第101話:海中探索
「先ずやるべき事は《扉》の在り処を正確に見つけ出す事だ。
海の中は広い。闇雲に探すばかりでは時間が足りないし身が持たん」
膝の辺りまで波に浸かりながら、アリスは告げる。
時刻は昼を過ぎたぐらいで、太陽も中天から西へと傾き出している。
彼女の傍にいるのはくるいとアレクトだ。
それぞれ感知能力に優れた二人として、先行調査に選ばれた形だ。
「くるいは魔力の流れを、アレクトはその他に異常が無いか気を配って欲しい」
「はーい、アリスの役割はー?」
「お前たちが調査にのみ集中するための暴力担当、もとい護衛役だぞ」
「世界で一番頼もしいボディガードで御座いますね」
くすりと笑うアレクトに、「そうだろう?」と自信満々に頷く。
と、不意に三人の視線が浜辺の方を向いた。
先ずは《扉》の位置を探るという事で、他のメンバーはそちらに待機した状態だ。
立てたパラソルの下で休んでいるレーナと宰相アルヴェン。
冒険者チーム《グレイハウンズ》と、彼らに一時加わったマヒロとステラは。
「楽しそうにしておられますね」
「そうだな」
微笑ましく呟くアレクトに、アリスも笑いながら頷いた。
彼女らが見ている光景は──。
「甘いっ!!」
「ひゃっ……!?」
鋭い朱美の声と共に、ステラの視界がぐるりと回る。
投げ飛ばされたのだと、そう気付いた時には砂の上で派手に転がっていた。
無造作に投げたように見えて、反射で受け身が取れるよう正確に加減したものだ。
武器無しの体術では、朱美の技量の高さは相当なものだ。
「間合いの取り方は見事だが、上手に距離を測るばかりでは駄目だ。
一瞬の隙を突ける技術があるなら、今みたいに簡単に転がされてしまうぞ!」
「っ……はい、とても参考になります……!」
「ヨシ、では引き続き掛かって来るといい。
ただしは魔法は無しだぞ!!」
「勿論、分かっています……!」
暑苦しいニンジャルックではなく、ごく普通の水着に着替えた朱美。
身構えた彼女へと、ステラは躊躇いなく素手で飛びかかる。
最初は水場での動きの確認など、軽い運動程度だったはずだが。
「おう、アリスさん方が先に調査してる間は暇だろ?
ちょっとやろうぜ」
「あぁ、良いよ。やろうか」
男子三日会わざれば刮目して見よ、なんて言葉もある。
ここ最近は接点も少なく、しかし久しく会えば互いに経験を積んだと分かる。
ならば直に確かめたいと考えるのは自然の流れ。
一応は仕事の前だから、軽い組手で済ませようという理性はお互いにあったのだが。
「やるじゃねェかよ、夜賀……!!」
「斎藤こそ……!!」
いつの間にやら、後先考えていないようなガチバトル(素手)に発展していたのだ。
武器は無し、魔法も無し。両者ともに得物は己の五体のみ。
普通であれば周りも止めるところだが。
「疲労をポンとトばす水薬ならありますから、多少なら無茶して大丈夫ですよー」
などと怪しげな錬金術師が言い出したため、完全に歯止めが無くなってしまった。
それに触発されたか、何故かステラが朱美に組手をお願いし──そして現在。
「どっちもがんばれー! いやぁ、青春って感じで良いねぇ!」
「うわぁ……今斎藤くん、めちゃくちゃ痛そうなパンチ入らなかった……?」
「レーナ、単なる訓練みたいなものですから落ち着いて下さいよ?」
「大丈夫だ父上、我は冷静だとも。
何も知らん小娘どもに罪が無いことぐらいは十分理解しているぞ。
って、ああぁぁぁ!? またそんな無遠慮に投げ飛ばして……!」
激しくぶつかり合う二組を、他の者たちが見物しながら応援する状況だ。
ステラが投げられる度、レーナが微妙に悲鳴じみた声を上げているが。
まぁ大事はないだろう──多分だが。
流石に《十星》筆頭が乱入したら酷い事になるが、そこは宰相が手綱を握るはずだ。
若干の不安はあれど、それは素直に信じるとして。
「では、こちらはこちらの仕事を済ませてしまおうか」
「ねー、今からあっちに混ざったらダメ?」
「ダメに決まっているだろうが」
「くるい殿があそこに混じったら、レーナ殿も突撃しそうですし……」
苦笑しながら、アレクトが恐ろしい未来予想図を口にする。
《八鋼衆》の序列三位と《十星》筆頭の格闘戦。
他人事ならば是非とも見たい対戦カードだが、流石に今やるわけにはいかない。
「先頭は私とくるい、後ろはアレクトの並びで探索を行う。
水中での呼吸は問題ないが、そのままでは声を出しても聞こえんからな。
二人とも、渡した《念話の耳飾り》は身に着けてるな?
それとゴーグルに何か不具合はないか?」
声に出さずとも、思念による意思疎通が可能となる《遺物》。
アリスを含め、三人ともがそれを耳に装備していた。
合わせてゴーグルも、水中をより鮮明に見られるよう魔法が施された代物だった。
「ん、だいじょーぶ」
「はい、こちらも問題御座いません」
「宜しい。では諸君、海中探索としゃれ込もうか」
頷き、先ずはアリスが勢いよく水の中へと潜った。
すぐにくるいが続いて、やや遅れてアレクトが二人の後ろにつく。
全身を包み込む水の冷たさ。
肌を刺すその感覚にも、全員あまり時間をかけずに慣れていく。
ゴーグル越しに見る光景は、迷宮の深部にも劣らない神秘的なものだった。
水は透明度が高く、海面から差し込む日差しでキラキラと全体に光が煌めいている。
魚たちがその中を優雅に泳ぐ様は、別世界に迷い込んだ錯覚すら覚える。
ゆっくりと水を掻き分け、少しずつ深い場所を目指していく。
視覚的な異常は今のところは見られない。
『どうだ、くるい?』
『魔力の流れが濃くなって来てるね。
これ、《扉》は海の底とかにある感じかも』
『せめて、生身で潜れる深さだと良いのですが……』
『そこを心配する必要はないだろう。
というか、あまりに深過ぎれば魔物は出てこれんし魔力の汚染も遅くなる。
それならそれで逆に問題は無くなるからな』
なるほど、とアレクトの頷く気配。
《扉》は地上のどこにでも現れる可能性がある。
しかし物質として存在する以上は、当然ながら環境の影響を受けるのは避けられない。
あまりに深過ぎる海の底や、あるいは火山活動中の火口のど真ん中など。
環境の過酷さに迷宮の側が押し負ける、というのも稀にだが実際にある話だ。
自然は実に偉大だが、今回は流石に期待は出来ない。
『これは大分近そうだな』
『うん、用心しといた方が良いと思う』
くるいから伝わる思念の声には、大分警戒の色が強い。
結構な深さまで潜ったので、海面から射す陽光はあまり届かなくなりつつある。
ならば視界は薄暗くなって然るべきだが、実際はそうならなかった。
水の流れに合わせて輝く不可思議な光。
迷宮の中では見慣れている、濃度を増した魔力による発光現象。
これが確認出来るという事は。
『この辺りでもう、迷宮化が発生している可能性が高い。
アレクト、魔物がいるかもしれんから注意しておいてくれ』
『承知しました。今のところ、水の中を泳いでいるのは魚だけなようですが……』
エルフとしての優れた知覚能力で、アレクトは周囲を警戒する。
魔力の濃度が増している以外に、現状では不審な点もない。
アリスの言う通り、そろそろ魔物が出てきてもまったくおかしくないはずだが。
『……アリス』
『どうした、くるい』
『かなりおっきい魔力の塊を見つけた。もしかしたら、《扉》の本体かも』
『素晴らしいな。よし、近づいて確かめる。
二人とも、慎重にな』
『アリスが一番無茶するタイプなんだから、それは自分に言いなよー』
『まあまあ、皆で気をつけましょう』
文句を飛ばすくるいに、アレクトが苦笑いで応じる。
輝きと共に流れる水の中を三人は進む。
地上や地下とも異なる、身体に絡みつく流体の質量。
そんな状態でも、アリスは滑らかな動作で王剣ヴォーパルを引き抜いた。
周囲にはまだ怪しいモノは見えない。
だが歴戦の直感が、根拠のない警告を発している。
くるいとアレクトの感覚にも、まだ何も──。
『……お待ちを!』
鋭く発せられたアレクトの思念。
同時にアリスとくるいは進行を止めて、全方位に警戒を向ける。
魔力の光に満たされた海中。
気付けば、辺りには魚の姿もほとんど見られない。
死者の国を思わせる静寂──だが、アレクトの知覚は誤魔化されてはいなかった。
『何か、大きなものが蠢いています。しかもこれは、かなり近い……!』
『あー、うん。周りの魔力と上手く溶け込んでて、ちょっと分かりづらかったけど』
何でもない事のように、くるいは思念でその事実を口にした。
『下にいるね』
『■■■■■■■■────!!』
こちらは思念ではなく、水を震わせる爆音として響き渡る獣の絶叫。
海の底を覆う砂と石を蹴散らし、その下に潜んでいた怪物が姿を現した。
一言で表すならば、巨大極まりないタコ。
見た目こそタコに近いが、触腕に備わっているのは吸盤ではなく無数の鉤爪。
胴体には蜘蛛に似た節のある脚が四対八本も生え、それぞれ不気味に蠢いている。
全長は二十メートル近く、ほとんどビルのようなサイズだ。
地上にはダイオウイカと呼ばれる巨大イカもいるが、それに劣らぬ大きさだ。
『馬鹿な、クラーケンだと……!?』
『■■■■■■ッ!!』
魔物の正体を看破し、アリスの思念が驚愕に震える。
そんな事などお構いなしに化け物イカ──クラーケンは海中の獲物に襲いかかる。
迷宮深層にある巨大な地底湖を住処とする恐るべき怪物。
少なくとも、初期段階の外部ダンジョンから現れて良い強さではない。
巨体を躍動させ、無数の触腕が獲物目掛けて素早く伸びる。
水の中では動きを制限されてしまう人間には、とても回避出来る速度ではない。
アリスとくるいの二人に、鉤爪だらけの触腕が巻き付いて──。
『……まったく、私たちだけで来て正解だったな』
『ホントにねぇ』
『■■■■■■……ッ!?』
脆弱な獲物など、あっという間に握り潰して終わりだと、クラーケンは確信していた。
原始的な獣レベルの知能しか持たず、圧倒的な強さのため生命を脅かされた事もない。
故に気付けなかった。獲物だと『勘違い』してしまった者たちの脅威に。
『で、どうする? コレ』
『どうするもこうするも、このまま放置出来る相手ではあるまい』
『では、速やかに排除致しましょう』
アリスは王剣の一振りで、自分に伸びてきた触腕を切り払っていた。
触腕に絡みつかれたが、くるいは腕力でそれらを引き千切る。
水中のハンデ如きでは到底埋まらない、生物としての『格』の違い。
鈍いクラーケンの頭がその事実に気が付き、慌ててその場を離脱しようとしたが。
『申し訳ないですが、逃がすつもりはありませんので』
滑るように移動したアレクトが、逃亡しようとしたクラーケンの前にいた。
一瞬で触腕をボロボロにされた後では抵抗の余地もない。
周りの海水ごと斬り裂く剣閃が、クラーケンの巨体を何度も通過する。
アリスの眼でも完全には見切れない高速剣舞。
これを水の中でやるのだから恐ろしい。
『■■■■■……!?』
絞り出すような鳴き声は、最早断末魔に近い。
巨体に見合う生命力を持つクラーケンだが、既に死の気配が濃い。
そして《アンダー》最上位の実力者三人は決して容赦はしない。
『……そういえば、クラーケンって食べられるっけ?』
『いや、どうだろうな。モドキは食べるがクラーケンを食べた事は無いな』
『毒抜きなどすれば食べられますが、処理が結構手間だったかと』
『んー、そっか。じゃあ加減せずに潰しちゃって良いね』
『まぁ、このサイズを陸まで運ぶのも面倒だしな』
こうして、哀れなクラーケンの命運は決まった。
迷宮における水辺の恐怖そのものである怪物。
それが原型も残らない肉塊になったのは、更に五分ほど後の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます