第45話:永遠なる理想郷のために


 空は青く澄み渡り、太陽は燦々と輝いている。

 初めて目にする世界の広さに、オフィーリアは目を丸くしてしまった。

 どれだけ広くても、限られた空間しか存在しない《アンダー》とはまるで異なる。

 賑やかな通りを歩きながら、思わず何度も頭上を見上げてしまう。


「オフィーリア、大丈夫?」

「あっ──は、はい、すみませんっ。ついついよそ見ばかりしてしまって……」

「いえ、貴女の喜びが俺の喜びです。

 俺の住んでるアパートが狭いせいで、窮屈な思いをさせてしまった。

 本当に申し訳ありません」

「どうか謝らないで下さい。貴方が私のために心を砕いてくれている。

 ただそれだけで、私は嬉しいのですから」


 微笑み、オフィーリアは傍らに並ぶ唯人の手をそっと握った。

 場所は《迷宮街》。平日の昼間だが、表通りは多くの人で賑わっていた。

 迷宮を出てからしばらく、オフィーリアは人目を避けるように生活をしていた。


 《組合》の許可なく、迷宮出身の亜人が地上に出るのはマズい。

 唯人にそう教えられて、魔法などを駆使して身を隠してきた。

 故に、日の高い時間に大手を振って外に出るのは今日が初めてだ。

 彼女が知る《アンダー》の薄闇とは、あまりにも違いすぎる地上の風景。


 青い空に輝く太陽、壁のない空間に無数に並ぶ建物に、道行く多くの人々。

 幸せそうな者もいれば、そうでなさそうな者もいる。

 千差万別だが、彼らには一つの共通点があった。

 即ち、誰も彼も何かあれば、あるいは長く生きれば簡単に死んでしまうという事。


「……あぁ、なんという悲劇なのでしょう」


 思わず呟いた言葉と伴に、青い瞳から涙が零れ落ちそうになった。

 悲劇だ。果たして、これ以上の悲劇があるだろうか。

 オフィーリアが知る《アンダー》のどの場所よりも、地上は平和だった。

 魔物に脅かされる事なく、武器の一つも帯びずに生きる事ができる。

 そんな平和で幸福な営みも、死んでしまえば全て途切れてしまう。


 容易く死んでしまう儚い生命。

 永遠に生きられないというだけで、この平和と幸福は簡単に途切れるのだ。

 嗚呼そんな悲劇、認められるはずがないではないか!


「オフィーリア? 何かありましたか?」

「あ……いえ。今のは少しだけ、考え事をしてしまいまして」

「優しい貴女のことだ。地上の人間たちのことを、憐れみになられていたのでしょう?

 ここにいる人間は全員、死ねば死んでしまうのだと」

「タダヒト様は、私の考えなんてお見通しですね」


 心が通じ合っているのだと、オフィーリアは無上の喜びに微笑んだ。

 主人の思念を、支配下にある眷属が受信して読み取った。

 愛とは何の関係もない単純な現象だが、二人はそれを愛だと確信していた。


「必要なモノを買い揃える、という話でしたね」

「はい。申し訳ありません、私は地上のお金は持っていないので……」

「大丈夫ですよ、オフィーリアのおかげで配信の方は順調。

 チャンネルの収益化も出来たし、投げ銭もかなり増えてきましたから。

 お金の事なら遠慮なく俺に頼って下さいよ」


 狭いアパートの一室から、《迷宮街》の通りに出てきた目的。

 それはオフィーリアが「必要なものを揃えたい」と望んだからだった。

 姫君が望んだ事に否はない。唯人は迷う事なく表に出たわけだが。


「オフィーリア」

「? 何でしょうか?」

「お腹は空いていませんか。時間的には、そろそろお昼です」

「……そうですね。少し、空腹かもしれません」

「良かった。なら、買い物の前に食事にしませんか?」


 本当は、不死エルフであるオフィーリアに食事は必要ない。

 栄養を摂取せずとも、彼女は何の支障もなく生き続けることができる。

 ただ、唯人がそうしたいと望んでいる事が伝わってきた。

 だから彼女は、否定せずにそれを受け入れた。

 食べる必要はないが、食べる事が出来ないわけでもないからだ。


「こっちに。俺のお気に入りの店があるんですよ」

「お気に入りの店、ですか?」

「はい。いや、オフィーリアを連れて行くようなとこじゃないかもしれませんけど……」

「いいえ、行ってみたいです。貴方が好きなものなら、きっと私も好きになります」


 満開の花が咲くように、オフィーリアは微笑んだ。

 胸を満たす愛を感じ、唯人はその場で絶頂しそうになってしまった。

 魂そのものと言うべき代替脳を駆け巡る快楽物質のまま、思わず叫びそうになる。

 が、僅かに残った理性でギリギリ耐え抜いた。

 汗の浮かぶ顔で笑い返して、唯人は愛しい主人の手を引いた。


「はい、いらっしゃい! 何にしますか?」

「じゃあ、『タコじゃない焼き』を二人分下さい」

「焼き立てを用意するから、ちょっと待ってて下さいね!」


 案内したのは、小さな貸店舗の前。

 大きなイカの絵が描かれた看板の下で、年配の女性がたこ焼きっぽいものを焼いていた。

 初めて見る器具に、初めて見る食べ物。

 丸いたこ焼きを細いピックでくるくる回す様を、オフィーリアは珍しそうに見る。


「これ、たこ焼きって言うんですよ。

 ここの店のは『タコじゃない焼き』ですけど」

「? どういうことでしょう? いえ、タコなら一応知っていますけど……」

「普通のたこ焼きは、この丸い生地の中に小さいタコの切り身が入ってるんです。

 けど、ここのは具としてクラーケンモドキの切り身を使ってるんですよ」


 クラーケンモドキとは、低階層の水場に生息している水棲の魔物だ。

 深層の巨大湖を住処にする超大型のタコ、クラーケン。

 クラーケンと外見は似ているが、普通のタコより大きいぐらいのサイズの魔物。

 それがクラーケンモドキだ。


「なるほど、だから『タコじゃない焼き』なんですね」

「焼き立ては特に美味しいんですよ。俺が保証しますから」

「それは楽しみですね」

「ハハハ、もうすぐ出来上がりますよ!」


 微笑ましい恋人同士の会話。

 店主のおばさんはそう理解して、思わず笑ってしまった。

 普段よりも気合いを入れて焼いた『タコじゃない焼き』を、専用の器に盛っていく。


「はい、お待ちどおさま! 熱いから気をつけて食べて下さいね!」

「ありがとう御座います」


 差し出された器を受け取り、代金を支払う。

 爪楊枝が刺さった『タコじゃない焼き』は、白い湯気すら美味に感じられた。


「これは……この小さな串を使って、食べれば良いのですかね?」

「そうです、そうです。本当に熱いですから、火傷しないよう」

「ふふ、大丈夫ですよ!」


 オフィーリアは不死エルフ、火傷ぐらいどうという事はない。

 そう自信を滲ませ、彼女は早速初めてのたこ焼き……『タコじゃない焼き』に向き合う。

 指でそっと爪楊枝を摘み、持ち上げる。サイズと比べて、ずっしりとした重さがある。

 しっかりとしているが、柔らかい生地。

 崩れてしまわぬよう注意しながら、自らの口の中に迎え入れる。

 途端に、想像以上の高熱と未体験の味が一気に広がった。


「っ~~~~……!! ────っ!?」

「あぁ、オフィーリア! 大丈夫ですか! 熱いって言ったじゃないですか!」

「ハハハハ。はい彼氏さん、冷たいお茶どうぞ。これサービスだからね」

「ありがとう御座います……!」


 紙コップに注がれた麦茶を受け取り、それを慌ててオフィーリアの手に。

 目を白黒されていたエルフは、受け取ったお茶をゴクゴクと呑んだ。

 口内の火傷はすぐに治るが、熱はまだ残留している。

 それが冷たいお茶で一気に洗い流されると、はっと大きく息を吐き出した。


「大丈夫ですか、オフィーリア」

「……お……」

「お?」

「美味しかった……!!」


 感動だった。思わず涙が出てしまいそうなほど。

 単に『タコじゃない焼き』が熱すぎて、涙目になっただけかもしれないが。

 兎も角、オフィーリアは初めて口にした食べ物に心底感動していた。

 専用の粉に細かく刻んだ幾つかの食材を混ぜ、丸い形に焼いただけのモノ。

 料理としては実に単純で、それはオフィーリアにもすぐ理解出来た。

 にも関わらず、感じる味わいの深さはどうだろう。

 これまでの長い生で口にしてきた、どんなのもよりも美味しいのではないか。

 少なくとも、この瞬間はそう錯覚してしまいそうなほどだった。


「良かった……! 口に合うかどうか、本当はちょっと不安だったんですが……」

「コラコラお兄さん、それは酷いんじゃない?」

「あっ、いやすいません! 俺は本当に好きなんですけど……!」

「とても美味しいです。もう、いくらでも食べてしまえそうなぐらいに」


 言いながら、二つ目のたこ焼きも口に放り込む。

 熱い。美味しい。熱い。熱い。美味しい。

 口の中が火傷するのも気にせずに、オフィーリアは初めての料理を楽しんだ。

 味だけでなく、表面は良く焼けた生地の内側のとろりとした食感。

 中心にあるクラーケンモドキの切り身が歯に触れた時の、心地良い弾力。

 様々な食感を味わうのも実に楽しい。

 上機嫌で食べる姫君の傍らで、唯人も好物を一つ頬張る。

 いつも食べるよりもずっと美味に感じるのは、きっと気のせいじゃないだろう。


「……でも、本当に良かった。

 オフィーリアを喜ばせるには、もっと高いモノが良いかと思ったんですが」

「私の喜びは、貴方の喜びですよ。タダヒト様。

 長く生きてきましたけど、こんなにも感動したのは本当に久しぶりのことです」

「……良かった」


 本心からの言葉に、唯人は心の底から安堵した。

 それなりの量がある『タコじゃない焼き』を、二人はあっという間に平らげた。

 まだもう少し食べたいと、もう一人前分も頼んで。


「ありがとう御座います、また来てね!」

「はい、ご馳走様でした」


 見送る店主に恭しくお辞儀をして、オフィーリアは唯人の隣を歩く。

 追加で注文した『タコじゃない焼き』は、通りを進みながら二人でつついた。


「食べながら歩くなんて、とてもお行儀が悪いですね」

「けど、美味しいでしょう?」

「ええとても!」


 口元に少しソースと青のりをつけて、不死の姫君は元気に微笑んでみせた。

 唯人がそれを何も言わずに拭うと、恥じらうように赤面するのも実に可愛らしい。

 幸せだ、嗚呼これ以上の幸せがこの世のどこにあろうか。

 目の前の全てがバラ色に輝いて見えるほど、唯人は無上の幸福に浸っていた。


「お顔がだらしなくなっていますよ、タダヒト様?」

「そ、そうですか?」

「ええ、そうですよ。愛らしいお顔をしていました」

「お、俺なんかより、オフィーリアの方がずっとずっと愛らしいですよ」

「まぁ、お上手ですね」


 クスクスと、オフィーリアは楽しそうに喉を鳴らす。

 派手な見た目をした人間の若者と、どこか浮世離れしたエルフのカップル。

 珍しくはあるが、《迷宮街》では稀には見られる光景だ。

 だから通行人の多くは、たまに目を引かれる以外には特に気にしなかった。

 恐ろしい疫病が傍を通り過ぎたなんて、完全に想像力の外の話だった。


「そ、そういえば、何を買いに行くのでしたっけ?」

「? 言っていませんでしたっけ?」

「はい、必要なものが買いたいとしか聞いていなかったと思います」

「それは失礼しました。私ったら、てっきり言ったものだとばかり……」


 うっかりしていたと、軽く両手で顔を隠すオフィーリア。

 ニコニコと笑っている唯人をちらりと見てから、こほんと咳払い。


水薬ポーションです。安物でも構いませんが、回復用の水薬を」

「あぁ、それならその辺りのコンビニでも売っていますね」

「こんびに、というのは商店のことでしたよね?

 小さな店でも水薬を商っているなんて、本当に凄いです」

「まぁ、安物でもそれなりに値は張りますが」


 冒険者が回復用の水薬を買うとなれば、冒険の前準備だ。

 しかし今の唯人の身体は、下手な水薬を使うよりも回復が速い。

 であれば、本来は必要のないモノのはずだ。


「次の冒険では、私たち以外に人を集めましょう。

 まだ慣れていない方でも、既に冒険者として名を成している方でも構いません。

 そういう方たちに、私の血を混ぜた水薬を差し上げるのです」

「オフィーリアの血を?」

「はい。先ずは少量で、回数を重ねたら少しずつ濃くしたものを。

 タダヒト様のように一気に『転生』させるより、多くの時間が掛かってしまいます。

 ですがその分、変化は緩やかに進行しますから」

「……周りに怪しまれる可能性も減らせる、というわけですね。なるほど」


 まだ警戒心の薄い新人を、謎の冒険者Zの名前で引っ張り込む。

 その上で、血を混ぜた水薬で徐々に『転生』を進めていく。

 確かに、これならば『冒険を重ねて目覚ましい成長を遂げた』と周りは認識するはずだ。


 逆に既に有名な人物を『仲間』として引き込み、その名声を利用するのも手だ。

 前者より多少は目立つだろうが、拡散する勢いは明らかにこちらの方が優るだろう。

 どちらにしろ謎の冒険者Zの知名度も伸び、更に『転生』は拡大していく。

 後はそれを繰り返せば良い。脳裏に描いた未来予想図に、唯人は笑みを浮かべた。


「完璧ですよ、オフィーリア。その計画で行きましょう」

「良かった……! 思いついた時は、上手く行くかどうか不安だったのですけど。

 貴方にそう言って貰えたら、何だか自信が湧いてきました」

「何も心配する事はないですよ、オフィーリア。

 例えどんな困難が待ち受けていようと、必ず俺が貴女をお守りしますから」

「……嬉しい」


 頬を熱くしながら、オフィーリアは微笑み。

 傍らの男に身を寄せて、より近くに。


「タダヒト様、私の永遠なる英雄ヒーロー

 全ての人々が永久に生きられる理想郷のため、どうか力を貸して下さいましね」

「俺の全ては、永遠に貴女と共に。誓いは決して違えません、我が愛のオフィーリア」


 本当に仲睦まじい、人間とエルフの恋人たち。

 彼らが口にする悍ましい未来を、まだ他に誰も知らない。

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