第43話:森林王国からの来訪者


「いやぁ、本当に助かりました……!」


 迷宮深度『二』、その一角に用意された『安全地帯』。

 《レガリア》の力を強く受け、魔物も近づいてこないよう整えられた一室。

 その場所で、金髪のエルフは深々と頭を下げていた。

 彼女の手元には、マヒロたちが持参していた保存食が山のように置かれている。

 二人分の食料の大半を既に食べ終えたエルフに、マヒロは苦笑いをこぼした。


「思ったより元気そうで、こちらも安心しました。保存食、まだ食べますか?」

「お心遣い感謝致します……! ですが、ええ、これだけ食べれば十分ですので」

「飢えていた状態で、よくもまぁそれだけ入るものだと感心してしまうな」


 感心というより、呆れ半分の表情でアリスは呟く。

 気遣うマヒロとは真逆に、彼女はエルフの女に対して微かな警戒を滲ませていた。


「食事が十分なら、そろそろ話を聞かせて貰って構わないか?」

「アリスさん……」

「つい先ほどまでは死にかけていた相手だ、マヒロ少年が心配する気持ちも分かる。

 が、必要なことは確認しなければな。君の試験も中断した状態なんだ」


 傍若無人な《迷宮王》にしては、珍しく一分の隙もない正論だった。

 なのでマヒロもそれ以上は何も言わなかった。

 少年がアリスの傍らに立つと、エルフの女は居住まいを正す。

 そうしてから、改めて深々と頭を下げた。


「我が身の危難を助けて頂き、改めて感謝を。

 私の名はアレクト、七王国が一つケルネイア森林王国より参りました」

「ケルネイア、森林王国?」

「《汎人類帝国》に属する国家の一つだな。

 エルフという時点で、大体どこの出身かは察しがついたが」

「我らの事について、お詳しいようですね?」


 首を傾げるエルフ──アレクトに、アリスは「多少はな」と頷く。


「私の記憶が正しければ、森林王国があるのは深度『五』だったか」

「はい、しばらく前に一人で出立し、ここまでやってきたのですが……」

「ですが?」

「運悪く、深度『四』辺りで魔物溜まりのある場所に突っ込んでしまって。

 斬り捨てながら上ってきたのですが、その時にうっかり荷物を喪失してしまい……」

「……まさか、それで食料も水も無くして、ここで力尽きたと?」

「面目次第も御座いません……」


 恥じ入って思わず顔を覆うアレクト。

 アリスは頭を掻きながら、呆れ顔のままため息をついた。


「つまり、あそこにいたリカントやヒュドラは、お前が連れてきてしまったものだと?」

「はい、そうなりますね……いや、本当に申し訳御座いません……」

「……あの、まさかあの数を、たった一人で?」


 思い出されるのは、ダンジョン内で広がっていた死屍累々の光景。

 正確に数えたワケではないが、ヒュドラ以外にも十数体を超える魔物が死んでいた。

 いや、アレクトは深度『四』の魔物溜まりからここまで来たと言っていた。

 実際に斬った数は、あそこで見たよりも遥かに多いはずだろう。


「はい、散らす事も出来ずに追われてしまったのは我が身の未熟。

 ご迷惑をおかけしたお二方には、詫びることしか……」

「まったくだ。折角の少年との逢瀬だったというのに、とんだケチがついてしまったよ」

「アリスさん、逢瀬って……」


 資格試験なのだから、そういう話ではなかったはずだ。

 冗談のように言っているが、アリスの表情は変わらない。

 変わらず、アレクトに微かな警戒を向けたままだ。


「さて、遅れてしまったが名乗られたからには名乗り返そう。

 君を助けたこちらの少年は、夜賀 マヒロ。見ての通り冒険者だ」

「あ、はい。マヒロと言います」

「マヒロ殿ですか。貴方が通りがからなければ、私は志半ばで命尽きていたでしょう。

 本当に、ありがとう御座います」

「いえ、本当に間に合って良かったです」

「で、私の名はアリスだ。一応は《迷宮組合》の長、という事になっているな」


 マヒロに対し、心の底から感謝を述べていたアレクト。

 アリスが自らの名と身分を明かした瞬間、その表情に初めて強い緊張が走った。


「まさか、貴女が《迷宮王》……!?」

「地の底にある森にも、私の名は届いているようだな。実に光栄な話だ」

「七王国で、その威名を知らぬ者などおりませぬ。

 ガルガリオン竜伯との決闘など、王国の詩人たちの定番で御座います」

「もう十年以上も前の話だ、懐かしいな」


 すぐ傍らに剣を置き、アレクトは正座に近い姿勢を取る。

 まるで戦国時代のサムライのようだと、マヒロは何となくそんな印象を覚えていた。

 ……微かに漂い、決して拭い去れないほどに染み付いた血の香り。

 柔らかく言葉を交わしている時も、僅かにでも解かれる事のない戦士の佇まい。

 何よりも、鞘に収められたままにも関わらず、薄く殺気が纏わりついた一振りの剣。

 明らかに尋常な相手ではないと、アリスは警戒を続ける。


「昔話は良い。お前がただの旅人で、偶然迷い込んだだけなら特に問題はない。

 こちらも迷惑はしているが、危害を加えられたワケでもないからな」

「ええ、これ以上ご迷惑をおかけするつもりは……」

「何が目的だ、アレクト。

 森林王国のエルフが、どうしてこんな浅い階層まで上がってきた?」

「…………」


 沈黙。ぴたりと、アレクトの言葉が途切れた。

 途端に室内を満たすのは、ギリギリまで張り詰めた糸のような空気。

 正座した膝に手を置いたまま、アレクトは動かない。

 彼女の前に立つアリスも、胸の前で腕を組んで不動の姿勢だ。

 緊張のあまり、マヒロの喉が小さく音を立てる。


「エルフと言えば迷宮暮らしの亜人の中でも特に気位が高く、閉鎖的な種族だ。

 必要がなければ、住処である森林から出てくる事は滅多にない。

 ましてこんな魔力の薄い低階層まで上がってくるなんて、普通では考えられない」

「…………」

「理由は答えられないか?」

「この身に課された使命ゆえ、軽々に口に出す事は出来ませぬ」

「お前は《汎人類帝国》の人間で、ここは《迷宮組合》の管理下にあるダンジョンだ。

 不法侵入という事で、相応の扱いも出来るが?」

「法を犯したのであれば、罰せられるは当然の事。

 抵抗は致しませぬ、どうか《迷宮王》たるアリス殿の思う通りに」


 だが、それでも目的を話すつもりはないと。

 譲る気のない強い意思は、横で聞いているマヒロの目からも見て取れた。

 当然、アリスもそれは理解している。

 理解しているが、だからといって簡単に引き下がれはしない。


「あの数の魔物を斬った腕前と良い、森林王国でもそれなりの地位にあるのではないか?」

「名誉も何も、全てお役目のために捨てて参りました。

 今の私は一介の放浪者、そう考えて貰って何の差支えも御座いません」

「それで話が収まるのなら、誰も苦労はしないのだがな。

 七王国の有力者が、理由も不明で《組合》の領域に許可なく入り込んでしまった。

 最悪の場合、《汎人類帝国》との大きな諍いの種になるぞ」

「…………」


 アレクトは無言。アリスが語っている事の意味は、彼女も分かってはいた。

 しかし閉じられた唇は頑なで、真意を語ろうとはしない。

 「困ったものだ」と、《迷宮王》は小さく呟いた。


「……あの、ちょっと良いですか?」


 停滞して淀みかけた空気の中で、マヒロが恐る恐る手を上げた。


「む、何だね少年? 私はこの面倒をどう叩き潰すか、考えるので忙しいのだが」

「いや、問題を叩き潰すのはどうかと思いますが……ええと、アレクトさん?」

「? はい、何で御座いましょうか」

「理由は話せないけど、貴女は目的があってここまで来た。それは間違いないですか?」

「……そう、ですね」


 一瞬躊躇ったが、マヒロはアレクトにとって命の恩人だ。

 彼の質問に対しては、言葉を濁しながらも小さく頷いてみせた。


「なら、困った事があるなら俺も手伝いますよ」

「少年?」

「ここで押し問答してても、アレクトさんは話してくれないですよ。

 だったら、こういう話にした方が建設的でしょう」

「彼女の理由とやらが、我々に害がある事だったらどうする?」

「いいえ、父祖の名に誓って、決してそのような事は……!」


 アリスが口にした不信は、アレクトは身を乗り出す勢いで否定した。


「むしろ、私が急がねば最悪の事態も……っ」

「……本人に害意はなくとも、隠している情報そのものに我々の不利益がある。

 今の言葉は聞いただろう、マヒロ少年」

「アレクトさんに、俺たちに危害を加えようという考えはない。

 その上で、彼女が目的を達しないと危険が発生する可能性がある。

 それならやっぱり、アレクトさんを手伝うのが一番早いじゃないですか?」

「……まぁ、そうなるのか? いや、そうかな……?」


 微妙に丸め込まれてる気がしなくもないが、そう間違ってない気もしなくもない。

 マヒロ側から押されると、地味に弱い事をアリスはまだ自覚していなかった。

 戸惑いながら会話を聞いていたアレクトに、マヒロは視線を向ける。


「何か、協力できる事はありますか?」

「えっ──その、宜しいのですか……?」

「多分、このままだともっと面倒な事になりそうですから。

 アリスさんは引かないでしょうし、アレクトさんも多分答えられない。

 最悪、力ずくで拘束する……なんてのも、あり得ますよね?」

「……まぁ、必要とあらばやらないわけにはいくまい」

「アレクトさんにやる気はなくとも、そうなったら抵抗するしかないでしょう?」

「…………はい」


 どちらも否定せず、躊躇いがちながらも肯定を返した。

 今言ったのは、本当に最悪の可能性だ。

 そしてそれが十分起こり得る以上、妥協案を示さなければ。

 落ち着いて話しているようで、マヒロの方もかなり必死であった。


「だったら、俺たちで出来る事をした方がずっと建設的ですよ。

 ただ、無理にとは言いません。

 協力するのなら、聞く事は聞かないといけませんし。

 本当にアレクトさんが何も話せないのなら、俺も無理にとは言いませんから」

「…………」

「……そちらの返答次第で、私も考えよう。どうするのだね?」


 すぐに答えは返ってこなかった。

 たっぷり一分ほどの葛藤の末、アレクトはゆっくりと頭を下げる。


「重ね重ねのご厚意、誠に感謝致します。

 出来れば、関係のない方々を巻き込みたくないと考えておりましたが……」

「非常に残念な話だが、もう十分に巻き込まれてしまっているな。

 感謝は私ではなく、マヒロ少年の方にすると良い」

「お心遣い痛み入ります、《迷宮王》殿。

 ……我が身を犠牲にしてでも、必ずや果たさねばならぬ使命。

 なれど、私一人で本当にそれを成し遂げられるのか。

 もし成し遂げられなかった時、どれほどの災禍が生まれる事になるのか。

 それを不安と感じてしまったことは、偽り無く己の未熟。

 身勝手にもマヒロ殿の温情に縋ることを、どうかお許し願いたい」

「俺の方から言い出した事なんですから、どうかお気になさらず」

「ありがとう御座います……」


 床を額で磨くぐらいの勢いで、深く深く頭を下げるアレクト。

 慌てるマヒロに、見下ろしながらアリスは言葉を重ねる。


「それで? お前の『話せる事』はどのぐらいなのだ?」

「……人を、探しております」

「人、ですか?」

「はい。種族は私と同じエルフの女で、髪は銀色。瞳は確か青だったはずです」

「……アリスさんは知ってますか?」

「いや、どれもエルフなら一般的な特徴の範疇だ。

 それと先ほど言った通り、エルフは閉鎖的で出不精な連中だ。

 故郷である森林王国から外に出る者は、本来なら滅多にいないはずだ。

 一応は地上に『移住』した者は何名か知っているが……」

「どこかに、必ずいるはずなのです」


 それは囁くような声だった。

 けれど、これまでで一番ハッキリと聞く者の耳に強く響いた。

 寒気を感じた。最初、マヒロは気のせいかと思った。

 いや、決して気のせいではない。

 マヒロのみならず、思わずアリスも臨戦態勢に移りかけるほどの圧。

 アレクトが放った言葉には、それほどの『力』が込められていた。


「私はあの女──オフィーリアを見つけ出し、この手で殺す。

 例え私の全てを代償にしたとしても、必ず」

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