第104話:《扉》の先


『どうするんですかっ?』

『勿論、この《扉》を破壊して封鎖する。それは変わりない』


 状況から、《扉》に《十二の円環》が関わっている可能性が高い事は考えられていた。

 意図的な防御が施されている以上、それはもう確定と見て間違いはないだろう。

 僅かに焦燥を滲ませるマヒロに、アリスはあくまで冷静に応じた。


『が、触れてみた感じ力押しで壊すのは恐らく困難だろう。

 出来ない事はないだろうが、時間がかかり過ぎる』

『ワタシの全力でも難しい?』

『不可能とは言わないがな』


 力自慢のくるいの念話に頷いてから、《迷宮王》はマヒロの方を見た。

 この場合、どうする事が正解か。

 視線で問われていると感じ、思考を回す。

 物理的な破壊は困難。出来ない事はないが時間がかかり過ぎる。

 その間、《扉》の向こうからクラーケンのような怪物が現れる危険が大きい。

 ならばどうするのか?


『……固定化の術式を破棄する。それが一番手っ取り早い、ですか?』

『その通りだ。力押しよりは大分上等だな』


 とはいえ、それは口で言うほどに簡単な話でもない。

 術式の直接的な解体は、対象が高度な魔法になればなるほど難易度が高くなる。

 この場に魔法の使い手こそ多いが、巌のような最高位の術者は不在だ。

 少なくともマヒロは不可能だし、他のメンバーは……。


『ちょっと《迷宮王》でも物理破壊出来ない術式の解体は、私も自信ないかなー』

『こっちも同じくですね』

『すまんな、我はそういうのは苦手だから期待せんでくれ』

『……ごめんなさい。私も多分、難しいと思います』


 葵海、由結に続いて、レーナとステラも首を横に振った。

 まぁこればかりは仕方ないと、アリスは頷く。


『であれば、術式の「基点」を壊すしかないな』

『? 「基点」って?』

『魔法の効果を持続的に定着させるには、物理的に術式を刻みつける必要がある。

 ルーンの刻印をより高度に永続化させたようなものだな。

 術式そのものの解体が難しくとも、この「基点」を壊せば効力は失われる』


 一応養父が最高位の魔術師のはずだが、くるいはこの手の知識にはとんと疎い。

 念話で説明しながら、アリスは《扉》周辺の地形をざっと見渡す。


『この辺りに「基点」が存在しないか、先ずは探索だな』

『であれば、私にお任せ下さい。他の方々も、出来ればお手伝いして頂けると助かります』

『了解、まぁ探しものは苦手だが……!』

『そこは本職に任せて、斎藤は魔物が出てこないかの警戒をしておけ』


 探索のメインはアレクトと、やはり斥候として高い技量を誇る朱美の二人。

 マヒロやステラもそれに加わり、周囲に術式の『基点』が無いかを探っていく。

 そういうのが得意ではない斎藤やレーナなどは、危険が現れないかを見張る係だ。

 ついでに、身を守って貰うために非戦闘員の宰相は彼らの傍にいるが。


『……恐らく、「基点」とやらはこちらには無いでしょうねぇ』


 ぽつりと、そんな事を念話の形で呟いた。

 まぁそうだろうと、同意を返したのはマヒロだった。


『《扉》を開いたのは《アンダー》側からでしょうしね。

 わざわざこちらに「基点」を配置するメリットは少ないはずです』

『深層と接続した《扉》であるしな。

 どう隠そうとしたところで、魔力の反応から早期に《組合》に見つかるのは避けられん。

 海の中で多少探しにくく、クラーケンなど大物を配置したところで時間稼ぎ程度。

 更に「基点」までこちらに置いたら、まぁあっという間に解体されて終わりだろうな』

『ま、それでも可能性はありますから探す意味はゼロではありませんね』


 アリスの言葉には、宰相は苦笑いをこぼした。


『……クラーケンにしろ、肉食魚にしろ。

 どちらも深度『五』から下の水辺に生息している魔物。

 彼らが入り込んできている以上、この《扉》が接続してるのはそういう場所のはず』

『? それがどうしたんだ、父上?』

『私の思い違いなら良いんですがね。

 もし想像通りだとしたら、大分性格の悪い話ですよ。これは』

『どういうこと?』


 宰相が何を言いたいのか。

 要領を得ない言葉に、レーナやくるいは同じように首を捻る。

 マヒロも、この時点では彼が言わんとしている事はまだ理解出来なかった。

 ただアリスだけが、ほんの少しだけ目つきを険しくする。


『……こちら側の探索はこの辺で良いだろう。

 術式の「基点」は《扉》の向こう、《アンダー》の迷宮に設置されているはずだ』

『ただ、それを破壊しに行くという事は……』

『迷宮の深層──恐らく深度『五』に直接乗り込む形になるな。

 加えて言えば、「基点」を壊せばこの《扉》はそのまま閉じてしまう。

 なので少々帰りは大変になってしまうな』


 帰還用の《遺物》はアリスが所有しているので、徒歩で地上を目指すよりはマシだが。

 問われている側だと悟り、最初に朱美の方が頷いた。


『こちらは問題ありません、《迷宮王》。

 深度『五』なら、私たち《グレイハウンズ》にとって庭みたいなものです』

『オレは臨時雇いだから、まだそんな潜ってないけどな』

『大丈夫だよー。『五』の魔物だったら私たちも戦い慣れてるし』

『ま、その上今回は私たちより強い人もいっぱいいますからね。

 大船に乗ったつもりで行きましょうか。あ、船だと私が酔っちゃいますね』

『いや今はどうでも良いだろ、それは』


 素早い斎藤のツッコミに、由結は海藻の如くゆらゆらと揺れるのみ。

 《グレイハウンズ》のメンバーは問題無し。他の者たちは確認するまでもない。

 今も海水が吸い込まれ続けている穴の縁へと、アリスが先陣を切って足をかけた。


『では行くぞ。向こうには魔物もいるだろうから、全員注意しろ』

『はーい、れっつごー』

『……よもや、こんな形で《アンダー》に戻る事になるとはな』


 気の抜けるくるいの言葉に、レーナがこぼした呟き。

 誰もそれには何も返さず、ただアリスの背中に続く形で《扉》に身を投じた。

 水の流れに身体を引っ張られて、暗い穴の中へと落ちていく。

 まるで巨大な怪物に呑まれるような感覚に、思わす背筋が冷たくなる。

 《扉》の向こう側は如何なる場所か。

 マヒロは不安と期待が入り混じった感情を胸に、魔力を帯びた水と共に《扉》を抜ける。

 すぐに水質が変わったと、肌で感じ取る。

 以前百騎八鋼の拠点近くの地底湖に飛び込んだ事があるが、あれに近い。

 周囲に視線を向ければ、アリスたちもすぐ近くを泳いでいる。

 ついでに、洞窟で何度も出くわした肉食魚もそこら中にうようよしていた。


『無事に《アンダー》側に出たようだな……っと!!』

『いきなりワラワラいるじゃん!』

『とりあえず、水の中から上がりましょう……!』


 アリスの王剣が閃き、くるいの大槌が水を叩く。

 更に水流を断つアレクトの剣が、集まろうとした肉食魚の一群を軽く蹴散らす。

 仲間を派手にやられたのをきっかけに、原始的な殺意が四方八方から集まってくる。


『先に上がれ、お前たち! ついでに足手まといの父上も頼む!』

『いやぁすいません、お世話になります!』

『とりあえず、泳ぐのは自力で頑張って下さいよ!』


 レーナも集まる肉食魚たちに刃を向け、役に立たない父親をマヒロたちに押し付ける。

 当然否はなく、ステラや《グレイハウンズ》のメンバーたちと共に水面を目指す。

 幸い、肉食魚たちは粉砕された仲間の血肉に引き寄せられているようで。

 水に上がろうとする間は、ほとんど狙われる事はなかった。


「よし……っ!」


 魔力の影響でやや重たい水を跳ね除けて、土の感触を頼りに這い上がる。

 先ず感じたのは、枯れた木々の香り。

 濡れた視界を振り払い、周囲の状況を急いで確認する。

 そこは森のど真ん中だった。背後に広がるのは今出てきたばかりの大きな湖。

 流石に辿り着いたばかりでは、ここが迷宮深度にして幾つなのかは分からない。

 分からないが、マヒロは不思議と既視感を覚えていた。

 多くの木が半ば枯れかけている、地の底の森林に。


「……一体、どこだ? 此処?」

「流石にこれ見ただけじゃ分からないかなー……っと、アルヴェンさん大丈夫?」

「ええ、ありがとう御座います。いや、あんなに必死に泳いだのは初めてですよ、私」


 マヒロに続いて斎藤と、葵海に手を引かれた宰相。

 後方を警戒していた朱美とステラも、やや遅れて湖から上がってくる。

 見れば水面は激しく揺れ、時折肉食魚の残骸が水から飛び出すのが見える。

 どうやら一方的な虐殺が続いているようで、向こうの心配をする必要はなさそうだった。

 それよりも、問題なのは──。


「…………」

「……大丈夫ですか?」

「アルヴェン、ここは……まさか……」


 帝国人ならば、この場所がどこなのか知っているかもしれない。

 マヒロはそう期待していたし、実際にステラも宰相も覚えがあるようだった。

 明らかに動揺した様子の少女の肩へ、アルヴェンは軽く手を置く。

 彼の顔も随分と険しく見えるのは、気のせいではないだろう。

 そんな二人の様子に、斎藤が眉根を寄せて訝しむ。


「おい、どうした? ここがどこか知ってるのか?」

「そうですね。少々様変わりをしているので、『恐らく』と付いてしまいますが」

「……森。それに多分ここは迷宮深度『五』……となれば、心当たりは一つですね」


 呟いたのは由結だった。

 彼女も宰相同様、他の者たちに引っ張られる形で地面に上がっていた。

 しゃがみこんで荒れた土に触れながら、彼女も難しい顔をしている。


「なるほど、水没させる必要なんて無かったわけですね。

 ある程度の海水が流れ込みさえすれば、それで目的は達せられると……」

「貴女もなかなか鋭いですね、由結嬢でしたか。

 いやはや。これを考えたのが誰かは知りませんが、なかなかに悪辣ですよ」

「……? どういう事ですか?」


 そういえば、《扉》をくぐる以前から宰相は何かに気付いた様子だった。

 疑念程度だったものが、目の前の光景を見て確信に変わったのか。


「そうですね。簡単に説明しますと、この場所は──」

「……!! 危ない!」


 最初に察知したのは、斥候として知覚を鍛えた朱美だった。

 反射的に駆け出し、半ばタックルするような形で宰相を地面に引き倒す。

 一瞬遅れて、彼の頭があった辺りの空間を何かが貫いた。

 矢だ。その時点でマヒロも動き出していた。


「斎藤、敵の方に飛ばす!」

「! おうっ!」


 これからする事を簡潔に告げ、傍に立っていた斎藤の腕に触れた。

 直後、斎藤の姿がかき消える。《転移》を発動。

 飛ばした先は、離れた木々の隙間から見えている影の目前。

 突然現れた大柄な戦士に、相手は思わず硬直したようで。


「なっ……!?」

「コンニチワ!!」


 挨拶と共に放たれた剣の一撃が、真正面から影を殴り倒す。

 刃は立てず、剣の腹でぶっ叩いた形だ。

 少なくとも魔物でない以上、問答無用で斬り殺すのは躊躇われた。

 ざわりと、他の木陰に潜んでいた気配も一斉に動き出す。

 葵海も片手に杖を構え、由結を背に庇って身構える。


「敵!? どういう相手!?」

「……あれは……」

「……やっぱり、ここは……」


 警戒の声を上げる葵海には応えず、マヒロは小さく呻いた。

 ステラも剣こそ構えているが、彼女は戦意も薄く切っ先を半端に持ち上げた状態だ。

 逆に森に隠れていた『彼ら』は、敵意も露わに手にした武具を容赦なく突きつけてくる。

 先ほどは影としか見えなかったが、今はその姿はハッキリと確認出来る。


「あの湖から出てくるとは……貴様ら、何者か!」


 先が長く尖った特徴的な耳を持つ、見目麗しい亜人種。

 彼らはエルフだ。そしてエルフたちが住まう森林の国を、マヒロは覚えていた。

 そもそも、ステラたちと最初に出会ったのも『この場所』なのだ。

 枯れた木が多く、様変わりしていたせいで気がつくのが遅れてしまった。


「ケルネイア、森林王国……!」

「我らが森を穢す狼藉者どもめ……構わん、放てっ!!」


 殺気をむき出しにした森の守護者たちは、弓に番えていた矢を一斉に解き放った。

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