第35話:一つの冒険の終わり


「……勝った……?」


 口から自然とこぼれた言葉が、自分自身で信じられなかった。

 取り落としそうになった剣の柄を握り締め、マヒロは足元を見下ろす。

 刃から血が滴り落ちる。首を断たれた竜の屍が、すぐ傍に横たわっていた。

 《十二の円環》の一つであるズリエル。

 《迷宮戦争》から十年、無敵を誇ってきた怪物が死んでいた。


「あぁ、私たちの勝ちだ」


 やや呆然とするマヒロの肩を、力強く叩く手。

 共にズリエルの首を断ち切ったアリス。

 彼女は満面の笑みで両腕を広げ、少年を勢い良く抱き締めた。


「あ、アリスさん……!?」

「ハハハハハ! いやまったく、まさかこんな事になるとはな!

 《円環》の一つを討ち取った、私たちの勝利だ!」


 その言葉を受けて、ようやくじわじわと実感が湧いてきた。

 勝った。勝ったのだ。

 危うい局面は何度もあった。けれど、自分たちは勝利を収めたのだと。


「二人でずるい。ワタシも混ぜてよ」

「うわっ!?」


 思いの外強烈な衝撃に、視界が大きく揺さぶられた。

 くるいだ。斧を放り投げた彼女が、マヒロとアリスに向けてタックルしてきたのだ。

 抱きつく娘をしっかり受け止め、アリスはそちらの頭もわしゃりと撫でる。


「よーしよし、お前も良く頑張ったぞ。この場にいる誰が欠けても不可能だったろう。

 この勝利はここにいる我々全員のモノだ」

「……そういう台詞を聞いてると、ホントに昔を思い出すな」


 苦笑いを浮かべながら、巌は懐を漁る。

 取り出した小さな箱から、タバコを一本取り出した。

 指先に小さな火花を生み出すと、先端に押し当てて赤い火を灯す。

 くわえたタバコを深く深く吸い込んでから、ゆっくりと白い煙を吐き出した。


「パパ、禁煙中じゃなかった?」

「皆には内緒にしてくれよ。久々に吸いたい気分になっちまったんだ」

「一戦終わった後、一服するのがお前のルールだったものな」


 「昔の話だ」と、アリスの言葉に巌は肩をすくめた。

 宝物に埋もれた空間に、もう戦いの気配は無い。

 《円環》であった竜の屍には、もう何の力も残ってはいなかった。

 ただ流れ出す血だけが、強い魔力を帯びて脈動しているような気がした。


「さて……落ち着いたら、後始末のことも考えなきゃならんな」

「後始末?」

「ま、そうだな。《円環》の一つが落ちた、というだけでも大ニュースだ。

 プラス、ここにある宝の山だ。戦いの余波でいくらか吹き飛んでしまってはいるがな。

 無事な物も随分多いし、掘り出せばどんな《遺物》が出てくるやら」

「《百騎八鋼ウチ》と《組合そっち》で、基本山分けって事で良いよな?」

「まぁ待て、生臭い話は後にしよう。全員疲れ切っているわけだしな」


 早速責任者の顔を覗かせる巌に、アリスは苦笑しながら片手を振った。

 とはいえ、見える範囲でも宝物の量は莫大だった。

 戦闘の余波で多くが潰れたり壊れたりはしているが、それも全体で見ればごく一部。

 ここを掘り出した時、どれほど価値のある物が出てくるかは誰にも分からない状況だ。

 その時、ふとくるいが顔を上げた。

 マヒロたちから離れて、キョロキョロと辺りを見回し始める。


「? くるいさん、どうしましたか?」

「アレ、ここにあるのかな」

「……そうか、《レガリア》か」


 呟くアリスの言葉に、マヒロはようやくその存在を思い出していた。

 そもそも、この未探索領域を訪れた最大の理由は《レガリア》の存在だ。

 くるいは膝をつくと、焼け焦げた金貨の山をガシャガシャと音を立てて漁りだした。


「待て、くるいちゃん待ちなさい。

 この見渡す限りの財宝の山から、素手で探し出す気か」

「だって、こういうの早いもの勝ちでしょ? だったら急いで探さないと……!」

「気持ちは分かるが、流石にそれは無理だろう」


 実際、アリスの言うことが正論だった。

 砂漠に落ちた針一本という比喩があるが、今がまさにそれだ。

 マヒロも止める大人二人の言葉に胸中で同意しつつ、視線を軽く巡らせた。

 当たり前だが、それらしい物はどこにも見当たらない。

 やはり本格的な《レガリア》の捜索は、また後日に──。


「……ん?」


 ふと、淡い光が視界の端をちらついた。

 発生源はマヒロの手元、右手にぶら下げたままの剣だ。

 竜の血に濡れた刃に輝きが宿り、それが徐々に強さを増していく。

 一体何が起こったのかと、考える暇もなく。


「うわ……っ!?」


 魔力が弾けた。その場にいる全員が息を呑み、起こった事実に目を向ける。

 剣。先ほどまでは、竜殺しの魔力しか宿っていなかったはずの刃。

 そこに今、新たな魔力を帯びた紋様がハッキリと刻み込まれていた。


「一体、何が……?」

「……《レガリア》だ」

「えっ?」

「……そうか。《円環》か。奴は確か、迷宮の構造も操っていた。

 この領域で見つかったっていう《レガリア》の反応は、そもそもコイツの事だったか」


 言いながら、巌は足元に横たわる竜の屍を見た。

 《レガリア》。迷宮の王たる証である、最高位の《遺物》。

 それを自分が握っているという実感は、マヒロにはまだ無かった。

 気のせいか、剣から感じる重みが僅かに増した気もする。


「……《遺物》の所有権は、基本的には最初に発見した者に発生する。

 これは《迷宮組合》での取り決めだが、そちらはどう考える?」

「意地の悪いこと言うなよ、《迷宮王》。

 流石に俺も、この場で一戦やらかすつもりはないぞ。くるいはどうだ?」

「…………」


 答えは、すぐには返ってこなかった。

 少女は悩ましげに眉根を寄せ、マヒロの方を見ていた。

 しかし程なく息を吐き出し、首をふるふると横に振ってみせた。


「ワタシも。マヒロが持つなら、良いよ。《レガリア》、この場は諦める」

「決まりだな。その《レガリア》は、今この時から君のものだ」

「……良いん、ですか?」

「良いも悪いもあるまい。これは皆の総意で、後は君次第だ」


 戸惑う少年の手に、《迷宮王》の指が重なった。

 剣から感じていた重みが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


「君一人で掴んだモノではない。だが、それは君が掴み取ったものでもある。

 ならば誇りたまえよ、少年。君が握っているのは単なる貴重な《遺物》ではない。

 戦いによって得た結果と、この場にいる全員の信頼なのだから」

「……はい」

「それに、《レガリア》があれば君の望みの役にも立つだろう」


 マヒロの望み。《円環》との戦いの最中、彼が口にした言葉。

 アリスは覚えていた。それこそ、胸の奥に刻みつけられたように。


「迷宮の『終わり』にたどり着く。それが、君の望みなんだな?」

「はい。それが迷宮に挑む、俺の目的です」

「忘れていた事を、思い出したのだな。実に喜ばしい話だ」


 笑う。けど、どこか悲哀に近い感情がアリスからは感じられた。


「……正直に言えば、考えた事もなかった。

 迷宮に、この《アンダー》に『終わり』があるなんてな。

 当たり前の話だ。当たり前の話過ぎて、今まで意識する事もなかった。

 物事全てに終わりがある。けれど私は、終わらない冒険をずっと夢見てきた」

「……アリスさん」

「笑ってくれて構わないよ、少年。何と愚かで浅はかな女だと。

 結局は、私はそんな馬鹿な夢のために大勢の人間を引きずり回した。

 ようやく自覚が出来たよ。巌が私から離れてしまったのも、当然の話だ」

「…………」


 巌は何も語らない。一度は袂を分かった身で、今更慰めなど口に出来ない。

 くるいもまた無言。応えるべきは、この場で唯一人だと理解しているからだ。


「少年」

「アリスさん」


 声が重なる。唇を中途半端に開いた状態で、アリスの言葉は喉の奥に引っ込んだ。

 だから代わりに、マヒロの方が続ける。


「改めて、俺の仲間になってくれませんか?」

「っ……少年、私は」

「『終わり』があるのは、当たり前の事です。

 けど、どこまで行けば『終わり』に辿り着けるのか、俺には分かりません。

 きっと遥か遠くで、そもそもそこまで行けるのかも怪しいぐらいで。

 少なくとも、俺一人じゃ到底無理な話だと思ってます」


 手を伸ばす。離れようとしたアリスの指を、抑えるように。


「この《レガリア》は、俺だけが手にしたものじゃない。

 アリスさんにくるいさん、巌さん。皆がいなければ、絶対に無理だった。

 誰かがいてくれたから──仲間がいてくれたから、俺たちは勝てた。

 たった一人で迷宮に挑むのは、少なくとも俺は嫌です」

「…………」

「だから改めて、仲間になって下さい。

 一人じゃ辿り着けない場所も、一緒なら辿り着ける。

 少なくとも、今の俺はそう信じてます」

「……一緒なら、か。確かに、その通りだ」


 笑う。微笑むアリスの顔からは、哀しみに似た憂いは消えていた。

 あるのはただ、晴れやかな表情だけで。


「私は冒険が好きだ。この迷宮の未知に、未踏に挑むのが大好きなんだ」

「はい」

「我ながらろくでもない、冒険者アウトローそのものな女だぞ」

「知ってます」

「そんな私を、君は仲間にしたいと、そう言うんだな?」

「お願いします。どうか、俺の仲間になって下さい」

「良いとも」


 頭を下げようとするマヒロを留めて、アリスはその手を握り締める。

 強く、痛みを感じそうなぐらいに強く。

 剣を持たぬ手を握りながら、アリスは笑った。


「こちらこそ、宜しく頼む。マヒロ」

「はいっ!」

「んー……仲間一号のワタシのこと、忘れて貰ったら困るなぁ」


 握手を交わす二人に、くるいが不満げに抱きついてきた。

 拗ねたような表情を見て、思わず吹き出してしまう。


「もー、笑いごとじゃないでーす。

 チームリーダーだったら、仲間のメンタルにちゃんと配慮すべきだと思いまーす」

「ち、チームリーダーですか?」

「ふむ。まぁそうだな、私もくるいもマヒロに誘われて仲間になったわけだからな。

 誰がリーダーかと言えば、言い出しっぺの人間になるのかな?」

「ちょっと責任重大過ぎませんかね、それ……!」


 理屈は分かるが、マヒロはまだまだ実力不足の若輩者だ。

 《迷宮王》を差し置いてリーダーとは、流石に胸を張って名乗れるのか。

 横で聞いていた巌は、実に愉快そうに喉を鳴らす。


「くるいちゃんは良い子だけどな、そっちの女は大変だぞ。覚悟しとけよ」

「そういう巌はどうだ? 今なら娘と冒険出来るぞ?」

「俺はお前みたいな自由人と違って、ちゃんと責任者の仕事ってのがあるんだよ。

 ……ま、今日みたいに手伝うぐらいはしてやっても良いけどな」

「久しぶりに冒険して、楽しかったっていうのが本音だろう?」

「そいつは言わぬが花って奴だろうがよ、空気読めっての」


 親しい仲間らしい距離感で、互いに笑い合う《迷宮王》と《怪力乱神》。

 その様子を遠慮がちに眺めるマヒロの視線に、アリスはすぐに気が付いた。


「ん? どうしたマヒロ少年? もしかして妬いてしまったかな?」

「え? あ、いや、確かに仲間同士って感じで、少し羨ましかったですけど」

「ハッハッハ。これからは同じ立場なんだ、遠慮しなくても良いぞ?

 それとも彼氏としては、自分の女を独占したい気持ちもあるのかな?」

「ちょっとおばさん、またそんなこと言って」

「冗談だ、冗談。まぁ若い男に熱い視線を向けられるのは、悪い気分では」

「俺は、アリスさんのこと、好きですよ」


 さらりと。何の気負いもなく、マヒロはそんな言葉を口にした。

 言われている方が、一瞬理解が出来なかったぐらいだ。

 目を見開いたまま固まってしまった相手に、少年はもう一度。


「俺は好きです、アリスさんのこと。

 ……あ、でも今はまだ、仲間ってことで大丈夫です。

 彼氏云々が冗談だっていうのは、俺も流石に分かってますから」

「……ん、んんっ? いや、マヒロ、マヒロくん? 少年?

 私も少々言い過ぎた、反省しよう。

 だがこんなおばさんに、そういうジョークを言うのは感心しないぞ?」

「……好意を冗談で口にするほど、不誠実ではないつもりです」

「んんんっ」

「おいコラ《迷宮王》、青少年誑かしてんじゃねぇぞどう責任取るんだオイ」


 真っ直ぐな瞳だった。マヒロは本気だ、真実しか口にしていない。

 ド直球な告白を食らったアリスは、思わず言葉に詰まってしまった。

 巌からの糾弾はもっともだが、何を言えば良いのかさえ全く出てこない。

 そこにまた、くるいがぐいっと二人を抱える腕に力を込めた。


「く、くるいさん?」

「ワタシは?」

「えっ?」

「ワタシのことは好き? どうなの?」

「それは、はい。勿論、くるいさんのことも好き、ですよ?」

「よっしゃ」


 実に可愛らしい、満面の笑顔だった。

 その『好き』の意味が、ライクなのかラブなのか。

 くるい本人は気にした様子もなく、笑みのままアリスの顔を見た。


「おんなじ」

「その遠慮のない負けず嫌いさは、私も見習わねばと思うよ。いやホントに」

「ちょっとくるいちゃん?? くるいちゃんも言ってる意味分かってるのっ!?」

「マヒロは頑張ってるし、さっきは凄くカッコ良かったから。

 ワタシだって負けないよー?」

「……ええと」


 誤魔化しのない好意に、今度はマヒロが赤面する番だった。

 そんな少年以上に、ゆでダコみたいな顔色になってる巌が正直恐ろしいが。


「いやいやいやいや、いかんぞ。くるいちゃんそれはダメだ。パパは認めないぞ」

「なんでさ、ワタシだってもう大人なんだし」

「くるいちゃんまだ九歳でしょうが!? 男女の交際なんて早すぎますって!」

「………………えっ?」


 きゅうさい。きゅうさい?

 驚きすぎて真っ白になってるマヒロの頬に、くるいはいきなりキスをした。


「もうすぐ十歳になるから、十分大人だよ?」

「……あの、アリスさん」

「自首するなら付き合うぞ、少年」

「それ二人して逮捕される奴じゃないですかね……」


 娘の行為に悲鳴を上げる父をよそに、顔を見合わせる二人。

 一つの冒険は終わり、足元に広がるのは数さえ正確には分からない黄金の山。

 けれどそれよりも、仲間たちと他愛もなく言葉を交わせる時間。

 今のマヒロにとってどんな宝よりも、それこそが二つとない喜びだった。

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