第102話:やるべきこと


「……クラーケンが出た? え、ホントですか?」

「うむ、流石に少しばかり手間取った」


 浜辺での組手が一段落した頃。

 マヒロたちが少し身体を休めているところに、海からアリスたちが戻ってきた。

 何やら一戦やらかした雰囲気に、待機組全員が何事かと身構えたが。


「一応、証拠に足一本は引っ張ってきました。どや」

「す、凄いですね。いやホントに」

「水の中でクラーケンを仕留める人類を『凄い』で片付けて良いんですかねぇ……?」


 巨大な触腕を掲げるくるいに、マヒロは微妙に反応に困ってしまう。

 絶句する他の仲間たちの内心を、由結が飴玉を舐めつつ代弁した。


「一匹しかいないようでしたが、他に潜んでいる可能性は捨て切れませんね」

「あぁ、無いとは思いたいが……」

「……クラーケンって、確か生息してるのは迷宮の深層ですよね?」

「その通りだ、少年。初期段階の外部ダンジョンで出てきて良い大物ではないはずだ」

「それは……つまり、どういう事ですか?」


 何か異常な事態が起こっている。

 そこまでは分かるが、具体的な事は不明なステラは不安げに首を傾げた。

 彼女だけでなく、斎藤や朱美たちも理解し切れていない。

 髪の毛についた水を払いながら、アリスは一つ頷く。


「今回開いた《扉》は、恐らく迷宮のかなり深い場所に繋がっているのだろう。

 クラーケンが出てきたという事は、最低でも深度『五』よりも下だな」

「……一応聞いておくが、《迷宮王》。それはあり得る話なのか?」

「普通ならあり得ない。

 いきなり迷宮深層に繋がった《扉》が開くなんて、前例はほとんどないはずだ」


 訝しむレーナの質問に、アリスは即答した。

 彼女の返答を聞いて、宰相はふむと小さく吐息をこぼす。


「ほとんどない、という事は一応は似た事例が存在すると?」

「……そうだな。

 私が知る限り、深層に直接繋がる《扉》が開いたのは、過去に一度きりだ」


 ちらりと、ほんの僅かに向けられた視線。

 マヒロはそれだけで、アリスが言い淀んでいる事を察した。

 胸の奥が痛む。古傷が開いた感覚に、少しだけ奥歯を噛み締めた。

 決して消える事のない、炎の記憶。


「……《迷宮戦争》、ですか?」

「あぁ。あの時だけだな、地上に深層と繋がった《扉》が開いたのは。

 原因については、今もハッキリとはしていない。

 いや予想はついているが、確かめようが無いと言った方が正解か」

「? それって、どういう意味ですか?」


 やや回りくどい言い回しに、葵海が眉をひそめた。

 応じたのは、アリスではなく彼女の仲間である由結の方だった。


「《十二の円環》、ですよね? 私もその話は、噂程度には聞いた事があります」

「っ、《十二の円環》って……」

「うむ、由結くんだったかな。君の言う通り。

 《迷宮戦争》の際に開いた《扉》は、《十二の円環》の仕業とされている。

 それが地上に甚大な被害をもたらした話は、今更語るまでもないな」

「…………」


 記憶の中で炎がくすぶっている。

 未だに鮮明に焼き付いた地獄で、囁く声が聞こえるのだ。

 願い、祈れと。抗いがたいほどの甘美を伴って。

 ──ダメだ、それだけは認められない。

 意思を強く持ち、湧き上がりかけた衝動を振り払う。

 『あんなモノ』に成り果てる事だけは、絶対にごめんだと。


「……しかし、疑問はありますね」


 ぽつりと、穏やかな声でそうこぼしたのは。


「疑問というのは? 父上」

「今回の《扉》にも《十二の円環》が関わっていたとして。

 果たしてそこにどんな目的があるのでしょうかとね」


 娘であるレーナの問いに、アルヴェンは薄い微笑みと共に応えた。

 目的。それはまるで、当てはめる先が分からないパズルのピースのようで。


「《十二の円環》とは災害、意思があるだけの嵐のようなもの。

 そこに目的だの思惑だのを考えるのは、あるいは愚者の問いやもしれません」

「何が言いたいのか、ハッキリしたらどうだ?」

「貴女は結論を急ぎ過ぎですよ、レーナ。

 まあ私が言いたいのは、仮にこの場所に《扉》を開いたのが《円環》だとしたら。

 何故こんな場所なのか、というのが気になりましてね。

 彼らは嵐とはいえ意思がある。

 なんの意味もなく、こんな人里離れた孤島に《扉》を開く理由は何でしょうか」

「……確かに、不自然なのはその通りですね」


 難しい顔でアレクトも頷いた。


「もし、何かしらの気まぐれで──それこそ、暇潰しに《扉》を開いただけなら。

 もっと人の多い場所を選んだ方が、彼らにとっては『楽しい』はずです」

「逆に、人里離れた場所に『隠した』方が後々の被害は大きく出来ると考えた可能性は?」

「……けど、結局は見つかっていますよね。

 そういう場所に《扉》が開く危険性は、《組合》も把握してますし」


 《円環》が関わっているかもしれない事実に、朱美の声は僅かに掠れていた。

 傍らで、斎藤が落ち着かない様子で頭を掻く。


「何だかよく分からんな。結局、ここにある《扉》は何なんだ?」

「……一応、《扉》があると思しき横穴はクラーケンを始末した後に確認済みだが。

 さて、この状況はどうしたものか……」


 胸の下で腕を組み、アリスは小さく唸る。

 もし本当に《十二の円環》が関わっているとしたら、事は予想以上に危険だ。

 このまま依頼を継続するべきか思案するほどに。

 一応、スマホを使って《組合》への問い合わせも行ってはいた。

 ブッキングの件といい、今回は不明瞭な事が多すぎる。

 ただ恐らく、納得するような返答が来ないだろう。そういう予感があった。

 それも含めて、アリスは思い悩んでいたが。


「……何か難しく考えてるけど、結局放置なんて出来ないよね?」


 そんな思考を断ち切ったのは、くるいの一言だった。


「くるい……」

「《扉》をそのままにしたら、外部ダンジョンはどんどん拡張しちゃうし。

 今だって深層に繋がってる以外は、まだ何も分かってない。

 だからどうあれ、閉じなきゃもっと酷い事になるかもしれないでしょう?」

「……それは確かに、その通りだな」


 《扉》があり、魔力汚染の拡大による迷宮化は間違いなく進行している。

 それ一つで国が滅ぶという事は無いだろうが、甚大な被害をもたらす危険は十分ある。

 誰かがやらねばならない。

 この場にいる冒険者たち、そも最初から『そのつもりで』来ているのだ。


「……くるいちゃんの言う通り。すぐにでも《扉》を封鎖しに行きましょう」


 決意を秘めた言葉を、マヒロは口にした。

 何が待ち受けているか分からない、未知への恐怖は拭いがたい。

 しかしそれ以上に、《円環》の関わる《扉》を放置出来ないという思いがあった。

 二度と、十年前のような災厄を起こさないために。


「危険だぞ、少年」

「それは正直、今更ですよ。

 まさかアリスさんだけでやる……なんて、言いませんよね?」

「そう言えれば良かったんだがな」


 マヒロに対し、アリスは苦笑いを浮かべる。

 自分一人で、あらゆる災厄や困難を打ち払う事が出来たなら。

 そう願わなかった事はないが、如何に《迷宮王》といえどそれは不可能だ。


「《扉》が誰の、どんな思惑によって設置されたかは分からない。

 少なくとも、自然発生したものではないのは明白だ。

 その上で、私たちがやるべき事は変わらない。

 拡大しつつある外部ダンジョンに侵入し、《扉》を完全に封鎖する。

 それで構わないな、少年……いや、リーダー?」

「俺は今、斎藤たちのチームに参加していますから。

 リーダーはアリスさんが代理、ということでお願いします」

「おっと、そうか。そういう話になるか」


 笑う。考えねばならない事は多くあるが、口にすればやるべき事はシンプルだ。

 リーダー代理を頼まれたアリスは、斎藤や朱美たちの方を見る。


「さて、状況は変わってしまったが、君たちはどうする?

 私も無理につき合えと言うつもりはないが」

「……状況は変わっても、やる事は別に変わらない。

 今さっき、アンタが言った通りだ。《迷宮王》。

 だったらオレたちだって何も変わらないさ」


 真っ先に応じたのは斎藤だ。

 《十二の円環》という名が持つ脅威は、あくまで知識として知るのみ。

 だが彼も、迷宮には人知の及ばぬ恐るべきものが存在する事は肌で感じた経験がある。

 それを知りながら、その心は決して恐怖に屈してはいない。


「足手まといにはなる気はないが、このまま帰るのは冒険者じゃないだろ。

 なぁ、そっちはどうなんだ?」

「……臨時雇いのクセにリーダー面するんじゃない」


 不機嫌そうに朱美が唸る。

 先ほどまでは、明らかに話のスケールに萎縮した気配もあったが。


「私たちだって冒険者だ。

 《グレイハウンズ》は請けた仕事を途中で投げ出す気はない。そうだろう?」

「まぁ、お姉ちゃんだけに無理はさせられないよね」


 自分に気合を入れるように、妹の葵海はガッツポーズをキメる。

 彼女の横では、由結が気怠そうに息を吐いた。


「まぁ、チーム一番の年長者として格好ぐらいはつけませんとね」

「お前が格好を気にしてるとは驚きだよ」

「ホントのこと言うのはやめなよお姉ちゃん、由結さんにも尊厳はあるんだから」

「今その尊厳をボロくそにしてるんだよなぁ」


 崩れ落ちた年長者が沈痛な声で泣き出したが、若人たちはとりあえず無視した。

 冒険者たちが覚悟を決めたのを見て、宰相は笑う。

 敢えて問うまでもないが──と、そう確信しながらも、言葉にして意思を問うた。


「如何なさいますか? ステラ。

 私とレーナは貴女の決定に従いましょう」

「…………」


 皇帝陛下ではなく、ステラと。

 人としての名前を読んだのは、彼なりの気遣いか。

 近衛騎士長が全身から『不敬だぞ父上』オーラを発しているが、正直ありがたい。

 この場では《人類皇帝》ではなく、一人の人間として決めて良いのだと。

 ならば答えは決まっている。


「今は私も、マヒロ様たちと同じ冒険者のつもりですから。

 行きましょう。全力を尽くします」

「……ならば、我も我が全能力を駆使して貴女をお守りしましょう。

 父上は自力でどうにかしてくれ」

「死んでしまいますから、ついでで結構なので助けて下さいよ」


 情けない眼鏡の懇願に、娘は「仕方ない」と笑う。

 答えは出揃った。

 未知の脅威に立ち向かう事こそ冒険なのだと、《迷宮王》は改めて知った気持ちになる。

 くるいとアレクトも、視線を向ければ笑って頷いた。


「……よし。諸君ら、覚悟を決めておけよ。

 全員の準備が出来次第、《扉》があると思しき海中の洞窟へ向かう。

 我々は必ず《扉》を封鎖し、全員無事に帰還を果たす。

 そこまで覚悟を決めた者だけ私について来てくれ。良いな?」

「はい!」


 真っ先にマヒロが応え、続いて他の者たちもそれぞれの声を上げた。

 海の底に隠された《扉》とまだ見ぬ脅威、そして未だ影しか分からない何者かの思惑。

 多くの事が謎であり、本来ならば迂闊に近づくべきではないだろう。

 しかし彼らは冒険者だ。

 未知こそ越えるべき試練だと、海に隠れた秘密に彼らは挑む。

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