第48話:尋ね人


 《迷宮街》は、いつもと変わらない活気にあふれていた。

 少し暑くなってきたなと、マヒロは首筋を流れる汗を手で拭う。


「アレクトさんは、大丈夫ですか?」

「平気です、平気ですとも」


 傍らで微妙にしんどそうにしているエルフは、機械的な動きで首を横に振った。


「灼熱の環境ぐらい、《アンダー》で何度も経験済みで御座いますから……!

 暑さだけで言うなら、その時に比べればこれぐらいは……!」

「でも『しつど』だっけ。ムシムシだから物凄くキツいよね。

 下手なダンジョンより過酷」


 アレクトほどではないが、くるいもやや辛そうなため息を吐いた。

 時季的には、まだ夏の入り口を通り抜けたぐらいだ。

 梅雨は終わり、気温も例年よりいくらか上昇している。

 単に暑いだけならば、《アンダー》でも有数の猛者たちには問題なかっただろう。

 しかしこの国の夏は、兎に角湿度が高い。

 湿った空気自体が熱を吸収し、さながら逃げ場のないサウナのような状態だ。

 特に都市部での暑さは尋常ではなく、『ダンジョンより過酷』も比喩ではないぐらいだ。


「なんだ、だらしないぞお前たち。このぐらいでヘバってどうする?」

「アリスとマヒロは、全然大丈夫そうだよね。何かしてるの?」

「まぁ、このぐらいの暑さならまだ……」

「慣れと言うべきでしょうかね……それにしても凄まじい……」


 先頭に立って通りを行くのは、私服姿のアリスだった。

 汗を浮かべているマヒロとは異なり、彼女は暑さをまったく苦にした様子はない。

 その堂々と歩く美しい姿に、通行人も思わず目を引かれてしまう。

 後をついていきながら、「やっぱりカッコいいな」とマヒロも見惚れてしまうが。


「……アリス」

「何かな、くるい?」

「《遺物》使ってるでしょ」

「ハッハッハ、なんの事かな?」

「絶対使ってる、気配で分かるもん!」


 確信を込めた言葉と共に、くるいは素早くアリスに飛びかかった。

 止める暇もなく、一瞬だけ揉み合いになる二人。

 アリスの懐にくるいの手が潜り込むと、そこから何かを引っ張り出した。

 それは小さな、手のひらで包めるぐらいのサイズの青い球だ。


「ほら、やっぱり持ってた! 一人で使っててズルいでしょ!」

「こらくるい、返しなさいっ。

 あとそれは地味に貴重品だから、手元に一つしかなかったんだ!」

「あの……何ですか、それは?」

「えーと、《寒暖の宝珠サーマル・スフィア》ですね。

 身につけてると、自分の周りを丁度よい気温に調整してくれる《遺物》のはずです」


 マヒロの疑問に、アレクトが丁寧に応えた。

 なるほど、そんな遺物もあったのかと頷きつつ、同時に苦笑いもこぼれてしまった。


「アリスさん?」

「こらくるい離れなさい! 抱きつかれると《寒暖の宝珠》があっても暑い!

 っと、何かなマヒロ少年。いや、君も誤解はして欲しくないんだが……」

「それより、そろそろ目的地ですよね?」


 ポケットから出したスマホを指で操作し、画面を確認する。

 予め地図に設定しておいたポイントは、もう十メートルも離れてない場所にあった。

 ひっついたくるいの頭をグイグイ押しながら、アリスもスマホを確かめる。


「あぁ、そうだな。というわけでくるい、本当に離れなさい」

「はーい。もう、アリスはズルいんだから」

「大人とはそういうものだとも。いや、後で冷たいモノでも奢ってやるから許せ」

「しょうがないにゃあ」

「……これで五件目。何か手がかりがあると良いですね」


 呟くマヒロに、アレクトは神妙な面持ちで頷いた。

 四人が向かったのは、《迷宮街》の奥まった場所にある小さな商店だった。

 店先に並んでいるのは様々な陶器とガラス細工。

 普通に皿や小鉢など家で使う実用品から、鑑賞用の高価そうな壺まで。

 色々な種類のものが、一定の秩序の上で無数に置かれていた。

 狭い通路で物にぶつからないよう注意しつつ、店の中へと足を踏み入れる。


「おう、いらっしゃい──って、《迷宮王》じゃねぇか。何だ、こんなところに?」

「すまんな、今日は買い物をしに来たワケではないんだ。少し話が出来るか?」

「なんだよ、オレは何も悪い事はしてねぇぞ」


 店の奥に座り、新聞を開いていた小柄な男。

 いや、小柄という表現では不足しているぐらいに背が小さい。

 平均的な成人男性の半分程度の背丈に、岩を思わせる逞しい体格。

 頭はツルリとしているが、顎ひげは金ダワシを連想させる剛毛具合だ。

 ドワーフ、という単語をマヒロは自然と思い浮かべる。

 《アンダー》の迷宮を住処とする亜人の一種。

 地上の創作で目にする通り、手先が器用で鍛冶や細工などを得意とする種族だ。


「人を探している。オフィーリアという名のエルフに、何か心当たりはないか?」

「それだけじゃ分かんねェよ。

 そもそも、ドワーフのオレにエルフの事を聞くのがそもそも筋違いじゃねぇか?」

「だが、お前は《迷宮街》では顔が広い方だろう?

 何か知ってるのではないかと思ってな」

「……ま、アンタには『移住』した時に世話にはなったからな」


 このドワーフの男もまた、迷宮から地上へ移った『移住者』の一人。

 そして、今日同じ事を尋ねた五人目の人物だった。


「確かに、街で暮らしてるエルフには何人か知り合いもいるがな。

 その中にオフィーリアって名前の奴はいなかったな。他に特徴は無いのか?」

「銀髪で青い目、あとは物凄い美人だろうな」

「どこにでもいる普通のエルフじゃねぇか」


 やれやれと、赤錆びた色をした髭を撫でるドワーフ店主。

 ふと、その視線がマヒロたちの方を向いた。

 マヒロは一瞬、自分が睨まれたかと思ったが。


「……アンタ。あぁ、そっちのエルフのアンタだ」

「は、はい? 何でしょうか?」

「そう身構えなくて良い。

 ドワーフとエルフは仲が悪い、なんてのはお決まりの話だが。

 少なくとも、エルフだからって喧嘩を売りたいほど若くはねェよ」


 首を横に振り、店主は軽く手招きをする。

 通路の狭さ的に、横に大きい店主が動くと商品に当たってしまうからだろう。

 やや警戒の色は見せながらも、アレクトは誘われるまま前に出る。

 アリスの傍に並んだ辺りで、ドワーフは一つ頷いた。


「アンタ、何か物騒な物を持ってるな?」

「っ……それは」

「赤ヒゲは昔は優秀な鍛冶屋だった男だ。隠しても仕方がないぞ」

「過去形で語るんじゃねぇよ、失礼な奴だな」


 偽装用にゴルフバッグに詰めてあるが、アレクトは自らの剣を肌身離さず持っていた。

 指摘され、困惑を見せる彼女を店主は真っ直ぐに見た。


「ま、今は武器鍛冶じゃなく、こっちばかりを作っちゃいるがな。

 それでもドワーフの本能的に、どうしても気になるんだよ。

 アンタが嫌じゃなければ、ちょいと検めさせては貰えないか?」


 近くにあった陶器やガラス細工を手に取りながら、ドワーフは語りかける。

 ゴツゴツした指先は、かつては多くの武器を鍛えた職人のモノだ。

 アレクトは戦士として、その手は一目見ただけで信用することができた。


「……決して、剣を鞘から抜かぬと約束して頂けるなら」

「十分だ、ありがとうな」


 笑うドワーフに、アレクトは頷いてバッグを下ろす。

 慎重に取り出された剣を見た瞬間、店主は顎ひげを擦りながら低く唸った。


「……なるほどな、コイツは鞘から抜いちゃいけねェな」

「呪いが掛かってるんだよね? コレ」

「そうだな、お嬢ちゃんの言う通り。コイツは呪われている。

 だが、禁呪の類が施されているとか、そういう類の代物じゃねぇな」

「ほう、そうなのか?」


 アレクトの剣が呪われており、鞘も簡単には抜けないよう細工されている。

 そこまでは、既にアレクト自身から聞いた話でもあった。


「エルフのお嬢ちゃん、アンタはコイツで?」

「…………」

「百か二百か、下手したらもっとか。

 昔にな、血に狂った戦士の武具を研いだ事があったがな。

 コイツはその時の何倍も血を吸ってやがる」

「……つまり呪法による人為的な呪いではなく、自然発生した呪詛であると?」

「あぁ。殺しも殺したり、って感じだな。

 呪いとして定着するよう、ほとんど休まず斬り続けてるはずだ」


 アレクトは何も言わなかった。肯定はしなかったが、否定する事もしなかった。

 鞘から下手に抜くのが危険なほどの呪い。

 それが刃に纏わりつくまで、一体どれだけの犠牲が必要だったのか。

 いやそもそも、それはアレクトが成した事なのか?

 彼女は確か、この剣は『家伝の宝剣』と口にしていたはずだが。


「……確かに、この剣が呪われるよう、血を注ぎ続けたのは私です」

「やっぱりそうかい。アンタとこの剣は、かなり馴染んでるようだったからな」

「ですが、この手にかけたのは迷宮に巣食う魔物のみで……」

「あぁ、アンタが人斬りや殺人鬼の類だとは思っちゃいない。

 誤解させちまったなら謝るよ。別に、オレはお嬢ちゃんの事を責めたいわけじゃない」


 ゴツゴツした手を前に突き出し、店主はアレクトの言葉を遮る。

 老いたドワーフの目には、微かな憐憫の光が見えた。


「オレが気になってるのは、アンタが何故そこまでしたかだ。

 剣一本に呪われるまで血を吸わせるなんてのは、尋常な事じゃねェだろ。

 さっき《迷宮王》が聞いたオフィーリアってのは、アンタの探し人か?」

「……はい。お三方には、縁があって協力をして頂いております」

「そうかい。それを聞いてちょいとだけ安心したよ。

 アリスはろくでもない女だが、頼ってきた奴を見捨てるような奴じゃないからな」

「ろくでもないは余計だぞ、赤ヒゲ」


 アリスからの抗議を赤ヒゲは笑って流す。

 それから木製のパイプを懐から取り出し、マッチを擦って火を点ける。


「こんなヤバい代物を持ち出して、アンタが何をする気なのか。

 大体想像はつくし、口で言って思い留まる程度の覚悟じゃないのも分かる。

 だが、生命を捨てて──なんて考えでやる事なんざ、大概ろくな結果にならねェ」

「店主殿、私は……」

「あぁ、悪かった。別に説教したくてグチグチ言ったんじゃねぇ。

 ただちょっと、見てられなかったからな。お節介を焼きたくなっちまったんだ」


 白い煙を吐き、赤ヒゲはバリバリと自分の頭を掻いた。


「会って間もないジジイが、余計なことを言っちまったな。許してくれ」

「……いえ。会って間もなくとも、貴方は私の身を案じて下さいました。

 ご忠告、ありがたく頂戴致します」

「あぁ、是非そうしてくれよ」


 深々と一礼をするアレクトに、ドワーフの店主は笑みで応える。

 それから、視線を傍らのアリスやマヒロたちへと向けた。


「詮索する気はねェが、このエルフの嬢ちゃんのことはしっかり見てろよ。

 口じゃこう言ってるが、いざとなったら何するか分からねェぞ」

「はい、それはちゃんと分かっています」

「そこで『分かってます』ってストレートで言っちゃうの、マヒロらしいよね」

「ハッハッハ、正直で素直なのが少年の良いところだからな」


 うんうんと頷く女子二人に、微妙に目線をそらすアレクト。

 彼女の危うさに関しては、マヒロも良く分かっていた。


「さて、客でもないのに長話をしてすまなかった」

「良いさ、別にそんな繁盛してるワケでもねェからな。出来れば今度は何か買ってくれよ」

「武器を打った方が良い稼ぎになるのではないか?」

「馬鹿言うなよ、オレはもう鉄よりこっちをイジる方にすっかりハマちまったんだ」


 肩を竦める武器鍛冶に、アリスは「そうか」と笑って頷いた。


「しかし、赤ヒゲが知らぬなら次は誰に聞きに行くべきか」

「魔女のバアさんには聞いてみたのか? オレよりよっぽど顔も広いだろ」

「《鬼婆》相手に、出来れば商売以外で借りを作りたくはないんだが……」


 しかし他に選択肢もないかと、腕を組んで低く唸るアリス。

 彼女が悩んでいる横で、マヒロは何となく近くに置かれたガラスの器を手に取った。

 精緻な細工が施された器は、まるで透明な宝石のようにも思えた。


「……見事なモノですよね」

「アレクトさんも、そう思いますか?」

「はい。こういう細工に関しては、エルフも得意なのですが。

 やはり、ドワーフの手先の器用さには及びませんね」

「エルフの嬢ちゃんに褒めて貰えるとは、なかなか嬉しいじゃねぇか」

「はい、本心からそう思っています」

「分かってるさ、ありがとよ」


 パイプから立ち上る煙を揺らしながら、赤ヒゲは大きく頷く。


「今度来る時は、ちゃんと客として来てくれよ。サービスしてやるからよ」

「……はい。今は手持ちがありませんが、次に来る時は必ず」


 頷くアレクトの横顔を、マヒロは見ていた。

 彼女は危うい。けれど、完全に引き返せないところにいるわけではない。

 この先、少しでも自分が助けになれる事はあるだろうか。


「……マヒロ?」

「うん? どうかしたかな、くるいちゃん」

「また危ないこと考えてない?」

「危ない事って。いや、そんなことは考えてないよ」

「そうかな。アリスもだけど、マヒロもいざとなると信用できないから」


 遠慮なしに引っ付いてくる少女は、いつも鋭く真実を捉える。

 果たして、この場で『危うい』のは本当にアレクトだけなのか。

 否定する言葉が見つからず、マヒロは苦笑いを返すしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る