第103話:辿り着いた《扉》
幸いと言うべきか、付近に他のクラーケンは存在しなかった。
水中に及ぶ魔力の影響は色濃く、煌めく流れは月のない星空を思わせる。
そんな幻想的な光景に身を浸しながらも、冒険者たちは決して警戒を緩めない。
殿には引き続き、鋭い知覚力を有するアレクト。
先頭にはやはりアリスとくるいが並び、やや後ろにマヒロと斎藤、それにステラ。
二人の後に、朱美と葵海が戦闘力で劣る由結を挟んでいる形だ。
同じく非戦闘員のアルヴェン宰相も、娘のレーナと共に彼らの近くを泳いでいた。
『いやはや、これはなかなか心臓が持ちませんなぁ』
『いいから絶対に我の傍から離れるなよ父上。
ふらふらしたら冗談抜きに見捨てるぞ』
『私も見ておりますから、さい……アルヴェン殿はどうぞ心穏やかに』
容赦のない娘とは対照的に、アレクトは苦笑いまじりに気遣う。
言葉をかけてる間も、優れたエルフの感覚は周囲に隙なく網を張っている。
クラーケンの時のような、潜む気配は感じられない。
『くるい、魔力の方はどうだ?』
『さっきとは大きく変わらないね。
やっぱり大元は、あの底の方にある洞窟だよ』
アリスの念話に応じつつ、くるいが指差した先。
キラキラと輝く魔力の流れ、その中心。海底に大きく口を開いた横穴があった。
少なくとも、目に見えるレベルの迷宮化は発生してはいないようだが。
マヒロは剣を──無銘の《レガリア》を引き抜く。
水中では《転移》の権能は使いづらい。
いざとなれば《レガリア》の力を使う必要があるだろう。
それを見て、斎藤とステラも腰に下げた剣を手に取る。
『おい夜賀、女が見てるからってハリキリ過ぎるなよ?』
『そっちこそ、気を抜かないでくれよ』
『マヒロ様も斎藤さんも、皆で頑張りましょう、ね?』
別に本気で仲違いをしてるわけではないが、そこは男の子同士だ。
とりあえず張り合い始める二人の間に、ステラがやんわりと割り込んでいく。
『ステラさんも気をつけて。
出来れば、レーナさんやアレクトさんと一緒にいた方が……』
『いえ、今は私も冒険者ですから』
それはとても強い言葉だった。
念話という形であるためか、より鮮明に意思が伝わってくる。
冒険者だからと、そう言われたらマヒロも頷くしかない。
視線を感じて横を見ると、何故か斎藤がニヤリと笑っていた。
『なんだよ』
『いや、言われちまったな』
『うるさいな』
やや決まりが悪げに言い返したら、ステラの方がくすりと喉を鳴らした。
と、後方からギロリと睨んでくるのは。
『お前たち、これから未知の迷宮に入ろうというんだ。
気を緩めるなよ』
『まーまーお姉ちゃん、緊張し過ぎるよりかは良いって』
『それより、呼吸は出来ても泳げない事実は変わらないんですよ。これ大丈夫ですか?』
怒る朱美と、それを宥める葵海。二人に掴まれて由結は海藻のように揺れていた。
《遺物》のおかげで溺れる事はないので、まぁ問題ないと思うしかない。
ゆっくりとだが確実に、冒険者たちは件の海底洞窟へと近づいていく。
言葉を交わしつつも、全員緊張感は保っている。
この洞窟の奥に、この地に開いた《アンダー》に続く《扉》があるはずだが……。
『……ん』
ぴくりと、くるいの表情が動いた。
何かを感じ取ったと、彼女が口にするよりも早く。
『どうやら中には魔物が潜んでいるようだな。総員、油断はするなよ』
『了解……!』
アリスやくるいには遅れてだが、マヒロたちも洞窟の奥に蠢く影を見ていた。
魔力の輝きに照らされる形で、大きな『何か』が身をくねらせる。
一瞬、影の形状から誰もがそれを魚かと思った。
その認識は間違いではなかったが、同時に正しくもなかった。
『■■■■■■■■■■■■────!!』
水の中でも激しく響く、名状しがたい叫び声。
クラーケンにも似た鳴き声を発しながら、巨大な『魚』が洞窟から姿を現す。
大まかには魚だが、そのサイズは大きなマグロに近い。
鋭い牙の並んだ口に、ほとんど刃と変わらない背ビレや胸ビレ。
何よりも赤く燃える異常な眼球は、明らかに自然の生き物とは異なるものだ。
その有り様を目にして、ステラが小さく呻いた。
『あれは、深度『五』以下の水場に生息している肉食魚です……!』
『水場は基本近づかないが、確かに遠目で見た事があるのと同じだな!』
応じながら、朱美は葵海と由結を背に守るように前に出る。
凶暴な魚型の魔物に、マヒロや斎藤たちも武器を構えた。
が、彼らの元に肉食魚がたどり着くには、その前に分厚い壁が存在する。
『多分、クラーケンが近くをウロウロしてたから、狙われないよう洞窟にいたんだね』
『だろうな。であれば、大した相手ではない。
すまんがアレクト、お前は引き続き後方の警戒に当たってくれ』
『ええ、承知しました。お気をつけて』
『問題ない』
冷静に念話を交わし、動いたのはアリスだった。
王剣ヴォーパルを水の中で構え、そして向かってくる肉食魚に一閃。
輝く水の中で美しい軌跡が描かれ──それで終わりだった。
『■■■■■■■……!?』
一刀両断。人間かそれよりも巨大な体を持つ肉食魚が、一太刀で二枚に下ろされていた。
アリスだけで十分だと確信していたようで、くるいは武器さえ構えていない。
あまりにも圧倒的な瞬殺劇に、見ていた側は思わず呆気に取られてしまう。
……もし仮に、自分があの肉食魚と水中で相対したらどうなるか。
マヒロを含めた若い冒険者たちは、その事を考える。
クラーケンほど絶望的ではないにしろ、容易く討ち取れる相手でない事は確かだ。
『やっぱヤバいよな、《迷宮王》』
『うん、俺もいつも思ってるよ』
『背中見てるだけじゃ終われないってのもか?』
『勿論、いつだって考えてる』
笑う。埋めがたい格差を見せつけられた直後にも関わらずに。
斎藤は笑っていたし、マヒロも笑っていた。
今は背中しか──どころか、背中さえろくに見えないぐらいの差があったとしても。
いつか必ず追いつくと、彼らは強く誓っていたから。
それはともかく、今は目の前の事だ。
超人的なアリスの活躍により、洞窟の入口から脅威は取り除かれた。
『ん。ん。とりあえず、入口付近にはもう他にいないかな?』
『よし。全員、他とはぐれないよう十分注意してついて来てくれ。
私とくるいの二人で少し先を進む。見失わないようにな』
念話の形で全員から了承を返されたら、アリスとくるいは洞窟の入口をくぐる。
中も魔力を帯びた水が流れ、その光によって視界は悪くない。
『……なんだか水に、一定の強さの流れがありますね?』
次々と冒険者たちが洞窟の中へと入っていく。
そこで、殿のアレクトが気付いた事を念話によって共有する。
言われてみれば確かに、外から中に向けて水の流れがある。
強めではあるものの、身体の動きを制限されるほどでもないようだが。
『ふむ……? この洞窟自体、どこかに繋がっているのか?』
『どうだろ。それより、《扉》の向こう側に水が流れ込んでるとかは?
さっきの魚とかクラーケンとか。迷宮の水場から入り込んできた形だよね?』
『……確かに、その可能性は十分考えられますね』
くるいの言葉に、マヒロは小さく頷いた。
この状況からして、《扉》も間違いなく水に没しているはずだ。
《扉》を介して地上と《アンダー》は双方向で繋がっている。
海の水が迷宮側に流れ、そのせいで水に動きが生じているのは十分あり得る話だ。
しかし、そうなると……。
『それって……大丈夫なの? 迷宮が海水で沈没しちゃうとか……』
『いやぁ、流石にそれは無いんじゃないですかね』
朱美の不安を、由結が相変わらず気怠げな様子で否定した。
ちなみにステラもそれは気になっていたようで、思わず後ろの由結に視線を向ける。
『《扉》の大きさが不明なので、何とも言えないところではありますが。
アレは基本、一度にくぐれる質量に限界が存在しますから。
大量の水が止めどなく迷宮に流れ込んで……という危険は、まぁすぐには無いでしょう。
放置しておけば、その分だけ水浸しになるのは言うまでもありませんが』
『このまま放って置いたらヤバい、って事は確かなんだね』
葵海の口にした言葉が結論だった。
『《アンダー》は我々ですら把握してないほど広大だ。
言う通り、多少水浸しになる程度でそう大きな影響は出ないだろう。
が、それも時間が経って入り込む水量が増えればどうなるか』
『…………』
『ん? どうした、父上?』
『あぁ、いえ。何でもありませんよ』
微かに唸った父親に、レーナは緩く首を傾げた。
眼鏡の上からゴーグルをしているせいで、普段以上に目元は隠れている。
そんな彼が、鋭い目つきで洞窟の奥を睨んだのは果たして気のせいだろうか。
『ま、議論していても仕方がない。
このまま奥へ向かおう。《扉》を見つけたらそのまま封鎖すれば済む話だ』
『うん、さっさと片付けちゃおう』
先を行く二人の決定に、誰も異論などあるはずもない。
慎重に、だが可能な限り素早く、冒険者たちは洞窟の深奥を目指す。
洞窟はやや複雑な形状をしていたが、迷うほどではなかった。
魔力の環境に対する影響も強まっていき、目指す場所が近づいている事を示している。
道中でまた肉食魚には何度か遭遇したが。
『邪魔だ、どけ』
『コイツらも食べても美味しくなさそうだねェ』
『我も以前に一度調理してみたが、とても食えたものではなかったな』
『まぁ、食用に適した魔物でない事は間違いないですね……』
文字通りの鎧袖一触。
クラーケンでも苦戦すらしなかった顔ぶれに、肉食魚の数匹など障害ですらない。
少々数が多い時は、取りこぼしたモノもいたが。
『斎藤、ステラさん! 合わせて!』
『おうよ!』
『分かりました……!』
水中という動きが制限される環境でも、マヒロたちは全力で応じた。
勢い良く突っ込んできた肉食魚に、三人がタイミングを合わせて剣を打ち込む。
硬い鱗を切り裂き、分厚い肉を骨に達するまで抉る。
一太刀では当然仕留めきれない──が、刃の数はその三倍だ。
水をあふれる血で真っ赤に染め、肉食魚はすぐに動かなくなった。
身構えていた朱美が、泡の形で吐息をこぼした。
『……お見事。確かに、これではこっちが足手まといになりかねないな』
『まだまだ、これからですよ』
『そうそう。私とお姉ちゃんは由結さんの保護重点で警戒してよう』
『お世話かけてすみませんね、ホントに』
現状は半ば荷物と大差ない状態の由結に、深くはツッコまない情けは皆持っていた。
全ては順調だった。少しずつ環境を満たす魔力も濃くなっていき──そして。
『……ここだな』
全員の頭の中に、アリスの念話が響いた。
洞窟の最奥は、一際広いドーム状の空間となっていた。
自然に出来たものなのか、人工的に作られたものかは一見して分からない。
確かなのは、魔力が渦巻く中心に《扉》が存在するという事実。
それは洞窟の床面に開いた『穴』の形をしていた。
井戸を思わせる深い縦穴は、魔力だけでなく水の流れを作る大元でもあった。
吸い込まれていく水に引っ張られぬよう、強く意識する。
『くるい、このまま私と二人であの《扉》を壊す。向こう側に引き込まれんようにな』
『オッケーオッケー。じゃ、皆は周辺の警戒宜しくねー』
最も経験のあるアリスと、一番打撃力の高く魔力感知に優れたくるい。
最適の人選が、素早く中央にある《扉》に近づいた。
他の者たちは迂闊に接近はせず、指示された通りに周辺に意識を向ける。
魔物が潜んでいる様子はなく、聞こえるのは水が流れる音だけ。
アリスは王剣を、くるいは愛用の大槌を振り上げる。
『……そういえば、物理的に壊すという手段で大丈夫なのですか?』
『術式で固定化されていない《扉》なら、単純に壊すのが一番手っ取り早いですね』
『ま、何が起こるか分からんから、ここは《迷宮王》に任せるのが安全だな』
ステラの疑問に応じつつ、マヒロはその様子を見ていた。
その間も、アリスたちは素早く破壊作業を──。
『……ねぇ、アリス』
『あぁ、分かってる』
王剣も大鎚も、狙いを誤る事なく《扉》に叩き込まれていた。
マヒロが言う通り、専用の術式で固定化されていない《扉》は破壊に対して脆弱だ。
しかし、二人の攻撃を受けても床に開いた穴に傷一つ付いていない。
これが示す事実は。
『固定化と、ついでに厳重な防御が施されているな。
これで確定したな。やはりこの《扉》は、人為的に開かれたものだ』
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