第98話:意外な再会

「あ、二人とも戻ってきた。オーイ、こっちこっち」


 白い砂浜、青い海と空。

 夏の風景を背に、大きく手を振るくるい。

 彼女もアリス同様、当たり前ながら水着姿だった。

 こちらはビキニではなく、ワンピースタイプの水着だ。

 前者に比べれば肌の露出は少ないが、胸元がかなりがっつりと開いている。

 ハッキリ見える谷間に、油断すると視線が吸い込まれてしまいそうだ。

 余談だが、本人は最初ほぼヒモな水着を選ぼうとしたが、流石に周りが全力で止めた。


「いきなりフラッといなくなるのだから、こちらも驚いたぞ。

 仮にも陛下の御身を守る役がそれでは困るから、改めるように」


 控えめな胸の前で腕を組み、レーナは分かりやすく怒りを態度で示した。

 こちらが着ているのは、アリスと似たタイプのビキニだ。

 ただし布面積はこちらの方が小さい……というか、地味にかなり危ない。

 くるいが選んだヒモよりはマシだが、多分これは感覚がマヒしている気がする。

 色が派手な金ピカなのは本人の趣味だろうが、まぁ似合ってはいた。


「まぁまぁレーナ殿。マヒロ殿は周辺の警戒をなさって下さったのでしょう。

 ですから、どうかお気を鎮めて」


 控えめな擁護を入れるアレクトも、今日は肌色が眩しい水着姿だ。

 とはいえ、彼女が身に着けているのは競技にも使われるスポーツタイプの水着だ。

 露出しているのはスラリと長い足と、肩から先の細くしなやかな腕ぐらいだ。

 それでも身体のラインは常よりしっかりと見えていて、青少年の心臓を危うくする。


「……その、大丈夫ですか? マヒロ様」


 既にクラクラし始めたマヒロに、純粋な気遣いの言葉をかけたステラ。

 彼女の水着はセパレートタイプで、可愛らしい花柄だ。

 腰には同じく花を描いたパレオを巻いて、頭には大きな麦わら帽子。

 孤島の浜辺というシチュエーションに、これほど似合う格好も他に無いだろう。

 心配して顔を覗き込む仕草は、むしろ逆効果だと少女は知らない。


「マヒロ殿……?」

「え? あ、はいっ。大丈夫です、大丈夫ですからご心配なく……!」

「ハッハッハ、期待通りの初々しい反応。大変素晴らしいぞ、少年」


 動揺して真っ赤になった後ろで、《迷宮王》が大変悪い顔で笑っていた。

 買い物の時に、全員の水着は一通り見ていたが。

 実際に海で目にすると、なんというか破壊力が段違いだ。

 心臓が全然落ち着く気配はなく、立っているだけなのにのぼせてしまいそうだ。


「いやはや、若いですねぇマヒロ君は」


 そんな中、このメンバーではもう一人の貴重な男性枠。

 海でも眼鏡を外さない宰相アルヴェンは、微笑ましそうに一連の流れを眺めていた。


「美しく、うら若き乙女たちに囲まれて、ついつい男の自分を意識してしまう。

 ええ分かります、分かりますともその気持ち。

 私も今は妻一筋ですが、昔はこれでも結構な浮き名を流したもので……」

「宰相殿、いきなりおかしな話をするのは止めて貰えませんか?」

「そうだぞ父上、あまりふざけた事を言ってると戻った時に母上に全部ぶちまけるぞ」

「おっと、娘にまで裏切られるとは計算外……!」


 マヒロとレーナ、この時ばかりは絶対零度の連携でクソ眼鏡宰相を迎撃する。

 ちなみに彼のみ水着ではなく、短パンにアロハシャツと微妙に浮かれたスタイルだ。

 何故だか絶妙に似合っているのがまた腹立たしい。


「……それにしても、海は広いねぇ」


 ぽつりと。水平線を眺めながらくるいが呟いた。

 それに釣られる形で、ステラもまた霞んで見える海の彼方に目を向ける。

 遠い、地の底である《アンダー》では決して目にする事の出来ない遥かな距離。

 自然と、足は吸い寄せられるように波打ち際へ。

 彼女の後ろをレーナが慌てて続き、マヒロたちはその後をゆったりと追う。

 波はそこまで激しくはないが、力強く浜辺に打ちつけている。

 規則正しく響く波の音が、耳に心地良い。


「これが……海、なんですね」

「知識としては知っていても、この広さは衝撃的ですな。

 帝国にあるどんな湖も、これでは比較にすら値しないでしょう」


 間近で見て、そのスケールの大きさに改めて呆然としてしまうステラ。

 レーナも様子としては似たようなものだ。


「私も海に来るのは初めてですが……本当に、水が塩辛いのでしょうか?」

「気になるなら試してみるか? アレクト。あまりオススメはしないが」

「あ、じゃあワタシ試してみまーす」


 アレクトとアリスの横を、はしゃぐ子供そのものなくるいがぴゅんと過ぎる。

 打ち寄せる波にしゃがみ込むと、躊躇いなく海水に口をつけた。

 それはもう、勢いよくがぶりと。

 アッと思っても、マヒロにはとても止める暇はなかった。


「〜〜〜〜辛いっ!! 辛いっていうか何コレ!?」

「だからオススメはせんと言っただろうに」

「だ、大丈夫で御座いますかっ、くるい殿?

 あぁ、私が余計な事を言ったばかりに……!」


 ステラの足元辺りでのた打ち回るくるい。

 海の水は予想以上に衝撃的な味だったようだ。

 恐る恐る試そうとする皇帝陛下を、今度はレーナが素早く止めていた。


「いかんぞ陛下……! 毒とまでは言わんが、明らかに御身体に障るぞ!」

「ご、ごめんなさい、つい……」

「はっはっは、まぁ何事も経験と申しますからね。

 陛下の立場では、痛い目を見るのもそう機会はないでしょう。

 試してみるのも一興ではありませんか?」

「適当にそれっぽい事を言って煽るのは止めよ、父上」


 娘に睨まれ、性悪宰相は素早く退散する。

 そんなやり取りがおかしくて、マヒロはつい笑ってしまった。


「ええと、くるいちゃんは大丈夫?」

「うー、まだ舌が痺れてます……」

「考え無しのおバカ娘め。ほら、まともな水を飲め。

 いくらお前が頑丈でもあんながぶがぶ呑んだら身体に悪いぞ」


 うーうー唸るくるいに、アリスは呆れ顔で水が入ったペットボトルを手渡す。

 水着の腰にかけた《遺物》の革袋から取り出したものだ。

 付け加えるなら、《レガリア》である王剣ヴォーパルも下げている。

 格好こそ水着ではあるが、冒険前提の装備だ。

 アリスだけではなく、他のメンバーも例外なく武装していた。


「さて、海を満喫するのは良いが先ずは仕事を片付けようか。

 くるい、魔力はどう感じられる?」

「んー、ちょっと待ってね」


 ペットボトル一本をあっさりと飲み干し、くるいはけふりと息を吐く。

 空のボトルはマヒロが回収し、手ぶらになった彼女は意識を自身の知覚に集中する。

 《迷宮児》として備わった、常人では及びもつかない異能の感覚。

 それは海辺に漂う魔力の流れを即座に捉えた。


「……海。うん、魔力は海の方から流れて来てる感じだね」

「それは沖の方からか?」

「どっちかって言うと、下の方からかなぁ」


 指差した先はたゆたう海の中。これが意味するところは。


「《扉》は海中に存在していると。これは存外、厄介なのでは?」

「潜らねばならないワケだからな。

 一応、我は水場の戦闘訓練は積んでいるから問題無いが」

「そうですね。実戦経験はそれほどでは無いですが、私も訓練ならば……」


 呑気な口調で状況を評価する宰相に、レーナとアレクトが真っ先に反応した。

 海が存在しない《アンダー》ではあるが、水場の地形は意外と多い。

 帝国の将である二人は、実戦の機会は少なくとも訓練は十分以上に積んでいた。

 彼らと同じく、迷宮育ちのくるいも頷く。


「ワタシも湖に潜って殴り合うぐらいはよゆー。

 アリスはどう?」

「侮るなよピチピチの小娘め。

 迷宮で私に戦えない場所はなく、水の中も当然例外ではない。

 《扉》が水中にある可能性は考慮して、水中呼吸の《遺物》も人数分用意してある」

「さっすが《迷宮王》様、その辺りは抜かりないねー」


 子供の素直な称賛を受け、アリスは完璧なドヤ顔を披露する。

 《遺物》があれば溺れる心配がないのはありがたい。

 ただ、残る二人は。


「……泳げはしますけど、水の中で戦ったりの経験は無いですね」

「私は、そもそも泳いだ経験が……」


 マヒロとステラ。お互いの顔を見合わせ、やや申し訳なさげに申告した。

 分かっているとばかりに、アリスは鷹揚に頷く。


「ま、必要が無いなら水場での戦闘なんて避けるべきだからな。

 そういえば、少年の《転移》能力は水中では使えるのか?」

「言われてみると、試した事なかったですね。

 少なくとも視界が通ってないと《転移》は出来ないので、距離はかなり縮まるかと」

「陛下は水に入る必要など基本ありませんでしたからね。

 泳ぎの経験が無いのは致し方ない事です」

「お恥ずかしい……」


 初めての迷宮の外での冒険で、水中での活動も初めてだ。

 前途多難ではあるが、こればかりは仕方ない。

 困難でない冒険などあり得ない事は、マヒロ自身も良く分かっている。

 袋から人数分の指輪──《遺物》を取り出しながら、アリスは全員を見渡す。


「さて、先ずは準備だな。

 水の経験はあれど、帝国組は海自体は初体験だろう。

 かくいう私も、地上の海で潜った経験は流石に数えるほどしかない。

 初心者二人と同じく、全員海に慣れるところから始めようか」

「そうですね、私もアリス殿に賛成です」

「うむ、異議は無いぞ。陛下もおられる以上、やはり安全第一だ」

「無茶するのがデフォのアリスが真っ当なこと言ってる……」

「流石に必要のない無茶はせんし、今は別に無茶するところではないからな??」


 割とガチめに「こわ……」とか言い出すくるいに、アリスも堪らず抗議した。

 どうあれ、誰も《迷宮王》の方針に異論はなかった。

 渡された水中呼吸の指輪をしっかり身に着ける。


「全員、指輪は装備したな? 持ってるだけでは効果がないから注意せよ」

「はーい、大丈夫ですせんせー」

「別に先生ではないぞ」

「いや、今のはちょっと先生っぽかったですよ」

「む、そうかね?」


 くすりと笑うマヒロに、アリスは微妙に照れたような顔をした。

 その横で、レーナは早速とばかりに水にもぐる。

 彼女も剣を背負っているが、泳ぐ動作には全く支障は無いようだ。

 海水は初体験のため、少しばかり鬱陶しそうだが。


「どうですか? レーナ」

「あぁ、慣れぬせいか多少泳ぎ難いが、これぐらいなら問題ない」

「であれば、もうしばらく泳げば完全に慣れそうですね」

「うむ。ところで、父上は泳がんのか?」

「そもそも私、ついて行く必要ありますかね?」


 一人、水着ではなくアロハシャツな宰相である。

 水中呼吸の《遺物》は渡されてはいるが、波打ち際で孤独に佇んだままだ。

 確かに、宰相はこの場ではほぼ唯一の非戦闘員。

 これから挑むのは、どんな危険が潜むかも分からない海中の《扉》探しだ。

 むしろ同行した方が危なそうなのは確かだが。


「……ですけど、付いて来ないとこの場で独りで留守番になりますよ?」

「問題はそこですよねぇ」


 マヒロが指摘すると、悪い眼鏡は苦笑いをこぼした。


「父上のお守りに戦力を割いても仕方なかろう。

 気は進まんが我が守ってやるから、観念してこちらに来るといい」

「はっはっは、仮にも実の父に向かってなんという言い様でしょうねぇ」

「……もしかして、泳げなかったりしますか?」

「…………」


 笑って誤魔化そうとする宰相に、ステラがぽつりと呟いた。

 反論は無し。心なしか、顔色も若干悪いような気も。

 どうやら図星であったようだ。


「……まぁ、概ね陛下と同じですね。

 私はあくまで文官ですし、わざわざ水に入る方法を身に着ける必要は……」

「ご託は良いから、さっさと水に慣れろ。くるい、許すから引きずり込め」

「りょーかい。さぁ、抵抗は無意味だよカナヅチ眼鏡め」

「暴力反対……!!」


 どれだけ屁理屈をこねようと、残念ながら圧倒的なパワーの前には無意味だった。

 冒険前だとは思えないぐらいに和やかな時間。

 マヒロもステラも、その場の全員が素直に楽しんでいたが。


「……お待ちを」


 不意に硬い声でアレクトが囁く。

 腰に下げた刀の柄に手を置き、視線は鋭く浜辺の向こうへ。

 人のいない孤島を覆う、深い緑を見ていた。


「どうした、アレクト」

「人の気配がします。それも複数。足音はこちらに近づいて来ます」

「……ここ、無人島っていう話ですよね?」

「《組合》の情報に嘘が無ければそのはずなんだがな」


 アリスは応じながら、王剣ヴォーパルを半ば抜き放つ。

 まだ武器は抜かず、マヒロはいつでも己の《転移》の権能を行使出来るよう身構えた。

 屋敷で雇われた《百騎八鋼》に襲撃されたばかりだ。

 《組合》からの依頼を知り、再び刺客が寄越された可能性は十分ある。

 あるいはそもそも、この島に開いた《扉》自体が罠だったか。

 緊張が高まり、先ほどの和やかだった空気から一変する。

 アレクトが隙なく見張る中、微かに浜辺近くの木々が揺れて……。


「……あれ、夜賀か? お前、なんでこんなとこに?」


 木の枝をかき分けながら姿を見せた人物。

 敵意はなく、やや戸惑った様子で首を傾げている。

 名を呼ばれたマヒロは、見知った相手の名前を驚きと共に口にした。


「……斎藤?」

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