第93話:本当の皇帝


「えっ? ステラが本物の皇帝陛下なの?」


 マヒロが口にした真実に、驚いたのはくるいだけだった。

 アリスとアレクトは何も言わず、名を呼ばれた侍女──ステラの方を見た。

 視線を受けながら、少女はゆっくりと頭を下げる。


「やはり、気付いていたんですね」

「ええ。確信したのは、ルカが君を狙っていたからだけど」


 彼女が本当にただの侍女であれば、わざわざ身柄をさらう必要なんてない。

 ラケシスだけで足止めに徹し、貴重な戦力を割いてまで仕掛けた理由。

 それが『本命』を逃さないためだという事ぐらいは、簡単に想像がついた。

 自分が言うより早く、秘密を明かされた皇帝──いや、皇帝と名乗った少女の方は。


「何だ、よもやバレバレであったとはな。

 まぁ当然か。ところどころ怪しいというか、ボロは出ておったしな」

「貴女は良くやってくれていましたよ」

「褒めても何も出ないぞ、宰相。いいや、父上?」

「父上?」


 そちらは流石に予想出来なかったので、マヒロも驚いた声をこぼした。

 金色の少女はニヤリと笑って。


「では、改めて自己紹介をしようか。

 我の名はレーナ、本来の身分は《十星》筆頭、皇帝直属近衛騎士団長。

 ついでに言えば、そこのボンクラ宰相の娘だ」

「はい、自慢の娘ですよ」


 はっはっは、と笑ってレーナの肩にぽんと手を置く宰相閣下。

 並んでみても、何というか親子というのが信じ難いレベルで似ていない。

 その横で、ステラも控え目な笑みを浮かべていた。


「ありがとう、レーナ。慣れない事をさせてしまって」

「なぁに、陛下のためならば我が身など幾らでも差し出しましょうぞ!

 本音を言えばなかなか楽しかったですしな」

「確かに、色々と凄く楽しそうでしたね……」

「……私も、そちらのレーナ殿が偽の皇帝だとは、ラケシスの言動で気付いたが」


 床を這う芋虫を見下ろしつつ、アリスは呟く。


「明かして良かったのか?

 例え気付かれていたとしても、明言せねば誤魔化しようはあったろうに」

「……今更と言われればそれまでですが。信頼の証、と思って下さい」


 疑問に対し、応えたのはステラだった。

 少女の何かが変わったかと言えば、特に何かが変わったわけではない。

 それでも、ほんの僅かに先ほどまでとは違っている。

 恐らくはこれが、《人類皇帝》としての顔なのだろう。

 薄いヴェールに似た神秘性が、ステラの全体を薄く覆っているような感覚。

 ありふれた服装さえも、今の少女が纏えば儀礼用の正装に思えてくる。


「宰相の口にした通り、我々にとっての『敵』はハッキリしました。

 そして、あなた方は信頼するに足る『味方』である事も。

 ……いえ、この言い方はあまりに傲慢過ぎますね」


 苦笑いをこぼし、ステラは小さく首を横に振る。

 居住まいを正して、リーダーであるマヒロの方にまた深く頭を下げる。


「我が身と、我が臣らの身命を救って頂き、心より感謝致します。

 そして願わくば、あなた方の矛と盾で我らにご助力頂きたい」

「……とりあえず、顔を上げて下さい。えっと──陛下」

「どうか、私のことはステラの名でお呼び下さい。マヒロ様。

 今の私は玉座も冠も持たぬ身ですから」


 儚い少女の微笑みは、夜空に瞬く星の光にも似ていた。

 少しドキリとしてしまったら、何故か横からアリスに肘で突かれてしまった。

 別にやましい気持ちはないのだが、誤魔化すように咳払いを一つ。


「分かりました、ではステラさん……と。後、俺の事は呼び捨てで構わないので」

「ありがとう御座います。けど、貴方は大恩ある方ですから……」

「……そういう事でしたら」


 ほんのり恥じらう仕草を見せるステラに、マヒロは頷くしかなかった。

 何やら珍しいものを見る顔のくるいが、大変気になりはするが。


「それで、皆さんの助けになるつもりは当然ありますが、具体的にはどうすれば……?」

「まぁ、概ねやる事に変わりはありません。

 我々はしばらく地上に留まるつもりですので、その間の護衛ですね」


 と、応えたのは宰相だ。眼鏡の位置を指先でいじりつつ。


「今回、我々が陛下を地上にお連れしたのは、簡単に言えば『誘い出し』ですね」

「誘い出し?」

「そうです。相手が食いつく餌を鼻先にぶら下げて、そのまま引っ張り上げる。

 ルドルフはどうしても次の皇帝の座を自分のものにしたい。

 彼の目的のためにはステラ──今の《人類皇帝》陛下の玉体が必須なのです」

「……以前、帝都を奪っても意味はないと、そんな事を言っていましたよね」

「ええ。真の意味で帝国の頂点に立たんと欲するなら。

 《人類皇帝》の称号と、それを得るための《継承契約》が必要になります」


 《継承契約》。初めて聞く単語だった。

 疑問を含むマヒロの視線を受けて、ステラは小さく頷く。


「《人類皇帝》の力とは、この身に流れる血と、血を縁とする契約によるものです。

 開闢たる始祖から私の代まで、連綿と受け継がれてきた知識と魔力。

 それらを継承する契約を結ぶ事で、初めて《人類皇帝》と呼ばれるべき存在になる。

 この儀式こそが《継承契約》です」

「……なるほど。私も初めて聞いたが、それなら先帝の強大さも納得が行くな」


 僅かな畏怖を込めた声で呟くアリス。

 果たして《人類皇帝》の座が、どれだけの年月を受け継がれているか分からないが。

 それこそ数百年、代々知識と力を継承し続けたのなら凄まじい話だ。

 あまりに途方も無さすぎて、マヒロの想像力では追いつかないぐらいだ。

 であれば、今代の《人類皇帝》であるステラにも、そんな凄い力が……。


「……ですが、私は《継承契約》を完全には終わらせていない身です」


 続くステラの言葉には、悔恨が滲んでいた。

 己の未熟さを、無力さを、少女は呪うように悔いている。

 拳を少し強く握る彼女の傍らで、宰相は気遣わしげに口を開く。


「《継承契約》とは本来、時間をかけて段階的に進めていくものです。

 陛下も幼い頃から、少しずつ儀式を受けておられました。

 儀式を主導出来るのは、その時の《人類皇帝》──つまりは、先帝だけでしたが……」

「……そうか、《迷宮戦争》か」

「ええ。先帝は《円環》との戦いで身罷られてしまった。

 その時点で《継承契約》は終わっておらず、半端な状態となってしまったのです」

「…………」


 だからか、と。マヒロは納得した。

 ステラが自分に自信が無いというか、未熟さを酷く恥じているのは。

 《人類皇帝》の称号を持ちながら、それに相応しい知識も力も持ち合わせていない。

 奸臣どもを掣肘する事も出来ず、地上へ出てくるしか無かった無力な皇帝。

 考えただけで目眩がしそうだった。

 自分と対して歳も変わらなそうな少女が、これまでどれだけ辛い立場にいたか。


「……けど、それならそのルドルフって奴がステラを拉致する意味ある?

 《継承契約》っていうの、不完全でもう進められないんだよね?」

「本来ならそうでしょう。ただ、ルドルフはあれで皇帝の血筋です。

 不完全な状態で止まった契約を、本来の状態に戻す術を知ってる可能性があります」

「残念ながら我らも知らぬし、年若いステラもその知識は持っておらんがな」


 レーナに他意はなかったろうが、反射的にステラは目を伏せてしまった。


「あっ、いや申し訳ない陛下……! 今のはそんなつもりでは……!」

「……どうあれ、現在の契約者である陛下の御身はルドルフには絶対必要です。

 自らも高齢で焦りのある彼は、地上に逃げた小鳥を追う以外に選択肢はありません。

 今回もこの通り、外部で雇った者たちを刺客として送ってくるぐらいですから」

「俺たちはステラさんたちを守り、その手勢を払い落とせば良いと」

「その通りです。何も帝国の全てがルドルフの味方、というわけではありません。

 手駒をそうして使い潰し続ければ、向こうも相応に弱っていくでしょう。

 そして様子を見た上で、我らは再び地下の帝都に戻るつもりです」


 「とても簡単でしょう?」と、宰相は変わらぬ笑顔で首を傾げる。

 それだけではないだろうな、と。

 何の根拠もない直感だが、マヒロは何となく察していた。

 必要な事は口にするが、必要ないと判断した事は己の内に深く沈める。

 短い時間ながら、宰相がそういう人間であるのはうっすらとだが把握していた。

 と、視線の意図に気付かれたか、眼鏡の下に隠れた眼がマヒロを見ていた。

 逆に思考を見透かされそうな気がして、慌てて目を逸らす。

 楽しげに喉を鳴らしている気配に、少しばかりの気恥かしさを感じた。


「──いやしかし、《百騎八鋼》に襲われたと知った時はどうなるかと思いましたが」

「知ったも糞も、父上は出会い頭で殴り倒されていただろうに」

「一応、マヒロ様が《奇跡》で治療を施して下さいましたが。

 大丈夫ですか? 宰相、特に頭は」

「お気遣い大変ありがたく思いますが、その言い方は別の意味に聞こえますぞ陛下」


 皮肉でなく本気で心配されているので、宰相も曖昧な顔をしてしまった。


「……本当に、私も正直ダメかもしれないと覚悟しました。

 ですがアリス様やマヒロ様たちのおかげで、こうして無事に話をする事も出来る。

 重ね重ね、ありがとう御座います」

「そんなに何度も頭を下げんで良いぞ。

 こちらも繰り返しになってしまうが、仕事の内だ。なぁ、少年?」

「はい。仮に仕事でなくとも、仲間ですから。

 あれぐらいは当然です」

「…………」


 ごく自然に出た言葉で、マヒロからすれば本当に当たり前の事を口にしただけ。

 けれど、それを聞いたステラは沈黙してしまった。

 どう返すべきか迷い、悩み、言い知れぬ感情で頬や耳が熱くなってしまう。

 いや、分かる。ステラは十分に理解していた。

 これは喜びだ。ただ一人、足りぬ身で《人類皇帝》の重責を担い続けた少女。

 彼女には、同じ目線で『仲間』と呼んでくれた者などいなかった。

 本人にとっては他愛のない言葉でも、ステラにとっては星の煌めきにも似ていて。


「……? ステラさん? どうしましたか?」

「え、ぁ──い、いえっ、その、何でもありません、から……!」


 赤い顔で慌てふためくステラに、首を傾げるマヒロ。

 少年少女の初心なやり取りを、周りは優しげな眼で眺めていた。


「まったくウチの少年は、ホントにそういうとこだぞ?」

「ワタシ気付いたんだけど、マヒロって基本誰にでも優しいよね」

「レーナ、気持ちは分かりますが落ち着きなさい。

 水馬ケルピーに足を引かれますよ」

「いや父上、こればかりは止めてくれるな。問題があってからでは遅いのだぞ!」


 何故か妙な騒がれ方をしている気がする。

 とりあえずつつくとやぶ蛇だと判断し、マヒロは無視する事にした。

 ステラの方もそちらはスルーし、こほんと咳払い。


「……それと、アレクト」

「ひゃいっ」


 気配を限りなく無に薄め、芋虫となったラケシスを見張るのに専念していたアレクト。

 未だ変装したままだが、名を呼ばれてつい上擦った声で返事をしてしまった。

 彼女だけは、最初の時点で気が付いていた。

 バレては拙いとひたすら口数も減らしていたわけだが……。


「私のこと、ずっと気にかけてくれていましたね。感謝します」

「いえ、そんな……如何に出奔した身なれど、臣として当然の事を……」

「──おや、今アレクトと呼ばれましたか?」


 宰相がまた悪い顔をしていた。

 思わず身を硬くするアレクトに構わず、蛇の如くにこやかに。


「森林王国から『永劫宮廷の《愛》を単独で追った後に消息不明』とだけ聞きましたが。

 何故に《十星》の一角であり、森の影と謳われた忍びの者たるアレクト殿がここに??」

「い、いや、その、これにはワケが御座いまして……」

「あぁ! もしや我々に先んじてルドルフの企みを看破し、地上で身を潜めていたと?

 私が陛下と共に帝都を脱するところまで見越していたとは!

 いやはや流石、先帝陛下のお母君、陽炎姫様と血を同じくする森の英傑!

 私のような若輩者の考えなど、全てお見通しで御座いましたか! 感服しました!」

「ひぇぇぇ……」

「父上、父上。勘違いのゴリ押しでなし崩しに不問に付すつもりなのは分かるがな。

 アレクトの奴、ビビり過ぎて泣きが入ってるぞ」


 最早声に物理的な圧力を感じそうな勢いの宰相。

 その前で小さくなってしまった同僚に、レーナは哀れみの目を向けた。

 と、宰相の背後に立つ影が一つ。


「ウチのアレクトを泣かす悪い眼鏡は、くるいちゃんが八つに折り畳みます」

「オイオイ死んだな父上」

「そんなあっさり親の命を諦めるのはどうかと思いますよ?

 さてくるい殿、何やら悲しい誤解がありそうなので先ず話し合いを痛たたたたっ!」


 ぐいぐいと容赦なく力を加えるくるいに、抵抗する術は宰相にはなかった。

 苦笑いをこぼし、いつの間にやらマヒロとアリス、そしてステラはそれを眺めていた。


「……で、妾はいつ解放されるのだ?」


 微妙に遠慮がちな芋虫の囁きに、応える者は残念ながらいなかった。

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