第51話:最悪の介入


 アレクトは思い出す。それはもう、百年も前の記憶。

 長命なエルフである彼女が、まだ幼い少女に過ぎなかった頃。

 故国の外れに広がる禁じられた森。

 好奇心旺盛であった子供時代のアレクトは、その森の中を良く探索していた。

 迷宮の魔力を呼吸し、深緑に茂った木々の奥。

 化け物が口を開けたような、大きな洞穴の底の底。

 古老たちしか与り知らぬ場所に、打ち捨てられた石の牢があった。

 決して出られぬよう、固く施された封じの魔術。

 その中に、四肢を失った一人の女がいた。


『……あぁ……こんな森の奥深くを、訪ねてくれる方がいるなんて……。

 誰かと言葉を交わすのは、何年ぶりぐらいでしょう……?』


 銀色の髪に、青い瞳。

 幼いアレクトが出会った中で、彼女は一番美しいエルフだった。

 相手が何者か知らない無知な少女は、儚げに微笑む彼女の虜となった。

 どうして、貴女は両手と両足が無いの?


『ずっと昔に、とても怖い人たちに奪われてしまったんです』


 水と少しの食べ物があれば、きっと治す事が出来るのに。

 嘆く女のために、アレクトは石牢に水と少しの食べ物を届けて上げた。

 格子の隙間から差し入れて、四肢を持たない女がそれを口にする。

 女の言葉通り、数日ほど繰り返す間に手も足もすぐ生えてきた。


『あぁ、ありがとう御座います。優しい子。

 アレクトのおかげで、また歩く事が出来るようになりました』


 嬉しそうに笑う女を見て、アレクトもまた嬉しくなった。

 微笑む少女に、生えたばかりの細い腕が伸びる。

 金色の髪を指で梳いて、石牢の女もまた穏やかに微笑んだ。


『私の名はオフィーリア。ありがとう、アレクト。

 こんな牢の中でなければ、貴女のことをいっぱい愛して上げられるのに……』


 女が悲しそうに呟いた言葉の意味を、幼いアレクトは知らない。

 ただ、彼女が酷く悲しんでいるという事だけは理解できた。

 理解できたから、白い指先を小さな手で握り返す。

 ずっと一人で寂しかっただろう彼女に、少女が口にした言葉は。


『……友達?』


 独りきりで寂しかったのなら、私が貴女の友達になる。

 だからもう、そんな泣きそうな顔をしなくても良いのだと。

 無垢な愛情を向けられて、オフィーリアは少しだけ呆気に取られてしまった。

 はらりと頬を濡らす涙の美しさは、一粒の宝石にも等しい。

 どこまでも美しく泣く女を慰めようと、娘は強く指を握り締めた。


『……ありがとう、可愛い貴女。

 嬉しくて泣いてしまうなんて、どれだけぶりかしら。

 ええ、私と貴女はお友達。多くの時間が過ぎて、貴女が幼さを無くしたとしても。

 きっと変わらず、私は貴女を友達だと思っていますから』


 その想いは永遠だと、オフィーリアは優しく微笑んだ。

 これまで見た中で、それは一番美しい笑顔だった。

 だから、アレクトも心の底から嬉しかった。

 初めて出来た友達は、こんなに美しい人だと皆に自慢したかった。


「オフィーリアっ!!」


 けれど、それはもう百年も前に過ぎ去った幸福だ。

 何も知らず、愚かな過ちを犯してしまった過去の自分。

 現在のアレクトは、燃えるような憤怒と共にかつての友達の名を叫んでいた。


「アレクト……! あぁ、貴女にもう一度出会えるなんて……!」


 怒れるアレクトとは真逆に、オフィーリアは抑えきれない歓喜の涙を溢れさせていた。

 もう二度と出会う事はないと、そう覚悟していた。

 曖昧だった記憶が、不死エルフの中で今ハッキリと浮かび上がる。

 石牢の中で孤独に封じられていた自分を、見つけ出してくれた幼い娘。

 四肢が失われた状態では、千年かけても脱出する事など不可能だったろう。

 そんな自分を助け、友達になろうとまで言ってくれた少女。

 アレクト、アレクト、アレクト!

 膨れ上がる殺意も、その手に握られた呪いの刃も。

 再会の感動にむせぶオフィーリアにとっては、どちらも些末なことだった。


「大きくなりましたね。私と出会った頃の貴女は、あんなに小さかったのに。

 本当に、貴女のことだけはずっと心残りでした。

 あぁ、幼かったアレクトがこんな立派に成長したなんて……!」


 戯言など聞きたくもないと、アレクトは素早く地を蹴った。

 疾風迅雷。駆け抜ける一陣の風となった彼女は、呪いの剣を強く握り締める。

 それだけで心身が蝕まれるのを感じられたが、今は全て無視した。

 やっと、やっと届く。

 取り返しの付かない過ちを犯してから、百年。

 この手で積み重ね続けてきた呪いは、全てこの時のために──!!


「オフィーリアを守れ!!」

「ハイ! オフィーリア様のために!!」


 唯人の命令に従い、三人目の元冒険者が動いた。

 不死を殺す刃の前に、何の躊躇いもなくその身を投げ出したのだ。

 立ちはだかる肉壁。これもまたオフィーリアの霊血を口にした『転生者』。

 無視は出来ない。アレクトは意識を集中させる。

 極限まで研ぎ澄まされた五感が、主観として捉えた時間を停滞させる。

 泥のように流れる時の中、手にした剣を最短距離で振り抜く。


「ガッ……!?」

「さぁ、これでもう盾はないぞ! オフィーリア!」


 元冒険者の首を断ち切り、残った身体は蹴り倒す。

 あと数歩、あと数歩で剣が届く。

 如何に鍛え上げた《不死殺し》と言えど、オフィーリアは一太刀では殺せまい。

 だが、この呪いは必ずや霊血の永続性を断ち切る事が出来る。

 そう信じて、アレクトは怨敵の首を刎ねるために、最後の一歩を踏み込んで。


「やらせるワケがないだろうがっ!!」

「ッ……!?」


 横から割り込んできた唯人の剣を、紙一重のところで受け流した。

 先に死んだ三人と異なり、この中で唯人だけが完全な『転生者』だ。

 力も速度も比較にならないほど凄まじく、アレクトは剣を受けた手に痺れを感じた。


「オフィーリアは俺の愛、俺の命だ!

 彼女を殺すなんて、そんな馬鹿な真似を俺が許すと思うなよ!」

「あぁ、タダヒト様……」

「……哀れな『転生者』。

 お前の愛など、その毒婦に植えつけられたモノに過ぎぬというのに」


 自分を守った男に、愛に蕩けた声をこぼすオフィーリア。

 その有様を見たアレクトは、吐き捨てるように呟いた。


「『転生者』を元に戻す術は無し。オフィーリア共々、私が斬り捨てる」

「ハッ! 出来るものならやってみろよ!!

 俺は謎の冒険者Z、愛しいオフィーリアの英雄だ!!」


 叫ぶ唯人の身体から、メキメキと不気味な音が響く。

 両腕に両足、いやそれだけに留まらず、全身の筋肉が歪に隆起していく。

 彼の肉体の大部分を形作る霊血が、主人の危機に限界以上の力を発揮したのだ。

 異形と化す『転生者』を睨みつけて、アレクトは息を整える。

 関係ない。どんな不死の化け物であれ、この剣を当てれば死ぬ。

 邪魔をする障害を切り払おうと、再び踏み込む足に力を込め──ようとしたが。


「……っ」


 ぐらりと、視界が揺れる。

 血の気が失せて、身体から一気に力が抜けそうになる。

 アレクトが晒した致命的な隙。当然、唯人はそれを見逃さない。


「くたばれっ!!」


 体勢を半ば崩した状態のアレクトに、剣が力任せに振り下ろされる。

 回避は間に合わず、防御できるような威力ではない。

 仕留めたと、唯人は確信していた。けれど彼は失念していた。

 この場にいるのは、目の前のアレクトだけではないという事を。


「アレクトさん!!」


 少年の声が響くと、アレクトの姿が不意にかき消えた。

 代わりに現れたのは、大鎚を肩に担いだ黒髪の女。

 驚く暇もない。唯人が全力で打ち込んだ剣を、大鎚が真っ向から受け止める。

 ミシリと、凄まじい力の衝突を受けて迷宮の壁や床が大きく軋んだ。


「何だ、位置を入れ替えた……!? けど、魔法を使った気配は……!」

「良いパワーしてるね、謎の冒険者Z……だっけ?

 でも、ワタシだって負けてないから」


 完全な『転生者』である唯人の力は、常人を遥かに凌駕している。

 その超絶なパワーに、黒髪の女──くるいは生身で対抗する。

 一方、《奇跡》によって位置を入れ替えたアレクトの元に、マヒロは急いで駆け寄った。


「アレクトさん、大丈夫ですか!」

「……マヒロ殿……申し訳ない、また助けて頂いたようで……」

「それは良いですから、先ずは大きく呼吸を」


 こぼれる吐息も弱々しいのに、アレクトは無理に笑ってみせる。

 何か回復をと考えたが、消耗の仕方が明らかにおかしい。

 以前に倒れた時から、まだ身体が万全な状態に戻っていない事は間違いないだろうが。

 アレクトの身体を支えているマヒロは、自身に向けられた視線に気づく。

 顔を上げると、そこには憂いを帯びたオフィーリアの姿があった。


「可愛いアレクト、どうかその剣を手放して。

 《不死殺し》の呪いなんて、定められた命で振るうべきものではないわ」

「っ……黙れ……」

「貴女も分かっているはずでしょう? 不死を殺す代償は、命によって支払われる。

 いくら貴女が長い時を持つエルフでも、決して不死ではない。

 不死を一つ殺す度に、貴女の寿命はすり減って……」

「黙れ、オフィーリア……! 私は、お前を殺すと誓ってこの呪いを鍛えたのだ……!

 百年! 禁忌と知りながら、我が氏族の宝剣を殺したモノの血で染め続けた!」


 マヒロに半ば抱えられた状態で、それでもアレクトは強く吼えた。

 無理をすべきではない。そんな言葉は、彼女の眼に燃える炎を見ては口に出せなかった。


「お前は私に何をした!? 四肢が戻り、力を取り戻したお前は石牢を己の手で破った!

 そうしてお前は、私の故郷でその呪われた血をバラ撒き始めた!!

 何故だ、何故あんな真似をした! 街は不死の怪物が溢れ、多くの者が死んだ!!

 あんなものが、お前の語る《愛》だと言うのか! オフィーリア!!」

「……ええ、そうよ。アレクト。あれは、私なりの貴女への《愛》でした」


 最早泣き叫びにも等しいアレクトの言葉に、オフィーリアは穏やかに応える。

 彼女の浮かべた微笑みは、百年前と何も変わらない。

 どこまでも美しく、優しさと《愛》に満ち溢れたものだった。


「貴女の故郷は、エルフじゃない人間も多かったでしょう?

 エルフでアレクト以外に年若い子供はいなくて、貴女は寂しそうだった。

 高貴な血筋だった貴女は、平民の人間の子供とはなかなか友達になれない。

 私が貴女とずっと一緒にいて上げられれば良かったけど……ええ、それは難しいから」

「っ……オフィーリア……!」

「だからね、あの子たちに私の血を分けてあげたのよ」


 傍から聞いていたマヒロも、言っている意味が分からずに眉をひそめる。

 オフィーリアの笑顔は変わらない。

 彼女は、彼女なりの正しい《愛》しか語っていないのだから。


「私に流れる血は、遠い子である貴女に繋がっているもの。

 だから、私の血を上げたあの子たちも、『高貴な血』を持ってる事になるわよね?

 そうすればアレクトも、遠慮なんかせずにお友達を作る事が出来る。

 あぁ、やっと思い出せました。

 あの時は貴女のためという想いもあって、つい張り切りすぎてしまって……」

「……何を、言っている?」


 信じられない。アレクトの内で、これまで以上に炎が燃える。

 脳裏に焼き付いた地獄は、今でもまだ夢に見る。

 不死の怪物と化した者たちが、故郷を真っ赤に塗りつぶしていく惨劇。

 まだ幼い娘でしかなかったアレクトは、何も出来なかった。

 《帝国》が大規模な討伐に乗り出し、オフィーリアに再封印を施した時も。

 何も出来なかった。何も。

 無力に苛まれたあの地獄が生み出された理由が、そんな事のため?


「ッ──オフィーリア……!!」

「アレクトさん!」


 呪いに蝕まれているなど、知った事ではない。

 動かぬ身体を無理やり動かして、アレクトはオフィーリアに向けて駆け出す。

 マヒロは止めようとしたが、今の彼女をどう止める?

 《不死殺し》の剣を固く握り締め、怨敵へと向かって走るアレクト。

 無理に止めようとすれば、互いに致命的な危険を及ぼす可能性は高かった。

 対するオフィーリアは、逃げるどころか回避する素振りも見せていない。

 ただそっと両手を広げて、アレクトを迎え入れるような姿勢だ。


「駄目です! お逃げ下さい、オフィーリア!!」

「大丈夫ですよ、タダヒト様。どうか私を信じて下さい」


 くるいと矛を始めながら、唯人が悲鳴じみた声を上げる。

 けれど、《愛》のオフィーリアは揺るがない。

 百年ぶりに再会した『友達』の殺意おもいを、彼女は受け止めるつもりだった。


「アレクト、貴女に会いたかった。

 そして謝りたかった──私が臆病だったばかりに、貴女を置いていってしまって。

 けど、今なら貴女を『永遠』に愛する事が出来る」

「殺す……! 殺してやる、オフィーリア……!!」

「嬉しいわ。百年の間、ずっと私の事を想っていてくれたんですね」


 愛情と殺意。二つの相容れないはずの感情が、完全な合意の元にぶつかろうとする。

 この場は一度止めなければ、取り返しのつかない事態になる。

 直感でそう理解したマヒロは覚悟を決め、自らの《レガリア》を握り締めた。

 危険は伴うが、身体を張ってでも止めるしかない。

 集中した五感が、周りの時間の流れを泥のように停滞させる。

 その中で《奇跡》を行使しようとして、気が付く。身体がほとんど動かせない。

 意識はある。いつの間にか、世界そのものが凍りついたように停止していた。


「チク、タク、チク、タク」


 困惑するマヒロの耳に、愛らしい声が響く。

 果たして、いつの間にそこにいたのか。

 白い髪に赤い瞳、何故かバニーガールの衣装を身に纏った一人の少女。

 首から下げた懐中時計を手に、恭しく一礼をしてみせる。


「おはよう御座います、人類の皆々様がた。

 私、《十二の円環》のハマリエルが、面白そうなのでちょっかいを掛けに参りました」

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