にやることもないから復習しておく。


 そうしていると、また芽衣が話しかけてきた。その声はとても不安そうだ。


「ねぇ、凛。千景ちゃん、来てるけど」


 芽衣の視線の先には、不機嫌そうな表情の千景がいた。私は単語帳を閉じて、千景の元に向かう。これまでのようなしぼんだ態度ではなく、堂々としたたたずまいで。


「なに? また報復されたいの?」


 私は自分の唇を撫でながら、笑顔を浮かべた。でも千景は臆することなく、挑戦的な笑顔を浮かべて、私に半歩歩み寄った。距離が近くてその長いまつげまではっきりと目視できる。


 私たちは鼻先の触れ合いそうな距離間で睨みあっていた。教室は緊張した空気に包まれて、ぴりぴりとしている。みんな固唾をのんで、私たちを見守っていた。


「……お姉ちゃん。私、報復するって言ったよね? 怖くないの?」

「あんたになにができるって言うの? 昨日のこと、思い出してみなよ」


 私がニヤリと微笑むと、千景は顔を真っ赤にした。けど表情は勝気なままだ。明らかに強がっている。これまで私を下し続けてきたプライドが、そうさせているのだろう。


「へぇ、お姉ちゃん。その態度、変える気ないんだ?」

「ないね。どうせあんたは何もできない」

「本当にそうかな?」


 千景は顔を赤らめたまま、またさらに半歩、私に近づいてくる。思わず後ずさりしそうになるけれど、ここで引いたら負けたも同然だ。むしろ私からも半歩、踏み込む。


 すると千景は一瞬私を睨みつけた。かと思うと、突然私の頭に手を回して、自分の方へ抱き寄せた。その瞬間、私は千景の「報復」の内容を理解する。そして自分の考えが甘すぎたことも、触れあった柔らかい唇に教えられた。


 教室がざわめいた。私は慌てて距離を取ろうとするけれど、頭を抱え込まれているせいで離れられない。じっとりと湿った舌が、無理やりこじ開けられた唇から、口の中に侵入してくる。


 熱い舌が生物のようにうごめいて、歯茎や私の舌先をなめていく。一度侵入を許してしまっては、もうどうしようもなかった。歯でかみ切るという選択肢もあったけれど、流石にそこまでひどいことを、妹にはできなかった。


「んっ。……んぁ」

「はっ。ふっ……」


 千景の息はどんどん荒くなっていく。私の口からも、望まない声が漏れてくる。クラスは騒めくどころか、もうすっかり静まり返っていた。


 最悪の気分だった。みんなの前でされているのもそうだけれど、まさか同じことを千景にやり返されるなんて。


 あり得ない。あり得ない。あり得ないっ……!


 怒りが湧き上がってきて、顔がみるみるうちに熱くなっていく。屈辱と恥と憎しみと。もうあらゆる感情で私の心の中はごった返していた。でも千景は顔こそ赤いけれど、瞳は満足げな色に染まっている。


 普通ここまでする……? おとなしく報復されてればいいでしょ? なんでやり返そうなんて思うの? 絶対おかしい。あり得ない。


 だけど、なんとなく、こうなりそうな気もしていたのだ。


 芽衣の言う通り、千景は執念深い奴だ。私の見通しが甘すぎたのだろう。初めて千景に一泡吹かせたことで、舞い上がり過ぎていたのだ。


 しばらく粘液の絡み合う音だけがしていたけれど、ようやく我に返ったのか、芽衣が慌てて私たちを引き離しにかかる。


「ちょ、ちょっと! 何やってるの! こんな、人前で!」


 間に割って入ってくれたおかげで、私は何とか千景とのキスから解放された。もう息は絶え絶えで、無理やりに与えられた快感で足ががたがたしていた。そんな私を千景は満足げにみつめている。


「これで分かったでしょ? お姉ちゃんは、私には、勝てない。報復してきたなら、同じことで報復してあげるから。報復しなくても、嫌になるほど痛めつけてあげるから!」


 私は膝から崩れ落ちる。羞恥に焼けるほど顔を熱くして、床を見下ろす。千景は背を向けて、堂々とした足取りで教室を出ていった。


 今回も、私の完敗だった。

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