第95話:愚かなる獣
カルマン
帝都レムリアを中心とする『深度』7へと通ずる門の一つ。
現在は帝国に連なる七王国、勇壮なドワーフたちのアダマシア鋼鉄王国の支配下にある。
鋼鉄王国でも最も重要な拠点でもある大隧道には、常に大量の戦力が配置されている。
矮躯なれど精強な、自ら鍛えた鋼を身に纏うドワーフの戦士たち。
彼らが組み上げ、帝国の魔法使いたちが仮初の生命を吹き込んだ鉄巨人の群れ。
更には飼い慣らされた戦獣たちに、仕掛けられた数々の罠。
命知らずの冒険者たちが突破を試み、そのほとんどが志半ばで倒れた難所中の難所。
《隧道潜り》の称号は、本当にごく一部の優れた冒険者しか持たぬ栄誉だ。
「進め、下がるなっ!! ここを抜けられたらもう後が無いぞ!!」
「休眠中の予備まで含めて全部出せ! これ以上は持ち堪えられんぞっ!!」
「ザンダル二番戦隊長討ち死に! 麾下の部隊も壊滅状態です!」
「七番から十二番までの鉄巨人、突破された! 構えろ、来るぞ……!」
しかし今、その最難関たる恐るべき迷宮にて。
響き渡るのは、無惨に死に逝く戦士たちの悲鳴と怒号、戦いとも呼べぬ殺戮の音。
『ヒヒヒ、ギャハハハハハハハハハハハハハハハ────ッ!!』
そして、あまりにも耳障りな下劣畜生の狂笑。
あちこちで炎が燃える隧道の奥へと、駆け抜けるのは一匹の巨影。
ぱっと見ただけならば、それは大柄な虎に見えた。
猫科の四足獣の持つしなやかで優美な身体は、莫大な力を宿した王者の威容。
毛皮に浮かぶ縞の模様は、どこかうねる炎にも似ていた。
長く伸びた尾は半ばから変化し、蠍に似た形状で先端には槍の如き針も備えている。
頭から伸びた四本の角は、さながら戴く王冠のようで。
『雑魚が! どいつもこいつも雑魚雑魚雑魚っ!!
弱過ぎてお話にならねェじゃねーかよオイ!!』
王とも呼ぶべき獣ながら、牙の隙間から迸る言葉には品性の欠片も存在しない。
醜悪、猛悪。まともな感性の人間なら、誰もが顔を顰める下衆の極み。
それを恥とも思わぬ精神こそが最も醜いのだと、この怪物は知りもしなかった。
ただ持てる力を棍棒も同然に振り回し、そこにある全てを蹂躙していく。
「くそっ、化け物が……!!」
「ここからは我らが相手を──!!」
『邪魔ァ!!』
鎧袖一触。分厚い甲冑で、ほぼ鉄の塊と変わらないドワーフの騎士たち。
大鎚や槍を構えて迎え撃った彼らを、異形の虎は前足の一振りだけで蹴散らした。
吹き飛ぶ騎士たちに、駄目押しとばかりに吐き出される燃える吐息。
鉄すら溶かす高温の上、その息には硫黄と毒すら含まれている。
頑強さで知られるドワーフであっても、まともに浴びればただでは済まない。
皮膚を焦がす炎と内臓を食い荒らす毒。
二つの苦痛でのたうち回るドワーフの頭を、虎は無造作に踏み砕いた。
『ハハハハハハ! あー、雑魚をブチ殺すのは楽しいなぁ!!
勝てない事ぐらい、テメェらの足りない脳みそでも十分分かるだろうによぉ!!
蟻が群がってプチプチ潰されるのと同じじゃねェかよ! ギャハハハハハ!』
「っ……化け物、め……呪われし《円環》め……!」
「これ以上、貴様の好きにさせるものかよ……!」
炎に焼かれ、毒に冒されて。
もう間もなく死ぬ身体を引きずって、それでもまだ折れない戦士たち。
数は全て合わせても十を少し超える程度で、それがこの大隧道の生き残り全てだった。
辛うじて無事な鉄巨人が三体、戦士たちの壁として立ちながら虎を囲う。
虎──《十二の円環》、蠍の座を担うバルビエル。
決死の覚悟を抱くドワーフらを、獣は醜く顔を歪めて嘲笑った。
『死にかけが何匹も集まって、どうするつもりだ?
そんなに自殺がしたいんだったら、しょうがねェから付き合ってやろうか?』
「……《円環》よ、一つ問う。貴様は何ゆえ、この地を襲ったのだ」
『あ? 何で襲ったかって? そりゃあ頼まれたからだよ』
「頼まれた、だと? 一体誰に」
『そいつを今から死ぬお前らに教える意味あんのか?』
苦しげながらも語りかけてくる戦士に、バルビエルは笑いながら応じた。
いつでも、好きな時に全員容易く殺せる。
単なる事実に基づく油断と慢心に、バルビエルは完全に身を浸していた。
わざわざ敵の会話に乗る必要など微塵もない。
にも関わらず、バルビエルは戦士たちを言葉でも嬲って楽しむ気だった。
『さて、お喋りはこれでおしまいか?
別にオレはもうちょい付き合っても良いんだがなぁ。
あぁ、何なら芸の一つでも見せて楽しませてくれたら少しぐらい長生きさせてやるぞ?』
「……お前など、《輝石》の御方がいれば」
今この場にはいない、強大なる《帝国十星》が一人。
鋼鉄王国で最も優れた戦士であり鍛冶師、そしてこの大隧道を統治する大将軍。
『たまたま』帝都に呼び出され、不在のタイミングでこの《円環》が襲って来たのだ。
呪いのように呻く戦士の傍らで、一番年配なドワーフが細く息を吐く。
唯一の隊長格である彼は、勇敢にも──あるいは無謀にも、虎に向けて一歩踏み出す。
《円環》の毛皮から漂う毒気だけでも、耐性の無い人間なら即座に昏倒するほどだ。
瀕死の身体を引きずり前に出た戦士を、バルビエルは小馬鹿にした眼で見ていた。
「《円環》よ、迷宮の神を僭称する愚かな怪物よ。
我々はここで死ぬ。その運命は覆せまい」
『ハハハハ、良く分かってるじゃあないかよ』
「だが、ここにいる誰一人、貴様の慰み者にする気はない」
『? 何を──』
口を開きかけたところで、バルビエルはやっと気付いた。
自身の垂れ流す毒気と硫黄とは異なる、鉄が焼けたのと似た焦げ臭い香り。
前に出てきた隊長だけでなく、他の戦士たち全員から感じる火の気配。
いや、ドワーフたちだけではない。
これほど被害を受けたにも関わらず、未だ無事だった三体の鉄巨人からも。
まさか、などと口に出す暇もなかった。
「我ら死すとも、魂は迷宮の底に!!」
「鋼鉄王国万歳!!」
「《人類皇帝》万歳!!」
誰一人として、臆する者はこの場にはいなかった。
鉄巨人も含めて、我が身に仕込んだのは火の魔力を蔵した《火晶石》の原石。
加工すれば燃料として使える《
たちまち激しい燃焼と空気の膨張による衝撃が、爆発となって大隧道を揺さぶる。
閉所での爆破はその威力が何倍にも増幅される。
過剰な破壊力は隧道内の壁や天井さえも砕き、崩落した岩片が容赦なく降り注ぐ。
轟音が完全に止むまで、しばらくの時を必要とした。
立ち込める煙と舞い上がった土埃。
それらが薄らいだ頃に、蠢く影は一つだけ。
『チクショウが、驚かせやがって……!!』
悪態をつき、瓦礫の山から這い出す虎に似た怪物。《円環》のバルビエル。
鋼鉄王国の勇士たちの決死の自爆も、《円環》を討つには至らなかった。
血を流し、毛皮の一部も焼け焦げているため、決して無傷ではない。
それでも破壊の規模に対して、与えた傷としてはあまりにもささやかだった。
『だが、このバルビエルを殺すにはまるで足りなかったなぁ! 雑魚どもめ!
まったく無駄死にではないか、鋼鉄王国が聞いて呆れるぜ!!』
故に勝ち誇り、バルビエルは亡骸すら残さず死んだ戦士たちを腹の底から嘲笑する。
……完全に崩落した大隧道は、これより先に進むことは物理的に不可能。
彼らが生命を賭して役目を果たした事に、バルビエルはまるで気付かなかった。
『……ん? そういえば隧道は崩れたが、オレはこっから何をすれば……』
「……随分とはしゃいでおられるようですね。バルビエル。
一体こんなところで何をなさっているのですか?」
血と肉の焼けた死の臭いが立ち込める場所に、あまりにそぐわない涼やかな声。
良く知る少女の声を聞いた瞬間、バルビエルの頭から疑問は欠片も残さずに消し飛んだ。
『おぉ、ハマリエルか! お前こそこんなところでどうした!?』
「失礼ですが、質問に質問で返されるのは……」
『そんなにオレの事が恋しかったのか! ハハハハ、可愛らしいウサギだなぁお前は!』
「…………」
バニーガール姿の美しい少女。
バルビエルと同じく《円環》の一角、処女(おとめ)の座を司るハマリエル。
普段、顔から窺える感情の乏しい彼女だが。
「……バルビエル、先ずはこちらの話を」
『いやいやみなまで言うなよ分かっているぞ!
お前はいやらしいウサギだ! オレの肉が欲しくて堪らぬと泣きつきに来たんだな!』
「…………」
手前勝手極まりない妄想を垂れ流され、温度のない顔があからさまに歪んだ。
そんな相手の様子も一顧だにせず、欲望に眼をギラつかせるバルビエル。
興奮し過ぎて言葉が耳に入らない同胞に、ハマリエルはため息一つ。
「イキり立っていないで、落ち着きなさい。バルビエル」
『ガアァァアァァァァァァァ────!!』
吠え立てながら、バルビエルが飛び掛かるのと。
ハマリエルがいつの間にか取り出した短剣で、自身の喉を裂いたのはほぼ同時だった。
流れる真っ赤な血から、迅速に姿を現す異形の獣。獣剣ジャバウォック。
欲情して頭が沸騰した虎の脳天に、岩のような拳が炸裂した。
『ッ、ギャアァァァ!?』
「落ち着きましたか?」
淡々と主人が告げる間も、ジャバウォックは拳を振り下ろし続ける。
大隧道が崩落する爆発にも耐え切ったバルビエル。
その恐るべき《円環》の肉体が、あっという間に真っ赤に染まっていく。
抵抗の余地すらなく、バルビエルは無力に悲鳴を上げた。
『待てっ、待ってくれ!! ハマリエル、冗談だ! だからやめてくれぇ……!』
「まったく」
再びため息一つ。バニーガールが片手を上げると、ジャバウォックはぴたりと止まる。
ボロ雑巾になったバルビエルは、情けなく震えながら身を起こした。
ハイヒールで汚れた毛皮を踏み躙り、ハマリエルは改めて問いを投げる。
「それで、何をしているのですか?
貴方があまりに騒がしく、安眠妨害だとマルキダエルからクレームが来ています」
『お、オレは頼まれた事をやってるだけだ』
「誰に何を頼まれたと?」
『ルドルフだ。帝国のルドルフ!
あいつはオレに、「自分の指示する場所なら好きに襲って良い」と言ったんだ!』
その態度は、悪戯を自慢げに披露する子供と大差はなかった。
ハマリエルは顔をしかめる。
「《円環》ともあろう者が、まさか人間にいいように使われているのですか?」
『いいや、オレがルドルフの奴を利用してるんだ。
アイツはオレを馬鹿で間抜けだと思ってるようだが、そうは行くかよ!
今は大人しく従っているフリをしてるだけだ!』
「……そうですか」
正直、どっちもどっちだろうと思いはしたが。
それを口に出す意味はないと判断し、ハマリエルはそれ以上は言わなかった。
バルビエルの方は、自分の吐いた言葉に興奮し始めたようで。
『そうだ、アイツはオレを使って《コウテイ》になると言っていた。
あぁ、オレは知ってるぞ。この《アンダー》で一番エラくて凄い奴。
それが《コウテイ》なんだろう?
十年前、オレが殺した奴も《コウテイ》とか名乗っていたから知っているぞ!』
「……あぁ、そういえば貴方も《迷宮戦争》で《人類皇帝》と戦った一人でしたか」
『オレが殺した! オレがあの《コウテイ》とかいう奴を殺したんだ!』
癇癪を起こしたようにがなり立てるバルビエル。
ややうんざりした顔で、ハマリエルは口を閉ざした。
それをどう受け取ったのかは、恐らく当人以外は分からないだろう。
恍惚とした表情で、虎は醜悪な笑みを浮かべる。
『そうだ、オレが《コウテイ》を殺した。
だから迷宮で一番スゴくて一番エラい奴はオレであるべきなんだ。
《コウテイ》になるのはルドルフじゃあない、オレこそが《コウテイ》だ!!』
「……ま、言うだけはタダですからね」
ゲラゲラと笑う同胞──あまり認めたくないが──に、興味も無さげに吐き捨てる。
ルドルフとやらがどんな人物か知らないが、愚かな事をしたものだ。
力は強いだけの馬鹿なら、いくらでも操れると考えたのだろうが。
「本当の愚か者は、『何も考えていません』からね。
駆け引きとは、それを理解出来るだけの知能を持たない相手には通じません。
……あるいは、《汎人類帝国》もこれで終わりかもしれませんね」
それはそれで、なかなか華々しい祭りとなる事だろう。
妄想で機嫌良く声を上げて笑うバルビエルを、ハマリエルは完全に無視して。
「さて──クレーム処理だけのつもりでしたが、これはどうしましょうかね?」
恐るべき首刈りウサギは、艶やかな唇を三日月の形に歪ませた。
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