第二章:謎の冒険者Z、銀髪エルフのお姫様をヒロインに華麗に転生無双する話

第37話:謎の冒険者Zの死


 睦亥むつがい 唯人ただひとは、どこにでもいる冒険配信者の一人だ。

 『謎の冒険者Z』の名前で、基本は単独ソロで活動をしている。

 知名度は、ハッキリ言って皆無だ。

 新しい動画を上げても再生数は伸び悩み、登録者数も二桁を超えていない。

 良くある話だ。冒険配信者なんて、文字通り腐るほどいる。


 上位の配信者は大体がチームで活動し、撮影なども専門のスタッフを雇用している。

 その上で、より危険な深層ダンジョンでの冒険の様子を配信していた。

 電波が届くのは低階層までなので、これらの動画の多くは編集が施されている。

 逆にそれらは視聴者が見やすいよう加工され、より楽しめる作品として仕上がっていた。

 労力が違う。資本が違う。何もかも、唯人の活動とは天と地ほどの開きがあった。


 唯人もチームを作ろうとした時期もあったが、上手くはいかなかった。

 彼は冒険者としての才能に乏しかった。

 声をかけられたのは、精々が低階層で採集をこなす底辺冒険者のみ。

 そんな彼らに、配信なんて目立ちそうな活動をしようだなんて情熱は無かった。

 もう少し深層で活動している冒険者は、そもそも唯人なんて相手にしない。


 結局、彼は単独で浅い階層の配信を細々と続けるしかなかった。

 ──こんなはずじゃなかった。

 なるべく見る者の印象に残ろうと、見た目は出来るだけ派手な格好にしてみた。

 ──俺のやりたかった冒険は、こんな惨めなものじゃないはずなんだ。

 怪し気な噂を聞けば飛びついて、迷惑スレスレな事もやった。

 けれど再生数も、登録者数も大して伸びない。

 昔に見て憧れた華麗な冒険動画の数々。自分も、アレと同じ場所に立ちたかった。


 恐ろしい魔物や罠を乗り越え、迷宮の奥底に眠る宝を探し出す。

 素晴らしい活躍を人々に見て貰い、『凄い奴だ』と賞賛して貰いたい。

 ──そうだ。俺は出来る、出来るはずなんだよ。俺は冒険配信者なんだ!

 満たされない承認欲求。這い上がれない自身への苛立ち。

 鬱屈とした感情に火が点いたきっかけは、ある噂を耳にした時からだった。

 とある底辺冒険者が、《迷宮王》と一緒に迷宮最深層への道を開いた。

 まさに唯人が夢見たような圧倒的大成功だ。

 本人に色々聞き出そうと試みたが、それはそこらのモブに邪魔されてしまった。


 腹立たしいが、噂が真実なら相手の近くには彼の《迷宮王》がいる。

 《組合》の長に目を付けられては、冒険配信者としての活動に支障が出るかもしれない。

 それは困る。だから唯人は、これ以上ラッキーガイに接触する事は諦めた。

 諦めたが、胸の内に燃え上がってしまった暗い火が消える事はない。

 ──少し立場が、タイミングが違ったら、俺だってそれぐらい出来たはずなんだ。

 根拠の無い自信と、本人は自覚すらしていない羨望と嫉妬。


 唯人は独りだった。

 家族を離れ《迷宮街》付近に部屋を借り、友人もほとんどいない。

 一流の冒険配信者になるんだという、無邪気な夢と共に生きてきた。

 だから彼は気づかない、気づけない。自分の心が病み始めているという事実に。

 気づかないまま、彼は決定的な行動に出てしまう。


「……ヨシ、この辺りだよな」


 その日も、唯人はいつものように単独で迷宮に潜っていた。

 場所は迷宮深度『二』と『三』の境目辺り。

 彼の実力を考えると、下手をせずとも十分命の危険がある階層だ。

 しかしこの時は幸運に恵まれ、魔物や罠に大して遭遇する事はなかった。


「やっぱ、俺だってその気になればこのぐらい出来るんだよな」


 単なる偶然を己の実力と誤認して、唯人は独り言を呟いた。

 手にしたスマホのカメラはオンになっている。

 出来れば生配信をしたかったが、残念ながらこの深度ではもう電波は届かない。

 仕方がないので、録画の状態になったスマホで周囲を撮影する。

 映し出されるのは、瓦礫の山と化した迷宮の一角。


「見えますかー?

 コレ、数日前に起こったっていう『迷宮津波』の跡になりまーす」


 ちゃんと録画に残るよう、大きく声を出す。

 『迷宮津波』。《アンダー》内で時折発生する、大規模な迷宮構造の変動。

 深度『六』を震源として発生し、迷宮のかなり広い範囲に大きな被害をもたらした。

 この話を唯人が聞いたのは、今から二日ほど前。

 《組合》管理下の領域にも『津波』が及んだらしく、迷宮の一部は封鎖状態だとか。

 そこまで聞いたところで、唯人の頭に天啓がもたらされた。


「じゃ、今からこの『津波』が通った奥を探索してみたいと思いまーす」


 大抵の奴らは、『津波』で構造が変動した迷宮には近づきたがらないだろう。

 そもそも《組合》が警告を出しているし、賢いだけの連中はきっと危険を冒さない。

 だったら、これはチャンスなのではないか?

 『津波』の影響で、もしかしたら何か今までと違うモノがあるかもしれない。

 そいつを一番最初に配信する事が出来れば、自分も有名配信者になれるのでは?

 他人が聞けば、『宝くじの一等を当てて一発逆転』と変わらないレベルの妄言だ。

 けれど、それは唯人にとってこれ以上ないぐらいの『閃き』だった。


「よっ、と……うわぁ、この辺ちょっと崩れそうだなぁ。

 いや、大丈夫大丈夫。謎の冒険者Zは、このぐらいの危険は慣れっこだから!

 安心して見て下さいよー、生きてますからねー」


 暗闇を腰に下げたランタン型のライトで照らし、一人きりでおどけてみせる。

 逸る鼓動を感じながら、瓦礫が複雑に入り組んだ道へと入り込む。

 ゆっくりと、慎重に。細い隙間に魔物が潜んでいる可能性も、決してゼロではない。

 腐っても唯人は冒険者で、最低限の警戒はしながら歩を進めていく。


「うーん、今のところは何にもないな……ってか、これ何処に続いてるんだ……?」


 光を周囲に当て、唯人は視線を巡らせる。

 単純に迷宮が崩れて出来た隙間……というワケでもなさそうだった。

 崩れかけでボロボロではあるが、よくよく見れば通路の原型は見えてくる。

 一応事前に調べた情報では、この周辺にはただ壁が続いているだけのはずだ。


「……もしかして、ホントに当たりを引けたか?」


 小さく呟いた声は、微かに震えていた。

 やっぱりやれば出来るじゃないか。そうだよ、俺はいつか凄い奴になるんだから!

 期待と不安が入り混じり、脳内から快楽物質がどんどん溢れ出す感覚。

 素面のまま酔っ払った状態で、唯人はどんどん奥へと突き進む。

 やがて、見えてきたモノは──。


「なんだ、コレ……?」


 『津波』により、半ば崩壊しかけた通路の向こう。

 そこにあったのは、傷ひとつない白い壁と重々しい金属の扉。

 両開きの扉には古びた札のようなものが、何枚も何枚も重ねて貼られていた。

 札の表面には赤い文字が描かれてはいるが、唯人には意味を読み取る事はできなかった。


「封印……して、あるのか? けど、一体何を……?」


 配信用の動画を記録している事も忘れ、やや呆然としながら呟く。

 ふらりと、何気なしに扉の方へと近づくと。


「…………もし。どなたか、いらっしゃるのですか?」

「うわっ!?」


 女の声。掠れて聞こえる微かな響きに、不意を打たれた唯人は情けない悲鳴を上げた。


「あぁ、すみません見知らぬ方。驚かせるつもりはなかったのですが……」

「……だ、誰だ? っていうか、どこから喋ってるんだ?」

「扉は、見えていますか……? 封じの呪が施された扉は……」

「見えてる……見えてるけど、それじゃあやっぱり……」

「はい。私はその扉の奥に……あぁ、人と言葉を交わすなんて、いつぶりでしょうか……」


 閉ざされた扉は分厚く、そのせいで女の声も耳を澄ませないと良く聞こえない。

 それでも分かる。感嘆に震える言葉には、涙が滲んでいると。


「……アンタ、ここに閉じ込められてるのか?」

「はい……戦に敗れてしまったのも、随分と昔の話に思えます。

 それ以来、ずっとこの牢の中に囚われたままです。

 あぁ……皆は、女王陛下は私のことを探しておられるのでしょうか……。

 申し訳ございません、私が不甲斐ないばかりに……」

「…………」


 女の声は、今はもう完全にすすり泣きになってしまっている。

 『津波』で構造変化した迷宮の一角、その古びた牢の中に囚われている何者か。

 ハッキリ言って怪しい。好奇心で手を出すべきモノではない。

 普通に考えれば分かるはずだ。事実、唯人の本能は警鐘を鳴らしていた。


「……なぁ、どうすれば良い?」

「えっ?」

「どうすれば、アンタを助ける事が出来るんだ?」


 けれど、唯人はそんな言葉を口にしていた。

 迷宮の奥に囚われた謎めいた姫君を助け出す、そんな冒険譚の主人公。

 それが今の自分なのだと、彼は強く信じていたからだ。

 扉の向こうからの声は僅かに途切れ、躊躇いがちな言葉が返ってくる。


「……本気なのですか?」

「あぁ、勿論だ」

「貴方を、とても危険な目に遭わせてしまうかもしれませんよ?」

「これでも冒険者なんだ、命をかけるぐらい覚悟の上さ」

「……嗚呼……何と、勇敢な方なのでしょう……」


 運命だ。唯人は胸中で呟く。やっと、運命が俺に会いに来てくれたんだ。

 出来るだけ格好良い言葉を口にしながら、スマホの撮影も忘れない。

 手が触れる距離まで扉に近寄る。


「この札みたいなのを、破っちまえば良いのか?」

「はい。劣化したからかは分かりませんが、扉を閉ざす以外の魔力は感じられません。

 その札さえ剥いで貰えれば、扉の封は開くことが出来るはずです」

「ヨシ」


 女の声に従い、唯人は貼り付けてある札を片っ端から剥がしていく。

 数は全部で百枚近くはあるだろうか。手が届かない高さにも付いているが。


「大丈夫です。半分も剥がせば、封印の効力は失われるでしょうから」

「分かった……! もうちょっと待っててくれよ!」


 破る、破る、破り捨てる。この扉が開けば、きっと新たな冒険が始まる。

 これまで夢見続けてきた、俺が主人公の素晴らしい冒険の幕が上がるのだ!

 声の言う通り、札の半分ぐらいを剥がしたところで変化が生じる。

 薄闇に軋む音を響かせて、金属の扉が内側に向けて開き始めたのだ。


「おぉ……」

「……ありがとう御座います、未だ名も知らぬ御方。

 再びこの封じの外に出られる日が訪れるなんて、夢にも思っておりませんでした」


 扉の向こうに広がるのは、床や壁、天井に至るまで奇妙な紋様が刻まれた半球系の広間。

 その中心で、錆びて千切れた鎖に手足を拘束された一人の女が床に座り込んでいる。

 ボロボロに朽ちかけたドレスを身に纏った、年の頃は二十前後に見える女。

 長く伸ばした髪は煌めく銀色で、隙間から長く尖った耳も見える。


 エルフだ。《アンダー》で暮らす亜人の中でも、特に高貴で特別な存在。

 噂通り顔立ちは美しく、神の手からなる芸術品そのものだ。

 涙で湿った蒼い瞳。澄んだ眼差しが、扉を解放した唯人の姿を捉えた。

 蠱惑的な魅力に満ちた視線に、男の心は容易く射抜かれてしまった。


「すっげェ美人……」

「まぁ……ふふ、ありがとう御座います」

「えっ、あぁイヤ! 申し訳ない、思わず口から出ちまって……!」

「いいえ、どうかお気になさらず。

 美しいと褒められて、気を悪くする女はおりませんよ」

「あ、そ、そうかな? それだったら……」


 良かった、と。初めて出会う美女相手に、完全に舞い上がっている唯人の方へ。

 麗しいエルフの姫君は、立ち上がってゆっくりと近づいていく。


「私の英雄様、どうかお名前をお聞かせ下さい」

「あ、俺は謎の冒険者Z……じゃなくて、睦亥 唯人って言います!」

「タダヒト様、改めて私を救って下さった貴方に感謝を」


 微笑むだけで、迷宮の暗闇に白い花が咲き乱れるようだった。

 動けない。動けるはずもない。最高の美女が、自分に感謝しながら寄ってくるのだ。

 その言葉にも態度にも偽りはない。当然、危険などあろうはずもない。

 女から感じられるのは、溢れんばかりの《愛》だけだ。


「お礼をしたいのです、タダヒト様。私に出来る事など、本当に僅かですが……」

「れ、礼とか、そんな。俺は冒険者として、当然のことをしたまでで」

「まぁ、何と謙虚な方でしょう!

 心根も清いなんて、貴方の事がますます愛しくなってしまいそうです」

「い、愛しくって……」


 今や、エルフの女は唯人のすぐ目の前まで来ていた。

 女の身長は思ったよりも高く、並ぶと唯人とそう大差はない。

 吐息が触れる。花のような微笑みは、文字通り目と鼻の先にある状態だ。


「そ、そういえば、貴女のお名前は……」

「私はオフィーリアと申します」

「オフィーリア……」


 本当に、美しい花のような名前だった。

 それを口に出そうとする前に、柔らかい感触が唇を塞いでしまった。

 オフィーリアが、自分を抱き締めながらキスをしてきた。

 唯人が起こった事実を認識する前に、彼の脳髄は爆発していた。

 がしゃりと、足元で取り落としたスマホが音を立てた。


「んんんんっ────!!?」


 潰れた悲鳴じみた声が喉の奥から迸る。ついでにせり上がる生暖かい激流。

 大量の吐血が唇の間から溢れるが、女──オフィーリアは微動だにしなかった。

 暴れる身体を細い腕で完璧に抑え込み、無心で口づけを続ける。

 その間も、あまりにも致命的かつ激的な変化が唯人の身体中を暴れ回っていた。


「んっ、んんんっ、んんんんんっ!??」


 何かが体内に流れ込んでくる。その何かが、『何もかも』を溶かしていく。

 例えるなら、それは昆虫が蛹となった時に起こる変化と似ている。

 薄い被膜の下で、血肉も骨も全てがドロドロのスープとなって混ざり合う。

 しかし人体は蛹とは違う。唯人はあらゆる穴から液体を噴き出していた。

 血液、精液、ゲル状に溶けた肉、それ以外のありとあらゆる人としての生命のエキス。

 数十分近い長い時間をかけ、玩具のように痙攣を続けながら一滴残らず流れ出していく。

 オフィーリアは動かない。全てが終わる時まで、口づけを続ける。


「……は……」


 か細い吐息と共に、やっと女は唇を離した。


「お加減は如何ですか? タダヒト様。ご気分は悪くありませんか?」

「……いえ、最高です。オフィーリア様。

 こんな晴れやかな気持ちになったのは、生まれて初めてだ」


 中身を全て床一面にぶち撒けたはずの唯人。

 死んでいなければおかしいはずの彼は、呆然とした表情でオフィーリアに応えた。


「良かった! 久々で不安だったのですが、『転生』は上手く行ったようですね」

「はい、ありがとう御座います」

「礼を言うのは私の方ですよ。それと、私に『様』は不要です」


 体液でドロドロに汚れた唇に、オフィーリアは躊躇わず再度口づけを交わす。


「貴方は私を救って下さった英雄。

 どうか気安く、オフィーリアとお呼び下さいませ」

「はい、オフィーリア。俺の女神、この世の何よりも愛しい方よ」


 熱に浮かされた顔と声。唯人という人間は完全に死に、そして生まれ変わった。

 どこまでも美しく、悪意の欠片もなく微笑む恐るべき悪魔によって。


「さ、先ずは着替えませんとね。私もドレスがボロボロで、少し恥ずかしいです」

「迷宮の外に出れば、服なんて幾らでも手に入りますよ」

「まぁ、迷宮の外! もしかして、それは地上の事を仰っていますか?」

「ええ、そうですよ。俺は地上から迷宮に潜ってきた冒険者ですから」

「冒険者……そういえば、先ほどもそう言っておりましたね。

 私がこの牢に封じられる前には、聞いた事もなかった単語です。

 あぁ……地上、ついに女王陛下の預言した時が訪れたのですね……」


 陶然と呟くエルフの姫君の手を取り、冒険者だった男はゆっくりと歩き出す。

 一人の男が死に、起こってはならない惨劇が迷宮の片隅で起こった事。

 それはまだ誰にも知られず、ただ永遠に似た静寂と暗闇だけが横たわっていた。

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