第96話:欠けた星の円卓


 迷宮において、『空洞』とは特別な意味を持つ。

 全てが厚い壁と低い天井に囲われた地下世界で、『広い空間』はそれだけで稀少だ。

 多くの人間が生活しようと思えば、一定のスペースは必ず必要となる。

 故に『国』を興すには、王器たるレガリアと領地にするに相応しい空洞が必須だ。

 自然に生じた空洞は迷宮の神々がもたらす恵みと解釈され、信仰の対象となるほどだ。

 帝都レムリアは、深度『七』までに存在する最大規模の空洞、その中心に位置する。

 本来は《アンダー》では建造不可能な高層建築も、帝都には幾つも存在する。

 中でも最も巨大なのは、帝都──いや、《汎人類帝国》の真の中枢。

 大空洞の底から天辺までを貫く、長大な塔に似た城塞。

 《地の柩ナピシュテム》と呼ばれるその名の由来は、古い賢人たちも知らない。


「まったく、由々しき事態だ」


 塔の丁度真ん中辺り、複数の階層に等しい空間を持つ《星の玉座》。

 御簾に隠された皇帝の座と、一段低いところに置かれた十の席を用意された円卓。

 壁に幾つもかけられた絵画たちは、帝国の歴史を描いたものだ。

 散り散りだった七つの王国を一つに束ね、人類全ての『祖国』を築いた偉大なる皇帝。

 刻まれた《人類皇帝》の偉業の中、集うのは輝かしい綺羅星たち。

 重々しく口を開いたのは、円卓の席に座す全身甲冑姿の男。

 灼熱の色合いを宿す鎧は竜の意匠が施され、一見すれば美術品と見紛う出来栄えだ。

 しかし装甲には消えない傷が幾重にも刻まれ、それが戦で磨かれた物だとわかる。


「カルマン大隧道が落ちたそうだな。これで帝国の要所が陥落したのは幾つ目だ?」

「把握しているだけでも既に四つ。

 未だに《円環》の動きは抑えられず、どれほどの被害が出るのか。

 貴方に言われるまでもなく、この場にいる誰もが理解している事ですよ。

 ガルガリオン竜伯殿」


 唸る甲冑の男──ガルガリオン竜伯に対して。

 歌う鳥の如き美しい声音で応じたのは、丁度向かい側に座る女だ。

 青白い女だった。身につけた肌も露わなドレスも、彩る無数の宝石飾りも。

 その肌すらも青白く、髪と瞳は青みがかった銀の輝きを放っている。

 ゾッとする人外の美貌を笑みの形に歪め、女は囁く声で続ける。


「私のヘルヘイムも氷華大橋を破壊され、大規模な物資輸送が困難となってしまった。

 我が国の環境を考えれば、それが一体どれほど致命的か。

 故に私は、この場で他の星々に慈悲を乞わねばならぬ。

 民を飢えさせる事ほど、為政者にとって不名誉な事もあるまい」

「……無論、我がヴェルギナ竜王国は、ヘルヘイム霧氷国への援助は惜しまぬつもりだ。

 他国の民とはいえ、我らは同じ帝国の旗の下にある者同士。

 同胞として遠慮なく申してくれ、シャルトルージュ氷大公殿」

「おや、嬉しいお言葉ですね」


 ガルガリオンの言葉に、青白い女──シャルトルージュは艶やかに微笑む。

 永久に凍りついたはずの花が、春の訪れと共に綻ぶような笑みだった。

 その美しさに惑わされ、破滅した男は果たしてどれだけいるのか。

 恐らくシャルトルージュ本人すら把握はしていまいと、ガルガリオンは身を震わせる。


「……お寒いやり取りは結構だが、もっと具体的な話をしてぇもんだ」


 竜伯と氷大公のやり取りの横で、聞こえよがしにため息を吐く人物。

 身体の要所のみを守る薄汚れた装甲に、顔や腕など覗く肌に刻まれた戦傷の数々。

 黒髪は光を照らし返さぬ暗闇、瞳は赤々と燃える鬼火の色。

 見た目は年若く、竜伯と氷大公を相手に礼儀を知らぬような物言いだが。


「具体的な話、と言いますと? 古の勇者キュクレイン」

「国土を荒らし回っている《円環》にどう対処するかって話だよ。

 まさか、《十星》が雁首揃えてお喋りしに来ただけなんて事もねェだろ」


 獣のように鋭い犬歯をむき出しにする男、キュクレイン。

 彼に対し、一国の主であるシャルトルージュは無礼を咎めるような真似はしなかった。

 むしろ語る声には、分かりやすいほどの敬意を込めて。


「無論、それを決めるための御前会議なれば。

 一番槍は戦士の国たるヴァルホルン戦狼国、最強最古の勇者たる貴方が務めますか?」

「年寄りとしては戦功を譲るのが筋なんだろうがな。

 小僧どもの腰が引けてるって言うなら、それもありだな」

「……それは聞き捨てなりませんな、キュクレイン殿。

 我ら竜の血が、迷宮を彷徨うばかりの怪物を恐れていると仰られるのか?」


 竜と交わり、竜を従えるが故に七王国最強との呼び声も高いヴェルギナ竜王国。

 その頂点にして最強の英雄こそがガルガリオン竜伯だ。

 血の濃さを示す竜眼を兜の奥で光らせ、帝国で最も古い勇者を睨みつける。

 稲妻にも似た眼光を、キュクレインは燃える眼で受け止めた。

 ギシリと空気が軋む音を、シャルトルージュは実際に聞こえた気がした。


「両人とも、矛を収められよ。ここは帝国の中心たる《星の玉座》。

 この場を戦で穢す事は、帝国の歴史そのものを穢す事になりますぞ」

「……ルドルフか。若造が、この俺に歴史を説くかよ」


 厳しい顔で仲裁の横槍を入れた白髪の男に、キュクレインは唇の端を歪める。

 帝都レムリアを守護する帝国軍の頂点、ルドルフ元帥。

 先帝の弟に当たる彼であっても、古き勇者からすれば小僧扱いだ。

 ルドルフは内心に湧き出た不快を押し殺す。

 政には関わらず、ただ『矛』としてある事だけを己に任ずる骨董品。

 キュクレインに対する侮蔑の情は、少なくとも表向きに出す間抜けはしない。


「帝国が誇る偉大な戦士たる貴方だからこそ、歴史の重みは十分理解しておられるはずだ」

「別に揉め事を起こしたいワケじゃない。そうだろう? ガルガリオン」

「……あぁ、言われるまでもありませんな。

 キュクレイン殿のお戯れが過ぎる故、それを咎めたまでの事」

「悪いな、ガキをからかうのは年寄りの数少ない楽しみの一つなんだ」


 くっくと喉を鳴らす戦狼に、ガルガリオンは不承不承に頷く。

 戯れなどと言っておきながら、実際に矛を交える時は喜々として受けて立ったはず。

 さながら抜き身の刃に似た在り方は、《十星》の中でも異質なものだった。


「……ま、キュクレイン殿の悪癖はどうでも良いがよ。

 儂としても、クソ忌々しい《円環》をブチ殺す算段を早く付けたい」


 地の底からふつふつと沸く溶岩の如く、激しい憤怒を帯びた声。

 両手の五指全てに、色の異なる宝石の指輪を嵌めた赤毛のドワーフ。

 髪と同じ色の髭を太い指でしごき、怒りで焼けた言葉を続ける。


「アダマシア鋼鉄王国は、同胞を殺した敵を決して許さん。

 例え最後の一兵になったとしても、儂らは必ずや憎き敵を討ち滅ぼす。

 仮に他のどの国にやる気がなくとも、我が国だけでもやり遂げる。

 これは父祖の名に懸けた絶対の誓いだ」

「輝石将イズマル殿も、気持ちは分かるがどうか冷静になられよ」

「冷静? 冷静と言ったかルドルフ?

 帝都の守護などと言うて、安穏としたレムリアから離れぬ貴様には分からぬだろうがな。

 同胞を殺され国土を凌辱されておると言うのに、何が『冷静になれ』だっ!!」


 吐き出された怒号は、それだけで地を揺るがすほどの衝撃を伴っていた。

 実際に円卓や室内の絵画はビリビリと揺れ、イズマルの怒りの激しさを示している。

 並みの人間であれば怯むどころか、気を失ってしまいかねないだろう。

 しかしルドルフもまた《十星》の一人、この場に並び立つ者たちと同格なのだ。

 纏う軍服に乱れなく、堂々とドワーフの将を見下ろしていた。


「国難の時なればこそ、帝国を導く星たる我らが足並みを揃えねば。

 貴方や鋼鉄王国だけが先走って、それで忌々しき《円環》に勝てるとでも?」

「我らには誇りがある! 勝ちだの負けだのと惰弱な事を……!」

「……勝敗こそ、戦に挑むならば最も重要な事でありましょうに。

 それを『知らぬ』と言うのは、貴方の立場を考えれば無責任が過ぎるのでは?」

「何だと……!!」


 クスクスと笑う女の声に、イズマルは頑然と睨みつける。

 向けた視線の先に座っているのは、ゆったりとしたローブを纏った一人の女。

 長く伸ばした赤茶色の髪を、綺麗な三つ編みに纏めた妙齢の美女。

 流石に美しさではシャルトルージュに劣るが、人目を引く特徴が一つ。

 額に開いた第三の眼。飾りではなく、実際にキョロキョロと眼球が動いている。

 普通に両目は青色で、額に開いた眼だけが濃い緑色を宿している。

 そんな三眼の女は、憤怒に燃えるイズマルの眼を真っ直ぐに見つめ返す。


「貴様に戦の何が分かると言うのだ、カルラ!!」

「私は軍師なれば、政よりも戦こそが本領では御座いますな。

 いやはや、偉大な将たるイズマル殿にあまり偉そうな口は聞けませぬがね」


 帝国軍の軍師であり、ルドルフ元帥の片腕。

 そして彼の『腹違い』の姉であるカルラは、老将を嘲るように喉を鳴らした。


「けれどもし、鋼鉄王国が玉砕を選ぶのであれば先ずは私にご一報を。

 あなた方の『尊い犠牲』を勘定した上で、次なる戦術を練らねばなりませぬ故」

「ッ、我ら鋼の勇士らを愚弄する気か貴様……!」

「……やれやれ、この調子じゃいつまで経っても話が進みやしないねェ」


 ざらりと、流れる砂を思わせる渇いた老女の声。

 椅子に埋まるように深く腰掛けた、幼い子供と大差ない矮躯にボロを纏った老婆。

 力などとは無縁そうな姿にも関わらず、声に込められた『重み』たるや。

 怒りを露わにしていたイズマルも、からかっていたカルラも。

 そしてその二人以外──キュクレイン以外は、思わず息を呑んだ。


「アタシらも別に暇じゃあないんだ。

 ルドルフの坊やも、口の悪い姉に喋らせるに任せておくんじゃあないよ」

「……これは失礼しました、《魔女王》殿」


 僅かに掠れてしまった声に、ルドルフは内心では舌打ちをしたい気分だった。

 国家と呼べるほどの纏まりはなく、けれど決して無視できない力を持つ帝国辺境。

 それらを一纏めにブロッケン辺境国という形に押し込めている怪物。

 真名を他者には明かさぬが故、ただ《魔女王》とだけ呼ばれる最古の女怪。

 彼女の横では、同じく辺境国の将たる『鬼』が沈黙のまま座していた。

 浅黒い岩に近い皮膚に、金剛石の如く鍛え上げられた五体。

 顔は表情の描かれていない無貌の面で覆い、頭には《迷宮児》に似た一対の角。

 用意された席は、円卓に並ぶ者の中で一番大柄な体躯を乗せるには随分心もとない。

 《魔女王》の『伴侶』であるガランダは、妻に求められない限り決して口を開かない。

 面のせいで何を考えてるかも分からない鬼は、ただ不気味に沈黙し続けていた。


「《円環》が酷く荒らし回っているというのに、皇帝陛下も宰相殿も不在。

 それだけならまだしも、我ら《十星》の筆頭たるレーナ殿まで姿が見えぬとは。

 はて、これは如何なる事態なのか説明を求めて構わぬのかえ?」


 十ある円卓の席。その内二つの空席を、古き魔女はシワに埋もれた眼に映した。

 剣腕においては帝国最強とも名高かった《剣鬼》の出奔。

 その事態から間を置かず、《十星》筆頭たる近衛騎士長まで姿を消してしまうとは。


「無論です、《魔女王》殿。此度は何も《円環》の事だけではない。

 このルドルフの名で皆を呼び集めたのは、それについて詳しく説明するためでもある」

「ほう?」


 勿体ぶった言い回しに、キュクレインが片眉をぴくりと揺らす。


「同じ《十星》とはいえ、七王国の代表である俺らは帝都から見れば所詮は外様だ。

 一体何が起こってるのか、詳しく聞かせて貰えるんだろうな?」

「ええ。まったく許されざる行いであり、それを阻めなかったのは全て我が身の不徳。

 しかし、同胞たる皆に偽りを説く事こそ大いなる裏切りだ。

 故にこれより語る事は、全て公正なる真実である事を父祖の名において誓おう」

「……公正なる真実、ね」


 これほど白々しい言葉はない、と。

 シャルトルージュは凍てついた美貌に、皮肉げな笑みを刻んでみせた。

 ちらりと、視線を僅かに動かして《魔女王》の様子を窺う。

 深いシワに埋もれた顔は、どんな表情をしているのか傍目からは判じがたい。

 少なくとも今は、ルドルフの言い分を大人しく聞くつもりではあるようだった。


「宰相殿──いや、逆賊アルヴェンは、恐れ多くも皇帝陛下の御身を拐かした。

 その娘である《十星》筆頭、レーナ殿もこれに協力していると見て良い」

「そいつが事実だとしたら、建国以来のいち大事だぞ」

「仰る通りだ、イズマル殿。が、話はそれだけでは終わらぬ」


 訝しむ輝石の将に、口にするだけでも苦渋の決断だとばかりに。

 顔を苦虫をすり潰した後みたいに歪めて、ルドルフは言った。


「アルヴェンめは、卑しくも我が兄にして偉大なる先帝を殺めた大敵。

 恐るべき《円環》と手を結び、《汎人類帝国》を滅ぼさんと画策しているのです──」

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