第54話:例え英雄でなくとも


 その日も、斎藤 ただしは迷宮に入っていた。

 いつものごとく、《組合》で受けた低階層の魔物退治の仕事。

 例の『迷宮津波』以来、頻度は大分増したように思う。

 ドブ浚いに近い依頼ではあるが、斎藤は特に不満もなかった。

 一歩ずつ、確実に。魔物との戦いは、どうあれ経験値にはなる。

 最近、馴染みの知人が一足飛びで高い場所へ行ってしまった事への焦りはあるが。


「……ま、そんなもんは気にしても仕方ないわな」


 呟く声を、聞きとがめる者はいなかった。

 少々無理をして買った愛用の魔剣を片手に、斎藤は周囲を警戒する。

 今回共に依頼を受けたのは、斎藤自身を合わせて五人。

 深度は『二』、標的はオークの小集団。

 以前に似た依頼を受けた気もするが、実際やることに大差はない。

 オーク以外に未知の魔物が潜んでいる可能性も、当然ながら存在する。

 今回は『運の良い』知人も不在だ。

 何かあれば、自分とこの場の仲間たちの力で切り抜けなければ。


「しっかし、なかなか見つからねェな」

「まぁ、前情報通りなら十は超えない小さい群れっぽいからな。

 気長に探すしかないだろ」

「無駄口叩いてると痕跡見逃すぞ、しっかり頼むぜ斥候スカウト

「ハイハイ、勿論分かってるよ」


 所詮は低階層の魔物退治、冒険者たちの緊張感は緩めだ。

 その事を、斎藤は別段咎める気はなかった。

 低階層の仕事に悪い意味で慣れた連中だ、口で言ったところで簡単には変わらない。

 通じない小言を口にするよりも、自分で警戒した方がまだ気楽だった。

 ただ、目標を発見できないまま既にそれなりの時間をさまよい歩いている。

 疲労が集中力を削っているのも間違いはない。


「……ヨシ、ちょいと小休止するか」

「お、やった。丁度足が痺れてきた頃なんだよ」

「オイオイ、まだ大して歩いちゃいないだろ」

「まぁ休めるなら何でも良いよ」


 斎藤の言葉に、他の四人は口々に応えながら足を止める。

 全体が気を緩める中、斎藤だけは周りの様子に視線を向けて確認する。

 いつも通り、石造りの通路が広がるだけの低階層の風景。

 見える範囲に、オークが移動した痕跡はない。

 探っている場所が外れているのか、それとも相手が移動した跡を消しているのか。

 どちらも大いに考えられる。そしてこちらに出来る事は、地道に探すことのみ。

 まったく面倒だが、請けた仕事である以上は仕方がない。

 重めのため息を吐いていると、斎藤の横から誰かが近づいてきた。


「斎藤さん。コレ、良かったらどうぞ」

「ん?」


 今回、初めて同行する冒険者の一人。

 特に言うこともない、《組合》から支給された装備を身につけた若い青年だ。

 彼は一本の小瓶を、斎藤の方へと差し出していた。


水薬ポーションか?」

「ええ、疲れてる身体に良く効く奴ですよ」


 受け取ると、青年は満面の笑みでそう言った。

 どうやら、他のメンバーにも同じモノを渡したようだ。

 見た目の方は、そこらのコンビニで売っている回復用の水薬と変わらない。

 というより、表に貼ってあるラベルに関しても同じものだ。

 ただ、一つだけ違和感があった。


「これ、栓を外してないか?」


 瓶の口部分。本来なら、こぼれないよう栓でしっかり閉めてある場所。

 密閉されていなければならないのに、明らかにそこが緩んでいる。

 その縁辺りを指先でなぞりながら、斎藤は青年を見た。


「あれ、そうですか? 全然気にしてなかったな」

「人に渡すんなら、そのぐらいは注意しておけよ。

 水薬に混ぜものして渡す奴、結構いるから《組合》も注意喚起してるだろ」

「ハハハ、そうでしたっけ?」


 曖昧な顔で笑う青年。目に見えるほど動揺はしていないが、明らかに怪しい。

 水薬の瓶を手に持ったまま、斎藤は他の者たちに目を向ける。

 案の定というか、深く考えもせず水薬を口にしている者もいた。

 一番安いモノでも、一本辺り十万円はする代物だ。

 そんなものを、何故低階層で仕事をしてる人間が他人に気前よくばら撒くのか。


「どうしました、斎藤さん?」

「……さっき、言ったよな。《組合》が注意喚起してるってよ」


 笑顔の青年から、一歩距離を取る。二歩目でも、相手は動きを見せない。

 警戒を強めながら、剣の柄を握る手に力を込めた。


「どうも、冒険者の中にヤバいモノを見つけた奴がいるらしい。

 で、ソイツはちょっと前に《組合》から手配をかけられて、まだ捕まってないんだと」

「あぁ、そういえばそんな話もありましたね。けど、それが?」

「《組合》だって馬鹿でも無能でもない。

 本気で探してるのに、未だに見つかってないって事はだ。

 協力者とか、何かそういう奴がいたって別におかしな話じゃないだろ?」


 思考の飛躍、斎藤自身もあまりに突拍子もない話だと感じていた。

 今日たまたま組んだばかりの相手が、手配犯の仲間だなんて。

 ただ、冒険者として迷宮に挑んでいる内に培われた第六感というべきか。

 斎藤の生物としての本能が、この状況に激しく警鐘を鳴らしていた。


「オーイ、どうした? 何か揉め事か?」

「やめろよ、まだオークに出くわしてすら無いんだぜ」

「それよりこの水薬美味いな! なぁ、もっと持ってないのかよ」

「…………」


 気楽に声を上げる他の三人。彼らを横目に、斎藤は目の前の青年との間合いを測る。

 相手は腰に下げた剣にも、懐に入れた銃にも手を伸ばさない。

 ただ曖昧な笑顔のまま、斎藤の事を見ていた。


「……で、今の話を聞いて何か感想とかはないのか?」

「んー、そうですね」


 問われて、青年は戸惑うように首を傾げる。

 瞬間、バネ仕掛けの勢いでいきなり間合いを詰めてきた。

 斎藤がそれに反応出来たのは、実力よりも運による部分が大きい。

 最初から警戒していたから、紙一重のところで反応が間に合ったのだ。


「ちっ……! 本性現すのが早ェだろ!?」

「出来れば、こっちも穏便に話を進めたかったんですよ?」


 掴みかかろうとする手を避けて、牽制とばかりに持ったままだった小瓶を投げつける。

 青年がそれを無造作に掴み取った隙に、斎藤は剣を構え直した。

 奇襲に失敗したというのに、青年に焦りはない。

 ただ面倒臭そうな笑みだけが、見ている側の神経を逆なでしてくる。


「もう一度確認しますけど、この水薬を呑んでくれませんか?

 とても美味しいし、コイツを呑むだけで一気に強くなれますよ。スーパーマン!」

「ふざけてんのかお前。そんなモン呑んで腹壊したらどうすんだよ」

「ご安心を、病気も怪我もしない身体に生まれ変われますからね」

「脳みそ沸いてるのかよテメェ」


 退路は──青年の立っている側。相手は戻る道を塞ぐように立っている。

 状況は良くないが、まだ最悪ではない。

 青年一人だけならば、切り抜ける隙間はあるはずだ。


「なんだよ、マジで喧嘩してんのか?」

「いえいえそんな事はないですよ。

 ところで、斎藤さんが水薬を呑むのを拒否してしまって」

「え? なんでだ? こんなに美味いのに!」

「あぁ、こんな素晴らしいモノを呑まないなんて勿体ない!」

「そうだな、こんな素晴らしい水薬をお与え下さったオフィーリア様に感謝しないと!」

「……マジかよ」


 様子がおかしい。水薬を口にしてしまった三人ともが。

 明らかに常軌を逸したような言葉を吐き散らかし、青年はその姿を満足げに見ている。


「見ての通りですよ、斎藤さん。仲間外れは寂しいでしょう?」

「イカレ野郎の仲間になるぐらいなら、寂しく孤独死する方がなんぼかマシだわ」

「そんな悲しい事を言わないで下さいよ」


 吐き捨てる斎藤に、青年はやれやれと肩をすくめた。

 メキリと、奇妙な音が耳に届く。

 それが眼前の相手が発した音だと、すぐには気づけなかった。

 メキリ、メキリメキリ。肉と骨を軋ませながら、青年の姿が『膨らむ』。

 こんなシーンを、ゾンビ映画か何かで見た事がある。

 斎藤が既視感を覚えている間に、『変化』はまたたく間に完了していた。


「ふ、ぅ……! ホント、出来れば穏便に済ませたかったんですよ」

「……とてもそう思ってる風には見えねェけどなぁ」


 全身の筋肉が倍近く隆起させ、体格もそれに合わせて巨大化した青年。

 《組合》支給の装備を内側から弾けさせたその姿は、明らかに人間を止めていた。


「それが水薬を呑んだ効果って奴か。ドーピングも程々にしとけよ」

「普通のドーピングは身体に悪いでしょうが、コイツは生まれ変われますからね」

「化け物になっただけだろ、ふざけんなよ」


 硬い声で軽口を言いながら、斎藤は神経を研ぎ澄ませる。

 おかしくなった他三人は、水薬でラリってるだけで今のところ害はない。

 であれば、対処すべきは異形化した青年のみだ。

 健気に両手で剣を構える人間を、『転生者』は憐れみを込めて見下ろす。


「馬鹿だな、言う事を聞けば不老不死になれたのに」


 こんな素晴らしいものになれるというのに、拒否する意味が分からない。

 思考も人間から完全に逸脱した青年は、無造作に右腕を振り下ろした。

 常人の何倍も増幅された筋力は、人体を容易く粉砕する威力を秘めている。

 直撃すれば、例え防具の上からでも助からないだろう。

 あくまで、直撃すればの話だが。


「人間様から脱落した分際で、偉そうにほざいてんじゃねェぞ!!」


 己を鼓舞するために、斎藤はあえて強く吼えた。

 同時に叫ぶ言葉は本心であり、燃え上る闘争心は芽生えかけた恐怖を凌駕する。

 全力で地を蹴り、躊躇いなく前へと踏み込む。

 下がればジリ貧だ。当たれば死ぬ異形の拳に向けて、斎藤は自ら突っ込んだ。


「馬鹿がっ!!」

「馬鹿はテメェだよボケが!!」


 互いに口汚く罵り合い、冒険者と異形の姿が一瞬だけ重なる。

 元青年の怪物は、振り下ろした拳に確かな手応えを感じた。

 遅れて、肉を切り裂かれる鋭い痛みも。


「なっ……!?」

「冒険者舐めんなよ化け物がよ!!」


 頭上から落ちて来た拳に剣を当て、そのまま刃の上を滑らすように受け流す。

 まともに受ければ、受けた剣ごと潰される。

 ぶっつけ本番、生きるか死ぬかの挑戦を、斎藤は見事に成し遂げた。

 そこで終わらず、片手で予備の剣を引き抜く。

 走る勢いを乗せて、斎藤はそれを異形の顔面に叩きつけた。


「ギャッ!!」


 限りなく死ななくなった肉体に、人間を遥かに超えるパワー。

 そんなものを手に入れたとしても、あくまでも生物は生物。

 肉を切られれば痛むし、血は流れる。

 流れる血が目に入ってしまったら、当然前は見えなくなった。


「ほざいた割には大した事ないな!

 このままぶっ殺してやるから、覚悟しろよ!」

「っ〜〜……! 調子に乗るなよ、人間がぁ!!」


 視界を塞がれた直後に足を切り裂かれ、異形は思わずバランスを崩す。

 続く挑発に対し、頭の中は殺意で埋め尽くされた。

 殺す、必ず殺す。

 思い上がった愚かさを、引きずり出した内臓にたっぷりと刻み込んでやる!

 切られた傷は、既に『転生者』としての再生能力で塞がっている。

 後は目潰しの血さえ拭ってしまえば、何の問題もない。

 さぁ早く掛かって来い、馬鹿な人間め。

 自慢の剣を、その鼻っ柱ごと圧し折って──。


「…………なに?」


 いない。先ほどまでいたはずの斎藤の姿が、どこにも。

 床を蹴る硬い音が耳に届き、元青年の異形は慌てて後ろを振り返った。

 見えたのは、全力で通路を駆けていく後ろ姿。

 斎藤は、脇目も振らずに来た道を走り抜けていく。


「なっ……!? き、さま、卑怯だぞ! 逃げるのか!!」

「バーカ!! 寝言は寝て言ってろ!!」


 『負け惜しみ』を口にする異形に、斎藤は走りながら腹の底から叫ぶ。

 ここで化け物に挑んで、確実に勝てる保証はない。

 ならば一目散に逃げ、生きて地上に戻りこの事実を報せるのが最善だ。

 そう、間違いなく最善なのだ。


「クソッタレ……!」


 口から突いて出た罵りは、自分自身に向けたものだった。

 逃げる事は難しくない。

 化け物の足は早いが、あまりに図体がデカくなり過ぎていた。

 向こうが入り込めない狭さの道も、そこから『扉』に辿り着くルートも頭の中にある。

 逃げる事は難しくない──水薬を呑んでしまった、三人を見捨てれば。


「クソッタレがよ……! お前が弱いせいだぞ……っ!」


 血を吐く気分で叫びながらも、斎藤は足を止めなかった。

 既に決断したのだ。今更迷う事は許されない。

 叙事詩の英雄ヒーローの如く、全て救えたらどれだけ良いか。


「……それが出来ないから、人間なんだよな。チクショウ」


 超人になりたいのなら、あの水薬を呑むべきだった。

 しかし、斎藤はそれを望まなかった。彼はただの人間で、そして冒険者だからだ。


「待てェ! 逃げるなァ! お前もあの方の愛を受け入れろォォォ!!」


 猛り狂う元は人間だった怪物の叫声を背に受け、斎藤はただ走る。

 迷宮の中から、地上を目指して真っ直ぐに。

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