第60話:我が愛の証明


 襲いかかってくる森の木々を、くるいの振るう大鎚が打ち砕く。

 出来た隙間を潜るように、マヒロは《転移》の力を連続で行使した。

 背後からは、『転生者』たちの気配が絶えず追いかけてくる。


「しつこいね!」

「向こうも必死って事かな……!」


 言葉を交わす間も、少しでも前へ。

 この広大な森の迷宮のどこに、オフィーリアがいるのかは知る由もないが。


「……あちらです。このまま、真っ直ぐ進み続けて下さい」


 呪いの剣を鞘に納め、囁く声でアレクトが言う。

 エルフとしての優れた五感か、あるいは霊的な第六感か。

 彼女にだけは、求める相手の位置が見えているように思えた。

 マヒロとくるいは、そんなアレクトの言葉に従って進み続ける。

 本当に合っているのか、などと聞く必要もなかった。


「ん。ちょっとだけ、森が薄くなってきた?」


 そうくるいが呟いた通り、全てを隠すような森の緑が減りつつあった。

 木の根や土の隙間から石造りの床が覗き、見上げればゴツゴツした天井も目に映る。

 アレクトは何も言わない。既に道を指示する必要も無いようだった。

 そして、ついに『それ』は見えてきた。


「……ここが……?」


 森が途切れ、目の前にあるのは傷ひとつない白い壁と重々しい金属の扉。

 近づこうとして、気がつく。扉の奥から漂う気配。

 血の匂い。微かに、けれど隠しようもなく鼻の奥に突き刺さってくる。

 そこに『甘い』と感じる何かが混ざっているのは、果たしてマヒロの勘違いか。

 咄嗟に口と鼻を抑え、一旦扉に向かう足を止めた。


「これは……やっぱり、オフィーリアの?」

「多分そんな感じだと思う。あんまり嗅がない方が良いかもね」

「オフィーリアの霊血は、真っ当な生命の在り方を冒します。

 どういう形であれ、身体に入るのはそれだけで危険でしょう」


 くるいとアレクトも、マヒロと同じく血の気配を感じ取っていた。

 しかし彼女らは、どちらもこの迷宮世界でも指折りの実力者たちだ。

 《アンダー》に満ちる魔力にも適応し、『異物』への耐性も相応に高い。

 直接ならまだしも、血の匂い程度では身体に異常を引き起こす事はなかった。

 問題は、二人に比べてまだ常人に近いマヒロの方だが。


「マヒロ、大丈夫?」

「一応、これぐらいは予想はしていたから」


 気遣うくるいを安心させるように頷いてから、マヒロは意識を集中させる。

 目の前に広がる空間に触れるように手を伸ばして。


「“清らかなる水の流れを。《浄化ピュリフィケーション》”」


 《浄化》の魔法を発動させた。

 瞬間、辺りの空気を汚染していた血の気配が一気に薄まっていく。

 空気に含まれている水分──オフィーリアの霊血を含めて、無害なものに浄化したのだ。

 何度か呼吸をして、違和感が無いのを確かめる。


「……よし、これで良いはずです」

「流石ですね、マヒロ殿」

「やっぱり魔法が使えるのって、便利だよね」


 二人の言葉に、マヒロが笑って頷いた時。


「奴らはどこだ! オフィーリア様の元へは絶対に近づけるな!」

「限られた生にしがみつく愚か者どもめ!」


 後方から『転生者』たちの怒鳴り声が聞こえてきた。

 距離はそう遠くない。ほどなく、彼らもこの扉の前にたどり着くだろう。

 迎え撃つべく、マヒロは《レガリア》を構えようとして。


「最優先は、この扉の向こうにいるっぽいオフィーリア。

 こっちの相手は、ワタシがするから」


 大鎚で遮りながら、くるいがマヒロの前に出た。

 首を軽くゴキリと鳴らし、腕を回す。人外の膂力で得物の柄を強く握る。


「たった一人であの数は危険です、くるい殿」

「問答は無し。アレクトはさっさと本命を仕留めてくるの。

 マヒロの方も、文句はないよね?」

「……あぁ、文句はないよ」


 無いはずも無かったが、くるいの言う通り問答している余裕はない。

 十を超える『転生者』たちに、アレクト以外で有効な攻撃が出来るのはくるいのみだ。

 幸い、扉の前はそれほど広くはなく、数を頼みに包囲出来る場所ではない。

 くるいがこの場で足止めするのが、最も有効なのは間違いなかった。


「行きましょう、アレクトさん」

「……分かりました。くるい殿、どうかご無事で!」

「だいじょーぶだいじょーぶ、全部終わったらご飯食べようよ。

 勿論、アリスの奢りで!」


 遠慮容赦のない子供の微笑みと共に、くるいは軽く手を振ってみせた。

 笑って頷いてから、マヒロは扉の方を見た。

 アレクトも同様、『転生者』たちの声はもう耳に入ってこない。

 なすべきことは目の前にある。扉に近づき、マヒロは《レガリア》を表面に触れさせた。

 罠の類があろうと関係なく、《レガリア》は扉の構造を変化させる。

 分厚い金属の表面が蠢き、そこに人が通れる程度の『穴』が口を開けた。

 先ずアレクトがそこに素早く身体を滑り込ませ、続いてマヒロが自ら作った穴を潜る。

 《レガリア》の力で穴を塞ぎながら、扉の向こう側に目を向ける。

 床や壁、天井に至るまで奇妙な紋様が刻まれた半球形の広間。

 千切れて朽ちた鎖の断片が床に転がっているが、それは大して重要ではない。

 最も注目すべきは、この石室の中心に立つ二人だ。


「オフィーリア……!!」

「やはり貴女が来たのですね、アレクト」


 かたや憤怒を込めた声で、かたや慈愛に満ちた声で。

 互いの名を呼び合い、アレクトとオフィーリアは再び相見(まみ)える。

 マヒロは、不死エルフの傍らに立つ男の方を見た。


「投降する気はありませんか、睦亥 唯人さん」

「戯言はやめろよ、夜賀 マヒロ。こちらが投降する理由なんてどこにもないんだ」


 文字通り、血肉の一片まで人では無くなった者。

 恐らく、オフィーリアにとっても他とは異なる特別な『転生者』。

 謎の冒険者Zこと睦亥 唯人は、いっそ憎しみすら帯びた言葉で応じた。

 見た目上の様子は、以前と同じ人の姿に思えるが。


「言っておくが、今の俺をこの間と同じと思ってくれるなよ」


 自信満々に告げて、唯人はオフィーリアの前へと進み出る。

 愛しい不死の姫君を背に庇いながら、腰に下げた剣を抜き放つ。


「今の俺は凡百の『転生者』どもとはわけが違う。格が違う!

 オフィーリア手ずから、より多くの霊血をこの身に注いでくれたのだ!

 分かるか、お前たちに! 俺の身に溢れる恐るべきパワーが!」

「…………」


 高らかに吼える冒険者Zに、マヒロは言葉を返さない。アレクトも同じだ。

 扉の外まで漂っていた霊血の気配は、唯人の肉体なのは明らかだった。

 体内を流れる血が、収まりきらずに辺りの空気を汚染してしまうほどの濃度。

 それがどれほどの力を生むのか、全く予測は不可能だ。


「……何故だ、オフィーリア。何故、お前はこんな真似をする?」

「? アレクト、それはどういう意味ですか?」

「どういう意味も何も、言葉の通りだ。

 己の血を分け与え、不死でない生き物に自らと同じ不死を施す。

 だが見ろ、その結果を! お前の傍らにいる男は、そんな様で人間と呼べるか!

 お前は他者に毒を与え、歪んだ化け物を生み出しているという自覚はないのか!?」


 問答をしている時間はなく、そんな段階はとっくの昔に過ぎている。

 頭では理解していても、溢れ出す感情は止められない。

 ほとんど叫びに近い言葉を受けて、オフィーリアは僅かに首を傾げた。


「……だって、可哀想ではありませんか」

「…………何?」

「人間は、?」


 何故、疑問に思われているのか心底分からない。

 そんな不思議そうな態度で、戸惑いに眉根を下げながらオフィーリアは応えた。

 無知な子供に対して、世の道理を教え聞かせるかのように。

 彼女の言葉には、ただただ慈しみ愛する気持ちだけが込められていた。


「ドワーフや普通のエルフなら、もっとずっと長く生きられる。

 けれど彼らにしても、首が取れたり心臓が潰れたりしたら死んでしまう。

 病気だって恐ろしいでしょう。毒に身体を冒されてしまったら、どうなってしまうか!

 ええ、すぐに死んでしまうのです。誰も彼も。

 『永遠に生きられないから』──そんな理由で、私以外の方は皆死んでしまうのです」


 「ほら、可哀想でしょう?」と。

 付け加えるように言いながら、オフィーリアは微笑んでいた。

 アレクトは絶句していた。

 彼女の記憶にあるオフィーリアと、その微笑みが重なる。

 寸分の狂いもない一致が示すのは、この不死エルフの姫が何一つ変わらないという事実。

 もしかしたら、何かがあったのではないかと。

 幼い日の自分と出会った頃の彼女は、こんな不死の怪物では無いのではないか。

 無意識に抱いていた一縷の望みが、今完全に打ち砕かれた。

 オフィーリアはオフィーリアだ。何も変わらない。

 彼女は百年以上も前に出会ったあの時から、何一つ変わらずに不死の怪物だった。


「……アレクトさん」

「申し訳ない、マヒロ殿。我が身の未熟さ故、無駄な手間を取らせました。

 けれど、もう一欠片の迷いも御座いません」


 マヒロの声に応え、アレクトは呪いの剣を構える。

 不死の怪物を屠るため、百年かけて鍛え上げた《不死殺し》の刃。

 その切っ先をオフィーリアへと向けて、彼女は告げる。


「今度こそ、貴様の不死を断ち切る。覚悟せよ、オフィーリア!」

「そんな事を俺がさせると思うなよ! 定命モータルどもがっ!!」


 怒号が響いた直後、唯人の姿が消失した。

 床を踏み砕くほどの跳躍と共に、宙を舞うその姿が大きく歪む。

 全身が一度風船の如く膨張したかと思うと、一瞬で元のサイズに戻ったのだ。

 肉体を『作り替えた』のだと、マヒロは直感的に理解した。

 だから迷う事なく、傍らのアレクトを入れて《転移》を発動する。


「絶対に、絶対にオフィーリアには手を出させない……!!

 彼女は俺の愛、俺の全てだ! 下等な人間が、彼女を害して良い道理などない!

 そんな不埒者は、一人残らずこの謎の冒険者Zが駆逐してやる!」


 床に剣を叩きつけただけで、石室の構造が大きく揺らいだ。

 あるいは単純なパワーだけならば、あのくるいさえも上回るかもしれない。

 刻まれた破壊の痕跡を目にしながら、《転移》を終えたマヒロたちは距離を測った。


「オフィーリアを殺すには、奴の首をこの剣で絶つ他ありません」


 この場の勝利条件を、アレクトは改めて口に出して確認する。

 それ以外の攻撃は、完全不死であるオフィーリア相手にはほとんど意味はない。

 ダメージを与える事自体は有効かもしれないが。


「《転移》で死角を取れば、首を狙う事は難しくないかもしれませんが……」

「あちらの男が、それを簡単には許してはくれないでしょう」


 燃えたぎる眼差しを向け、こちらの動きを全力で警戒している謎の冒険者Z。

 今やその力は、一人で相手をするにはあまりに危険だった。


「やっぱり、先ずはあっちをどうにかしないと駄目ですね」

「ええ。オフィーリアの前に、あの男から」

「相談は終わったか、低能な猿ども!!」


 咆哮。巨人や竜もかくやという衝撃が、ビリビリと石室の空気を揺らす。

 《レガリア》と《不死殺し》。

 異なる二つの伝説級の武器を向けられても、唯人は怯んだ様子は見せない。

 むしろますます意気軒昂とばかりに、手にした剣を高く掲げる。


「我が姫君よ、どうぞご照覧あれ!

 貴女の英雄は、必ずや勝利をもたらしましょう!

 愚かな定命ども、貴様らは我が愛を証明するための贄となるが良い!!」


 吼え猛るその姿に、まさに恐るべき不死の獣だった。

 謎の冒険者Zは、姫君の命を狙う怨敵へとその剣を振りかざした。

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