第39話:お家デート?


 真っ赤なスポーツカーが、人気の少ない道を風のように駆け抜ける。

 マヒロにとって、《迷宮街》はもう慣れ親しんだ場所だ。

 しかし中心から離れてしまうと、そこは見慣れない景色が広がっていた。

 先ず見えたのは、林……というより、鬱蒼と茂った森だった。

 普通に続いていた街並みが途切れ、いきなり青々とした空間が現れる。

 最初は「大きい公園だな」ぐらいに思ったが。


「この辺りは全部私の家の敷地だな。もう少しで正門だ」

「……全部ですか?」

「うむ、広さがどのぐらいかはちょっと忘れてしまったが」


 あっさりと言っているが、とんでもない話だった。

 アリスの言葉通り、木々が一部途切れて車が入れる道が見えてくる。

 そこに入って、進むことしばし。


「アレだな」


 見えてきたのは、背の高い石塀と鉄柵。頑丈そうな門。

 その向こうに、小さなお城を思わせる石造りの屋敷がそびえ立っていた。

 何というか、完全にこの辺りだけ別世界だった。

 ついさっきまでは、街の中を走っていたはずなのに。


 少しそこから外れただけで、気づけば深い森に佇む洋館の前だ。

 車は速度を緩め、閉ざされた門の前に近づく。

 すると、乾いた音を響かせて閉じていたはずの門がゆっくり開き始めた。

 自動で開く門とか、見た目からしてそんなハイテクな代物とは思えなかったが。


「不思議かね?」

「え、あ。はい。今のはどういう……?」

「まだ秘密だ。折角だからね、種明かしはもう少し引き伸ばしたい」


 悪戯を仕掛ける童女の顔で、アリスは小さく笑ってみせる。

 そう言われては仕方がないと、マヒロも今は疑問を引っ込めた。

 車は門を潜ると、屋敷の脇に停車する。

 ドアが縦に開いたのを確認してから、座席から身を起こす。


「ふむ、速さはまったく申し分無いが、誰かを乗せるとなると座席が二つなのは不便だな。

 今度はまた別のモノにするか」

「アリスさんは、車は詳しいんですか?」

「いいや、コイツも《組合》と契約している会社が贈ってきたものだ。

 詳しくはないが、足が速いのは良い事なので使わせて貰っている」

「な、なるほど……」


 たまに失念しそうになるが、アリスは《迷宮組合》の長なのだ。

 有名企業から高価な贈り物をされるなんて事も、彼女にとっては珍しくもない話だ。


「さ、日が高くなったとはいえもう夕暮れ時だ。

 話をするなら、先ずは家の中に入ってからにしようか」

「あ、そうですね」


 促され、マヒロは歩き出したアリスの後に続く。

 屋敷の正面は重厚感のある木の扉で、如何にも雰囲気たっぷりだった。

 扉の前に立つと、アリスは軽く息を吸って。


「主の帰還だ、速やかに扉を開けよ」


 一言、やや芝居がかった口調でそんなことを言った。

 使用人に呼びかけたのだろうかと、マヒロは僅かに首を傾げる。

 この大きさの屋敷なら、そういう人が複数いても別に不思議な話ではない。

 アリスの呼びかけから数秒後、両開きの扉がゆっくりと開かれた。

 しかし。


「……誰もいない……?」


 マヒロがこぼした呟きの通り、開いた扉の向こうには人の姿はない。

 後には勝手に開け放たれた扉が、微かに軋む音を立てるだけ。

 自動ドア……なんて事は、あり得ないはずだ。

 少なくとも、扉周りを確認してもそんな仕掛けがあるようには見えなかった。

 驚き戸惑うマヒロに、アリスは楽しげに笑う。


「ほら、入りたまえ。《迷宮王》の屋敷にようこそ」

「……お邪魔します」


 既に扉を潜ったアリスに手招きをされて、マヒロも足を踏み出す。

 屋敷の中に入ると、どこか慣れた空気が身体を包み込んだ。


「これは……魔力?」


 丁度、迷宮の浅い階層に入った時に近い感覚だ。

 広い玄関ホールを漂う空気には、間違いなく魔力が含まれている。

 マヒロのこぼした言葉に、アリスは大きく頷いてみせた。


「そう、魔力だ。この屋敷はな、迷宮で採れた《資源》を用いて建てたモノだ。

 いわば屋敷型の小規模ダンジョンと言ったところだ」

「じゃあ。さっき門や扉が勝手に開いたのは……」

「いわゆる騒霊ポルターガイストだな。

 飼い慣らした比較的に弱い奴を、屋敷全体に憑かせてセキュリティ代わりにしている」


 騒霊とは、物体に憑依して操る比較的低位なゴースト系の魔物だ。

 確かに騒霊が憑いた屋敷なら、勝手に扉が開いたりするのは納得だ。

 納得ではあるのだが。


「あの、アリスさん?」

「うん? 何だね?」

「これって、色々と法に触れたりしませんか?」


 地上に魔力を帯びた物を持ち出すには、色々と制限が存在する。

 特に《資源》は《遺物》と違い、迷宮で回収される量は常に莫大な数字となる。

 これらが原因で地上の魔力汚染を引き起こさぬよう、かなり細かな決め事があるはずだ。

 例えば、《資源》を用いて建造物などを作る場合。

 建造物の迷宮化を発生させないよう、使える《資源》の数は法的に定められている。

 以前、上位資格のテキストを読んだ時、たまたま覚えた知識をマヒロは思い出していた。


「…………」

「……アリスさん?」

「……この家も、別に最初っからそのつもりで作ったわけではないんだ」

「はい」

「ただな、冒険で得た物も一部はちょっと表に出せない代物もあってな。

 それを隠すためにも、この家は《資源》を使って迷宮に近い環境を整えたわけだ」

「……それで?」

「そういう『ちょっと危ない代物』も、後から後からどんどん数が増えてしまってな。

 で、気づいたら屋敷が軽く迷宮化してしまったようで……」

「大丈夫なんですかそれ??」


 あまり大丈夫に聞こえないが、アリスは「そこは問題ない」と自信満々に頷いた。


「迷宮化してると言っても、この屋敷は《アンダー》には繋がってないからな。

 《資源》やしまい込んだ《遺物》から発生する自然魔力も、そう大した量じゃない。

 万一を考え、魔力を消費するための術式も敷地全体に仕込んである。

 ここに来るまでの森は見ただろう?

 アレは一見すればただの木だが、魔力を栄養に変えられる迷宮の固有種なんだ」

「な、なるほど」


 流石は《迷宮王》、と言うべきなのだろうか。

 当たり前のように問題への対策は万全に備えているようだ。

 マヒロも思わず感心してしまったが。


「……でも、結局法に触れてるのは間違いないんですね?」

「ハッハッハッハ」

「いや、笑って誤魔化さないで下さいよ」

「まぁまぁ、そんな事よりも中を案内しようじゃないか」


 呆れた声を華麗にスルーしつつ、アリスは改めて屋敷の中へと足を向ける。

 広々とした玄関ホールには、古めかしい調度品が幾つも置かれている。

 廊下に飾られた絵画から、視線のようなものを感じるのは果たして気のせいだろうか。


「ああいうのも、まさか迷宮で見つかった物だったりしますか?」

「見つかったというか、絵画や彫刻に関しては贈り物だな。

 《汎人類帝国》の貴族どもと揉めた時、手打ちの品として渡されたものだ。

 芸術は良く知らんので、適当なとこに飾ってるだけだが」

「何か変な呪いとか刻まれてませんか、それ」

「そういうのはとっくに対処済みだとも」


 笑って応えるが、呪い云々はどうやら実際にあったようだ。

 改めて《迷宮王》の凄まじさを感じつつ、やや入り組んだ廊下を進んでいく。

 部屋の扉らしき物も数多くあり、この館の大きさを実感させられる。


「ホントに広いですね……」

「あぁ、迷宮化してるせいか偶に知らん部屋が増えたりもする。

 だから少年も、あまり不用意にそこらへんのドアを開けない方がいいぞ」

「…………」


 やっぱり、色々と問題なのではないだろうか。この屋敷は。

 そんな疑心を、マヒロはそっと胸の奥に押し込んだ。


「よしよし、ここだな」


 やがて、アリスの足は奥の方にある一室の前で止まった。


「ここは?」

「私が普段使っている、まぁいわゆる書斎だな。

 ちなみに仮眠用だがベッドも置いてある」

「今の情報必要でした?」

「泊まり込みで勉強しても構わんぞ、という話だとも」


 意地悪そうに笑われると、ほんの少しだけ頬が熱くなってしまう。

 からかわれているのか、それとも多少なりとも本気で言っているのか。

 いっそストレートに聞いてしまおうかと、マヒロがそんな事を考えていると。


「入るぞ」

「はーい、どうぞー」


 アリスが一声かけると、扉の向こう側から返事があった。

 遮蔽物越しなので少々聞き取りづらいが、間違いなく知った相手の声だ。

 ガチャリと音を立てて、アリスが扉を押し開ける。

 中の部屋も当然広く、大きな机を中心に本棚が幾つも置かれている。

 あちこちに古びた書や巻物、《遺物》らしき装飾品や宝石などが雑多に並んでいる。

 まさにそこは、歴戦の冒険者の部屋だった。

 一瞬それらに目を奪われかけたマヒロに、白い手がひらひらと振られる。


「や、お邪魔してます」

「くるいさんも来てたんですね……」

「うむ、少年は昼間は学校だったからな。その間に私が連れてきたんだ」


 部屋の雰囲気からはやや浮いた感じにある、真新しいソファー。

 そこに座った状態で、くるいが片手を上げていた。

 くるいがいた事も驚きではあったが、それより気になるのは彼女の前に置かれた物。

 年代物のテーブルの上に、何冊かのテキストが散らばっているのだ。

 表紙に書かれている文字は、『冒険者入門』、『トラベラーズガイド』など。

 全て、《組合》が発行している資格取得向けの教材だ。


「くるいさん、それは……?」

「見ての通りべんきょー中です」

「喜べ少年、今日から彼女は君の学友というわけだ」


 ちょっと照れ臭そうに笑うくるいの傍で、アリスは満面の笑顔だった。


「マヒロの仲間になるなら、冒険者の資格は取った方が良いって。

 パパも反対はしなかったから、アリスにお願いして勉強してるところ」

「そういう事だったんですか……けど、良いんですか?

 確か前に、自分は《百騎八鋼》だから、《組合》の冒険者にはならないって……」

「資格は必要らしいから取るけど、《組合》の人間になるつもりはないよ」


 普通に考えたらそういうわけにも行かないだろうが、くるいは堂々と言ってのけた。

 手に取ったテキストをペラペラとめくって、大きく一つ頷く。


「《組合》の人間にはならないけど、ワタシはマヒロの仲間だから。

 そのために、出来る努力はしなくちゃ」

「くるいさん……」


 喜びで胸の奥がじんわりと温かくなるようだった。

 素直な好意に感動するマヒロを見ながら、アリスもうんうんと頷いた。


「うんうん、実に素晴らしい心がけだ。

 そして若人の努力を助けるのも、立派な大人の務めというものだろう」

「立派な大人……?」

「くるいさん、そこは呑み込まないと話が進まないので……」

「フフフ、少年も私に対して遠慮が無くなってきたな。実に良い兆候だぞ。

 とりあえず、君も適当なところに座りたまえ」


 促され、マヒロはくるいと向かい合う位置に腰を下ろした。

 すると素早く、アリスはマヒロの隣を陣取った。

 ピキリと、一瞬空気が凍りついたのは果たして気のせいだろうか。


「あの、アリスさん?」

「なんだい少年? あぁ、先ずは君の現在の知識量を確かめたい。

 ので、最初はこっちの例題集を何ページか解いてみて欲しい」

「ちょっと、教え子にセクハラするとか大問題じゃないの?」

「ハッハッハ、セクハラとは心外だな。

 これは慣れない場所で緊張しているだろう生徒を思ってのスキンシップだとも」

「セクハラと何が違うか具体的に言って欲しいんだけど??」

「あの、二人ともどうか落ち着いて……!」


 勉強会の場が、何故か一瞬で殺伐とした戦場に塗り替わりそうだ。

 不機嫌そうに睨むくるいに、アリスは余裕の笑みを崩さない。


「ほらほら、こんな事に時間を使っていて良いのかな?

 お前も試験を受けるには、年齢の制限には引っかかってしまう身だ。

 私だってそう何度も誤魔化してやれるわけではないのだから、機会は貴重だぞ?」

「なんて嫌な大人……!」

「ははは、それに関しては俺も同意見ですけど」

「ハッハッハ。ほら、分からないところがあれば遠慮なく聞くと良い。

 古い試験問題になってしまうが、私が作ったモノも幾つかあるからな」

「あ、そうなんですね……」


 そういう仕事もちゃんとした事はあったのか、と。

 微妙に失礼な感想は引っ込めて、マヒロはアリスが差し出したテキストを開く。

 アリスは「筆記は丸暗記」などと言っていたが、書かれている問題はどれも難解だ。

 特に法律関係の内容が多く、それらを覚えるだけでも一苦労だろう。


「……けど、頑張らないと」


 自然と呟いていた言葉が、今のマヒロにとっての全てだった。

 仲間として、アリスやくるいの厚意に応える事。

 その思いを胸に、冒険者資格三級の例題集へと挑んだ。

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