第63話:命を懸ける


 警戒すべきはアレクトの《不死殺し》のみ。

 謎の冒険者Zは、侮る態度ほどに相手の事を過小評価はしていなかった。

 特に夜賀 マヒロは、あの魔法とも思えない《転移》は酷く厄介だ。

 そう評価した上で、脅威なのはアレクトが持つ呪いの剣のみ。

 あの《不死殺し》の刃で斬られた傷は、そのままでは『転生者』でも塞げない。

 呪いに侵されていない肉を抉り取る事で対処できるが。


「はあぁぁぁッ!!」


 裂帛の気合いと共に、アレクトは剣を打ち込む。

 狙うは冒険者Zの首だ。首を《不死殺し》で断たれ、死なぬ不死者は存在しない。

 冒険者Zの方も、それを理解しているので全力で回避する。

 技量では圧倒的に不利だが、完成された『転生者』の身体能力はその格差を覆す。

 不可避の剣撃に強引に刃を合わせ、紙一重のところで受け流す。

 皮膚を浅く裂かれるが、その程度の傷は無視する。

 不意に、視界の端に何かが現れた。


「これでも食らえ……っ!!」


 マヒロだ。彼の力では、アレクトと並んで戦うのは不可能。

 故に攻め手は《転移》による奇襲。

 攻防の隙を見逃さず、機を見て冒険者Zの死角に飛び込む。

 《レガリア》の刃に魔力を乗せて、叩き込むのは《聖なる一撃スマイト》。

 清浄な魔力は、歪な生命を持つ『転生者』にも有効だった。

 脇腹辺りを焼かれ、血肉に刃が潜り込む苦痛。

 その痛みに顔をしかめながらも、冒険者Zの動きは止まらない。


「そんなものが通じるかよ!!」

「ッ……!?」


 一瞥もせず、冒険者Zは拳を繰り出す。

 虫を追い払う仕草そのものだが、その威力は人体を破壊して余りある。

 顔面にでも受ければ、それだけで首からねじ切れかねない。

 一瞬の判断で、マヒロは後ろに倒れ込んだ。

 受け身を取れる体勢でもないため、背中が床とぶつかる衝撃に息が詰まる。

 拳が頭上を掠めるのを見ると同時に《転移》を発動。

 追撃で落ちてきた踵を、本当に紙一重のところで回避した。


「ホント、ちょこまかと鬱陶しい奴だな!」

「悪いけど、そういう戦い方しか出来ないんだ」


 挑発めいたマヒロの笑みに、冒険者Zは酷く苛立った。

 ──落ち着け、冷静になれ。これも向こうの作戦のはずだ。

 燃える激情を呑み込み、相対する二人の動きを見ながら冒険者Zは思考する。

 自分の背後にオフィーリアがいる。

 彼女は優れた魔法使いではあるが、そもそも気質からして戦いに向いてはいない。

 仮に自分が倒れてしまえば、オフィーリアがこの場を切り抜けるのは困難。

 それだけは絶対にあってはならない事だ。


「ガアアァァッ!!」

「アレクトさん!」

「この程度なら問題ありませぬ!」


 獣じみた咆哮。魔力を帯びた声は、大気を激しく揺さぶる。

 その威力で相手を怯ませたところで、剣で喉笛を掻き切って仕留める。

 冒険者Zの必勝コンボだが、アレクトはあっさりと対処してのけた。

 咆哮を全身に浴びても怯まず、急所を狙う切っ先を己の剣で絡め取る。

 一瞬、冒険者Zは己が激しい水流に身を投げたかのような錯覚を覚えた。

 そして気づいた時には、アレクトの剣が逆に冒険者Zの喉元に迫っているのだ。


「うおっ!?」

「チッ、浅いか……!」


 振るった剣を受け流され、身体のバランスを崩された。

 更に相手が打ち込んだ攻撃の勢いをそのまま利用し、反撃の刃で首を断つ。

 言葉にすれば単純だが、技を受けた冒険者Z自身でさえ何が起こったか分からなかった。

 圧倒的という言葉すら足らない、極限まで鍛え上げられた剣の冴え。

 戦いの最中でなければ、マヒロも思わず見惚れていた事だろう。

 アレクトの剣は冒険者Zの首に触れたが、彼女がこぼした通りまだ浅い。

 骨には届かず、皮膚と肉の表面を刃の先が抉った程度だ。

 それでも息がかかるほどに迫った濃密な死の気配に、冒険者Zは動揺したようだった。

 デタラメに剣を振り回し、脚力任せに大きく退く。

 同時に、マヒロは走り出した。目指すのは冒険者Zと距離が出来たオフィーリア。

 自らが信じる英雄のため、ただ祈るように見守る不死エルフの姫君。


「貴様っ、オフィーリアに近づくな!!」


 反射的に叫ぶが、マヒロの剣では完全不死であるオフィーリアは殺せない。

 無論、不死といえど彼女が傷つけられる事は我慢ならない。

 しかし今、優先すべきは《不死殺し》を握る恐るべきエルフの剣士の方だ。

 ならば──いや、待て。向こうだって馬鹿ではないんだ。

 不死エルフであるオフィーリアを殺せるのは、《不死殺し》のみ。

 それが分かっていて、何故マヒロだけがオフィーリアに向かおうとしている?

 強化された思考は、主観時間を無限に引き伸ばして高速で回り続ける。

 閃いた可能性は、彼が考える限りで最悪なものだった。


「《転移》か……!! させんぞ!!」


 走る。床を踏み砕く力で、冒険者Zは我が身を弾丸に変える。

 背後からアレクトに斬られる危険は考慮しなかった。

 何故なら、もうこの瞬間にはマヒロとアレクトの位置は『入れ替わっている』からだ。

 同意した相手と、互いの位置を交換する《転移》。

 当然、事前の打ち合わせなどはしていない。

 それでもアレクトは、マヒロの魔力が自らに触れた瞬間、全てを正しく理解していた。

 立ち位置が変わっても、彼女は淀みなく前へと駆け出す。

 オフィーリアがそこにいた。慈愛に満ちた微笑みを、迫るアレクトに向けて。


「さぁ、私に届きますか? アレクト」

「届かせる!!」


 冒険者Zが向かってきてるのは気配で感じたが、問題ないとアレクトは確信する。

 ほんの僅かな差だが、こちらの剣がオフィーリアに届く方が早い。

 オフィーリアも逃げる素振りは見せず、その場に佇んだままだ。

 まるで、この刃が届くのであれば、それが運命だと受け入れるかのように。

 アレクトは奥歯を噛み締め、それでも躊躇う事なく刃を──。


「ッ……な……!?」


 不意に走った横殴りの衝撃が、エルフの細身を容易く吹き飛ばした。

 何が起こったのか。混乱するアレクトは、そのまま為す術もなく床を転がる。

 腕や胴体に走る痛みは、骨がいくつか折れている事を示していた。

 拙い、敵が来る。剣を振り上げる冒険者Zの姿を、アレクトは視界に捉える。

 同時に気づく。男の左腕が肩から千切れ、再生している最中だという事に。

 ……自分の腕を引き裂いて、それを投げつけたのか……!

 油断した。まさかそんな攻撃を仕掛けてくるとは。

 対処しようにも、骨が砕けた身体は思う通りに動くわけもなく。


「“大天使の息吹を此処に。《上級治癒ハイ・ヒーリング》”!」


 複数人に対して施せる高位の治癒術。

 それをアレクト一人に集約し、重傷もたちどころに回復させる。

 傷の痛みが引いた時、アレクトは自分がマヒロに抱えられている事に気づいた。

 倒れた彼女を《転移》で救い出し、すぐさま《奇跡》で治療を施したのだ。

 冒険者Zとオフィーリアからは、また大きく間合いを離してしまったが。


「っ……すみません、マヒロ殿」

「いえ、間に合って良かった」


 本当にギリギリだったので、マヒロも重い息を吐いた。

 既に左腕の再生を完了させた冒険者Zも、忌々しそうな目で二人を見る。

 今のでアレクトを仕留められれば、その時点で勝ちだったというのに。

 決定打を与えられなかった事に、マヒロとアレクトは焦りを感じていたが。

 冒険者Zの方はそれ以上の焦燥に駆られていた。

 このまま時間をかけるのは拙い。何故ならば。


「──お、まだやってる?」


 軽い声は、石室の扉を破る轟音の後に響いた。

 恐れていた事態が現実となり、冒険者Zはギリギリと歯を鳴らした。

 くるいだ。負傷こそしているようだが、彼女は平時と変わらぬ活力に満ちていた。


「くるいちゃん……!」

「ん。マヒロもアレクトも大丈夫そうだね」

「そういうくるい殿は……」

「見ての通り。全部動かなくするのに、随分手間かかっちゃったけど」


 案ずるアレクトの言葉に、くるいは大鎚を持った腕をぐるぐると回してみせる。

 十数人の『転生者』を叩き殺した後とは思えない元気さに、マヒロはつい笑ってしまう。


「……タダヒト様」

「逃げて下さい、オフィーリア。ここは俺が」

「いいえ。今この場が私の運命であるのなら、私は決して逃げません。

 まして、貴方を一人残していくなんて」

「ですがこのままでは……!」

「……今更、逃げられると思うなよ。オフィーリア」


 マヒロの腕から離れ、アレクトは《不死殺し》を構える。

 呪いの代償は、千年を生きるエルフの命さえも蝕むほどに重い。

 もし一人であったなら、とっくの昔に膝をついているだろう。

 けれど今、彼女には共に戦う仲間がいる。

 ならば屈することなどあり得ないと、己を奮い立たせて怨敵を睨む。


「オフィーリア! エルフの血に残る最後の不死、必ずここで成敗する……!」

「その刃が私の運命だと言うのなら、受け入れましょう。アレクト」

「いいや、まだだ! 俺たちは永遠なんだ! こんなところで終わらせない!」


 叫び、冒険者Zはオフィーリアを見た。

 躊躇ったのは一瞬だけ。男もまた、勝利のために覚悟を決めた。


「我が蛮行をお許し下さい、オフィーリア!」

「ッ──!」


 細くしなやかな身体が銀の剣に貫かれ、真っ赤な血を迸らせる。

 冒険者Zが、いきなりオフィーリアを自らの剣で串刺しにしたのだ。

 一体何をするつもりなのか、その場の誰もがすぐには思い至らなかった。

 刺し貫かれたオフィーリアを除いては。


「っ……いけません、タダヒト様……! そんなにも、浴びてしまっては……!」

「……分かってます。もう俺は『転生者』として完成している。

 そこに、これだけ多く霊血を浴びれば……っ、どう、なるか……!!」

「これはちょっと、マズいね」


 大鎚を担いで、傷だらけのくるいが石室を走り抜けた。

 貫いたオフィーリアを抱き締める冒険者Zに、渾身の一撃を振り下ろす──が。


「硬っ……!?」

「グルゥオオオォォォォォ!!」


 柄を握る手に伝わってくるのは、巨大な金属塊を殴ったような感触。

 驚愕するくるいに、冒険者Zは咆哮を上げながら左腕を振るった。

 防いだ大鎚ごと、力負けしたくるいが床を転がる。

 遅れてアレクトが踏み込むが、先んじて冒険者Zの姿がかき消えた。


「速い……っ!」

「ハ、ハハハハハハハっ!! そっちが遅すぎるんだよォ!!」


 右手に剣で貫いたオフィーリアを抱えたまま、冒険者Zは嘲り笑う。

 限界以上に取り込んだ霊血は、恐るべき力となって総身を駆け巡っている。

 精神が融けそうなほどの高揚の中、冷えた理性は正しく現状を把握する。

 肉体の一部が、再生するどころかボロボロと崩れつつあった。

 それを霊血の力で補えば、また別のところが徐々に崩壊していく。

 当然の代償だ。不死を超えるほどの力が、逆に己の肉体を破壊している。

 構わないと、冒険者Zは晴れやかな気分でその破滅を受け入れた。

 愛する人を守るため、憎むべき敵をやっつける。

 まさに英雄だ。例え永遠に生きられずとも、オフィーリアがいれば誓った愛は永遠だ。


「ドーピングしたからって、あんまり調子に乗らないで……!!」

「くるい殿、迂闊に攻めては危険です!」

「ハハハハ! 来いよ、纏めて相手をしてやるっ!!」


 警戒すべきは、最初から変わらずアレクトの《不死殺し》のみだ。

 霊血の過剰摂取で崩壊が進もうと、外傷はどれだけ受けても再生可能。

 本当に限界を超えるまで、冒険者Zは不死の怪物のままだ。

 大鎚を構えて突っ込むくるいの一撃を片手で防ぎ、意識はアレクトに向ける。

 動きが止まったのを好機と見たか、あるいはくるいを助けるためか。

 アレクトは風の如き鋭さで間合いを詰めるが、それは冒険者Zには見えていた。

 技量では覆しようがないレベルの絶対的な身体能力。

 無造作に叩き込んだ蹴りが、アレクトを容赦なく吹き飛ばした。


「が……ッ、は……!?」

「アレクト!!」

「他人の心配をしてる場合かよ……!!」

「っ……舐めないでよ、この化け物……!」

「化け物で上等だ!! 俺はオフィーリアさえ守れれば、それで良い!!」


 くるいは全力を振り絞る。大鎚を左手で掴む冒険者Zも相応しい力で応じる。

 互角──いや、僅かに冒険者Zの方が押していた。

 アレクトは地に伏せ、まだ起き上がれていない。

 彼女の手からこぼれ落ちた《不死殺し》は、離れた床に空しく落ちている。

 一人ずつ、確実に潰す。アレクトは生きているが、ダメージは決して軽くない。

 注意すべきは《奇跡》による回復が可能なマヒロだ。

 彼がアレクトの傷を癒やし、この状態で再び《不死殺し》で襲ってくる。

 今考えられる最も危険なパターンはそれだ。

 片腕でくるいを抑えながら、冒険者Zは視線を巡らせる。

 先ほどから、夜賀 マヒロが動きを見せていない。

 視界に捉えた相手は、離れた場所で膝を付いている姿が確認出来た。

 一体、何をしているのか──そう思考した瞬間。


「何……っ!?」


 いきなり、ガクンッと足元が『落ちた』。

 不意の事態でバランスは盛大に崩れ、くるいを抑える腕の力も乱れた。

 好機は見逃さず、くるいは大鎚に己の全霊を叩き込む。


「うぉぉぉぉぉりゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」


 冒険者Zの腕が耐え切れずにへし折れ、顔面に大鎚が突き刺さる。

 砕ける頭蓋と潰れる視界。まだ無事な脳髄が、散らばりそうな意識を繋ぎ止める。

 我が身に何が起こったのか、彼は知りようもない。

 マヒロの持つ《レガリア》の力を、冒険者Zは見ていなかった。

 足元に狙いすまして『落とし穴ピット』を開かれた事など分かるはずもない。

 早く、早く傷を再生させて体勢を立て直さなければ……!

 きっとこの瞬間にも、マヒロは倒れたアレクトを回復させているはずだ。

 復活した彼女が《不死殺し》を握り、この首を断ち切ってしまうよりも早く。

 早く、この身を再生させて……!


「……?」


 首を断たれている事に気づいたのは、頭部の再生が完了した直後だった。

 死ぬ。そう確信したのは、宿った霊血が呪いに蝕まれているのが分かったからだ。

 冒険者Zの目に最後に映ったのは、夜賀 マヒロの姿。

 彼の手に握られているのは──。


「……《不死、殺し》……!」

「……俺だって、命ぐらい懸ける」


 死せる者を殺す呪いの刃。

 《転送アポート》で床から手元に呼び寄せた剣を握り締め、マヒロは告げる。


「終わりだ。謎の冒険者Z」

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