第41話:《愛》のオフィーリア
「凄い、メチャクチャバズってる……! こんなの初めてだ!
ほら見て下さいよ、オフィーリア! 皆が俺たちの動画を見てくれてるんです!」
「まぁ、それは素晴らしい事ですね」
《迷宮組合》が管理している安アパートの一室。
そこに謎の冒険者Zこと、陸亥 唯人とオフィーリアの姿はあった。
後者はボロボロのドレスから、安物のジーパンとトレーナーに着替えていた。
唯人としては、姫君にそんな服を着せるのは不本意ではあった。
しかし手持ちは少なく、オフィーリア自身は喜んでいるので一先ずは良しとした。
「その、バズ? というのは、良く分かりませんけど……」
「兎に角、世界中の人たちが動画を見て、それをいっぱい拡散してくれてるんですよ。
ここ、再生数やフォロワーもどんどん伸びてる……! はは、ホントすげェ……!」
「ふふ、タダヒト様が嬉しそうだと私も何だか嬉しくなってしまいますね」
一切の悪意なく、純粋な善意と好意に彩られた微笑み。
どくりと音を立てて、唯人の心臓が高鳴る。
とっくに人間としての心臓は無くなり、今動いているのはその代替器官だが。
「この調子で、どんどん凄い動画を上げて行きましょう。
今はまだ物珍しさとか、そういうので人が集まってるだけです。
注目されている今の内に、ガンガンやらないと……!」
「ええ。そうすれば、きっと人も多く集まってくるでしょうね」
熱弁する唯人とは対照的に、オフィーリアは穏やかに頷く。
アイスブルーの瞳は、煌めく宝石のように美しい。
「以前の私は、ただ『善き事』をすれば人々はそれを受け入れてくれると思っていました。
実際に多くの方は、私の《愛》に喜んで身を委ねてくださいました。
丁度、今の唯人様と同じですね」
「……けど、駄目だったと」
「はい。最初にお話した通り、私の《愛》を許さない人たちがいました。
抵抗はしたのですが、私は決して戦うのが得意ではありません。
私を守ろうとして下さった方たちが、懸命に努力はして下さいました。
……けれど最後は、あの牢に封印される事になってしまった」
憂いを帯びたため息。悠久を生きるエルフの姫君は、どこか遠くを見ていた。
きっと、その視線の先にあるのは遥かなる過去だ。
《愛》のために生き、けれどそのために失ってしまった数々。
想像をするだけで、唯人は胸の奥が締め付けられる思いだった。
それが本来の感情の動きなのか、植えつけられた女王への忠誠心の反応なのか。
疑問に思う理性は、今の男の中には存在しなかった。
「私は愚かな女ではありますが、過去の失敗から学びました。
事を性急に進めてはならない。私を許さない人は、私が思うよりずっと多い。
万民に私の《愛》を施すためにも、今度は失敗できません」
「オフィーリア、貴女には俺がいます。
今の俺があるのは、全部オフィーリアのおかげです。
貴女が望むなら、俺はなんだってしてみせますよ。絶対にです」
「ありがとう、タダヒト様」
細い手をそっと握り締めて、唯人は麗しの姫君に愛の言葉を吐き出す。
オフィーリアは頬を薄く朱色に染めて、少しだけ恥じらうような笑みを見せた。
「それでオフィーリアは、何かしたい事などは考えていますか?」
「ええ。先ずは、タダヒト様が望む通り。
これで動画? というものを撮影して、もっと多くの人々に見て貰いましょう」
撮影用に使っているスマホを手に取り、オフィーリアは頷く。
最初は慣れない道具で四苦八苦だったが、もう基本的な操作には問題ない。
拙い指先で画面を操作すると、既に撮り終えた他の動画が表示される。
「貴方の活躍が広まれば、その名の下に直接人も集まってくるでしょう。
そこからより熱心に、本気で貴方に近づこうとしている人を選び出します」
「先ずは信用出来る仲間を集める、って事ですね」
「はい。それからその方にも、タダヒト様と同じように私が《愛》を施します」
言葉を語る唇が、妖しげな色を帯びる。
薄い桃色だったのが、濡れて滴りそうな血を思わせる赤色に。
「急に《転生者》を増やしては、きっと早々と目を付けられてしまいます。
最初はあまり目立たぬよう、慎重に少しずつ。
ゆっくりと数を増やし、最終的には冒険者の方々全員を《転生》させたいですね」
「素晴らしいお考えだと思います、オフィーリア」
《迷宮組合》の人間全てを、悍ましい怪物へと《転生》させる計画。
常人なら怖気を感じる話だが、唯人の脳はとっくの昔に人間のものではない。
現在の彼の内にあるのは、オフィーリアが与えた神の血肉。
永遠を生きる不死エルフの身体を流れる、古の
魂ごと溶けて混ざった体液を詰めた肉袋は、神妙な顔で主の言葉を肯定する。
「……タダヒト様」
「はい、オフィーリア」
「本当に、ありがとう御座います。
あの暗闇で貴方に出会えた事、運命と女王陛下に感謝しています」
手を伸ばし、抱きしめる。オフィーリアはそのまま、唯人の唇にそっと口づける。
既に《転生》は終えているから、純粋に好意を示すキスだ。
繁殖する必要性が無くなった唯人の中に、もう性欲は欠片も存在していない。
だから胸の奥に燃え上がるのは、下僕が主人へと捧げる無制限の愛のみだった。
「オフィーリア……いえ、オフィーリア様……!
俺だって、貴女に出会えなかったらどうなっていたか……!
ただのつまらない人間に過ぎなかった俺を、貴女は変えてくださった!」
「私は大した事などしていませんよ、タダヒト様。
あの牢から私を救ってくださった貴方は、紛れもない英雄。
その力も何もかも、貴方が手に入れて当たり前のモノに過ぎません」
「オフィーリア様……!」
「どうか、私のことはオフィーリアと呼んで下さい」
優しく微笑む女に、喜びのあまり感涙に咽ぶ男。
何も知らなければ仲睦まじい恋人にしか見えない事だろう。
「生きる事は苦しい。
以前のタダヒト様のように、望む通りに生きられない方も多い。
苦しくて、苦しくて、苦しくて。あろう事か、死を選ぶ方だって珍しくない。
世の理は無情が常とはいえ、私たちまで情を忘れてはあまりに悲しすぎます」
憂う言葉に秘められているものは、全てオフィーリアの本心だ。
彼女は偽りを口にしない。偽る必要などないからだ。
絶対的な理想と、決して揺らぐことのない信念。
そして、万民に向けて注がれても永遠に尽きる事のない、無償の《愛》。
オフィーリアは善人だ。その心根の清さは、聖女と表現しても差し支えない。
だからこそ、彼女は致命的なまでに『人類の敵』だった。
「私は誓ったのです。全ての人々から、失われる悲しみを拭い去ると。
生きる事は苦しい。死に逃げねば救われない。
そんな当たり前の不条理に立ち向かう事こそ、我が天命だと信じたのです」
「だから、あらゆる人たちに貴方の血と《愛》を」
「はい。かつては急ぎすぎるあまり、反発する人たちを多く作ってしまいました。
けれど今回は、貴方がいます。タダヒト様」
肯定するだけの意思を持つ肉人形に、永遠の姫君は蕩けるような愛を注ぐ。
「貴方は英雄です。貴方の活躍を見た者は、きっと心から貴方を慕うでしょう。
どうかそんな人たちを、私の《愛》へと導いて下さい。
生きる苦しみを拭い去り、死への恐れを取り払う。
やがて永遠の《宮廷》へと招かれるよう、全ての人々を不死に《転生》を」
「貴女の望むままに、オフィーリア。
俺に捧げられた《愛》と同じ、いやそれ以上のモノを貴女に返したいのです」
「嬉しい」
抱きしめて、何度も口づけを交わす。
そこに情欲はなく、ただただ純粋な《愛》だけがあった。
「撮り貯めしておいた動画を、間を置かずにアップして行きましょう。
それから反応を見つつ、次にどんな動画を撮るかも考えていきましょうか」
「ええ。タダヒト様はどういうのがよろしいと思いますか?」
「そうですね……今撮ってるのはほとんど魔物討伐ばかりですし。
モンスターハントは派手だけど、同じのを繰り返すだけじゃ飽きられますからね。
真っ当なダンジョンアタックもやってみたいですね。
出来れば、まだ誰も入ってないような未探索領域が良いんですが……」
「迷宮の中の事なら、私も少しぐらいは知っています。
封印される前は未探索だったはずの場所を、幾つか調べてみますか?」
「おぉ、それは助かります! 是非やりましょう!」
「もしかしたら、もう他の冒険者の方が探索してるかもしれませんけど……」
「それならそれで、普通に迷宮を冒険する動画でも良いですからね。
オフィーリアの撮影次第で、動画の出来栄えも変わります。
だから宜しくお願いしますね」
「まぁ、改めて言われると緊張してしまいますね」
「大丈夫ですよ。今まで撮った分、どれも良い感じですから。自信持って下さい」
照れる主人に対し、唯人はぐっと親指を突き出す。
その様子がおかしかったのか、オフィーリアはくすくすと控えめに笑った。
と、不意に表情が物憂げなものに変わり、細い吐息がこぼれる。
主人の変化を敏感に感じ取った唯人は、やや戸惑いを滲ませながら首を傾げる。
「どうかなさいましたか? オフィーリア。ご気分が悪いとかは……」
「あ、いえ。大丈夫です。私は病気になる身体ではありませんから」
手を振って慌てて否定するが、また赤い唇からため息が漏れる。
「あぁ、ごめんなさい。何度も何度も」
「いえ、それは構いませんが……」
「……貴方といるのが、あまりにも楽しくって。
ほんの少しだけ、昔の事を思い出してしまったんです」
「昔の事?」
「はい。実は私、封印されていたのは今回が初めてではないんです。
昔、タダヒト様に出会う前も、私は深い穴の底に閉じ込められていました」
永遠を生き、物理的に殺す手段も皆無に等しい。
故に不死エルフであるオフィーリアは、度々そのように封じられていた。
思い浮かぶのは、遠い遠い記憶。
月日が経ち過ぎたせいで、霞がかってしまった過去。
「その時も、私を助けてくれた子がいました。
……あの頃の私は少し臆病になっていて、あの子を《転生》させる事はしませんでした。
理由はそれ以外にあったかもしれませんけど、ちょっと思い出せません」
「何分、かなり昔の話なので」と曖昧に微笑むオフィーリア。
彼女が感じる痛みの種類は、唯人には分からなかった。
ただ主人が悲しんでいるという事実に、下僕は胸が張り裂けそうな思いだった。
「その子は、どうなったのですか?」
「分かりません。少なくとも、死んでいるという事はないでしょう。
いえ、それも私の願望に過ぎない。彼女が死なず、幸福に生きていて欲しいと。
あの子に《愛》を施す事を躊躇ってしまった私に、そんな事を願う資格すらないのに」
思えば、過去に事を急ぎすぎたのも『あの子』への思い故か。
瞼を閉じれば、霞の向こうにある過去から輝かしい日々だけは鮮明に思い出せる。
あの若く幼い娘は、果たして幸福に生きられただろうか。
暗闇から自分を救い出してくれた小さな手は、今はもうどこにもない。
オフィーリアは微かに胸を刺す痛みを思い、ほんの少しだけ涙をこぼした。
「……どうか、悲しまないで下さい。オフィーリア。
今の貴方には俺がいます。だから泣かないでください」
「タダヒト様……」
涙を優しく拭い去り、男は女に愛を語る。
その温もりを確かめるようにぎゅっと手を握り、オフィーリアは微笑んだ。
「ありがとう御座います、タダヒト様。
貴方を永遠に愛します。だからどうか、貴方は私と永遠を共にして下さいね」
「誓います、オフィーリア。俺の全ては永遠に貴方と共に」
狭いアパートの一室で、人知れずに行われる愛の誓い。
永遠に狂った怪物と、怪物に作り変えられた元人間という悍ましすぎる関係性。
理から外れたその様は、見た目だけ美しいからこそ余計に恐ろしい。
だとしても、それは紛れもない純粋な《愛》の形ではあった。
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