第40話:生まれ変わった男


「飽きた」


 それは勉強が始まってから、大体一時間ほど経った頃だった。

 自らの状態を一言で分かりやすく発すると、くるいはそのまま後ろに倒れ込んだ。

 テキストから顔を上げ、マヒロは苦笑いをこぼす。


「大丈夫ですか、くるいちゃん」

「大丈夫じゃないでーす」

「ふむ、集中力が切れてしまったか」


 特に咎めるでもなく、アリスはくるい側のテキストを手元に引き寄せた。

 現時点で解答されている問題について、一つ一つ目を通す。


「中途半端ではあるが、意外と解けているな」

「そんなに難しくはない気がする」

「単にお前の物覚えが良いだけだと思うぞ。

 まぁ、これならば筆記の方はあまり心配しなくて良さそうだな。

 集中力の持続が短い方が問題か」


 軽く笑って、くるいのテキストを元の位置へと戻す。

 続いて、視線はマヒロの方に向けられた。

 筆を動かしている手元を、顔を寄せてちらりと覗き込む。


「……ふむ、少年の方もそう大きな問題は無さそうだな」

「ありがとう御座います」

「私の言うことが少ないのは、それはそれでつまらないが。

 ……ん? この記述、ちょっと読み間違いをしていないか?」

「え? どこですか?」

「ほら、ここだ」


 テーブルに身を乗り出し、テキストに書かれた一文を指差す。

 距離が狭まったため、互いの体温が近い。

 肩や腕の辺りに柔らかいモノが触れた事を、マヒロはつい意識してしまった。

 アリスの方は気づいていないのか、構わずに身体をぐっと寄せてくる。


「良くある引っ掛け問題の類だな。

 問題文はきちんと読んで、文脈を正しく理解するのが大事だぞ」

「は、はい。そうですよね」

「まぁ間違っているのはコレぐらいだし、後は大丈夫そうか……と。

 どうした、少年? 顔が赤くなってやしないか?」


 気づかれた。そう考えた時には、アリスが思い切り顔を近づけてきた。

 浮かぶ笑みは悪戯を思いついた子供そのものだ。


「アリスさん、近い……!」

「別に照れる事はないだろう、私のことが好きなんだろう?」

「そうですけど、今は勉強中ですし……!」

「くるいは集中力が途切れてしまったようだからな、少し休憩でもするか?

 あぁ、別にイヤらしい意味で言ってるワケじゃないから、勘違いしないように」

「言われるまで考えもしませんでしたよ、そんな事……!」


 仮眠用のベッドにちらちら視線を送ってるのは、明らかにわざとだった。

 後ずさろうにも、座っている状態では大して後ろにも下がれない。

 更に身を乗り出して、そのままボディタッチでもしてきそうなアリスだったが。


「セクハラ禁止です」

「おぶっ」


 額に青筋を浮かべたくるいに、思いっきり後ろに引っ張られていた。


「ホントにもう、いい加減にしないとマジで通報するよ?」

「ちょっ、苦しい苦しい! 悪かった、私が悪かった! 冗談だから止めてくれ!」


 首の辺りを片手で掴まれ、軽く締め上げられてアリスは思わず悲鳴を上げる。

 止めるべきだろうが、マヒロの方も心臓を落ち着けるのに忙しかった。

 二度三度と、深呼吸をしてから。


「くるいちゃん、流石にそのぐらいで」

「むー。まったく、油断も隙もないんだから」

「いや、少年のリアクションが可愛らしいものでつい……」


 仕方がないと解放したが、くるいはまだご立腹のようだった。

 アリスもあまり反省はしてないようで、笑って誤魔化してる感が強い。

 胸を軽く押さえながら、マヒロは一つ息を吐き出す。


「冗談は置いて、ちょっと休憩はしますか?」

「うむ、そうだな。あまり根を詰め過ぎても仕方ない」

「わーい。何か面白いことないかな?」


 休憩と聞いて、くるいは不機嫌から一転して笑顔になる。

 そんな少女に面白いことを要求され、マヒロは少しばかり首を捻った。


「面白いこと……何かありますか?」

「あくまで休憩ではあるし、遊び呆けるわけにもいかないが……そうだな」


 何かを思いついた様子で、アリスはズボンからスマホを取り出した。

 画面を素早く操作し、くるいが見えやすいようにテーブルに上に置いた。

 首を傾げ、くるいは置かれたスマホを覗き込む。


「これって、ビーチューブっていうのだっけ?」

「そうだ、いわゆる冒険配信がメインの動画配信サイトだな」

「あれ、アリスさんもそういうの見るんですか?」

「たまにだがな。他人の冒険しているところを見るのも、なかなか発見があるからな」


 意外ではあったが、マヒロも暇な時間に見る時はあるぐらいだ。

 冒険配信、あるいはダンジョン配信とも呼ばれる動画配信の人気ジャンルの一つ。

 以前、《組合》で絡んできた冒険配信者の事をマヒロは思い出す。

 ああいう迷惑系はどうかと思うが、何もあの手の輩ばかりではない。

 多くは迷宮内での撮れ高を重視する事以外は、真面目な冒険者と大差はないはずだ。


「これ、見て良いの?」

「あぁ、くるいも冒険者になるのだろう?

 だったらこの中には、参考になるようなモノもあるかもしれない。

 とりあえず、ここに表示されてるオススメ動画から目を通すと良い」

「ん。分かった」


 頷いて、くるいは自分でスマホの画面を操作する。

 マヒロも彼女の傍に移動すると、動画が表示された画面を覗き込んだ。

 くるいが選択したのは、上位の人気配信者である『流離う傭兵』の動画だった。

 固定のチームには所属せず、他の冒険者チームに助っ人という形で参加する冒険者。

 自身で動画を撮りながら、臨時の仲間を的確にサポートする凄腕だ。


「うわ……今の凄いですね、視界外から襲ってきたのに完璧に回避してる……」

「明らかに、来るのが分かってた動きだよね」

「恐らくだが、事前に魔物がどこに潜んでいるかは察知していたのだろう。

 後はタイミングを読めば十分可能だが、そう簡単に出来るものではないからな」

「あの動きでカメラの画像がほとんどブレてないのが一番驚きますね……」


 人気配信者の動画なだけあって、見ていて実に楽しめる内容だった。

 他にも、現在深度『五』を攻略中の冒険者チーム『導かれてない者たち』。

 迷宮内で倒した魔物をその場で実食する『突撃お前が晩ごはん』。

 ダンジョンで違法行為を行っている者を実際に捕まえる『迷宮警察二十四時』など。

 オススメに表示される人気配信者たちの動画を、一通り目を通していく。

 その多くは、マヒロは既に見たことがあるものではあった。

 けれど一緒に見ているくるいが非常に楽しそうなので、彼もまた楽しんで視聴できた。


「面白いね、冒険配信って」

「ですね。やっぱり人気が出てるモノは凄いな」

「そうだな。しかしオークをその場で解体して食べるのは流石にどうなんだろうな」

「ちょっと俺は無理ですね……」


 晩ごはんにされてしまったオークに、ほんの少しだけ同情してしまった。

 動画では当然モザイクがされていたが、なかなかに恐ろしい光景ではあった。

 と、くるいがまたスマホの画面を指で操作する。

 新たに上がってきたオススメ動画を、ぽちりと選択した。

 その動画に表示されていた配信者の名前に、マヒロは見覚えがあった。


「謎の冒険者、Z……?」

「ん? 知ってる相手かね、マヒロ」

「あ、いえ……知ってるといえば知ってますが……」


 首を傾げるアリスに、マヒロは言葉を濁した。

 勘違いでなければだが、あの《組合》で絡んできた迷惑配信者の名前だ。

 オススメとして表示されている以上、今多く再生されている人気動画という事だが。

 訝しみながらも、マヒロは再生が始まった映像に目を向けた。


『はーい! 皆さんおはこんばんちわ!!

 謎の冒険者Zでーす!』


 見覚えのある蛍光色の髪に、無駄に高いテンション。

 映っている相手は、間違いなくあの時の男だ。

 場所はだだっ広い洞窟の中で、光源は漂う魔力が放つ自然光のみ。


 ……ふと、その時点でマヒロは一つの違和感を覚えた。

 以前絡まれた時、彼はスマホを片手に撮影を行っていた。

 つまり謎の冒険者Zと名乗る人物は、単独の撮影者であったはずだ。

 しかし今、カメラアングル的にも明らかに彼以外に撮影している者がいる。

 そんな疑問が過ぎっている間に、魔力光に照らされる中で何か黒い影が動いた。

 大きい。映像では分かりづらいが、謎の冒険者Zとは比較にならないほど巨大な影。

 それが何であるか察すると同時に、マヒロは息を呑んだ。


『今日はですねー、ちょっと普段とは趣向を変えましてね!!

 あちらに見える超強そうな魔物、ベヒモスくんのソロ討伐に挑戦しようと思います!!』

「いや、そんなこと……」


 出来るワケがない。自然と言葉がついて出る。

 広大な洞窟の天井にまで届きそうな巨体。

 外見のイメージとしては、頭に四本の角を生やしたイノシシに似ていた。

 ただサイズが桁違いなのと、太い四肢に備わっているのは鋭く分厚い五本爪だ。

 口から突き出た一対の牙も、この世の全てを貫く迫力に満ちていた。

 あまりに凄まじい怪物の姿に、マヒロは思わずアリスの方を見た。

 《迷宮王》も、いつになく真剣な面持ちで頷く。


「深度『七』以下で、稀にだが出くわす超大型の魔物だな。

 単純な個体の強さだけなら、単眼巨人を上回るかもしれんな」


 かつて深度『十』で遭遇した恐るべき巨人たち。

 アレより強い魔物など、並みの冒険者では抵抗すら出来ないだろう。


【オイオイ死んだわ】

【いや無理だろ、はじめて見たぞこんな怪物】

【おぉ謎の冒険者Zよ、死んでしまうとは情けない】

【遠近感狂うデカさで草】


 流れるコメントも、そんな内容ばかりだが。


「……けど、この動画が上がってるって事は、死んでないって事だよね?」


 緩く首を傾げて、くるいは小さく呟いた。

 直後、動画の中で状況が一気に動き出した。


『オラ!! ぶっ殺してやるぜベヒモス!!』

『■■■■■■■■────!!』


 咆哮が迷宮を揺さぶる。

 吼える巨大な獣に向かって、謎の冒険者Zは迷わず駆け出した。

 手にしているのは一振りの剣のみ。

 遠目からは分かりづらいが、何かしらの魔剣の類だろうか。


【スゲェ、マジで斬り掛かった】

【オイオイ死んだわ。いや普通に死ぬだろ】

【何かめっちゃ血が出てない?】


 コメントの通り、振り抜かれた剣を赤い血飛沫が彩る。

 謎の冒険者Zの一刀が、ベヒモスの片足を深く斬り裂いたのだ。

 痛みと怒りに叫びながら、巨獣は激しく地面を踏み鳴らす。

 掠っただけで粉々になりそうな衝撃の嵐を、冒険者Zは素早い動きで回避する。

 その超人的なアクションに、コメント欄は困惑混じりに沸騰していた。


【なに今の? おかしくね??】

【どっちが化け物か分からなくて草】

【前は全然ショボい奴だったぞコイツ。何があったんだよ!】

【あれ、今一瞬潰されなかった? 気のせい?】

【謎の冒険者Zスゲェ!】

『ハッハッハッハッハぁ!!』


 まるで踊る舞台のスターの如く、謎の冒険者Zはベヒモス相手に立ち回る。

 剣が閃く度に、巨体の血肉が大胆に削られていく。

 荒削りな動きに洗練された印象はない。

 しかしあり余る力と速度で、冒険者Zは巨獣を一方的に打ちのめしていく。

 やがて。


『終わりだ、化け物』

『■■■■■■……っ!?』


 断末魔の叫びは弱々しく、糸を絞るように掠れて消えた。

 喉笛を抉られ、完全に息絶えたベヒモス。

 それを踏みつけ、謎の冒険者Zは高々と剣を掲げてみせた。


『よっしゃあぁぁぁぁ! 勝ったぁぁぁぁ!

 やれば出来るじゃんか俺! いえーい、見ててくれましたかっ!?』


 火が点いたようにはしゃぎ回り、カメラ目線で何度もピースする冒険者Z。

 ひとしきり騒ぐと、いきなりコホンと咳払いをして。


『──というわけで! ベヒモスソロ討伐チャレンジ、大成功!!

 面白かった、また次の配信が見たいって人はチャンネル登録、高評価お願いします!』


 画面が切り替わり、他の動画へのリンクなどが表示される。

 視聴を終えたマヒロたちは、思い思いに軽く息を吐いた。


「なかなかの戦いぶりだったが、知らない顔だったな。

 深度『五』より下で活動している冒険者の顔は、一通り記憶してるはずだが」

「んー、そうだね。かなり強かった。

 《八鋼衆》とは言わないけど、二十番台ぐらいなら余裕で入れそうかな」

「流石は《アンダー》屈指の戦闘集団、戦力の層が分厚いな」

「…………」


 軽口を交わす二人と違い、マヒロは終了して停まった動画を睨んだまま。


「……何か、酷く嫌な感じがする」


 根拠のない勘を、ぽつりと口にしていた。

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