第55話:踏み絵


 冒険者斎藤が持ち帰った情報は、まさに奇跡に等しいモノだった。

 報せを受けた《組合》は、即座に全ての冒険者に警告を発した。


『現在、《アンダー》内部で未知の呪いが発生している可能性有り。

 言動や行動がおかしくなった者など、お心当たりのある方はすぐ窓口にお知らせ下さい』

『しばらくの間、迷宮への《扉》は封鎖致します。

 既に探索中の冒険者は、アプリで連絡した後は《扉》付近で待機願います』

『緊急性がある場合は、その都度対応致しますのでご協力をお願いします』

『尚、呪いの発生源と思しき銀髪、蒼目のエルフ女性に似た魔物にご注意下さい。

 仮に遭遇・発見した場合、交戦は避けて地上への帰還を優先して下さい』


 電波の届かない深層に潜る冒険者が見逃さぬよう、アプリに発せられ続けるメッセージ。

 慣れてない新人は驚いているようだったが、全体の混乱は非常に薄いものだった。

 地上と迷宮が接続してから、もう三十年以上。

 未知の呪いや病原菌など、それらが蔓延する騒ぎになったのは一度や二度ではない。


「どうした? 何か《扉》が使えなくなったって話だけど」

「あー、詳しく知らないけど変な呪いが迷宮から出たらしいよ」

「久しぶりだな、そういうの。前に似た事があったのってどれぐらい前だっけ?」

「二年か三年前の奴じゃない?

 ほら、中国の方で迷宮由来のウイルスが流行った奴」

「あったあった。あの時はパンデミックになって大騒ぎだったね」


 深刻な事態ではあるはずだが、中堅以上の冒険者にはある種の『慣れ』があった。

 自分が関わったら最悪だけれど、関わらない限りはあくまで他人事。

 大変な状況だろうが、それもいずれ遠ざかる嵐に過ぎない。


「なぁ、《扉》の封鎖が解かれるのは何時なんだよ!

 今日は深度『三』のダンジョン攻略を終わらせる予定だったんだぞ!」

「申し訳ありません、《組合》の方で現在対応中ですので、今しばらくはお待ちを……」

「早くしてくれよ! 今月は稼がないとヤバいんだって!」

「ホントに仕事しねぇよな、《組合》って。そりゃモグリも増えるワケだよ」

「大変申し訳ありませんが、今しばらくお待ち下さい……」


 噂話を口にする者たちも、愚にもつかない文句を垂れる者たちも。

 誰も彼も、緊張感には乏しかった。

 ごく一部の上位の冒険者たちだけは、《組合》の対応に隠れた空気を感じ取っていたが。

 彼らは『事態』の深刻さを察しつつも、今は沈黙を保っている。

 状況が把握出来ない内に、下手に動くべきではない。

 結果、《組合》の支部はいつもより少し騒がしい程度で済んでいた。

 少なくとも、今はまだ。


「斎藤くんとやらはお手柄だったな」

「本当にそうですね」


 支部の片隅に、マヒロとアリスたちは集まっていた。

 オフィーリアに逃げられてから、今日で一週間ほどが経過していた。

 その間、アリスが《組合》を使って行方を追っていたが成果は芳しくなかった。

 迷宮の何処に、あの不死エルフとその従者は潜んでいるのか──。

 頭を悩ませていた矢先に起こったのが、斎藤の身に起こった『転生者』との遭遇だ。


「水薬にオフィーリアの血を混ぜて、それを他者に呑ませる……。

 本当に、あの女は最悪の手を考える」


 忌々しげに呟くアレクト。彼女の傍らで、くるいも大きく頷いてみせた。


「ちょっと飲み物分けますよ、ぐらいのノリで渡されたらどうしようもないよね。

 やっぱり、少しでも口にしたらアウトなの?」

「少なくとも、少量でも体内に入ればその時点でオフィーリアの虜でしょう。

 完全に『転生』するには、それなりの量が必要なはずですが」

「……『転生』」


 アレクトが口にした単語を、マヒロは舌の上で転がす。

 彼もまた、斎藤が持ち込んだ情報については詳細を聞いていた。

 突然、人間だったはずの相手が異形の怪物に変化した事。

 それはオフィーリアとの遭遇時、睦亥 唯人が見せたのと同じものだった。

 人間を、そこまで作り替えてしまう存在。

 マヒロは改めて、オフィーリアの持つ恐ろしさに戦慄していた。


「外にまで出回っていないか、《組合》の占術師たちが今全力で調べている。

 確認するが、影響するのはあくまでオフィーリア本人の血なのだな?」

「はい。仮に完全に『転生』した者の血でも、それは他者に変化を与えません。

 『転生』に必要なのは、オフィーリア自身の持つ霊血のみです」

「それを聞けて少しは安心したよ。ねずみ算式に増えない分、吸血鬼よりはマシだな」


 アレクトの言葉にアリスは頷くが、それとは別に大きな問題もあった。


「……外への拡大はほぼ無いにしても、支部の中はどうでしょうね」

「それが最大の問題だな。恐らく、既に『転生』した者もいくらか混ざっているはずだ」


 そう言って、マヒロとアリスは支部内に視線を巡らせる。

 この場にいる者と、いない者。既に迷宮に潜り、探索している者。

 数えるのが馬鹿らしい程度には、多数の冒険者がこの支部に集まっている。

 単純なアンデッドであれば、探す手段はいくらでも存在する。

 しかし、オフィーリアの『転生者』は不死者ではあるがアンデッドではないのだ。

 彼らは異常な生命力を持つ事以外は、普通の人間と大きな違いはなかった。


「どうするの? あと、オフィーリアも探さなきゃいけないよね?」

「あぁ、対処療法を続けるだけでは意味がない。

 根本的な原因を取り除かなければ、事態は悪化するばかりだ」

「けど、その対処療法もどうするのかですよね……」


 どれだけ潜んでいるかも分からない『転生者』を、大勢の冒険者たちの中から見つける。

 まったくの難事だった。砂漠に紛れた針ほどでは無いにせよだ。

 加えて、オフィーリア自身を広大な迷宮の中から見つけ出すこと。

 むしろこちらの方が、砂漠の針を探すのに等しいかもしれない。


「何か良案はないか、意見を求める。出来れば可及的速やかに、だ」

「オフィーリアを探す方は、占術じゃダメなの?」

「当然、《組合》所属の占術師たちが人海戦術で試みていたとも。

 だが相手も相当な術師のようで、占術での探索は防御されているそうだ。

 ある程度は掴めたが、位置の詳細な特定にまでは至らなかったらしい」


 手を上げるくるいに、アリスは唸るような声で応える。


「じゃあ、パパに頼むのは? パパは占術も得意のはずだけど」

「確かに奴は占術の腕も確かだが、それでも相手が相手だ。

 アイツが《組合》の占術師十人分以上かと言うと、微妙なところだな」

「……あの」


 遠慮がちに手を上げるアレクト。

 アリスは首を捻ったまま、彼女の方に目を向ける。


「どうした?」

「特定の対象を探す占術は、相手と縁深いモノがあれば精度が高まると聞きます。

 であれば、私の血は使えないでしょうか?」

「? アレクトさんの血を?」

「はい。遠い縁ではありますが、オフィーリアは私の祖に当たります。

 この身にも、僅かながらあの女の血が流れているはずなので……」

「……血縁か、なるほど」

「申し訳ありません、もっと早く思いつくべきだったのに」

「いや、良い。人海戦術で遠からず見つかるだろうと、高を括っていた私も悪い。

 やってみなければ分からんが、何もない状態よりはマシだろう。

 《百騎八鋼》には、《組合》から連絡を回しておく」


 すぐにスマホを操作し、大至急で伝達を行うアリス。

 これで少なくとも、オフィーリアを探し出す事については目処がつくだろう。

 ならば、残る問題は。


「『転生者』のあぶり出し……何か良い手は思いつきますか?」

「片っ端から殴っていく?」

「そうだな、それで死なずに生き返った奴が『転生者』で間違いないな。

 少々数が多いが、くるいと私の二人ならそう時間も……」

「待って、待って下さい」


 言い方が割とマジだったので、マヒロは慌てて暴力女二人に待ったをかけた。


「それだと普通の人が死んじゃいますからね!?」

「マヒロが治せば良くない?」

「なぁに、手加減! と叫びながら殴れば相手はそうそう死なないものだ。

 最悪の場合、私の財布から蘇生薬を出してやろう。大丈夫だ」

「いや何も大丈夫じゃないですからね??」

「あの……完全な『転生者』ならともかく、そうでない者は普通に死にますからね……?」


 血を多少摂取した程度では、流石に不死とまではいかない。

 身体能力は強化されるだろうが、思い切り殴れば死ぬ程度だ。

 シンプルかつベストな解決策を却下されて、くるいはむーむーと唸り声を漏らす。


「じゃあ、マヒロは何か思いつかないの?」

「俺ですか? そうだなぁ……」


 矛先を向けられ、マヒロも真剣に頭の中からアイディアを模索する。

 記憶にあるのは実際に遭遇した犠牲者と、斎藤から伝え聞いた詳細な情報。

 オフィーリアの血を取り込んだ者は、強い洗脳状態に陥る。

 会った事がないはずの人間が、『オフィーリア』の名を讃えるほどに。

 なら、それを逆に利用することは出来ないだろうか?


「…………踏み絵、とか?」

「ほう、踏み絵?」

「あ、はい。本当に思いつきなんですけど。

 洗脳された人は、オフィーリアに対する強烈な忠誠心を持っています。

 だったらオフィーリアの似顔絵とか、そういうのを踏ませるのはどうでしょうか?」

「なるほど。古典的な手段ではあるが、だからこそ有効とも言えるか。

 なかなか良いアイディアじゃあないか、マヒロ少年」

「あ、ありがとう御座います」


 背中をバシバシと叩くアリスに、マヒロは苦笑いで応える。

 残る二人は『踏み絵』という単語は知らずとも、やる事の主旨は理解したようだった。


「では、オフィーリアの似顔絵を用意しないと、いけませんよね」

「その通りだ。おい、そこの君! すまないが人数分の紙とペンを用意してくれ!」

「えっ? あぁハイ、すぐご用意しますので少々お待ちを……!」


 忙しそうにしている受付嬢の一人を捕まえ、アリスは「ヨシ」と頷く。

 人数分の紙とペン。その言葉の意味するところは。


「……あれ、まさか俺たちで似顔絵を描く流れですか?」

「? 当然だろう? オフィーリアの顔を直接見てるのは、この場の私たちだけだぞ?」

「いや、それは確かにそうなんですけど……。

 こういうのって、プロの人にお願いするべきじゃないですか?」


 聞くところによると、警察には似顔絵捜査官というのがあるらしい。

 明らかに素人が描くよりも、その道の人間に頼むべきではないだろうか?

 間違いなく常識的な判断であるが、アリスは首を横に振った。


「占術の方は多少気長に待つ他ないが、こちらは早急に対処すべき案件だ。

 ツテを頼って人を寄越して貰い、それから絵を準備して……。

 これでは流石に時間がかかりすぎる。であれば、今この場で用意すべきだろう」

「そう、ですね。兵は拙速を尊ぶとも申しますし……」

「ん、任せて。絵を描くのは得意だから」


 自信ありげに胸を張るくるい。絵心などないマヒロも、覚悟する必要があった。


「……分かりました。ちょっと、頑張ってみましょうか」

「その意気だぞ、少年。

 なに、これで全員下手くそだったら改めてツテを使うだけだ。

 上首尾に終われば儲けもの、ぐらいでチャレンジしてみようではないか」


 何故か楽しそうに笑うアリスの手元に、丁度注文の品が届いた。

 人数分の紙とペンを、そのまま近くにあった雑談用のテーブルの上に置く。

 冒険の準備は万端だと、そう言わんばかりに《迷宮王》は頷いた。


「では、始めようか」


 その言葉と同時に、四人のお絵描きタイムが始まった。

 モデルが目の前にいない状態での似顔絵というのは、素人には難しいものだ。

 が、対象の顔を思い出す事に関して、今回はほとんど苦労はなかった。

 何せオフィーリアの美貌は、瞼の裏に焼き付いてしまうレベルだ。

 おかげで絵心のないマヒロでも、比較的すんなりと絵を描く事が出来た。

 それから十五分ほど後。


「……出来ました」

「うむ、こちらも出来たぞ」

「完成ー、いえーい」

「はい、私の方も完成致しました」


 四者四様に作業の終了を告げ、ペンを手元に置いた。

 周りに多少人だかりが出来つつあるのは、少々気になりはしたが。


「では、各々の絵を見ていこうか。先ずはマヒロ少年からだ」

「えっ、あっ」


 何か言うよりも早く、アリスの手がマヒロの描いた絵を引ったくっていった。

 その場にいる全員が見れるよう、掲げられた絵の出来栄えはというと……。


「……普通だな」

「普通」

「いえ、良く描けてると思いますよ?」

「まぁ可もなく不可もなくじゃないか?」

「で、一体こりゃ何をやってるんだ?」


 よく分かってない野次馬まで混ざっての評論は、何故か地味にダメージを受けた。


「まぁまぁ、下手ではないぞ少年。別に上手くもないが」

「さらっとナイフで刺していくのは止めて貰えませんか?」

「ハッハッハ。では次、アレクトのを見てみようか」


 続くアレクトの絵も、マヒロと同じように全員に見えるよう掲げられた。

 そこに描かれているオフィーリアの肖像。

 目にした者全員から、思わず感嘆の吐息が漏れた。


「うーん、凄まじい出来栄えだな。コレは」

「ホントに上手いですね……凄いな、どうやって描いたんだ……?」

「うん、アレクトの絵、綺麗だね」

「めっちゃ美人なエルフだなぁ。このまま額縁に飾れそうだな」

「いやホントに。しかし結局何をやる集まりだこれ?」


 思わず息を呑む、細緻に描かれた不死エルフの美しい姿。

 過分な評価を一身に受け、アレクトは照れるように顔を伏せた。


「さて──それでは続いて、私の絵を披露しようではないか」


 自信満々の様子で、ついに《迷宮王》自身が手元の絵を掲げ持った。

 上手い。間違いなく。技量的には、流石にアレクトには及ばないものではあったが。

 描かれているオフィーリアは実に美麗で──そして、可愛らしかった。


「……アリスさんって、こういう絵が描けるんですね」

「漫画とかアニメっぽーい」

「あ、アリス殿……? 何故、オフィーリアをこんな破廉恥に描く必要が……?」

「これはこれで凄い上手いな。薄い本作れるんじゃないか?」

「出たら普通に買うわ。で、これ何の集まり?」


 何故かアレクトが真っ赤になって震えているが、アリスの方はドヤ顔だ。

 そして、残っているのは最後の一人。


「ん。みんな上手ではあったけど、ワタシほどじゃあないね」


 最早王者の貫禄さえ漂わせて、くるいは自ら手元の絵を見えるように掲げる。

 アレクトやアリスの絵を目にした後でも、決して揺るがぬその自信。

 白い紙に描き出されたその根拠となる成果が、全員の目に映し出された。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 答えは──ただ、沈黙のみ。

 言葉を失う衆目の前で、くるいだけがただ勝ち誇った笑みを浮かべている。

 描かれたオフィーリア……らしい、複雑怪奇な形状をした名状し難き存在について。

 十歳になる娘を傷つけずにコメントする方法など、誰も持ち合わせていなかった。


 ……なお、くるいの絵に『オフィーリア』と書いて掲示したところ。

 それを見た途端、激高して暴れ出す冒険者──いや、犠牲者が多数現れた。

 結果的に、踏み絵などよりこちらの方が効果的だった事を記しておく。

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