第42話:新たな出会い
腰に下げたランタンの光を調整しながら、薄い闇の中を進む。
場所は迷宮深度『二』、《組合》の管理下にあるダンジョンの一角。
細かな石を繋ぎ合わせたような通路を、マヒロは注意深く観察していた。
見える範囲で罠の気配は無し。魔物が息を潜めている様子もない。
分岐に出くわした場合は、壁の見えやすい位置に傷を付ける。
その上で、スマホの冒険者用アプリに入っているマッピング機能を利用する。
ダンジョン内の地図は、今のところ完成度は三割ほど。
これを全部埋めるのが今回の目的だった。
『順調かね? マヒロ少年』
「ええ、今のところは」
『結構。君ならば問題ないと思うが、ここも《アンダー》の迷宮である事に変わりはない。
油断せず、慎重に進むと良い。時間にはまだ余裕がある』
身につけた《念話の耳飾り》から、アリスの声が耳の奥に伝わる。
彼女はこの場にはおらず、『試験官』としてこのダンジョンの入口で待機していた。
冒険者資格三級を取得するための実技試験。
それがこの『指定された深度『二』のダンジョンのマッピング』だった。
マヒロは筆記試験はもうパスしており、これに合格すれば晴れて資格取得だ。
本来は決まった日程で行われるものだが、そこは《迷宮王》が何とかしてくれた。
良いのだろうか、とは少し思ったが。
「私は一日も早く、少年と堂々と迷宮探索をしたいんだ」
と言われてしまっては、異論なんて口から出せるはずもなかった。
そして現在、実技試験は順調に進行していた。
「……何かいる」
呟き、足を止める。視線を向けるのは、薄暗い通路の向こう。
微かに聞こえるのは獣の唸り声と、複数の足音。
罠の確認は済んでいる。マヒロは腰に下げた剣を抜き放ち、正面に構えた。
「グルル……ッ」
声の主は、人に似た形をした魔物だった。
四肢を持ち、手には無骨な棍棒。身体全体が濃い体毛に覆われている。
その上で、首から上は人間では無く犬か狼に近い獣の頭。
鋭い牙を見せ、飢えた様子でポタポタと唾液を滴らせている。
リカント、あるいはリカントロープと呼ばれる獣人系の魔物だ。
知性は低く、獣としての本能が強い。人間と出会えば必ず襲いかかってくる。
見たところ数は三体。通路の広さ的に、数の利が生かしづらいのが幸いだ。
「ガアアァァァっ!!」
「……ヨシ」
吼えて威嚇するリカントから目を逸らさず、マヒロは呼吸を整える。
僅かに視線が通る隙間から、獣人たちの後方に焦点を合わせる。
瞬間、視界が変化する。《転移》の力で、リカント三体の背後に移動したのだ。
戸惑う獣の背中に、迷いなく剣を突き立てる。
強い魔力を帯びた刃は、あっさりと毛皮や筋肉ごとリカントを刺し貫いた。
「ギャアアァッ!?」
「先ず、一匹」
「グルァァァ!!」
いきなり仲間の一人が殺られた事実に、残る二体は動揺したりはしない。
ただ怒り狂い、マヒロに向けてデタラメに棍棒を振り回し始めた。
当たれば痛いどころでは済まない。
しかし当然、そんなものに簡単に当たるほど今のマヒロも甘くはなかった。
「舐めるなよ……!」
「ギャアァッ!?」
振り回す棍棒に対し、カウンターで剣を合わせる。
太い腕を完全には切り落とせずとも、半ば以上を切断する。
真っ赤な血が飛び散り、互いの視界を塞ぐ。
塞がれるより僅かに早く、マヒロは再び《転移》の力を行使した。
再びリカントたちの背後。
ただし、すぐ後ろではなくいくらか距離を取った場所。
敵を見失って混乱する獣二匹を見ながら、剣を床へと突き立てる。
意識を集中し、刃に宿った魔力を操る。
それは速やかに迷宮の壁と床に伝わり、その力を発揮した。
「ギッ!?」
「ガ……ッ、ァ……!?」
突如として壁や床に開いた無数の小さい穴。
そこから放たれた『矢』に、リカント二匹は次々と射抜かれていく。
逃れようと足掻いたようだが、全て手遅れだった。
急所を貫かれた二体の獣人はやがて力尽き、そのまま動かなくなった。
完全に仕留めたという確信を得てから、マヒロは息を吐いて力を抜いた。
「少しずつだけど、コレの扱いにも慣れてきたかな」
呟いて、手元の剣に視線を落とす。
以前は単なる竜殺しだったが、今は大いなる魔力を宿した剣。
《レガリア》。迷宮を支配する者の証であり、極めて稀少な《遺物》。
マヒロが持つ剣は、アリスの王剣のように広範囲の迷宮を安定化する力はない。
代わりに範囲も射程も狭いが、直接的に迷宮の構造を改変する能力を備えていた。
発動に多少の時間が掛かるため、戦闘で使うなら隙を見つける必要はあるが。
『大丈夫かね、マヒロ?』
「あ、はい。リカント三体に遭遇しましたが、今退治しました」
『流石だな。その程度はもう敵じゃないか』
ストレートな賞賛を受け、少しだけ頬を熱くなるのを感じた。
しかし、と直後にアリスは神妙な声で呟く。
『この辺りにリカントが出没する、という話は聞いた覚えがないな』
「? そうなんですか?」
『あぁ。恐らくはズリエルが起こした『迷宮津波』の影響か。
深度『二』まで余波が及んでいるのは知っていたが……』
一応、試験に障りがないかの事前調査は済ませてはいた。
しかし見落とす程度の僅かな変化が、ダンジョンのどこかに生じているのかもしれない。
声だけでも、向こう側で相手が難しい顔をしているのが分かる。
だからマヒロは、努めて明るい声で言葉を返した。
「なら、出来ればその追加調査も俺がやりますよ。
どの道、マッピングするのにダンジョン内は一通り回りますから」
『……うむ、頼めるか?』
「ええ、勿論。もし危なくなったら、全力で逃げるから助けて下さいね」
『当たり前だ。風よりも速く駆けつけようじゃないか』
笑う二人の間にあるのは、お互いへの確かな信頼だ。
周囲の警戒は怠らずに、マヒロは再び前へと歩き出した。
「贅沢を言うなら、くるいちゃんもいてくれたらもっと心強かったんですが」
『あの子はまだ追試の真っ最中だからな、仕方がない。
解答の方は問題なかったのに、まさか名前を書き忘れるとは……』
「試験ではあるあるの凡ミスですね……」
おかげで、くるいの実技試験はまた別の日に行わねばならなくなってしまった。
やれやれとため息を吐くアリスに、マヒロは苦笑いをこぼした。
進みながら、時折スマホに表示された画面を確認する。
順調だ。マッピングは四割は完了し、そろそろ五割に達するぐらいだろう。
罠は落とし穴などの単純な仕掛け罠なら、手作業で解除を試みる。
解除が難しい魔法系の罠の場合は、《レガリア》の力を使って無理やり解体した。
「……今のところ、何もおかしな事はないか」
出てくる魔物の強さも深度『二』相応。
むしろ試験用ダンジョンと考えれば、基準よりも弱い方だ。
強めに警戒はしているが、目立つ異常の類はどこにも見当たらない。
やはり、いないはずのリカントがいたのは単なる『偶然』か。
「……っ」
『どうした、少年? 何かあったか?』
「……血の臭いが」
『血の臭い?』
薄闇に閉ざされた通路。つい先ほどまでは、何も感じられなかった。
にも関わらず、今は思わずむせてしまいそうな濃密な血臭が漂ってくる。
一体、どれだけの死体があればここまで臭ってくるのか。
「明らかに異常事態だと思います」
『……本当に君は持っている男だな、マヒロ少年。
待っていろ、私もすぐにそちらに向かおう』
「分かりました。……けど、その前に状況の確認だけはしておきます」
異常事態は進行中なのか、それとも嵐は既に過ぎ去った後なのか。
最低限、そこは速やかに確認すべきだとマヒロは判断した。
『……すぐに行くから、絶対に無茶はしてくれるなよ?』
「分かってます」
『私が言う事じゃないだろうが、少年はそう言って無茶をするタイプだからな』
「アリスさんと同じですね」
笑って言葉を交わしながら、ゆっくりと前に進む。
血の臭いが流れてくる通路の向こうを、ランタンの光で照らしながら目指していく。
いつ、どこから何が襲ってくるかも分からない。
《円環》討伐に向かった時に近い緊張に、乾いた唇を舌先で舐める。
一歩、また一歩。通路の先に、微かに光が見える。
やがて。
「っ……これは……?」
光との距離が縮まれば、自ずと向こう側に広がる光景も見えてくる。
そこは大きな広間のような空間で、床には無数の魔物が屍となって転がっていた。
リカントやオーク、やや大柄なゴブリン──ホブゴブリンなど。
どれも深度『二』なら珍しくない魔物だが、数が尋常ではなかった。
『モンスターハウス』、と呼ばれる現象がある。
一定以上の広さを持つ迷宮内の空間に、大量の魔物が押し寄せるある種の災害だ。
この状況は間違いなく『モンスターハウス』が発生した後だ。
もし自分がこの場にいたら……そう考え、マヒロは背筋が冷たくなるのを感じた。
何よりも恐ろしいのは──。
「……なんで、こんなところにヒュドラが……」
『モンスターハウス』が発生する原因には諸説あり、議論は未だに続いている。
その諸説の中で、『強力な魔物が他の魔物を誘引する』というものがあった。
マヒロが視線を向けた先、広間の中心辺りに横たわる大きな魔物。
ヒュドラ。複数の頭部を持つ巨大な蛇に似た魔獣。
極めて強い再生能力を有するため、『不死』とまで恐れられる怪物だ。
間違いなく、深度『二』にいて良いレベルの魔物ではない。
「……死んでる、よな」
そんな大蛇の化け物が、既に事切れていること。
床に散らばった他の魔物たちと同じように、ヒュドラは完全に死んでいた。
全ての首を断たれて、自らのドス黒い血の海に沈んでいる。
アリスではない。彼女がやったのなら、事前に話を聞いていなければおかしい。
そもそも、この怪物は一体どのタイミングでこのダンジョンに現れたのか。
ワケが分からないが、先ずは《念話の耳飾り》でアリスに報告を……。
「……ぅ……」
「っ!?」
声。弱々しく掠れていたが、間違いなく人の声だ。
驚くマヒロが見たのは、ヒュドラから流れ出した血溜まりの中。
死んだ蛇の亡骸に背を預ける形で、そこに誰かが座り込んでいたのだ。
「ちょっ……大丈夫ですかっ!?」
慌てて駆け寄ろうとして、寸前で足を止める。
ヒュドラの血には毒がある。
漂う臭いを嗅ぐだけなら影響は少ないが、血に直接触れるのは危険が大きい。
一度距離を取ってから、マヒロは息を吸い込んだ。
そうしてから、座り込む誰かの傍に焦点を合わせて《転移》を発動した。
「っ──“清らかなる水の流れを。《
倒れている人物を引っ掴むと、すぐさま二度目の《転移》。
毒の血溜まりから助け出すと同時に、マヒロは液体を清浄な水に戻す術を行使する。
『生きた血液』には使えないが、ヒュドラの血は既に死んだ血液だ。
故に単なる毒液として、これを真水に変化させる。
「“穢れを祓い、癒やし給え。《
「……ぁ」
続いて、毒や呪いを消し去る上位の《奇跡》を行使。恐らくこれで問題はないはずだ。
全身に塗れていた毒血が真水に変わった事で、相手の姿がやっとハッキリした。
驚くべきことに、その人物はエルフの女性だった。
金色の髪は乱れて、白い肌には無数の戦傷が何重にも刻まれている。
身につけた衣服もボロボロで、防具も身体に辛うじて引っかかっているような状態だ。
ただ一つ、片手に握り締めた鞘入りの剣だけは原形を保っていた。
まるで敗残兵のような有様だが、それを差し引いても美しい女性だった。
顔立ちは凛々しく、緑色の瞳には弱った状態を感じさせない生命の光が宿っている。
その眼差しを受けて、マヒロは微かに心臓が跳ねた気がした。
「ぁ、ぅ……ぉ……けほっ、かはっ……!」
「大丈夫ですか? 俺のことが分かりますか?」
「ぉ……お……か……」
「?」
「おなか……が、空き……ました……」
ヒュドラの毒を全身に浴び、間違いなく死にかけていたはずの謎のエルフ。
彼女がこぼした切実過ぎる呟きに、マヒロは一瞬ながら言葉を失ってしまった。
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