第57話:仇を求めて
《百騎八鋼》からの──正確には、巌からの返信はすぐに《組合》に届いた。
アレクトの血を触媒にしての『人探し』の占術。
事態が事態だ、《怪力乱神》は可及的速やかに、かつ全力で事に当たってくれた。
記されていたのは、迷宮内のとある地点を示す座標。
ズリエルが起こした『迷宮津波』の影響により、少し前まで封鎖されていた辺りだ。
「位置的に深度『二』から『三』の境界線辺りか。
これならば、マヒロ少年を連れて行っても問題はないな」
「資格試験、結局まだ途中ですからね」
冗談めかしたアリスの言葉に、マヒロは小さく笑い返す。
巌からの占術情報が届いてすぐ、アリスたちは《アンダー》への扉を潜った。
メンバーはアリスにマヒロ、くるいとアレクトの四名。
一応は、巌辺りも動いてくれるのではとアリスも期待はしていたが。
「パパは本拠の守りを固めるって?」
「あぁ、相手が《永劫宮廷》だからな。残念ではあるが、正しい判断だ」
《百騎八鋼》の本拠は狭い共同体だ。
そこに万一でも『転生者』が潜り込めば、それこそ大惨事になる。
身内の保護を最優先するのはまったく正しい話だった。
むしろ、重要な戦力であるくるいをこちらに留めてくれただけ感謝すべきだろう。
言葉を交わしつつ、一行は目的地を目指す。
『津波』の余波を受けて半壊した通路を、慎重に進んでいく。
隊列は先頭にアレクト、次いでアリス、マヒロと続いて殿はくるいの順だ。
「今のところ、魔物の気配は御座いません」
「うむ、引き続き警戒を続けてくれ」
長い耳を時折小刻みに揺らしながら、アレクトは囁くように告げる。
エルフは五感に優れ、アレクトはその上で専門的な訓練を積んでいる。
仮にではあるが、マヒロも斥候の技術を身に着けているから良く分かる。
周囲に向ける警戒に、ほとんど音を立てない足さばき。
創作に出てくる忍者の如く、アレクトの動きは斥候として完璧だった。
「後ろも、警戒を怠らぬように頼むぞ」
「はい、勿論です」
「任せてー」
アレクトと共に、アリスは前方から側面に注意を向けている。
背後からの脅威は、マヒロとくるいの担当だった。
とはいえ、今のところ迷宮内は凪の海よりも静かだったが。
「……嫌な感じがしますね」
「少年もそう思うか」
「はい。こんなに静かなのは──少し前の事を、思い出します」
「私も同感だ。くるいの方はどうだ?」
「うん、似てるね。空気の感じとか、何かそんなのが」
くるいの言葉は大変ふわっとしているが、言いたい事は理解出来た。
三人が共通して感じる、現在の状況と似た空気。
言うまでもなく《円環》だ。ズリエルの住処に踏み入った時に近い感覚。
ただ一人、アレクトだけはそれを知らない。
しかし彼女も、その優れた五感で何かを捉えているようだった。
「アレクト?」
「……空気と一緒に流れてくる、魔力の質が変化しました。
皆さん、警戒を強めて下さい」
「分かりました」
張り詰めた糸の如き警告に、マヒロは腰に下げた剣に手を伸ばす。
《レガリア》。迷宮を征する王権たる刃。
アリスも同じく、自らの愛剣である《レガリア》を素早く抜き放った。
「今一度確認しておくが、少年が遭遇したという《円環》はどんな相手だ?」
「確か、ハマリエルと名乗っていました。
見た目は普通の人間と変わりませんでしたが、格好は何故かバニーガールでした」
「前にも聞いたけど、ホントに意味が分からないよねソレ。
どうしてバニーガールなの?」
くるいの疑問はもっともだが、それはマヒロの方も聞きたかった。
奇抜な格好の冒険者は別に珍しくもないが、流石にバニーガールは奇抜過ぎる。
相手が《円環》という化け物である以上、常識で測るのは無意味かもしれないが。
ハマリエルの名に、アリスは「やはり知らん名だな」と呟く。
「時間を停止する能力を行使した、というのも事実なんだな?」
「はい。俺は何故か意識だけはあって……オフィーリアも、ある程度動けるようでした」
「そして恐らく、私もその停止空間とやらには足を踏み入れている。
妙な魔力が通路を満たしているのは感じたが、行動に大きな制限はなかった」
「ワタシは全然動けなかったっぽいのに、なんで?」
何故か不満げなくるいに、アリスは難しい顔で唸った。
能力者であるハマリエルは別にして、それ以外で影響の受け方に差異がある。
果たしてこの事実は、何を意味しているのか。
「……《レガリア》……?」
「まぁ、結論としては妥当なところか」
マヒロが呟いた思いつきに、《迷宮王》は肯定を返した。
オフィーリアは分からないが、マヒロとアリスに共通するところはその一点のみだ。
先頭で耳だけ傾けていたアレクトも、「なるほど」と小さく頷く。
「推測ですが、そのハマリエルの能力は流れる時間を迷宮化させたのやもしれません」
「時間を迷宮化……?」
「ええ、完全に根拠のない推測なので、正しいかは分かりませんが……」
「ズリエルの例を見ても、《円環》は《アンダー》内の構造を自在に操る事が出来る。
迷宮に流れる時間を操作可能な者がいても、まぁ不思議ではあるまい」
「不思議っていうか、メチャクチャだとは思うけど」
本当に、くるいの言葉はもっともだった。
迷宮内に流れる時間も『迷宮の一部』とみなし、これを停滞させる。
もしそれが真実なら、まったくメチャクチャな能力だ。
迷宮を操る力であれば、同種の力を帯びた者には抵抗力が生まれる。
そういう理屈なら、やはり対処の鍵は《レガリア》となるだろう。
「アレクトが言う通り、まだ確証はない。
しかしまたハマリエルとやらに遭遇した場合は、《レガリア》の力を試すべきだな。
少年が意識のみで、私の方はほぼ制限なく行動できた。
この事から、重要なのは《レガリア》の持つ迷宮を安定化させる機能なのだろう」
「……俺の《レガリア》は、そっちの機能は弱いですからね」
「逆に君の持つ《レガリア》は、迷宮の構造を直接的に操作出来る。
私としては、そちらの方がアレコレ出来て便利だと思っているがね」
笑うアリスに、マヒロも笑顔で頷いてみせた。
意識が保てる程度では、ハマリエルへの対抗手段とは言い難い。
その事実を悔やむ少年の心を、《迷宮王》はガラスの向こう側のように見透かしていた。
「ハマリエルとやらが出てきた場合は、私が相手をする。
他の者たちは気をつけろ……と言って、気をつけられるものではないか」
「時間止められちゃったら、実際どうしようもないしね」
「善処は致します」
そもそも対抗手段を持ち合わせていない二人は、その決定に頷く以外になかった。
《円環》であるハマリエルは脅威だが、問題はそれだけではない。
「本命の方は、アレクトが頼みの綱だ。
『転生者』とやらは、文字通り粉々にしてしまえば生命活動を停止させる事が出来た。
が、不死エルフであるオフィーリアはそうは行かないだろう」
「……完全不死、でしたっけ」
「あぁ。少なくとも私の知る限り、《七元徳》の殺害に成功した例は聞いた事がない。
奴らはどれだけ肉体を破壊しようが、復活までの時間を伸ばせるだけ。
結局、有効な手立ては『封印』一択のみという話だ」
にわかに信じ難い話だが、アリスが語っている以上は事実に間違いない。
首を切ろうが、心臓を抉り出そうが、その後の死体を灰になるまで焼き尽くそうが。
《永劫宮廷》の中核、完全不死を実現した《七元徳》を殺す事は不可能。
オフィーリアもまた例外ではなく、物理的な殺害方法は存在しない。
神代の血を現在までその身に宿す最古のエルフは、決して死ぬ事はないのだ。
「……私の《不死殺し》ならば、殺せます。例えあの女であっても。
この刃で首を断てば、如何なる不死であっても断ち切る事が出来るのです」
鞘に納められた呪いの剣を、アレクトは指でなぞった。
完全ではないにしろ、不死に近い生命を持つ『転生者』をあっさり斬り殺した刃。
アレクトが語る事もまた事実。彼女の剣は不死を殺す。
百年もの長きに渡り、血と死を浴び続けてきた一振りは禍々しい気配を放っている。
《愛》のオフィーリアを討つ事が出来る唯一の手段だが。
「出来れば、その剣はオフィーリアを相手にする時以外は抜くなよ。
それで一度斬る毎に、どれほどの代償が必要なのかは私にも分かりかねるが」
「……オフィーリアとは比べるべくもないですが、それでも私はエルフですから」
「普通のエルフでも、寿命は千年という話だったか?
そのぐらい生きられなければ、とてもまともに振るえぬ呪いという事なのだな」
「…………」
アリスの推測に、アレクトは何も言わなかった。
実に古典的な、使い手の命──寿命を対価にして、力を発揮する呪いの剣。
ここに来るまで、長大なエルフの生をどれだけ削り取ってきたのか。
マヒロはとても聞く気にはなれなかった。
代わりというように、自らの剣の柄を一際強く握り締める。
「アレクトさんは、オフィーリアの相手を任せます。
それまでの障害は、こっちで何とかしますから」
「ん。ワタシとマヒロの仕事だね、頑張るよ」
「……はい。ありがとう御座います、お二人とも」
恐らくは、自分の十分の一ほどしか生きていないだろう少年と少女。
彼らの言葉に、アレクトは前を見たまま微笑んだ。
たった一人、死の覚悟で故郷を飛び出した。
呪いが完成を見たと時期を同じくして、オフィーリアの封印が喪失した事。
きっと、これは己の運命なのだと思った。
全てを捨てて、ただ一人で朽ちる事になろうとあの女の不死を殺す。
ただそれだけを胸に、彷徨い歩いたはずなのに。
今はこんなにも、心の内を温かいものが満たしている。
「あなた方と出会う事が出来て、本当に良かった。祖霊の導きに感謝します」
「長命のエルフが、そんな遺言めいた事を言うものではない」
応えたのは、すぐ後ろに続くアリスだった。
彼女も重みを感じさせない、軽い言葉で笑ってみせて。
「冒険は生きて戻るまでがワンセットだ。
目的は達したが、そのまま息絶えましたでは叙事詩か悲劇になってしまう。
私はそんな『とりあえず泣かせておけば良い』みたいな話は好かんのだ」
「アリス殿……」
「んー、アリスの言い方って、何かちょっと回りくどいよね」
「素直に言えない人なんですよ。
長い付き合いでなくとも、仲間と認めた相手には何だかんだで優しいですからね」
「コラそこの若人たち、聞こえているぞ!」
思わず振り向いて指差すと、マヒロもくるいもわざとらしく口を抑えてみせた。
やれやれと、やはりアリスの方も大仰に肩を竦めた。
そのやり取りがおかしくて、アレクトも釣られて喉を鳴らす。
「馬鹿話も結構だが、警戒は怠らないでくれよ?」
「ええ、勿論承知致しております。とはいえ、今のところ変化は──」
何もない、と。アレクトは言おうとして、言葉を途切れさせる。
『津波』で壊れかけていた石造りの通路が、まったく唐突に途切れていたのだ。
全員がその場に足を止め、瞳を凝らす。
マヒロの目には、通路の先が妙に明るくなってるようにしか見えなかったが……。
「アレは……森……?」
そう呟いたのは、マヒロ以外の誰だろうか。
言葉通り、地下深い迷宮の中であるにも関わらず立ち塞がる深緑の壁。
不気味なまでに生い茂った森が、冒険者たちを出迎えるように広がっていた。
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