第105話:ケルネイアの《森番》


 矢の群れは鋭く風を裂く。

 数にして十数本、全てが誰かしらに狙いを定めていた。

 マヒロであれば《転移》で問題なく回避出来る。

 だが他の者たち──特に、非戦闘員の宰相や体術は不得手の由結では。

 一瞬の葛藤。けれど、重なる少女の声がそれを打ち払う。


「我が身に流れる父祖の血よ!」

「《盾よシールド》!!」


 光の壁と、淡く輝く力場の盾。

 異なる系統の魔法がその効果を発揮し、矢の尽くを空中で弾き落とす。

 ステラと葵海の二人だ。さらに後者は防御だけでは終わらない。


「お返しだ! 《応報の矢リベンジアロー》!!」


 極限まで短縮された呪文詠唱。

 紡がれた術式は力を失ったはずの矢を捕らえ、くるりと鏃を反転。

 葵海が杖を指揮者の如く振るうと、エルフの弓手たちへと矢が返っていく。

 その速度は、放たれた時とほとんど変わらない。


「なんだと……!?」

「ぐあっ!!」

「おのれ、人間の術士ごときに……!」


 驚きながらも、およそ半数のエルフたちは身をかわしていた。

 つまり残りの半数は返って来た矢を手足に受け、堪らず地に転げ落ちる。

 そこを狙い、前衛は間髪入れずに仕掛ける。


「はぁッ!!」


 ニンジャとは思えぬ気合を吐き、朱美は一番近い位置にいた弓手と間合いを詰める。

 素早い動きで矢の狙いを撹乱し、拳の一撃が胴を打ち抜く。

 女子の細い身体から出たとは思えない炸裂音。

 呻き声一つ上げる暇もなく、気絶したエルフが崩れ落ちた。


「凄いな……!」


 感心のあまり声に出して呟きながら、マヒロも《転移》を行使。

 樹上で矢を番える弓手の背後を取ると、有無を言わさずに地面に叩き落とした。

 地に落ちた後も、まだ戦える力を残した者もいたが。


「おらァ!!」


 そこには斎藤が待ち受けていた。

 容赦ない剣の殴打に、線の細いエルフたちはひとたまりもなく吹き飛ばされる。

 斎藤は以前から膂力に優れていたが、今の馬力は明らかに桁が違う。

 何かあるのかとマヒロは観察し、彼の腕に見慣れぬ銀の腕輪が輝いている事に気付いた。

 魔力の輝きを宿すそれは、間違いなく《遺物》だ。

 効果は恐らく身体能力の強化──特に、単純なパワーの増加だろう。

 彼も彼で、マヒロの知らぬところで冒険を重ねていたはず。

 あの腕輪もまた、その成果の一つか。


「負けられないな……!」


 我ながら頭の悪い対抗意識だと自覚しながら、マヒロは笑う。

 枯れかけた森には、まだエルフの手勢がひしめいている。

 今無力化したのはその内の何割ほどか。

 奇襲を奇襲で返した形で、まだ相手が浮き足立った状態だが。


「……このまま長引けば、少し拙いですね」


 ステラが展開した防御魔法の裏に由結と共に隠れながら、宰相が呟いた。


「見た感じ、こちらが押してませんか?」

「相手が混乱している今だけですよ。

 彼らは恐らくケルネイアの《森番フォレストガード》。

 森林王国の精兵たちです。

 実力ではこちらも負けていませんが、数の有利と地の利は相手の側にあります」

「すっごい淡々と言ってるけど、つまり凄いピンチって事だよねそれ!?」

「っ……なら、どうすれば……」


 結界の維持にやや苦しげな息を吐くステラに、再び無数の矢が降り注ぐ。

 葵海が再び力場の防御で弾き、最初と同じように弓手に返す──が。


「そう何度も同じ手を食うと思うな!」


 今度は弓手たちも警戒したようで、矢を受ける者は一人もいなかった。

 前衛の三人も最初こそ圧していたが、状況は変化しつつある。


「ちっ……!!」

「囲め、囲め! 一人では絶対に相対するな!」


 短刀を抜いて隙を窺う朱美だが、エルフの戦士たちに油断も慢心もなかった。

 弓を捨て、それぞれが片刃の長剣を構えている。

 一人に対して三人以上が距離を保ちながら取り囲み、互いの死角を潰す形だ。

 対応力があり、練度も高い。

 四方から繰り出される刃を、朱美は紙一重で回避する。


「おいおい、先に仕掛けて来たのはそっちだろ!

 そんなカッカするなよ!」

「戯言をほざくな、賊どもめ!」


 多対一という状況でも、斎藤は怯むことなく奮戦を続けていた。

 彼には朱美のような素早さも技巧もない。

 致命的な軌跡を描く攻撃だけは逃さず剣で止め、後は身体で受ける。

 皮膚は裂かれて血が噴き出すが、その下の筋肉までは通さない。

 呆れるような頑強さを見せつけられ、エルフたちも攻めあぐねているが。


「キツいな……!」


 《転移》を繰り返し、マヒロは戦場を文字通り駆け巡る。

 敵の刃には決して追いつかれず、逆に一撃離脱に終始する事で敵陣をかき乱す。

 朱美や斎藤に対しても、彼は休まず援護を続けていた。

 崩せないのは、一重に敵の質が高いためだ。


「惑わされるな! 神出鬼没であるのは脅威だが、攻撃はそこまで大きくはない!

 互いの死角を埋める事を怠るな! 隙を見せれば食い破られるぞ!」

「……ホントに、敵が有能なのはキツい……!」


 リーダー格らしいエルフの戦士。

 そこから狙う事も、当然ながらマヒロも考えはした。

 どれほど練度の高い集団であれ、頭を潰されれば統率が乱れるのは避けられない。

 が、マヒロは何度目になるか分からない躊躇に足を鈍らせる。

 横から突き出す刃の切っ先は、《転移》する事で容易く回避するが。


「ダメだ、誘われてる……!」


 嫌な予感が止まらないし、そんな彼の直感は正鵠を射ていた。

 エルフたちからしても、捕らえられず戦場を飛び回るマヒロは厄介極まりない。

 数の差と連携を無にしかねない対処困難な遊撃兵。

 故にこそ、この場の統率者であるエルフの古強者は自らを囮にする覚悟をしていた。

 狙う獲物さえ分かっていれば、消えて飛ぶ猫とて捕まえられる。

 むしろ早く仕掛けて来いと、エルフの側が逸る気を抑えているぐらいだ。

 来ないなら来ないで、こちらは順当に相手を擂り潰せば良い。

 勝敗を定める天秤は、ゆっくりとだが確実に傾いて──。


「────待ちなさいッ!!」

「……!?」


 戦場を一刀で斬り伏せるかのような、裂帛の声。

 あまりの激しさに、敵味方問わずに一瞬動きを止めざるを得ない。

 そして見た。水を滴らせ、欠片も息を乱さずに湖から上がってくるその姿を。

 肉食魚を山ほど斬った後にも関わらず、手にした刀に曇り無し。

 敵意と殺気に満ちていたエルフの戦士たちは、例外なく驚愕に打ち震えた。


「アレクトさん……!」

「馬鹿な、アレクト様だと……!?」


 マヒロの声に、《森番》の長が上げた叫びが重なる。

 そう、彼らは誇り高き森林王国の守護者だ。

 多少奇妙な格好(水着)を身に着けていようと、その人を見間違うはずがない。


「な、何故、貴女様がここに……!?

 彼の忌むべき始祖、オフィーリアを討つためにと旅立たれたはず……!」

「い、いや、それよりも今は賊どもを……!」


 一糸乱れぬ連携を見せていた《森番》たちに、初めて強い動揺が広がる。

 その中でも、あくまで眼前の敵に刃を向けようとする者もいたが。


「私は待てと、そう言ったはずです」


 眼光。アレクトがした事は、ただ睨みつけただけ。

 しかし彼女が放つ『剣気』を浴びて、己を保てる強者は一握りだ。

 精強であるはずの《森番》ですら、心臓を潰される錯覚に武器を取り落としていた。

 声すら出せずに震える戦士を一瞥して、アレクトは他の《森番》たちも睨む。

 事情も理由も不明な中、あえて挑もうなどと考える者は一人もいなかった。

 当然だ。《森番》たちの内、彼女の名を知らぬ者など皆無。

 死なぬ者を殺すという矛盾を成し遂げるため、自らを百年の地獄に落とした修羅。

 己の生命すら削り、手にした刃に喰らわせた《剣鬼》。

 《帝国十星》の一人であり、森林王国のみならず帝国全土で並ぶ者無き大剣士。

 アレクトに睨まれ、《森番》たちは完全に戦意を喪失していた。


「すげェ……」


 呻くような斎藤の言葉に、マヒロも頷く他なかった。

 たった二言ほど声を上げて、この場にいるエルフたちをひと睨みした。

 やった事はたったそれだけだ。

 たったそれだけで、あっさりと戦いは終わってしまった。


「やれやれ、美味しいところを奪われてしまったな」

「もー、流石のくるいちゃんも水中戦の連続は疲れるんですけど」

「まさかクラーケンの巣まであるとはな……流石の我も骨が折れたわ」


 凍りついた戦場の空気を裂くように、湖から出てくる三人。

 アリスにくるい、それにレーナ。

 流石にアレクトと違い、《森番》たちは彼女らが何者かは一目では分からなかった。

 だが、実力を理解出来ないような節穴ではない。

 三人が例外なく、アレクトと同等近い強者。

 仮にこの森の戦士たちをかき集めたとしても、勝ち目は微塵も存在しなかった。


「こ、これは一体……?」

「アレクト様、どうして貴女が賊どもと……」

「落ち着きなさい、勇敢なる《森番》たちよ。

 そもそも貴方たちは誤解しています。

 彼らは私の友であり、賊などと呼ぶべき者は一人もいないのですから」


 ざわりと、戦意を失ったエルフたちがどよめく。

 自らの使命のために出奔し、これまで行方の知れなかった森林王国の英雄。

 そんな彼女がいきなり戻ってきた上、賊だと思った相手を『友』とまで呼んだのだ。

 混乱するなと言う方が無理な話だろう。

 とはいえ、このままざわつかせるばかりでは始まらない。


『……しかし、何をどう説明すれば良いか』


 表情は剣の刃先同然の鋭さを保ちながら、念話で響くアレクトの声は弱り果てていた。

 まぁ、それはそれで当然の事ではある。

 彼女からすれば相手は同胞、しかも故郷を守ろうと奮起していた戦士たちだ。

 加えて、こちらはこの状況がどういうものかほとんど理解していない。

 森林王国の領内に無断で侵入したために襲われた……にしては、敵意が強すぎる。

 何か重大な事がこの森で起こっているのは確かなようだが。


『失礼。良ければ、私の方が何とか致しましょう』


 どうするべきかとマヒロも悩んでいたが、誰より早く言葉を返した者。

 それは帝国宰相アルヴェンだった。


『さ、宰相殿? 何とかするとはどのように……』

「いやはや、いきなり攻撃されたのは少しばかり驚きましたが。

 どうやらアレクト殿のおかげで、《森番》の方々は落ち着きを取り戻されたようだ」


 訝しむアレクトを無視し、さっさと肉声で語り始める宰相。

 こうなれば流れを飲み込めない《グレイハウンズ》同様、マヒロも黙るしかない。


「な、何だ、お前は」

「名乗るほどの者ではない──と、言いたいところですが。

 ここはアレクト殿のためにも、身分を明かしておきましょう。

 私の名はアルヴェン、今はこんななりですが帝国宰相を務める者です」

「は? 帝国宰相??」

「お姉ちゃん、ちょっと静かに」


 唐突に明かされた胡散臭いアロハ眼鏡の身分に、朱美が激しく動揺した。

 そんな姉の口を抑える葵海に、アルヴェンはニコリと微笑む。

 後は気にせず、唐突な宰相の名にどよめく《森番》たちを見渡す。


「あなた方が驚くのも無理はありません。

 『何者かの攻撃』を受けている最中に、突然出奔したはずのアレクト殿が現れた。

 しかも見慣れぬ者たちの一人が、いきなり帝国宰相などと名乗ったのですから」


 何者かの攻撃。マヒロの目は、自然と周囲の森に向けられた。

 以前に訪れた時とは異なる、奇妙に枯れつつある木々。

 これが宰相の語る『攻撃』の結果だとするなら。


「……塩害」

「はい、その通りですよ」


 呟いた言葉が正答だと、由結は気怠そうな顔のまま頷く。


「あの《扉》の目的は海水──塩分濃度の高い水を、この土地に流し込む事。

 ある程度の予想はしていましたが、まさか《扉》の向こうがエルフの森だとは」

「……最悪ですね。森林王国の人たちも殺気立つわけだ」


 海が存在しない迷宮の住民にとって、これほど不可解な攻撃は他にないだろう。

 大量の塩分を含んだ水が土壌を汚染し、結果として森の木々はどんどんと枯れていく。

 クラーケンの生息域は深度『五』以下で、森林王国があるのも同じく深度『五』。

 宰相は少ない情報から、《扉》の向こうの惨状を正確に予測していたようだ。


「アレクト殿はこれまで、我々と共に地上にいました。

 今はこの地の湖と、地上にある海とを繋げる《扉》を潜って来たばかりです」

「……そこが分からない。貴方が帝国宰相である事を疑うつもりはないが」

「そこが偽りであるなら、アレクト殿が見逃すはずはない。

 ええ、貴方の考えは正しい。

 しかし出奔したアレクト殿が、どうして私たちと共に地上にいたのか。

 その理由が想像すら付かないのでしょうね」

「……そうだ。納得の行く説明を」


 猜疑と困惑が同居した目で、《森番》のリーダーたる男が宰相を見る。

 アルヴェンは変わらず、胡散臭い微笑みを浮かべたまま。


「単純な理由ですよ。

 確かにアレクト殿は、氏族の悲願を果たすため許されぬと知りながら故国を出ました。

 しかし同時に、彼女は私と皇帝陛下からある密命を下されていたのです。

 帝国を滅ぼさんとする邪悪な企み、これを挫くために……!」

「………………ぇ?」


 この場の誰もが完全に初耳な情報に、アレクトは小さく呻いた。

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