第53話:全てに愛の救済を


 気が付くと、唯人は大量の玩具の上にいた。

 理解が追いつかず、空白の意識はそれでも状況を掴もうと視線を巡らせる。

 出入り口のない、半球形状の奇妙な空間。

 壁から天井にかけては、デフォルメされた昼と夜の風景が描かれている。

 足元を埋め尽くすぬいぐるみや人形など、印象だけ拾えば子供部屋に似た場所だ。

 一体何故、自分はこんなところに──?


「目を覚ましましたか? タダヒト様」

「っ、オフィーリア!」


 声。愛する不死エルフの姫君。

 慌てて振り向けば、散らばる玩具の上に腰を下ろすオフィーリアの姿があった。

 唯人の目には、先ほどまでの光景が焼き付いている。

 悍ましい呪いの剣を手に、彼女の命を狙っていた恐ろしいエルフの剣士。

 その脅威から、唯人はオフィーリアを守る事が出来なかった。

 己自身への失望に、男は思わず膝を付いてしまう。


「タダヒト様、どうなさいました? どこかお加減が……」

「申し訳ありません、オフィーリア!

 俺は、貴女を守る事すら満足に出来なかった……!

 強くなったとあれだけ思い上がっておいて、なんてザマだ……っ」

「そんな……私も貴方も無事だったのです。今はそれを喜びましょう?」


 慰めるように、労るように。

 無償の愛を込めて、オフィーリアは打ちひしがれる唯人に優しく語りかける。

 普段ならば感涙でむせぶところだが、今の唯人は恥が勝っていた。

 どう言い繕ったところで、自分は不死殺しの刃を阻めなかった。

 どこまでもその事実は重く、膝をつく男の背に伸し掛かる。


「ええまったく、ご自身で仰っている通り。

 完全な失態であり、完璧な醜態で御座いましたね。

 姫を守れぬ騎士ナイトなど、果たして存在価値がありましょうか」

「ハマリエル殿!」


 淡々とした口調で唯人を嘲笑する声。

 オフィーリアが咎めるように名を呼ぶと、バニーガール姿の少女が現れた。

 前兆も脈絡もなく、いきなり虚空から出現する兎の娘。

 驚き身構える唯人に対し、少女──ハマリエルはゆっくりと頭を下げた。


「ご機嫌よう。私は《十二の円環》、《処女》の座を埋める兎のハマリエルと申します。

 決して敵ではありませんので、仲良くして頂ければ幸いです」

「《十二の円環》だと……!?」

「タダヒト様は、ご存知なのですね。《十二の円環》とは一体……?」


 単語の持つ意味を理解せず、オフィーリアは不思議そうに首を傾げた。

 絶句している唯人に変わって、当のハマリエルが口を開く。


「我々が本格的に活動を始めたのは、十年前の《迷宮戦争》から。

 それ以前から封印されていたオフィーリア様が我らを知らぬのも無理はありません。

 改めて名乗りましょう、私どもは《十二の円環》。

 大いなる《御使い》に祈りと願いを捧げ、運命を剥ぎ取られた哀れなる獣に御座います」

「……大いなる《御使い》……そう、貴女たちが……」


 《御使い》という言葉に、オフィーリアは複雑そうな感情を見せる。

 何も知らない唯人は、疑問は抱かずただ《円環》に対して警戒を向けていた。

 そんな忠実な番犬の姿を、ハマリエルは無感情な眼差しで一瞥する。


「私は敵では御座いませんよ、謎の冒険者Z様。まぁ、先ずは肩の力を抜いて」

「ここはどこだ、《円環》。オフィーリアをどうするつもりだ?」

「この場所は私の領域ですね。

 人を招く事は少ないので、お友達に自慢なさっても構いませんよ」


 淡々とふざけた事を口にする兎女に、唯人の中で苛立ちが募る。

 コイツは危険だと、体内を流れる霊血が煮え立つように訴えている。

 今すぐにでも斬りかかりたいのを、押し留めているのはオフィーリアだった。

 唯人の手を、細い指がぎゅっと握り締める。


「……オフィーリア」

「いけません、タダヒト様。今、彼女と敵対しては」

「賢明なご判断、感謝致しますよ。

 先ほどは役立たずだった割に、随分と頼れる騎士様のようで」

「ハマリエル殿も、どうか挑発はお止めになって下さい」

「いえ、別に挑発してるつもりは微塵も。忌憚のない意見とでも思ってお聞き流しを」


 首を左右にゆらゆらと揺らし、ハマリエルは応える。

 マヒロの相手をしていた時とは、テンションの落差が天地ほどの差だった。


「で、何のお話をしていましたっけ。あぁ、私がどうするつもりかでしたか。

 マヒロ様にも似たような事を聞かれましたね。

 さて、どうして欲しいかご意見、ご希望などは御座いますか?」

「ふざけてるのか、《円環》……!」

「いえいえ、大真面目ですとも。私、面白そうだから手を出しただけの身。

 やはり大事なのは、当事者がどうしたいかだと愚考する次第でして」


 激高する唯人のことなど、まるで眼中にない様子で。

 ハマリエルは平坦な言葉を返しながら、恭しく一礼をしてみせた。

 声を荒げる従者とは対照的に、主人であるオフィーリアは冷静だった。

 静かに、目の前に立つ《円環》の事を見ていた。


「……ハマリエル殿」

「はい、何でしょうか。オフィーリア様」

「私が望めば、貴女はそれに応えてくれると、そう考えても宜しいのですか?」

「ええ、このような兎に出来る事などたかが知れているでしょうが。

 それでも宜しいのなら、協力は惜しみませんよ?」


 《永劫宮廷》で最も古い使徒であるオフィーリアですら、底を掴みきれない。

 そんな不気味な存在が、わざとらしい謙遜と共に頭を下げる。

 ──危険だ。この《円環》を名乗る女は、酷く危険で破滅的な相手だ。

 当然、オフィーリアもそのぐらいの事は一目で理解していた。

 同時に自分が選べる選択肢の数が少ない事も、十分理解していた。


「……貴女の厚意、ありがたく頂戴致しましょう。ハマリエル殿」

「素晴らしい。流石は《七元徳》の一人にして、偉大なる女王の最も旧き友。

 正しい判断をして頂けると信じておりましたよ」

「オフィーリア、本当に良いのですか……!?」

「仕方がありません。仮に、ここで協力を断ったとして。

 それでハマリエル殿が、我々を大人しく解放してくれる保証もありません」


 しかもこの場は、《円環》たるハマリエルの有する領域のど真ん中。

 相手がもしその気になれば、袋の鼠どころか蛇の腹に呑まれたも同然の状態だ。

 自分たちの状況を再認識した唯人は、小さく息を呑む。


「やれやれ、そんな心配をなさっておいででしたか。

 杞憂という言葉をご存知ですか?

 空が降ってくる心配など、永劫に生きられる方は随分と小心なのですね」

「実際に空を落とせてしまいそうな方が言うと、面白いジョークだとは思いますよ」

「いえいえ、私にそこまでの力は御座いませんとも」


 本当に謙遜なのか、単なる戯言なのか。

 兎の発する色のない言葉や表情から、真実を読み取るのは難しい。


「さて、無駄話も嫌いではありませんが、時間は貴重な資源(リソース)。

 これからどうするのか、とりあえず詰めてみませんか?」

「そうですね。しかし決めるにしても、私たちに出来る事は多くありません。

 協力者であるハマリエル殿は、我々にどのような手札を提供可能なのか。

 先ず、そちらから確認させて欲しいですね」

「なるほど、なるほど。確かにそれは道理で御座います」


 頷きながら、ハマリエルは声に出してウンウンと唸り始めた。

 ふざけた態度に唯人はまた怒りを覚えるが、その衝動はぐっと堪える。

 やがて、兎は自分の手をポンと軽く叩いて。


「では先ず、私どもの信奉者を二十か三十人ほどお貸し致しましょう」

「信奉者?」

「ええ。大抵の人類は、私たち《円環》を恐れるのですけどね。

 それでも中にはいるのですよ、我々を『神』と崇める者たちが。

 私たちに肖(あやか)り、あわよくば同じ力を得たいと考える輩が」


 明確に嘲りを込めて、初めてハマリエルは微かな笑みを浮かべてみせた。


「基本は帝国人──《アンダー》の住人が多いですけど、地上の人間も存在します。

 彼らに貴女が『転生』を施し、更に地上にも『転生』を広げる。

 貴女自身が既に用意した『転生者』と合わせれば、それなりの頭数になるのでは?」


 まるで、散歩か買い物にでも誘うような気軽さだった。

 そんな気軽さで、二十人以上もの人間を生贄として差し出す。

 完全に常軌を逸した提案だが、それをされたオフィーリアもまともな存在ではない。

 むしろその顔には、ハマリエルへの警戒を上回る喜びが浮かび上がっていた。


「それは──本当に、宜しいのですか? ハマリエル殿」

「ええ、問題ありませんよ? 信奉者なんて勝手に湧いてきたものですし。

 差し出したところで痛む懐では御座いませんから、好きになさって構いませんとも」

「あぁ、ありがとう御座います……!

 これでまた、多くの方を私の《愛》でお救い出来る……!」


 感極まった様子のオフィーリアとは真逆に、唯人は複雑な表情を見せる。


「本当に良いのですか、オフィーリア。

 あまり事を急ぎすぎては、また嗅ぎつけられてしまう可能性が……」

「分かっています、タダヒト様。けれど、既に事は露見してしまいました。

 こうなった以上は、多少強引でも味方を増やす以外に道はありません」


 気遣う男の手を握り、オフィーリアは蒼い瞳で男の顔を覗き込む。

 うっすらと濡れた眼差しを向けられて、唯人の心臓に値する器官は激しく脈打った。


「タダヒト様、私の英雄。どうか、この愚かな女をお許し下さい。

 地の果てまで逃げ落ちて、再び機会が巡ってくるまで静かに息を潜める。

 それが賢い選択なのだと頭では分かっているのです。ですが……」

「……苦しむ者たちを救いたい。

 全ての人々から死を取り除き、永遠の生を施したい。

 分かっています、オフィーリア。貴女は真の聖女だ。

 果たすべき理想を前に、退く道などない事は俺も十分承知しているつもりです」


 握られた手を、そっと握り返す。

 人ならざる愛に従い、唯人は姫君の夢想を肯定する。

 その先にある破滅など、彼の頭には微塵も想定されていなかった。

 愛。あるのはただ、純粋な愛。それだけあれば良いのだ。


「未来永劫、永遠に貴女と共に。その誓いは、決して破られません」

「タダヒト様……」

「おぉ、麗しい愛で御座いますね。大変素晴らしい」


 完全に浸る二人を眺めながら、ハマリエルは心の籠もっていない拍手を送る。

 白兎はただ、この一時の演目が楽しめればいい。

 そのための過程が全てであり、結果など心底どうでも良かった。


「それでは、私は信奉者たちを適当にピックアップして参りますので。

 お二人はしばしこのままお寛ぎ下さいますよう」


 深々と頭を下げると、ハマリエルの周りに虚空から暗幕が落ちる。

 それが消え去ると、隠された白兎の姿もまた完全に消えてなくなっていた。

 唯人とオフィーリアは、構うことなく見つめ合う。


「俺は絶対に負けません。オフィーリア、次こそは必ず貴女を守ってみせます」

「はい、信じています。タダヒト様、私の英雄」


 男の胸に抱かれて、オフィーリアは静かに目を閉じる。

 《宮廷》に頼る事が出来ればと、少しだけ弱い自分が囁く。

 だが、それは出来ない。

 『列強』の一つと位置づけられているが、《永劫宮廷》はそこまで大きな組織ではない。

 完全な不死者である『貴族』は稀少で、戦力は決して多くはないのだ。

 百年ほど封印されていたため、組織の現状を把握していないというのもある。

 だが何より、オフィーリアの《愛》はオフィーリア自身のもの。

 他の《七元徳》には頼らず、己の為すべき事は己の手で完遂しなければ。


「必ず、必ずや全てを私の《愛》で救ってみせます」


 抱き締める男の背に腕を回して、オフィーリアは呟く。

 彼女の胸にあるのは溢れんばかりの喜びと、ほんの一滴の悲しみ。

 瞼の裏に浮かぶのは、呪われた剣を手に自分へと向かってくるエルフの娘の姿だ。

 ──生きていた。幼いアレクトは、生きて立派に成長してくれていた。

 それは望外の喜びだった。けれど愛しい娘は、刃を持って自分に向かってきた。

 何故、と疑問には思わない。

 オフィーリアにとって、それは幾度となく繰り返されてきた事だった。

 喜びを胸に抱いて、オフィーリアは一筋だけ涙をこぼす。

 その涙は死者のように冷たく、幼い娘の手のひらのように温かかった。

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