第92話:真相


 屋敷から戦いの気配が去った頃には、遠い空の端が白み始めていた。

 結局、捕らえた襲撃犯は四人。

 アリスたちが取り押さえたラケシスに、マヒロとステラが勝利したルカとナキ。

 そしてもう一人、手当てされた状態で森に放置されていた男、コウガイ。


「コウガイめ、足止めは出来たが結局は勝てなんだか。口ほどにもない奴め」

「お前が言える立場か」


 現在、場所は屋敷内にある広間の一つ。

 ガチガチに拘束され、半ば芋虫になったラケシスをアリスは呆れ顔で見下ろす。


「そも、もう戦う気も無い者にこの扱いはおかしくないか?

 妾を散々辱めておいて、挙げ句にこの仕打ちとは!

 ハッ、よもやルカやナキまでこのような扱いをしているのではあるまいな」

「他の《百騎》たちは、武装は取り上げましたが拘束はしていませんよ。

 負けを認めたからか、大人しく軟禁状態です」

「おぉ、そうかそうか。丁重に扱ってくれているなら良いのだ」


 やや芝居がかった言葉にはマヒロが応じる。

 ちらりと垣間見えた安堵の表情も、ただ『作った』だけに過ぎないのか。

 老獪な竜の内心を読むには、まだ人生の厚みが足りなかった。


「……で、それなのに何故、妾だけこうなのだ??」

「だってラケシス、降参してもワンチャンあれば仕掛けてくるでしょ?」


 芋虫の姿で、心底不思議そうに首を傾げるラケシス。

 その傍らに屈んで彼女を指で突きながら、何を当たり前な事をとくるいは肩を竦める。

 事実として、ラケシスはまるで諦めた様子はない。

 勝てぬと判断し、大人しく爪や鱗を剥がれ。

 《レガリア》を一時手放し、無抵抗に全身を縄や鎖でキツく戒められても。

 竜の瞳だけは、変わらず爛々と燃えているのだ。

 その事実を指摘されても、ラケシスはただ愉快そうに笑うのみ。


「そんな事は当然であろう?

 隙を見せた喉笛が目の前にあったなら、それに噛みつかぬ方が道理に合わぬ。

 妾にしてみればこの状況、息抜きで雑談に興じておるのと変わらぬわ」

「…………」


 悪びれもせず、尊大な暴君そのものな堂々とした開き直り。

 マヒロも、《百騎八鋼》という組織を詳しく知っているとは言い難い。

 彼が交流したのは巌とくるい、つい先ほど死闘を演じたルカぐらいだ。

 その上で、床の上を転がる女性が、明らかに《百騎八鋼》としては異質だと分かる。

 戦いこそ我が道と認め、勝敗の結果には大人しく従う。

 そんな『戦士の潔さ』と、竜であるラケシスはあまりに無縁だった。


「気持ちは分かるが、こんな女でも……いや、こんな女だからこそ組織には必要だ」

「アリスさん……」

「巌やくるいを知っていれば分かるだろうがな。

 《百騎八鋼》の連中は、大なり小なり皆ああいうノリだ。

 このラケシスのような良心の呵責も無しに汚い真似を出来るのも、いわゆる必要悪だ」

「……確かに、そうですね」


 アリスの言う通り、組織である以上は常に清廉潔白とはいかない。

 《迷宮組合》にも当然後ろ暗い事はあり、それは他の者には見えにくいだけだ。

 納得して頷くマヒロに、ラケシスは喉を鳴らす。


「おやおや、まさか《迷宮王》様にお褒めの言葉を頂けるとはのう」

「褒めてはいないぞ。そもそもお前は迂闊なんだ。

 そこまで拘束された時点で、本来なら詰みだろうに」

「拘束されるだけと分かっているから、無駄に労力を払うつもりが無いだけだが?」

「そうか。くるい、暴れないよう抑えつけろ。

 十分かと思ったが、もう少し爪と鱗を剥いでやる」

「はーい」

「ええい不必要な捕虜虐待は止せ……!?」

「不必要ではないぞ、屋敷の修繕費の足しになるからな」


 床の上で跳ねるラケシスを、アリスとくるいが二人がかりで取り押さえる。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐその様を、苦笑いと共に眺めるのは。


「さて。申し訳ありませんが、こちらの話をしても?」


 帝国宰相、アルヴェンだ。

 若干ひび割れた眼鏡の位置を指で直す彼は、変わらず胡散臭い笑みを浮かべていた。


「宰相よ、辛ければ横になっていて構わんぞ?

 未だに頭がぐらぐらだろうに」

「そうですよ? あまり無理をしては……」

「はっはっは、お気遣いありがとう御座います。

 お言葉に甘えたいところではありますが、既に十分横になっていましたからね」


 皇帝とステラ。温度の差こそあれ、どちらも宰相を案ずる言葉を口にする。

 マヒロの目から見ても、宰相が無理をしているのは明白だった。

 宰相はやや怪しげな足取りで、ゆっくりと抑えられたラケシスの傍に立つ。

 自分を殴り倒した相手を見下ろす目に、怒りや敵意の類は微塵も感じられない。


「嫌な目で見てくるものよな、帝国宰相殿?」

「それは申し訳ありません。

 まぁすぐに済みますから、少しだけ我慢して頂けると」

「まぁ構わぬが、何の用だ? 尋問はする気が無いのではなかったか?」

「うむ、コイツは平気で虚言を弄するぞ。

 仮に尋問したとしても、時間の無駄ではないか?」


 そもそも会話するのも面倒だとばかりに、アリスは嫌な顔をしていた。

 対して、宰相アルヴェンは。


「なに、ちょっと確認したい事があるだけですよ」

「ほう? 一体何を確認したいと?」

「あなた方に仕事を依頼した人物についてです」


 誰もこの時は、それが重要な質問だとは思っていなかった。

 皇帝らの身柄を狙った襲撃。

 そうする動機があるものなど、彼らの政敵であるルドルフ以外にはいない。

 黙って気配を薄めているアレクトも、全く同じ事を考えていた。

 しかし、続く宰相の言葉は誰も予想していないものだった。


「今回、あなた方に依頼したのは《迷特対》の村永室長ですね?」

「…………え?」


 マヒロの口から、間の抜けた声がこぼれ落ちる。

 彼だけではない。アリスと、アレクト。

 良く分かっていないくるいと、身内である皇帝とステラは例外として。

 質問を投げかけられたラケシスさえも。

 宰相の放った言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。


「……何故」

「おや、当たりでしたか。

 いや十中八九そうだとは考えていましたが、確たる証拠はありませんでしたからね。

 どうやら正解したようで、ホッとしましたよ」

「そう考えるに至った根拠は何だ、宰相殿」

「別に偉そうに語るほどの事ではありませんよ。

 ごくごく単純な消去法です」


 睨む竜の眼光を、宰相は涼し気な顔で受け流す。


「私は帝都を発つ前に、複数の筋に異なる情報を流しておきました。

 移動する経路に合流地点、その他諸々。ま、よくある情報工作ですね。

 あえて正解に近い情報を含め、誤情報を大量にばら撒きました。

 本命である《迷宮組合》と、仲立ちを頼んだ《迷特対》以外には」

「……それは」

「ご存知の通り、涙ぐましい努力の甲斐もなく我々は襲撃を受けました。

 とはいえ、この時点ではまだ何の確証もありません。

 そもそも身内の近衛に《円環》の信奉者が紛れ込んでいた体たらくですからね。

 いやまったく、アレは完全に油断でした」


 僅かに表情を硬くするアリスに、宰相はむしろ気楽な顔で笑ってみせた。

 冗談のような口調だが、案外本気で自らの迂闊さを恥じているのかもしれない。

 こほんと、咳払いを一つ。


「決定的だったのは、マヒロ君と二人でいた時に起こった暴漢の襲撃ですね」

「あの『移住者』二人の、ですか?」

「そうです。彼らは何者かに頼まれ、私たちを尾行していました。

 当然、あの二人はそれが誰なのかは知りませんでしたが。

 しかしながら、『移住者』を使った時点で犯人は限られてきます」

「……でもそれ、怪しいのは《迷特対》じゃなくて《組合》の方にならない?」


 首を傾げるくるいの疑問に、マヒロは声には出さずに頷いた。

 現在、迷宮からの『移住者』たちと最も繋がりが強いのは《迷宮組合》だ。

 法律上は『いない』も同然の彼らに、一定の補助や支援を行っている唯一の組織。

 加えて、『移住者』の大半は地上の人間とは異なる亜人種族だ。

 冒険者以外の者からは、人とは異なる彼らは差別と偏見を向けられる対象だ。

 中には関わるどころか、存在する事さえ嫌悪する極端な者までいる始末だ。

 ならば必然、最も怪しいのは《迷宮組合》と考えるはずだが。


「それが先入観の怖いところです。

 『『移住者』の亜人を使うなんて、《組合》以外は考えられない』と。

 普通はそう思ってしまいます。しかし、逆に考えてみましょう。

 そんな誰もが怪しいと思う事を、わざわざ行う愚か者がどれだけいるのか。

 しかもこちらには《迷宮王》であるアリス殿がいる。

 貴女が本気で《組合》に詰問し、答えをはぐらかせる者などおられますか?」


 水を向けられたアリスは、やや渋い顔ながらも小さく頷いてみせる。


「確かに、それはそれで道理か。

 だがそれだけで《迷特対》が黒幕だと、決め打ちするのは根拠に乏しく無いか?」

「ええ、おっしゃる通り。

 これは推論に推論を重ねただけで、根拠の乏しい推測に過ぎません。

 しかし《迷特対》は、本来なら《組合》がやっている事を行うべき組織。

 多少なりとも、迷宮に関する事ならば動かせる人も予算もある。

 単純な消去法ですよ。第一容疑者の可能性が低いなら、次に怪しいのは……」

「……別の容疑者。つまり、《迷特対》ですか」


 とはいえ、それもまた安易な決めつけと言えなくもない。

 不意を打たれたラケシスの、素の反応を引き出せていなかったら。


「だが解せんな。そんな事をして、一体あの毒豚にどんな利益がある?」

「これもまた推測ではありますがね。

 恐らく室長殿は、『こちら』と『あちら』を両天秤に掛けておられるのでしょう」

「? 両天秤?」

「……《人類皇帝》側と、ルドルフ元帥側。

 村永室長はどちらにも通じていて、最終的に勝った方と手を結ぶ気だと?」


 首を捻っているくるいの横で、マヒロは緊張を帯びた言葉を口にする。


「どうしても『恐らくは』、という枕詞は付いてしまいますがね。

 それに室長殿は、我々よりもルドルフ側に少々重きを置いておられるようで。

 あの共にいたトロールの事、アリス殿やマヒロ君は覚えておられますね?」

「あぁ、それが?」

「トロールは帝都の軍が好んで用いる戦闘奴隷です。

 ルドルフが室長に協力者兼、お目付け役として寄こしたのでしょうね」


 思い出されるのは、知性化を施す《遺物》を装着した大柄な亜人の姿。

 如何にも戦いに適した巨躯は、確かに戦奴として使うにはうってつけだろう。

 その辺りで、床を這うラケシスが「ふん」と鼻を鳴らす。


「で? 手が自由なら名推理だと拍手してやるところだが。

 そこまで知って、貴様は何とするのだ」

「別に何も? というか、現状で出来る事なんてたかが知れていますからね」

「うーん、あっさり言うなぁ」


 何を当たり前な事を、とわざとらしい声色で応じる宰相アルヴェン。

 呆れの混じるくるいのツッコミにも、彼は笑顔を崩さない。


「事実ですからね。今の推測が全て正しかったとして。

 なら村永室長をどうこう出来るかと言えば、当然ながら出来ません。

 証拠も無いですし、室長の行いを裁く法も無いですからね」

「……癪な話だが、宰相殿の言う通りだな」


 ため息。アリスはほんの僅かにだが、忌々しげに唇を歪める。

 確かに村永室長の行いは信義に悖るものだ。

 許されるものではないし、可能なら何発でも殴りたい気分だ。

 しかし証拠もなければ、行った事を罰するだけの根拠もないのが現実だ。

 腹立たしさが許容量を超えそうなアリス。その傍で、マヒロは難しい顔をした。


「村永室長が、ルドルフと協力をしている。

 得られる利益は、ルドルフが次の皇帝となった後の事でしょうか」

「そうでしょうね。

 地上の国家と国交を結んだ後、便宜を図って貰いたい事は無数にあるでしょう。

 ……一体室長殿が、いつからルドルフと繋がりを持っていたのかは少々気になりますが」


 それこそ、当人から聞かねば推測も出来ない話だ。


「どうあれ、これで敵と味方ははっきりしました。

 微々たる成果やもしれませんが、今は喜ぶべきでしょうね」


 敵と味方。《迷特対》の村永は、帝国のルドルフと繋がる敵だった。

 故に宰相は、目の前の冒険者たちに深く頭を下げた。


「改めて、勇敢にも戦って下さったあなた方に、心より感謝を。

 陛下だけでなく、さっさと気絶して役立たずだった私まで守って頂けるとは」

「本当に、邪魔で邪魔で仕方なかったぞ。宰相」

「いやはや面目ない」


 半目で睨む皇帝に、宰相は誤魔化し笑いで応える。

 やれやれとため息をこぼし、皇帝は表情を真剣なものへと変えた。

 瞳にはある種の決意を光と宿して、アリスたちへと向き直る。


「我からも礼を言う。そして、これまでお前たちを謀っていた事が一つある。

 それを今……」

「分かっています」


 マヒロは穏やかに、けれどはっきりと。

 皇帝──自らそう名乗った金色の少女の言葉を、あえて遮って。


「貴女は、《人類皇帝》じゃない。

 ……本当の皇帝は、ステラさんの方なんですね」


 黙したまま話を聞いてた侍女の、ここまで隠していた真実を告げた。

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