第64話:最後の一刀


 不死なる『転生者』の首は、《不死殺し》によって断たれた。

 決着を目にして、マヒロは微かに安堵の吐息を──こぼす前に。


「ッ……が……!?」


 凄まじい激痛が全身を貫いた。

 剣の柄を握る手から、あっという間に頭の天辺とつま先に至るまで。

 これまで感じた事がないほどの痛みと苦しみに、堪らずその場に跪いた。

 意識が消し飛べば逆に幸せだったろう。

 しかし『眠る事は許さない』とばかりに、呪いは生きた血肉を蝕む。

 気絶も出来ないまま、巨大な獣の顎に呑まれて咀嚼されるような。

 あまりに途方もない苦痛は、肉体どころか精神にまで亀裂が及びそうだ。


「マヒロ殿っ! 気をしっかり持たれよ!!」


 発狂寸前の彼の耳に、その言葉は果たして届いたかどうか。

 ともあれ、アレクトの声と共に身体中を蝕んでいた痛みが遠のいた。


「ちょっと、これ大丈夫なのっ?」

「一振りだけならば……あぁ、しかしなんという無茶を……!」

「……くるいちゃん、に……アレクト、さん……?」

「意識はあるね。あぁ、もう喋っちゃダメ。動かなくても良いから」


 奪い取るように回収された《不死殺し》が、アレクトの鞘に納まる。

 それでまた少し、血肉に残留した呪いの痛みが和らいだ気がした。

 目の焦点が合ってくると、二人の顔も徐々にはっきりと見えるようになってきた。

 不安げなくるいに、泣きそうなアレクトの表情。

 ……あの時、あの瞬間はこうする以外に手は無いと思った。

 冒険者Zの再生が間に合ってしまえば、次の好機はいつ訪れるか。

 自分のやった事に後悔はしていない。後悔はしていないが。


「すみま、せん……心配、かけてしまって……」

「喋らないで良いったら、もう!」

「……お小言は後にしましょう。治療もこの場では難しい。

 生きていて良かった」


 くるいの力で、マヒロは半ば無理やり床に横たえられた。

 もとより腕力では敵わないのに、今は抵抗する気力も持ち合わせていない。

 素直にマヒロが横になったのを確認してから、アレクトは立ち上がった。

 視線を向ける先は、追い求め続けてきた相手。

 オフィーリアは血に塗れたまま、床に腰を下ろしていた。

 彼女の手に抱かれているのは、既に事切れた男の首。

 肉体の方は、過剰摂取した霊血の反動でもう赤黒い塵へと変わっていた。

 既に生命の火が失せた頭部を、オフィーリアは愛しそうに抱き締める。


「…………遠い昔にも、こんな事があった気がします。

 永遠に生きるしかない私に、『共に生きよう』と誓ってくれた方。

 その方が誰だったのか、もう思い出せませんけど……」

「……オフィーリア」

「貴女のことを、恨んだりはしません。アレクト、私の可愛い駒鳥。

 ただ悔やまれるのは、私は彼の《愛》に応えられたかどうか……」


 分からない。正しい事をしていると、その確信は揺るぎなくとも。

 愛して、愛される。必要なものを与え、与えられた側が何かを返す。

 それは正しい愛の形だと、オフィーリアも理解はしていた。

 だが、彼女の《愛》は無償の愛だ。見返りを求めた事はないし、望んだ事もない。

 与えた愛と同等以上の愛を返された時のみ、彼女は迷いを抱く。

 本当に、自分は正しく『彼』を愛せたのかと。


「……その男は死んだ。いや、とっくの昔にお前に殺されていた」

「はい」

「相手の意志を無視して、身勝手にも己の血を与えて不死の化け物へと変える。

 それがお前という怪物だ、オフィーリア」

「知っています」

「罪に思わないのか」

「例え罪だとしても、それが私の愛なのです」

「っ……そんなものが、愛などと……!!」

「分からないでしょうね。けど、貴女はそれで良いのです。アレクト」


 鞘に納めた《不死殺し》の柄に手をかけ、アレクトは目の前の女を睨む。

 間もなく、永遠の生に不可逆の死という終わりは訪れる。

 だというのに、オフィーリアは変わらず微笑んでいた。

 そこにあるのは、ただ無償の《愛》だけだった。


「私の《愛》は、私だけの《愛》。

 タダヒト様や、遠い昔にいた『彼』。その他、多くの顔も名前も忘れてしまった方たち。

 受け入れて下さった方々だけ、理解してくれたら良い」

「血肉はおろか、魂さえも別物に変える事を、お前は『理解』と言うのか!」

「子供が成長して大人になり、知らなかった多くの事柄を『理解』するのと同じですよ。

 私の《愛》は、本質的にそれと変わりません」

「っ……」


 揺るぎない声と瞳に、アレクトは強く奥歯を軋ませる。

 自分を愛した男の首を抱きしめて、オフィーリアは甘い吐息をこぼす。


「申し訳ありません、タダヒト様。

 迷宮で死せる者の魂は、迷宮の奥底に招かれると聞きましたが。

 私のようなものが、果たして貴方と同じ場所に行けるかどうか……」

「……オフィーリア」

「さぁ、アレクト。貴女は貴女のするべき事をして下さい。

 こうするために、ここまで戦ってきたのでしょう?」

「オフィーリア……っ!!」


 届かない。何を言ったところで、この聖なる怪物には届かない。

 殺す。殺すしかない。それはもう、私情や私怨を超えた生命としての『義務』だ。

 この女は、生きているだけであまりに犠牲を増やしすぎる。

 故に剣を抜く手に迷いはなく、構えに一分の隙もない。

 ただ一つ、自分はこの女に何を伝えたかったのか。

 復讐という目的を抱く前、確かにこの胸の奥にあったはずの《愛》。

 あるいは、その在処をオフィーリアに求めていたのではないか。


「さぁ、早く」

「ッ────…………!!」


 瞼を閉じ、オフィーリアは自ら無防備に首を晒す。

 心以外に迷いはなかった。剣を握る腕も、構える足も、何一つ迷いはなかった。

 だから、振り下ろした太刀筋は酷く美しい軌跡を描く。


「ぁ……」


 首を断たれた。意識はあるが、不思議と痛みは感じない。

 冷たい床を少し転がる。硬い石の感触と、温かさの失せた血の感触。

 たまたま視界の中に、アレクトの姿があった。

 剣を振り抜いた姿勢のままで、少女はぴくりとも動かない。

 陰になっている表情も、下からなら覗き見れる。


「……泣いて……いるの、ですか……?」

「……泣いてなど、いない」

「貴女は……すぐ……泣いてしまう、優しい娘……でしたね……」

「いいからさっさと死ね……!」

「ふふ……大丈夫……もう、すぐに……死んでしまい、ますから……」


 オフィーリアは笑わせる冗談のつもりで口にしたが、余計に泣かせる結果となった。

 ──あぁ、本当に何をやっても上手く行きませんね。

 自分自身への呆れを感じながら、意識はゆっくりと闇へと傾いていく。

 これが死か。神代の霊血をその身に宿す不死エルフとして、最も縁遠いはずのもの。

 どんなものであるのか、空想した事はあった。

 定命の者が等しく恐れる死神の手は、思ったよりも冷たくはないように思える。

 悔いは多く、とても何かをやり遂げたとは言えない人生だった。

 ただ無為に永らえただけで、とても人に自慢できるものでもない。

 愛する男の想いには応えられず、愛しい娘も最後の最後で泣かせてしまった。

 結局、目覚めてから同志たちに会う事もしなかった。

 あの悲しき女王陛下は、今も暗闇で孤独を友にしているのだろうか。

 とりとめのない思考が泡と消え、魂は少しずつ迷宮の底へと沈んでいく。

 最後に──何か、この娘に、残せるものは。


「……アレ、クト……わた……しは……あなたを、愛し……て……」

「…………」


 美しい唇は、微かな吐息をこぼした後に動かなくなった。

 オフィーリアは死んだ。永劫を生きる不死エルフは、完全に息絶えた。

 それを確かめ、アレクトは呆然と立ち尽くす。

 己の旅が終わったのだと、実感はなくとも受け入れた。

 震える手で、役目を終えた《不死殺し》を鞘にしっかりと封じる。

 叶うなら、二度とこの剣を抜く事がないようにと。


「アレクトさん……っ」

「ちょっと、動いちゃダメだってば」


 掠れた声と、それを抑える声。アレクトはゆっくりとそちらを見た。

 無理に起き上がろうとするマヒロを、くるいが片腕で抱えていた。

 瞳が涙で濡れてるせいで、視界は酷くぼやけていたけど。


「……終わった、んですね」

「…………はい。終わって、しまいました」


 自分を気遣うマヒロの顔は、アレクトにはしっかりと見えていた。

 一振りとはいえ呪いを受けたせいで、今にも死にそうなぐらい辛いだろうに。

 そんな自身の事よりも、泣いているアレクトの事を少年は案じていた。

 だから余計に、少女の眼からは涙がこぼれた。


「……復讐を……使命をやり遂げれば、この胸も軽くなるものだと思っていました。

 いえ、実際、軽くはなったのです。抱えている物が、ようやく消えた。

 それを私は──喜ぶべき、はずなのに……」

「……泣きたいなら、泣けばい良いよ。

 我慢するより、ずっと良い。声だって上げていいんだよ」


 あくまで堪える努力をするアレクトに、くるいも穏やかに声をかけた。

 仕方ないとばかりにマヒロを抱え上げて、立ち尽くす彼女の傍に。


「オフィーリアが死んで、悲しいんでしょう?」

「そんな、ことは……」

「嘘、つかなくたって良いよ。殺したいほど憎んでたとしてもさ。

 人間って、そんな割り切れるものじゃないと思うし。

 好きだった人を恨んで、殺して、だけど悲しいから涙が止まらなくなる。

 別に、それはそれで認めて良い事だと思うよ」

「……俺も、くるいちゃんの言う通りだと思う」


 力の入らない腕を、それでもどうにか持ち上げて。

 マヒロは、涙で濡れるアレクトの頬に指先を触れさせた。

 全ては拭えないけど、少しでもその悲しみを拭ってやれたらいいと。

 触れる手から伝わる温かさは、涙の冷たさを和らげる。


「弔って、あげましょう。きっと、相手も喜んでくれる」

「…………はい。はい……っ」


 完全に決壊した涙を溢れさせながら、アレクトは何度も頷いた。

 オフィーリアのやった事は、許される事ではない。

 多くの犠牲を出し、これからも犠牲を増やし続ける彼女を殺すのは、正しい事だった。

 迷いはない。後悔もない。けれど、そこには確かに悲しみがあった。

 遠い昔、森の奥で出会った優しくも美しい女性。

 互いを友達と呼びあった日々は、今もこの胸の奥に残っている。

 自分は、オフィーリアの死を悼んでも良いのだ。

 そう考えると、少しだけ心が楽になった気がした。


「……ありがとう、御座います……マヒロ殿、くるい殿……」

「良いですよ、仲間なんですから」

「ん。そうだね、マヒロの言う通り。ワタシたち、仲間だからね」

「仲間……」

「ん? 仲間じゃなかった?」

「い、いえ、そんな事は……っ」


 首を傾げるくるいに、慌ててアレクトは首を横に振った。

 仲間。共に困難に挑み、乗り越えた者同士。

 その言葉は身に余るものに思えたけれど、否定できるはずもない。


「多分……アリスさんも、無事だと思いますし……帰りましょうか」

「ん、帰ろう帰ろう。流石にワタシも疲れちゃった」

「…………はい」


 頷く。もう一度だけ、アレクトは地に落ちたオフィーリアを見た。

 誰にも聞かせる必要にない、別れの言葉を口にして。


「帰りましょう」


 仲間たちに微笑みながら、小さく頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る