第49話:《永劫宮廷》


 森の魔女の店は、相変わらず不可思議な気配を漂わせていた。

 初めて訪れたアレクトは、何かを感じ取ったように不意に足を止める。

 微妙に警戒を滲ませる彼女に対し、アリスは軽く手を振ってみせた。


「確かに、この店の主は油断ならない相手だが、下手な真似をしない限り危険はない。

 むしろそうやって敵意を見せる方が危ないぞ」

「……失礼しました」

「まぁ、最初はちょっと身構えちゃうのは分かるよ」

「そうですね。けど、魔女と言っても悪い人ではないので……」

「いや、元々は大分悪い奴だったがな。私とやり合ってた時期は特にな」

「それはこの前見た映画で知ってる」

「アレはフィクション多めだからな誤解はするなよくるい……!」


 悲鳴じみた声を上げるアリスの近くで、マヒロは思わず苦笑いをこぼした。

 大人気シリーズの三作目を視聴した一件は、まだ微妙にトラウマになっているようだ。

 意味が分からず首を傾げるアレクトを横目に、アリスは咳払いを一つ。


「こちらの話だから、君が気にする事はないぞ。

 ……さて、正直気は進まないが」


 既に何度も口にした言葉を、再び舌の上で転がして。

 店の扉に手をかけると、アリスはそれをゆっくりと押し開いた。

 漂ってくる香の匂い。うっすらと広がる魔力は、この場が魔女の領域だと伝えてくる。

 様々な魔法の品々が置かれた店の奥に、片足隻眼の老婆の姿があった。

 魔女は入ってきた客人たちを見て、低く喉を鳴らす。


「どうやら、あたしが監修した映画は楽しんで貰えたみたいだねぇ。《迷宮王》?」

「喧嘩売ってるなら買うぞ貴様」


 真顔で応えるアリスに、「おぉ怖い怖い」と戯ける魔女。

 どうやら、店先での会話は筒抜けであったらしい。


「そんなことより、聞いたよ。とうとう《円環》の一つを砕いたそうじゃないか。

 流石は《迷宮王》と言ったところかい?」

「別に、私一人の功績ではない。

 マヒロ少年たちがいなければ到底不可能だったろう」

「良いことじゃないか。孤独な王様気取りより、よっぽどアンタらしいと思うね」

「ちょっと良い台詞を言ったからといって、私は絆されんからな」

「ヒッヒッヒ! 本心からの言葉なんだけどねぇ」


 心底楽しげに笑う老婆に、アリスは小さくため息を吐く。

 と、マヒロは軽く肩を叩かれ、そちらを見る。

 アレクトだ。彼女は何故か、酷く驚いた顔をしていた。


「? どうしましたか?」

「あの……今の話は、本当ですか? 《円環》を砕いたと……」

「あぁ、はい。まだ少し前の話ですけど……」

「まさか、あの無敵と言われた怪物が……」


 どうやら、アレクトは《円環》ズリエルが討伐された事は知らなかったらしい。

 実際、その情報が《アンダー》内でどの程度出回っているのか。

 《迷宮組合》は積極的に情報を発信しているので、地上では既に広く知られているが。


「そんなことより、今日は聞きたい事があってきたのだが」

「おやおや、商い以外でアンタがあたしに頼るとは珍しい」

「私も、出来れば避けたかったんだがな」


 言葉を交わしながら、魔女の視線はアレクトの方に向けられていた。

 心の底を見透かすような眼差しを受けて、エルフの剣士はほんの少しだけ身構える。

 その様子すら、老婆にとっては愉快なものであったようだが。


「また毛色の変わったお客さんだね。

 そっちの坊やと違って、初心というワケでもなさそうだけど」

「ははは……」


 どう応えて良いか分からず、マヒロは曖昧な笑みを返す。

 視線を遮る形で立つくるいは気にせず、魔女は次にアリスの方を見た。


「で、何を聞きたいんだい?」

「そちらの彼女──アレクトが人を探していてな。

 オフィーリアという名のエルフについて、何か知らないか?」

「…………オフィーリアだって?」


 瞬間、空気が変わった。

 ほんの一秒前までは、遊びに来た孫を相手にするような雰囲気だった。

 しかし今、魔女の浮かべた表情はただならぬ緊張感を宿していた。

 その変化を感じ取ったアリスも、訝しげに眉根を寄せる。


「どうした?」

「……そうか、アレが封じられたのは百年ほど前だったはずだねぇ。

 アンタが知らなくとも無理はないか」

「? おばあちゃん、オフィーリアって人のこと知ってるの?」

「出来るなら死ぬまで聞きたくはなかった名前だけどねぇ」


 くるいの問いにも、魔女は苦い声で応じた。

 アレクトに向ける視線が先ほどより険しいのは、マヒロの気のせいではないだろう。


「アイツの封印が解けたのかい」

「……魔女殿、何かご存知であればお知恵を貸して頂きたく」

「悪いが、居場所なら聞かれても困るよ。

 あたしだって、今この場で知ったぐらいなんだ」

「おいおい、話が見えんぞ。一体どういう相手なんだ、そのオフィーリアというのは」

「《永劫宮廷エンドレス・パレス》だよ」


 魔女の口にした単語を耳にして、今度はアリスとくるいの表情が変わった。

 くるいの方は、少し顔をしかめる程度だったが。

 アリスは唐突に、アレクトに突き刺さりそうな視線を向けたのだ。

 怒っている。驚くマヒロが口を開くより早く、アリスは声を荒げていた。


「何故、その事を先に言わなかった!!」

「……申し訳ありません、アリス殿。ですが……」

「『奴ら』がどういう存在なのか、知らんとは言わせんぞ!

 最初からアレが関わっていると知っていれば、もっと違う対処が──」

「落ち着きなよ、《迷宮王》。

 コイツは忌み名だ。地上の人間とは違って、本来なら口にするのも憚られる。

 言い出せなかったこと自体は、仕方のない話だよ」

「……確かに、そうかもしれんが」


 魔女に諌められ、語気を弱めるアリス。

 傍から聞いていて、マヒロはまだ状況が掴めなかった。

 《永劫宮廷》。その名を聞いた覚えはあったが……。


「確か、『列強』の一つの名前……ですよね? 《永劫宮廷》って。

 いや詳しい事は全然知らないですけど……」

「坊やが知らないのも当然さ。

 《永劫宮廷》に関しては、《組合》は意図的に情報を制限してるからね」

「あれ、そうなんだ?」


 首を傾げるくるいに対し、《迷宮組合》の長であるアリスは小さく頷いた。


「アレの情報に関しては、危険過ぎるため一般には公開されていない。

 冒険者にも、上位の者以外には限られた部分しか《永劫宮廷》については知らせてない」

「……何なんですか、《永劫宮廷》って」

「簡単に言っちまえば、不死者たちの寄り合い世帯だよ」

「不死者たちの……?」


 魔女の言葉を、マヒロは舌の上で転がすように繰り返した。

 いわゆる、アンデッドとも呼ばれる存在。

 低位の不死者であるゾンビやスケルトン辺りは、低階層でも稀にだが遭遇する事もある。

 死体に魔力が影響したり、浮遊霊が憑依する事で『起き上がった』存在。

 既に死んでいるため、肉体を少し損傷したぐらいでは無力化できない。

 そういう意味では厄介だが、これだけならちょっとしぶとい魔物程度の危険度だ。

 この場合の『不死者』は、それより遥かに高位の者を示していた。


「真祖と呼ばれる吸血鬼に、自分を『魔法』に変えちまった元人間の魔法使い。

 そういった『真の不老不死』を実現した連中が寄り集まった集団。

 それが《永劫宮廷》、《アンダー》を席巻する『列強』の一つだよ」

「……アレクトさんが探している、オフィーリアという人も?」

「あぁ、それがあたしの知ってるオフィーリアと同じなら、《永劫宮廷》の一員だよ。

 《愛》のオフィーリアと聞けば、大抵の魔女は思わず震えちまうよ」

「愛……まさか、《七元徳オリジナル・シン》の一人か。最悪ではないか」


 顔をしかめて唸るアリス。

 《七元徳》という単語を、魔女の老婆は頷いて肯定する。


「あたしが知る限り、一番古い《永劫宮廷》のメンバーだね。

 最古の不死エルフで、《宮廷》の主催者である紅玉の女王の盟友さ。

 百年ぐらい前、《帝国》と大きな争いになって封印されたと聞いていたが……」

「その封印が解けてしまった、と。そういう事で良いんだな、アレクト」

「……はい、その通りです」

「しかし何故だい? 《七元徳》の一角を封じたんだ、相当厳重な封印なのは想像がつく。

 まさか《帝国》は、封印一つの管理さえ出来ないぐらいに腑抜けちまってるのかい?」


 呆れた様子の魔女に、アレクトは少し口ごもってしまう。

 代わりではないが、応じる形で言葉を発したのは横で聞いていたくるいだった。


「もしかして、前のアレじゃないの?」

「アレ?」

「ほら、《円環》の奴が起こした『迷宮津波』。

 アレのせいで、封印が壊れたか何かしたんじゃないかな?」

「……そういえば、あの津波は深度『六』からかなり上の階層まで影響してましたね」


 《十二の円環》の一人で、アリスとマヒロたちが討ち取ったズリエル。

 今思い出しても、その力は『神』を騙るに相応しいものだった。

 ズリエルが起こした迷宮内の構造変化は、驚くほど広範囲に影響が及んでいた。

 未だに《組合》が引き起こされた被害の規模が把握できないほどに。


「はい……本来、オフィーリアの封印は、私の国の領域内にありました。

 しかし少し前に突如として起こった『迷宮津波』に呑まれ、所在が不明に……」

「……なるほど、そういう話か」


 顔を伏せるアレクト。大きく息を吐き、アリスは頭を掻いた。


「ならば、直接的でないにしろ私たちも事態に関わっているわけか。

 感情的になってすまなかったな、アレクト」

「いえ、全ては私の不徳ゆえ……どうか謝らないで頂きたい、アリス殿」

「……結局、オフィーリアの居場所については、おばあさんも知らないんですね?」

「あぁ、期待に添えず悪いけどねぇ」


 マヒロの問いかけに、魔女は懐から葉巻を出しつつ応える。

 乱暴に咥えると、指で先端に触れて火を点ける。

 薬草の匂いが濃い煙を吐き出して、片方だけの眼を眇(すが)めた。


「星に聞けば何か分かるかもしれないが、確実とは言えないね。

 オフィーリアは魔法にも長けているはずだ。

 占術での追跡逃れぐらいは当然しているだろうからねぇ」

「何か手掛かりになりそうなのは無いの? おばあちゃん」

「もしあの女が本格的に活動してるのなら、そこらに不死者が溢れてるはずだ。

 ただ、そんな話はあたしの耳にもまだ入ってきてないからね」


 不死者が溢れている。

 その言葉からマヒロが想像したのは、ホラー映画などで良く見る光景だ。

 街中をゾンビが闊歩し、死体がさらなる死体を増やしていく。

 終末の想像図を中断させたのは、魔女の喉から漏れ出す低い笑い声だった。


「坊やが何を想像してるか知らないけどねぇ、そんな生易しいもんじゃないよ」

「……? それは、どういう……?」

「《永劫宮廷》の奴らはね、『悪意』がないのさ。

 連中は人間を不死に変えようとする」

「善かれと思って……?」


 言っている意味が、マヒロはすぐには呑み込めなかった。


「これは例え話だけどね、アンタが無類の猫好きだったとしよう。

 道端で野良猫を見つけたとして、余裕があればその猫を拾って飼う事もあるだろう。

 そうでなくとも、去勢や避妊の手術ぐらいはしてやろうと思うかもしれない」

「まぁ、そうですね。そのぐらいは……」

「似たようなもんだよ、《永劫宮廷》の連中もね。

 簡単に死んでしまう人間が可哀想だから、善意で『不死』を施す。

 定められた限りある全ての生命に、永遠の生を!

 それが奴らの基本理念ってワケさ」

「…………」


 あまりの話に、完全に絶句してしまった。

 相手に対する知識を有しているアリスも、神妙な顔で頷いた。


「故にこそ、《永劫宮廷》の情報は広く知られるわけにはいかない。

 奴らは容易く人間を不死の化け物に変える。変えてしまえる。

 存在そのものが社会的な混乱を招きかねない。

 だからこそ《組合》も、連中が干渉して来ないよう注意していたが……」

「……偶然にもその幹部クラスが封印から逃れて、今は行方不明と」

「早く探し出さないと、大変なことになるヤツだね」


 くるいの言葉に、アレクトも含めて全員が頷く。

 もし悪意ある行いであれば、そこには行う者の損得が存在する。

 けれど純粋な善意からの行いに、理屈という歯止めは希薄だ。

 『自分は良い事を行っている』という認識は、容易く暴走の銃爪となる。

 マヒロは自分が考えた終末の風景すら、生易しいモノではないかと本気で危惧した。


「……居場所は分からないけれどね、探すコツはあるよ。

 オフィーリアは不死エルフ、神代から迷宮で生き続けてる最古のエルフだ。

 あの女は、自分の身体に流れる霊血を他人に与える事で不死にする。

 コレには強力な生体改造も含まれてるから、身体の性能が飛躍的に向上するのさ」

「つまり、ただの人間でもオフィーリアの血を得れば超人になると?」

「簡単に言えばそういう事だね。

 だから、明らかに以前と能力が違う奴がいればオフィーリアの仕業かもしれない。

 そっちこそ、何かそういうのに心当たりはないのかい?」

「んー……ワタシは全然だけど……」


 首を傾げるくるい。アリスも当然、心当たりはなかった。

 ただ一人、マヒロだけが押し黙った。


「……? マヒロ殿、如何されましたか?」

「………もしかしたら、なんですけど。心当たり、あるかもしれないです」


 アレクトに応えながら、彼の頭に浮かんだのは一人の人物。

 以前に《組合》の支部で絡まれて、斎藤が追い払ってくれた迷惑な男。

 謎の冒険者Z。巨大な魔物討伐の動画から、一気に知名度を上げた冒険配信者。

 動画を見た時に感じた『嫌な予感』が、ここに来て大きく膨れ上がっていた。

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