第38話:やることやってたアイツ


 授業が終わり、下駄箱の前は下校しようとする生徒たちで溢れていた。

 マヒロもその中に混じって、上履きから普通の靴に履き替える。

 ほっと息を吐き出すと、不意に肩をポンっと叩かれた。


「なんだよ夜賀、ため息ばっかり吐いてると幸せが逃げるぞ?」

「別にため息を吐いたワケじゃないって」

「いやいや、最近結構多いんじゃないか?

 バイト忙しかったようだし、疲れてるんだろ」


 そう声をかける男子二人は、比較的に仲の良いクラスメイトだ。

 彼らは特に部活もやっていない帰宅部で、下校の時は大体一緒だった。


「まぁ、確かに近頃はちょっと忙しかったかな。ウン」

「授業中にも居眠りしそうだったりな。アレ多分、先生は普通に気づいてたろ」

「ホントに眠ってはないから、とりあえず見逃してくれてただけだよな」

「……次からは気をつけるよ」


 アルバイトとは、当然ながら《迷宮組合》での冒険者活動の事だ。

 学校には書類も提出し、正式に許可も貰ってる。

 なのでアルバイトという表現も、別に間違っているわけではない。

 ただ、マヒロは学友に対しては自分が冒険者をやっている事は明かしていなかった。


 理由は特にない。強いて言うなら、日常と迷宮を切り分けたいのかもしれない。

 同じ学校の中でも、冒険者をやっている学生もいるらしい事は知っていた。

 そちらは生徒の間でも結構騒がれているので、そういうのが煩わしいというのもあった。


「なぁなぁ、そういや《迷宮週報》見たか?」

「いや、今週のはまだ見てないけど」

「マジかよ。結構凄いこと書いてあったから、ちゃんとチェックしとけよ」


 《迷宮週報》とは、《迷宮組合》が一般向けに刊行している雑誌の事だ。

 人気冒険者の活躍など、迷宮内での活動が面白おかしく書かれている。

 実はマヒロも、あまり熱心には読んでいないのだが。


「とうとう、あの《十二の円環》の一人が討伐されたらしいぜ!」

「うわ、マジかよ。噂では聞いてたけど、与太じゃなかったのかアレ」

「すげェよなぁ、《迷宮戦争》で突如現れてから無敵で知られ続けてきた怪物!

 《迷宮王》が先頭に立って、《組合》と《百騎八鋼》の合同で倒したらしいぜ」

「時代が動いたって感じだなぁ……他の《円環》とかは動かないのかな」

「さぁ、そもそも化け物同士で仲間意識とかあるのか? 夜賀はどう思うよ?」

「えっ? あー、いや、ちょっと分からないかな」


 学友たちが騒いでるのは、《円環》ズリエルが討伐されたという報だ。

 かなり大規模な討伐戦だったため、《組合》は一般向けにも情報を公開したようだ。


「何かお宝もいっぱい確保したらしいな。一体どんぐらいの稼ぎになったのかな」

「まぁ想像できないよな。やっぱ冒険者って儲かるんだろうな」

「でも、逆に言えばそんだけ危険だって事だし。

 オレは冒険者になりたいとか、そういうのは思わないかな」

「いや、普通はそうだろ。

 日本は少ないけど、海外のニュースを見ると迷宮絡みの災害なんてしょっちゅうだし。

 こっちは《迷宮組合》が頑張ってるから、比較的に平和なだけなんだ」

「……確かに、この前もニュースで見たな。

 元ロシアの国境沿いで、『溢れた迷宮』を複数の国が共同で対処に当たってたって」


 マヒロの呟きに、学友たちも「あー、見た見た」と同時に頷いた。

 『溢れた迷宮』。それは文字通りの意味を持つ、極めて厄介な災害の事だった。

 《アンダー》と繋がる『扉』は、そのまま放置すると中から魔物が溢れ出す。

 溢れる魔物と共に、迷宮内の魔力もまた徐々に地上へと広がっていく。

 この状態が長く続けば、『扉』の周辺から『迷宮化』が始まってしまうのだ。

 対処が遅れるほど汚染は広がり、溢れた迷宮もその分だけ拡大する。

 これが原因で国土の多くが迷宮に呑まれ、維持できなくなった国家は過去に幾つも存在した。


「幸いなのは、迷宮は一定以上デカくなったらほとんど広がらなくなる事ぐらいか。

 それでもちょっとずつぐらいは大きくなるんだっけ?」

「あぁ、だから完全に放置も出来ないらしいな。米国様は良く頑張ってるよ」

「自国に核を落としてふっ飛ばした中国はヤベェよなぁ……」


 この辺りは、丁度今日の歴史の授業で触れた内容だった。

 迷宮を冒険者が活躍する舞台にし、経済的にも必要な場所へと変えた。

 表面上でもこの国が以前と大きく変わらないのは、間違いなく《迷宮組合》の功績だ。

 もっと言ってしまえば、《組合》を成立させた《迷宮王》の偉業と言えよう。

 その事を考えて、マヒロは自然と笑みをこぼしていた。


「どうしたよ、夜賀。急にニヤニヤ笑いだして」

「いや、別にニヤニヤはしてないだろ」

「何かイヤらしい事でも考えてたんじゃないか? 言えよ、どこの女だ?」

「馬鹿な事を言うなよ……!」

「オイオイ、反応がマジっぽいんですけど、まさか裏切り者じゃないよなお前?」


 他愛もない会話で騒ぎながら、三人の学生は校門の方へと向かう。

 そろそろ夏が近いせいか、下校時間でも日差しはかなり強い。

 暑くなってきたなーという呟きは、蝉の声より先に季節の変化を知らせていた。


「……ん?」

「? どうした?」

「や、何か校門の前に人が集まってないか?」


 そう言って指さされた先に、マヒロも視線を向けた。

 確かに、校門前に妙な人だかりが出来ていた。

 不思議に首を傾げながら、そちらの方へ近づいてみると……。


「……うぉ、なんだありゃ?」


 通行の妨げにならない位置に停まっている一台の車。

 目が覚めるような、鮮やかな真紅に染め上げられたスポーツカー。

 通行人の誰もが、つい足を止めてしまいそうな存在感を放っていた。

 マヒロは車は別に詳しいわけではない。

 それでも跳ねる馬のエンブレムが、有名な海外メーカーを示す物だと知っていた。


 が、多くの学生たちが目を引かれているのはそちらではなかった。

 高級外車の脇に佇んでいる一人の女。

 金色の髪を後ろで纏め、暑い日差しにも関わらず白い肌には汗一つ浮いていない。

 どこか現実感のない黒いパンツスタイルの美女なんて、注目を集めないわけがないのだ。

 学生の中で、声をかける勇気を持つ者なんているはずもなく。

 ただ遠巻きから視線を向けられる中で、美女は微動だにせずそこにいた。


「やべェな、あんな美人見た事あるか? どっかのモデルか女優さんか?」

「いやいや、そんな人が何でこんな学校に来てるんだよ。意味が分からんだろ」

「…………あ、アリスさん……?」

「ん? おい夜賀、まさかお前の知り合い」

「おぉ、少年か! 良かった良かった、驚かせたくて連絡せずに来たんだが。

 出てくるのがこっちで合っているか微妙に不安だったんだ」


 思わず名前を呟くマヒロに、美女──アリスは満面の笑顔で手を振った。

 ざわりと、観衆の学生たちから大きなざわめきが起こった。

 しまったと、そう気づいた時にはもう後の祭りだ。

 困惑する友人二人に応える暇もなく、もうアリスは目の前まで来ていた。


「すまないな、学友諸君。少年には大事な用があるので、このまま借りていくよ」

「あの、アリスさん……!?」

「え、ええと……貴女は……?」

「私か? 私は彼のガールフレンドさ。今後とも変わらず仲良くしてやって欲しい」


 輝く笑顔を見せながら、ウインク一つ。

 少年の抗議は完全に無視して、アリスはその身体を軽々抱え上げた。

 誰もが呆然と見守る中、車のドアを開いて颯爽と乗り込む。

 エンジン音はほとんどなく、けれど風のような速度で走り出した。


「……アイツ、やることやってたんだなぁ……」

「う、裏切り者め……」


 半ば連れ去るような形で消えたマヒロを見送り、学友二人はそんな事を呟いた。


「警察呼んで下さいよホントに、完全に誘拐じゃないですか今の」

「ハッハッハ、いやそんなに拗ねないでくれたまえよ」


 助手席で頭を抱えるマヒロに、アリスは実に愉快そうに声を上げた。

 終わった、何だか色々と終わってしまった。

 あんな場面を目撃されては、明日からどんな顔をして学校に行けば良いのか。

 ガールフレンド発言とか、絶対に根掘り葉掘り追求されてしまう。

 どう答えれば平穏無事な学校生活が戻ってくるのか、幾ら考えても思いつかない。


「それとも、私を好きだと言ってくれたのは冗談だったのかな?」

「好きですよ。好きですけど、それと非常識な行動に怒るのは別問題でしょう」

「うん、本当に悪かった。

 面白いかな、って思ったらついついやってしまうタチでな、ウン」

「アリスさんがそういう人だって言う事は、知ってたつもりですけど……」


 微妙にしおらしい顔をされると、それ以上強くは言えなくなってしまう。

 また軽く頭を抱えた少年の様子を、アリスは運転しながら横目でちらりと見た。


「怒ってるかな? マヒロ」

「怒ってはいますけど、やってしまったものはしょうがないので」

「つまり許して貰えた?」

「今度巌さんに告げ口します」

「あの私にだけ厳しいタコ入道を持ち出すのは反則だろう……!」


 自分では強く言えないので、強く言える人にお願いするのは妥当な筋だ。

 割と本気でビビってるアリスを見ながら、ため息一つ。

 窓の外を流れる景色から、向かっているのは《迷宮街》の方だというのは分かっていた。


「それで、今日は急にどうしたんですか?

 ……まさかとは思いますが、《円環》の事で何か動きが?」

「いや、そっちはまだ特にはないな。

 ズリエル討伐後の後始末に関しては、概ね《組合》の方で完了した。

 深度『十』より先の探索が中断している事以外は、大きな問題は何もないな」


 後半の言葉には、やや不満げな響きが込められている。

 二人が出会うきっかけにもなった、深度『十』の迷宮である《見知らぬ神々の霊廟》。

 既に突破し、さらなる深層に続く道は発見しているワケだが。


「まったく、《円環》を刺激しないため、しばらくその先の探索は禁止とは……!

 《迷宮五冠フィフス・クラウン》の名が聞いて呆れる!

 アイツらはいつからそんな腑抜けになってしまったのか……!」


 《組合》の運営を担う最高幹部たちの名と合わせて、アリスは怒りを口にする。

 とはいえ、彼らの判断も無理からぬ事だ。

 ズリエルを討伐するだけでも、迷宮内では大きな被害と混乱が生じたのだ。

 相手に動きがないのなら、出来ればしばらくは刺激はしておきたくない。

 そういう『守り』の判断も、組織全体を考えれば正解の一つであるのは間違いなかった。


「……けど《円環》絡みじゃないなら、どういう用件なんですか?」

「うん。これに関しては、私も不注意だったんだが。君、まだ学生だろう?

 つまり《組合》から発行されてる冒険者資格は、多分四級までのはずだ」

「……そうですね」


 冒険者資格。読んで字の如く、《組合》から付与される冒険者としての資格。

 一級から五級に分かれており、マヒロが持っているのは四級だ。

 資格の細かい決まり事など、正直この瞬間までは忘れていた。

 アリスの言わんとする事を理解し、思わず重いため息がこぼれた。


「その、すみませんでした。俺の不注意で面倒をかけてしまったみたいで……」

「いやいや、私もうっかりしていたよ。《組合》から指摘が入るまで気づかなかった。

 四級では、潜れるのは深度『二』までだったとは」


 正確には《組合》が指定した低階層で、その最大深度が『二』と設定されている。

 偶発的な事故以外で、本来ならそれより下の迷宮に入ってはいけない。

 以前にアリスと二人で深度『六』の未探索領域に潜った時。

 アレも受付は、『アリスがいるなら何か許可が出たのだろう』と勘違いしていたのだ。


「やらかした……本当にすみません……」

「謝らないでくれ。完全に失念した状態で、深層に連れ回してしまった私が悪い。

 ズリエル討伐の時は、それこそ緊急事態だったしな。

 しかし、四級のままでは深層への冒険を行うのは難しい。

 そこで《組合》の長である私が、仲間のために一肌脱ごうと思ってね」

「……と、言いますと?」

「より上級の資格を取るための、勉強と対策だ。

 最低でも三級を取れれば、上位資格者の同行を条件に探索可能深度の制限が無くなる」

「あの、でもそれって、受験資格に年齢制限があったような」

「そこは私がどうにかした」


 既にどうにかした後だったようだ。

 それはそれでマズいのではと思ったが、マヒロは黙る事にした。


「ズリエル討伐は、君の助けがあってこその話だからな。

 これに関しては私が《組合》の連中を説き伏せた。

 深層の探索を進めるなら、今後も《円環》と遭遇する可能性は高くなる。

 必要な人材を燻らせたままにしておくのが、《組合》の判断として正しいのか、とな」

「……凄いですね」

「君と私のためだからね、このぐらいの事はして当然だとも」


 誇らしげに語るアリス。その様子に、少しだけ笑ってしまう。

 無茶苦茶ではあるが、それだけの期待と信頼を感じるのも事実。

 何より一応はチームのリーダーとして、仲間の足を引っ張るわけにはいかない。


「分かりました。頑張って三級を取ります」

「良い意気込みだ。なに、筆記に関してはあんなものほぼ丸暗記だ。

 実技の方は、今の君の実力なら何の問題もあるまい」


 言いながら、アリスは軽くハンドルを切った。

 それを見ていたマヒロは、ふと出てきた疑問を言葉にする。


「あの、アリスさん。《組合》の支部に行くなら、今の道は真っ直ぐですよね?」

「うん? 今向かっているのは《組合》の支部ではないぞ?」

「? じゃあどこに?」

「私の家だな」


 資格の勉強なら、《組合》の支部で行うのだろうと。

 そう当たり前のように考えていたマヒロに、アリスは実にあっさりと答えた。

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