第107話:戦いの準備


 《森番》のエルフたちは、森に配置された《扉》の『基点』を正確に把握していた。

 場所は合わせて四箇所、《扉》が位置する湖の四方を取り囲む形で置かれている。

 それら全ての周囲に、『毒を持つ魔物』が徘徊しているとの事。


「で、早速様子見も兼ねて何匹か捕らえてきたわけだが……」


 王剣を肩に担ぎ、アリスは『それ』を足元に転がした。

 その魔物は、一見するとサソリに似た形をしていた。

 厚い甲殻に覆われた身体と、節のある八本足に鋏を備えた両腕。

 弧を描く尾の先端には鋭い針があり、その先端は妖しげな色で濡れていた。

 ここまではほぼサソリだが、相違する点は二つ。

 一つはそのサイズだ。全体の大きさは人間並みかそれを上回る。

 そしてもう一つ、頭部らしき部分から生えた『上半身』だ。


「……これ、見た事ありますか?」

「パピルサグ、という亜人に似てはいるが、恐らく別物だろうな」


 マヒロの言葉に、アリスは少し難しい顔で応じた。

 サソリの頭から生えているのは、人間のものに似た上半身だった。

 外見の特徴的には、人間よりゴブリンと言った方が正しいかもしれない。

 パピルサグとは、《アンダー》に存在する亜人の一種だ。

 いわゆるサソリ人間で、数こそ少ないが迷宮を住処とするれっきとした知的種族だ。

 当然、彼らも《言語統一》の対象であるため意思疎通が可能なはずだが。


「あんまり頭良くなさそうだった、というかほとんどケダモノだったね。

 こっちの言葉は全然理解してる感じもなかったし」

「頭が悪いおかげで、釣り自体には簡単に引っかかったがな」


 アリスと共に『狩り』に参加したくるいとレーナが、それぞれの感想を口にする。

 実際に戦ってみた感じとしては、概ね《森番》たちの言う通り。

 一匹一匹の強さはそれほどでもなく、倒す分には何の問題もない。

 故に問題となるのは、同じく《森番》たちが言っていた通り『毒』の存在だ。


「確かに、毒気を放っていますね……」


 やや離れた位置から魔物の屍を見下ろし、ステラは小さく呻いた。

 サソリ型の魔物は既に事切れ、動き出す事はない。

 そんな死体からも、微量の毒らしきものが周囲へ漂っていた。


「術式の『基点』周辺は迂闊に近付けなかった。

 コイツらが大量に群れていて、とんでもない毒の濃度だったからな」

「気合い入れて我慢すれば耐えられない事はないんだけどねぇ」

「それが出来るのは、多分この中だとくるいちゃんだけかと……」


 確かに、特に肉体が頑強なくるいならばやってやれない事はないだろう。

 苦笑するマヒロの傍らで、斎藤が呆れ混じりに息を吐く。


「こっちは真似したら間違いなく死ぬ奴だからな、それ。

 で、由結さん。サンプルはこれで足りそうな感じか?」

「んー、そうですね……」


 声がくぐもって聞こえるのは、顔を物々しいガスマスクで完全に覆っているためだ。

 モゴモゴと何事か呟きつつ、由結は慎重な手付きで魔物の死骸を調べていた。

 針を濡らす毒を採取し、携帯していた試験管の内へと垂らす。

 更に幾つかの薬液を取り出すと、手慣れた様子で毒に混ぜ合わせていく。

 錬金術師の作業は、地上における科学的な手法と大きくは違わない。

 少なくとも、詳しくない者が傍から見る分には同じように思えた。


「見た目通りと申しますか、サソリの一種が持つ毒に非常に近いようですね。

 毒性はずっと強力ですから、皆さん絶対触らないようにお願いします」

「そんなに危険ですか」

「神経毒ですから、身体に入ると激痛でショック死しかねません」


 さらっと返ってきた言葉に、宰相は「それは恐ろしい」と呟いた。


「もう一つ、この身体から放たれてる毒の方は、針の毒とはまた別っぽいですね」

「そうなんですか?」

「ええ、針に比べたら大分毒性は弱いですけどね。

 ただアリスさんたちが遭遇した通り、数が増えれば漂う毒の濃度も増していく。

 十匹以上が同じ空間に密集すれば、もう一呼吸で危なくなるでしょう」


 離れた位置から手元を覗き込み朱美と葵海姉妹に、由結は淡々と応じる。

 普段の気怠げな様子は鳴りを潜め、実に真剣そうな面持ちだった。


「それで、どうにかなりそうですか?」

「サソリ毒の方は問題なく中和剤を精製出来ます。

 これを投与すれば、毒の効果はほとんど無効化可能です。

 ただ後者の毒については、ちょっと難しいですね。

 今も調べてはいますけれど、成分をまだ完全には特定出来ないと言いますか」


 見知らぬ器具を手に取り、アレクトと言葉を交わしながらも調査を進める由結。

 彼女が対処出来ないのなら、攻略は困難となってしまうが。

 ガサゴソと、錬金術師は中の容量が拡張された《遺物》の鞄を漁る。

 見た目以上に深い底から取り出したのは。


「……酸素ボンベと、それに繋げるマスクか」

「はい。気密とか万全を期すために調整を入れますけどね。

 後者の毒は単純に『吸わない』事で対処しましょう」

「まぁ分かりやすいが……大丈夫なのか? それ。

 元々は海を調査する場合を想定して用意して来た奴だろ?」


 斎藤が不安げに問うのも無理からぬ話だ。

 確かに毒気を吸わねば問題ない、というのは道理ではある。

 しかし、あくまで水に潜る事のみを想定した装備で通用するのだろうか?


「心配は分かりますとも。だから今から可能な限り調整を施すんですよ。

 とはいえ、完全完璧にとまでは言えません。

 このお化けサソリの群れと戦うなら、迅速に片付ける事をオススメしますね」

「ま、蹴散らす分には多分そんなに難しくないだろうし」

「くるいちゃんは本当に頼もしいな……」


 苦笑いの混じるマヒロの言葉に、本人は「でしょう?」と実に得意げだ。

 話をしながら、由結は迅速に作業に取り掛かっていく。

 本当に、錬金術師の作業は素人目から見ると魔法と区別が付かない。

 鞄から取り出した薬剤を複雑に組み合わせ、彼女は必要な物をその場で創造する。

 アレクトやレーナたちは勿論、《迷宮王》であるアリスもこれは門外漢だ。

 仲間である《グレイハウンズ》のメンバーは、信頼を込めて由結の作業を見守る。

 やがて。


「……よし、中和剤の方は完成しました」


 ふぅ、と疲労を感じさせる吐息と共に、由結は液体に満たされた小瓶を掲げる。

 青というか、紫に近い色合いのどろりとした水薬。

 外見は薬というか毒にしか見えない代物だ。


「これを呑めば一日程度は体内に入った毒を中和してくれます。

 というわけで、皆さんどうぞ」

「あ、これそのまま呑めば良い感じですか?」

「そうですね。苦いというか不味いでしょうけど、遠慮なくどうぞ」

「その一言は必要でしたか……?」


 葵海と朱美の視線を受け、錬金術師は肩を竦める。

 彼女の手元は、既に酸素マスクの調整作業に移っていた。


「足手まといの私は現場には行かないので、皆さんで分けて下さいね」

「あぁ、そういう事でしたら私も不要ですね。

 さ、他の方々でどうぞ飲み干してしまって下さい」

「その無駄に良い笑顔はやめろ父上」


 娘からの抗議など気にせず、宰相は満面の笑みだった。

 ちなみに、何故か由結が最初に薬の瓶を手渡したのはマヒロだった。

 恐らく、たまたま近い位置にいたというだけの話だろうが。


「……えーと、一口で良いんですか?」

「そうですね。量は十分あると思いますけど、足りなくなっては困りますし。

 効果的にも一口呑めば問題ないですよ」

「……分かりました」


 瓶は一本だけであるし、回し飲みする形となってしまうが。

 流石にそれを気にしても仕方がないと、マヒロは覚悟を決めた。


「味レポ宜しくな、夜賀」

「さぁ少年、男を見せる時だぞ。そーれ一気、一気」

「一気飲みしたら足りなくなっちゃわない?」

「くるい殿の言う通りかと……」


 何やら外野がうるさいが、気にしてはいけない。

 瓶の口から漂う香りは脳髄に突き刺さるほど刺激的だが、これも気にしてはいけない。

 味がなんとなく想像が付いてしまったとか、そんな事は考えずに。


「っ……!」


 呑んだ。ぐいっと、躊躇したらこぼしてしまいそうなので。

 途端に、この世の不快感の全てが口の中で爆発した。

 由結は「不味い」などと言っていたが、それはあまりに控え目に過ぎる表現だった。

 もう味とか、そんなものを語る段階ではない。

 喉の奥まで腐敗した下水が流れ込んだなら、きっと同じような気分になるかもしれない。

 生物的な本能が全力で液体を吐き出そうとするが、これを理性で抑え込む。

 口を片手で抑え、上を向いて無理やり喉の奥へと流し込んだ。


「は……! ぐぇ……ぅぉ……げほっ、げほっ……!!」

「しょ、少年? 大丈夫か? いやホントに大丈夫なのか?」

「ま、マヒロ様……あの、そんなに……?」

「……夜賀。とりあえず呑んでみて、どんな感じだった?」


 尋常じゃない様子のマヒロを見て、周りも状況を悟ったらしい。

 勇敢な少年が先陣を切った以上、他の者たちも後に続かねばならないのだ。

 ひとしきり咳き込んでから、大きく息を吸い込む。

 まだ不快感自体は残っているが、大分マシにはなってきた。

 だからマヒロは顔を上げ、無理やり微笑んでみせた。


「じゃあ、アリスさん。どうぞ」

「そこで私を選ぶのは喜んで良いか分からなくなるぞ、少年……!!」

「頑張って下さい、俺はやり遂げましたから」

「薬を呑むだけなのに悲壮感が凄い……!」

「味の調整とかしてる余裕ないですし、そこは我慢して下さいねー」


 既に我関せずとばかりに作業を進める錬金術師、由結。

 彼女はやるべき事をやったのだから、恨み言をぶつけても意味がない。

 これは森林王国を救うためにも、必要な事なのだ。

 であれば、泣き言など口にすべきではない。


「よし、私の後はステラ、君の番だからな……!」

「えっ!? あ、いえ、分かりました……! 覚悟を決めます……!」

「《迷宮王》、何故そこでステラ様を指名するのだ!?」

「どうせ全員呑むんだから、順番など些細な事だろう! では行くぞ!!」


 雄々しく口にしたアリスが吹き出さなかった事。

 それが偉業である事を知るのは、この時点ではマヒロだけだった。

 《迷宮王》が崩れ落ちた後はステラが、それから斎藤、レーナ、朱美と葵海、アレクト。

 多種多様に悶絶が繰り広げられたが、誰も吐き出す事はしなかった。

 全員が味だけ毒レベルの水薬を飲み終えて、力なく崩れ落ちた頃。


「……ヨシ。酸素マスクも人数分、調整完了しましたよ。あ、お味の方は如何でしたか?」


 戦いの準備が終わった事を告げる錬金術師の顔に、誰かが放り投げた空瓶が直撃した。

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