第62話:俺の名は


「うおぉぉぉぉぉッ!!」


 戦士の咆哮を轟かせ、剛剣が頭上から一直線に振り下ろされる。

 ただの剣の一撃は、冗談みたいに石室の床に巨大な亀裂を刻みつけた。

 まともに喰らえば、人間の身体など真っ二つどころか粉々だ。

 故にアレクトは風の如き身のこなしで回避し、マヒロは《転移》で難を逃れる。


「ちょこまかと鬱陶しい!!」


 苛立たしげに吐き捨てながら、視線は正確にマヒロとアレクトを捉えていた。

 本人が口にした通り、確かにこれまで遭遇した『転生者』とは違う。

 より強化された身体能力に、拡張された五感。

 何よりも、そのオーバースペックを唯人は十全に使いこなしている。

 マヒロも《転移》の力が無ければ、先ほどの一太刀で死んでいたかもしれない。


「貴様こそ邪魔をするな、オフィーリアの傀儡が!!」


 しかし、アレクトの方は違った。

 剣士としての技量は、アリスやくるいにも比肩する最上位の実力者。

 特にエルフである彼女の知覚は、人間を遥かに凌駕している。

 その眼は超人と化した唯人の動きも見切っていた。


「ッ────!?」


 銀色の光が瞬いたと、そう思った瞬間には鋭い痛みが走る。

 僅かな隙も正確に狙い打ったアレクトの剣が、唯人の右腕を斬り裂いていた。

 切り落とすまでは行かないが、骨にまで達する傷だ。

 不死身の『転生者』であるならば、本来なら何の問題もない傷だが。


「確か、《不死殺し》だったか!」

「如何にも! この剣で刻まれた傷は、例え完全なる不死でも塞げぬぞ!」


 実際、その呪いの威力は唯人自身も目にしていた。

 百年もの歳月を費やし、数多の血肉を剣に浴びせる事で完成した死の刃。

 多くオフィーリアの血を授かった不死者である唯人も、決して例外ではない。

 だが、理解しているからこそ彼の動きは迅速だった。

 《不死殺し》を受けた右腕を、肩から無造作に引き千切ったのだ。


「っ、何を……!?」

「斬られた傷は塞がらない、だったらこれならどうだ?」


 驚くアレクトが見る間に、唯人の右腕はあっという間に元の状態まで再生した。

 新しく生えた腕は、文字通り傷一つなかった。


「ははははっ! 何だ、思った通りじゃないか!

 何が《不死殺し》だ! 首さえ斬られなきゃどうって事はないな!」

「くっ……!」


 嘲りながら剣を振るう唯人に、アレクトは奥歯を噛み締め距離を取る。

 死の呪いを受けた傷を、それが刻まれた部位ごと切り離す。

 あまりに力技過ぎる対処法に、マヒロも驚愕する他ない。

 いくら不死の『転生者』といえど、痛みは感じているはずだ。

 事実、唯人は腕を千切る瞬間に苦悶の表情を浮かべていた。

 苦痛を無視して自ら腕を切り離すなど、完全に狂喜の沙汰だ。


「……なんだよ、その眼は。化け物になった元人間を憐れんでるのか?

 なぁ、夜賀 マヒロ」


 不意に突き刺さる、激しい熱を帯びた視線。

 唯人にとって、今この場で脅威になり得るのは《不死殺し》を持つアレクトの方だ。

 《転移》を自在に操るマヒロは確かに厄介ではあるが、優先すべき敵ではない。

 合理的な思考はそう結論しながら、『私情』がそれをクソ食らえと一蹴した。

 剣を握り締め、唯人は嵐の如くマヒロに襲い掛かる。


「マヒロ殿!!」

「っ、アレクトさんはこちらより、オフィーリアを……!」

「おいおい余裕だなぁ色男!! 俺なんて自分一人で何とかなるってか!?」


 迫る死の気配に、背筋が一気に冷たくなる。

 首を刈る軌道をなぞる刃を、マヒロは《転移》する事で辛うじて回避する。

 だが、唯人は目標を見失わない。

 限界以上に強化された神経は、《転移》が終わる瞬間の空気の揺らぎさえ捉える。


「きつ……っ!!」


 息をつく暇もなく、唯人の剣から逃れようとマヒロは地を転げ回った。

 一振りごとに床が砕け、壁に裂け目が走る。

 破壊の上に破壊が重なり、石室の中はあっという間にボロボロになっていく。

 そんな中、マヒロの身は暴風に晒された木の葉も同然だった。


「ッ……!」


 アレクトは全て見ていた。

 そんな風に暴れ回りながらも、唯人はオフィーリアを決して巻き込まない。

 台風の中心が凪いでいるのと同じ。

 オフィーリアはただ静かに佇み、彼女のために戦う男を見ていた。

 今なら、逃げるマヒロに唯人が固執している今なら、オフィーリアの首を容易く取れる。

 マヒロも、そのつもりで敵を引き付けているはずだ。

 アレクトは理解していた。同時に、このままでは少年の身が危ない事も。

 垂れ下がる蜘蛛の糸よりも儚い命脈。

 迷いを抱いたのは、ほんの一瞬だけだった。


「こちらを見ろ、『転生者』!!」


 疾風迅雷。アレクトの踏み込みは、まさにその言葉通りだった。

 脇目も振らずにマヒロを追う唯人に、横から《不死殺し》の一刀を打ち込む。

 呪いの刃に刻まれた肉を、直後に自らの剣で抉り出す。


「っ……アレクトさん……!」

「クソがっ! 邪魔をするなよ、エルフ!!」

「良いのか、私を捨て置いて!

 貴様のご主人様の首、我が剣なら断てば終わりと分かっていよう!」

「あぁ、そんな事はさせるものかよ!

 だから邪魔をするな! コイツを殺した後なら、幾らでも相手してやる!」

「それこそ許すものかよ!」


 互いに怒りと敵意を叫び合い、両者の剣が激しくぶつかり合う。

 唯人の剛剣をアレクトが受け流し、返す刀で《不死殺し》が『転生者』を切り裂く。

 呪いの傷を肉ごと捨てれば、後には無傷の身体だけがあった。

 マヒロも、手にした《レガリア》で反撃の刃を打ち込むが。


「何かしたか?」


 それこそ瞬時に再生されてしまい、かすり傷ですらない。

 嘲る唯人から距離を取れば、先ほどまで頭のあった空間を剣が刺し貫く。

 強い。そうとしか言い表せない。

 乱れた呼吸を急ぎ整えながら、マヒロは唯人を見た。

 アレクトも眼前の『転生者』が手強い事を認め、《不死殺し》を構え直す。

 二人の視線は、人ではなくなった不死の怪物を映していた。


「──俺を憐れむなよ。

 あぁ、お前らの目に俺はそんな可哀想な奴に見えてるのかよ!!」


 だからこそ、唯人は一際激しく吼えた。

 ここまでの戦いも含めて、それは一番強烈な感情だったかもしれない。

 決死の覚悟を抱いていたアレクトさえ、ほんの僅かにだがたじろぐほどに。


「分かってる、分かってるんだよ!

 今の俺は化け物だ、お前らが思う通りだ!

 オフィーリアの血で人間じゃなくなった、『転生者』と呼ばれる不死身の怪物だ!

 けど、それがどうしたよ!!

 人間を辞めさせられた被害者で、だからせめてもの慈悲で殺してやるってか!?

 一体何様だよお前ら!!」

「……どういう事だ……まさかこの男、オフィーリアの支配から抜け出してる……?」


 オフィーリアの下僕と化した『転生者』なら、考えられないほど凄まじい激情。

 彼らが『怒る』のは、あくまで主人たるオフィーリアのためのみだ。

 間違っても自分自身のために激しい感情など晒さない。

 戸惑うアレクトの呟きは、マヒロにとっても予想外の事だった。

 改めて、怒り狂う唯人の眼を見る。

 以前の唯人や他の『転生者』たちは、どこか熱に浮かされたような目つきをしていた。

 けれど良く見れば、今の唯人からは理性の光が感じられる。


「オフィーリアの血を、更に大量に授けて貰ったからかな。

 確かにほんの少し前までは、どこか強い酒で酩酊してるような気分だった。

 けど今は意識もはっきりして、自分が何者なのかも良く分かる。

 俺は、俺になった。オフィーリアに従うだけの、他の『転生者』とは違う」

「だったら……!」

「まさか話せば分かる、なんて言うなよ夜賀 マヒロ。

 お前らはオフィーリアを殺しに来た。それは絶対に許さない」


 それは鋼の如く揺るぎない決意だった。

 己が化け物に変えられたのだと、十全に理解した上で。

 唯人はあくまで己の意思の下、オフィーリアを守ると宣言した。


「……分かっているのか、タダヒトとやら。

 オフィーリアは全てを等しく愛している。人間も虫も、全て平等にだ。

 つまりお前の事も……」

「彼女は人間の区別なんて、ほとんどついてない。あぁ、それも分かってる」


 唯人は笑っていた。アレクトは言葉を失う。


「それでも、彼女は彼女なりに俺の事を見ようとしてくれた。

 俺の名前を呼び、俺を英雄だと言ってくれた。

 誰も特別ではない人が、俺のことを特別にしようと努力してくれたんだ。

 それがどれほどの事かなんて、俺以外には分からないだろうさ」

「睦亥さん……」

「やめろよ、俺をその名前で呼んで良いのはオフィーリアだけだ。

 誰からも見向きもされず、路傍の石でしかなかった俺を、あの日抱き締めてくれた。

 そんな彼女だけが、もう死んだ男の名を呼んでくれれば良い」


 マヒロに明確な拒絶を口にしながら、唯人は剣の柄を握り締める。

 ただの人間だった睦亥 唯人は、あの時にオフィーリアに殺された。

 夢を見て、けれど才能には恵まれず、当たり前の現実に押し潰されていた。

 誰も『彼』という人間に見向きもしなかった。

 親兄弟ですら、ただ常識を押し付けるだけで『彼』の苦悩に手を差し伸べなかった。

 人間ではない化け物に作り変えられた事は、本来なら嘆くべきだろう。

 それを悲劇と呼ぶ人間の感性も、今なら理解出来る。

 理解は出来るが、そんな物差しでつまらない男の死を憐れまれるのは堪え難い。


「俺は、謎の冒険者Zだ。それが俺だ、俺の名だ!

 人間でなくとも、化け物になっても、俺は俺だ! 俺はオフィーリアを愛してる!」

「…………」


 愛を叫ぶ男、最早人ならざる不死の獣を、オフィーリアは祈るように見ていた。

 勇敢に戦いへと赴く英雄の背を、姫君はじっと見守る。


「……貴方の覚悟を貶すつもりはなかった。

 けど、そう感じたのなら謝罪します」


 激情を迸らせる唯人──いや、冒険者Zとは真逆に、マヒロは穏やかに言った。

 アレクトの前に踏み出して、《レガリア》の切っ先を向ける。


「けど、俺は貴方たちを止めなきゃならない」

「オフィーリアの《愛》を受け入れれば、誰もが不死を授かれる。

 お前たちはそれを化け物と呼ぶだろうが、俺からすればお前たちこそ化け物だ。

 隣人を愛す余裕もなく、ただ自分の生にしがみつくのに必死な醜い生き物が」

「貴方だって、元は同じだった。

 それを化け物と呼ぶのなら、貴方だって変わらない。

 ただ不死に作り変えられただけの、俺たちと同じ人間だ」


 そこには、理解と拒絶の平行線があった。

 互いの事を認めた上で、もう戦う以外に道はないという合意だけがあった。


「アレクトさん」

「……マヒロ殿」

「勝ちましょう。これ以上、同じ事が繰り返されないように」


 『転生者』である冒険者Zを討ち、オフィーリアを仕留める。

 それが人殺しと同じだとしても、この手でやらなければならない事なのだと。

 改めて確かめて、マヒロは覚悟と共に言葉にした。

 アレクトも頷いて、《不死殺し》を構え直す。

 少しでも気圧されてしまった弱さは、もう胸の奥に呑み込んだ。


「私は、オフィーリアたちの不死を認めません。

 必ず勝ちましょう」

「ええ、勝って皆で地上に帰りましょう」

「そっちだけで盛り上がるなよ。勝って帰る?

 寝言は寝てから言えって話だ」


 唸る声。並ぶマヒロとアレクトを見ながら、冒険者Zは剣を掲げる。

 背に愛する姫を守る形で、男は堂々と宣言する。


「勝つのは俺だ! この世全てをオフィーリアの《愛》で満たすために!

 お前たちは大人しく地を這えよ、人間ども!!」


 不死ならざる者と、不死に成り果てた者。

 決して相容れない両者の、最後の戦いが始まった。

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