第34話:《円環》が砕ける時


 呑まれる直前、アリスも抵抗は試みていた。

 王剣ではなく竜殺しの剣を構え、噛み砕こうとする牙を受け止める。

 だが、絶望を告げるように鈍い金属音が響いた。

 剣は砕かれ、キラキラと光る破片だけを残し、アリスの姿は竜の顎の中に消えていく。

 地に伏した状態で、その光景をマヒロは見ていた。


「アリスさんっ!!」

『ははははははは!! 少々手間取ったが、これで一人!』


 哄笑を響かせながら、ズリエルは残る三人に視線を向ける。

 首を断たれかけた《円環》の方も、余裕があるとは言い難い状況だった。

 もう慢心や油断はない。ただ、目の前の敵を確実にすり潰す。

 一番最初に、一番厄介な相手を無力化できたのは僥倖と言えた。


「落ち着けよ、あの女が呑み込まれたぐらいで死ぬタマか!!」


 巌は叫び、黒壇の杖を掲げる。

 素早く呪文を詠唱し、圧縮された冷気の球を竜目掛けて撃ち放つ。

 対して、ズリエルは足元の宝の山を操る事で壁を作り、冷気の炸裂を退ける。

 撒き散らされる氷の結晶の中を、くるいが真っ直ぐに駆け抜けた。


「吐き出してよ……!!」


 振り下ろす大斧の一撃を、竜は紙一重で回避する。

 相手のダメージも決して軽くないはずだが、動きはまだ鋭い。

 反撃で振るわれた尾の打撃を、くるいは腕力で受け止めた。


『無駄を悟れよ!! 人間が竜に呑まれて、助かる道理があるものか!!』


 笑う。アリスを救い出そうと必死にもがく冒険者たちを、《円環》は嘲笑う。

 その言葉を断ち切ろうとするように、マヒロも跳んでいた。

 竜の背後に転移し、魔力を纏わせた剣を打ち込む。

 意識の外からの奇襲は、竜の鱗と肉を確実に切り裂く。

 だが、浅い。多少の手傷を負わせたところで、アリスを救う事には繋がらない。


『非力だな、少年』


 故に《円環》は笑うのだ。いくらか鱗を削られたところで、竜の生命には届かない。

 ましてや、竜に呑まれた者を救うことなど叶うはずもなかった。


『ガアァア!!』

「くっ……!」


 咆哮と共に吐き出される竜の炎。

 腹の中に呑まれているアリスの方は、焼かれていないだろうか。

 そんな心配をしながら、転移によって炎の直撃を回避する。

 考えろ、どうすれば良い?

 巌とくるいも奮戦しているが、決定打にはなり得ない。


 傷ついた《円環》にも余裕はない。

 だが、このまま戦えば先に力尽きるのはこちらだ。

 アリスが必要だ。彼女を救い出さなければ、自分たちに勝機はない。

 だがどうやって? アリスが生きている事は、マヒロも確信していた。


 いっそ自分で腹を突き破ってくれれば最高だが、流石にそれは期待し過ぎだろう。

 呑まれる瞬間に、彼女が持っていた竜殺しが砕かれたのも痛手だった。

 アレがなければ仮に腹の内側でも、恐らくズリエルを傷つけるのは難しい。


『いい加減に鬱陶しいぞ、人間ども……!!』


 諦めずに抗戦を続ける冒険者たちに、竜は苛立ちの思念を発する。

 巌が後方から魔法を間断なく撃ち込み、くるいが前に立って《円環》の攻撃を止める。

 マヒロは転移を繰り返し、時に魔法で回復を飛ばしながら竜の鱗を削っていく。


 この戦況も、いつまで維持していられるか。

 焦りが募る。転移の力で救おうにも、アリスはズリエルの腹に呑まれている。

 《円環》に近いマヒロの能力だが、知覚していなければ転移の力は行使できない。

 せめて、彼女の正確な位置さえ分かれば──。


「……!!」


 閃くものがあった。成功するかは不明だが、他に手はない。

 覚悟を決める。迷っている暇などなかった。


「おおおぉぉぉっ!!」

『何……!?』


 戦士の如く叫び、マヒロは竜殺しの剣を振るう。

 死角からの奇襲ではなく、転移をしながら真っ向から切り込んでいく。

 突然の攻勢に一瞬戸惑うが、すぐに竜の顔に笑みが刻まれる。


『なんだ、自棄になったか? それとも勝利のために生命を賭けるとでも?

 愚鈍な人間らしい発想だと笑うべきかコレは!?』

「好きに解釈すれば良いさ……!」


 嘲りを受け流し、無謀とも言える攻撃を繰り返す。

 竜の鱗すら断ち切る《聖なる一撃》は、確かにズリエルにとっても脅威だ。

 が、マヒロ個人の実力は《迷宮王》に比べれば数段も劣る。

 手傷は受けるだろうが、所詮はその程度だ。


「ちょっと、無茶し過ぎ!!」


 故に竜の注意は、必然もう一人の狂戦士の方へと向けられる。

 このままでは死ぬだけのマヒロを助けるため、くるいも真っ向から斧を打ち込んだ。


「マヒロは、さっきみたいに引き気味に戦った方が……」

「すいませんくるいさん、もう少し付き合って下さい……!」


 くるいの忠告に被せる形で応えながら、マヒロは更に剣を振るう。

 何をと、言いかけたところでくるいは言葉を呑んだ。

 少年の瞳には、強い意思の光があった。きっと、何か考えがあるのだろう。

 その証拠に、巌はマヒロの捨て身に近い攻撃を咎めていない。

 あちらはあちらで、少年を助けるために黙って呪文の支援を重ねていた。

 であれば、やるべき事は一つだろう。


「はあぁぁっ!!」


 咆哮。気合いを吐きながら、くるいも全力で大斧を振り回す。

 マヒロも積極的に攻勢に出たことで、竜も回避する余裕が少なくなっていた。

 鱗を砕く分厚い刃を、竜は爪を使って受け止める。

 無意味だ。《円環》は残る冒険者たちの奮闘を嘲笑う。


 巌の呪文は明らかに精彩を欠き、くるいの体力にも陰りが見られる。

 自棄としか思えない攻勢に出たマヒロも、いずれ限界が来るのは明白だった。

 ならば少しずつ、徐々にすり潰していけば良い。

 この時点で、《円環》たるズリエルの判断に誤りはなかった。

 焦らずとも冒険者たちの方が先に潰れる。

 故に敵の攻撃を防ぐ事に専念し、《念動力》を行使するために僅かに足を止めた。

 マヒロが狙っていたのは、まさにその瞬間だった。


「これで──!!」


 今の自分に出せるだけの全力を込めた《聖なる一撃》。

 白く輝く光は、竜が目を瞠るほどの魔力が込められていた。

 だが、大振りに構えた一撃を受けたところで、やはり戦況を覆すには足りない。

 とはいえ、爪で防ぐのは悪手かもしれない。


 そう考えた《円環》は、《念動力》による盾を複数同時に編み上げる。

 《解呪》が幾つか飛んで来ても、これで確実に剣は止まる。

 マヒロが振るう必殺の刃を、ズリエルは万全の体勢で迎え撃ち──。


『……?』


 来ない。予想していた一刀は、しかしマヒロの手の中から消えていた。

 フェイントを受けたような状態になり、ズリエルの意識に一瞬だけ空白が生まれる。

 直後、凄まじい激痛が腹の中から湧き上がった。


『あっ、ガ……!?』


 痛い。痛い痛い痛い痛い痛い!

 かつて感じたことがない苦痛に、思考が焼け付く。

 思わず腹の真ん中辺りへ視線を向ければ、そこに小さな『何か』が生えていた。

 何か。赤い血で染まった、鋭い刃の切っ先。

 それが何であるのか思い至るより早く、竜のはらわたが音を立てて裂けていく。


「──流石に今回ばかりは、ダメかと思ったぞ」


 唸る声の主が誰なのか、問うまでもない。

 竜の腹を内側から破り裂き、血まみれの姿で現れる女。

 その右手には、未だに輝く光の残滓を宿した一振りの剣が握られていた。

 つい先ほどまで、マヒロが振るっていた竜殺しの剣だ。


「しかしまぁ、良く考えたものだな! 助かったぞ、マヒロ!」

「アリスさん……!」


 裂けた腹を更に切り裂きながら、アリスは愉快げに笑った。

 マヒロの転移は、知覚している範囲でしか行えない。

 呑まれたアリスの姿は見えず、故に彼女を直接転移で救う事は難しかった。

 だが、『位置』だけは知る術があった。


 この迷宮に突入する前、事前に身に着けていた《念話の耳飾り》。

 遠距離の念話以外に、装備した者同士の位置を把握できる《遺物》。

 その効果で、マヒロはアリスが腹のどの辺りにいるかを知覚する事が出来た。

 後はズレが発生しないよう、ズリエルが足を止めるタイミングを狙う。

 好機が訪れたなら、自分の魔力を乗せた竜殺しの剣のみを《転送》したのだ。

 アリスならそれで何とかしてくれると、信頼した上での大博打だった。


『よ、くも……この私に、こんな真似を……!!』

「悪いものを食ったら腹を壊すと、親から教わらなかったか《円環》!!」


 血を振り払い、竜の腹に出来た穴からアリスが飛び降りる。

 それを追ってズリエルは炎を吐き出すが、明らかに勢いが落ちていた。

 呑まれる寸前に、マヒロが転移で救い出す。

 竜の血で互いを染めながら、二人は黄金の上に降り立った。


「もう、心配したんだから……!」

「ははは、すまんなくるい。いや、私も肝が冷えたよ」

「ふん、言っただろ。この女が簡単に死ぬタマかってな」


 駆け寄るくるいに、アリスは変わらぬ笑みで応える。

 巌もきっと内心は心配していただろうが、そんな事はおくびにも出さなかった。

 マヒロも少しだけ微笑んでから、改めて眼前の敵を見据える。


『許さん……こんな事、許されて良いはずがない……っ』


 ズリエル。《十二の円環》の一角は、最早死の数歩手前のところにいた。

 はらわたを、竜殺しの刃で刻まれて内から破られたのだ。

 むしろ未だに生命を保っている事に、その場にいる全員は途方もない脅威を覚えた。


『何故だ……私は、完璧なる《円環》……!

 この、素晴らしき迷宮世界を、完全な形で、閉ざすものだぞ!

 そんな私に何故、挑む、何故、殺そうとするっ!

 《迷宮王》!! お前はむしろ、私たちと、同じ側のはずだ……!』

「……言っている意味が分からんな」

『お前は、この迷宮世界に、心奪われている!

 私たちが──《円環》がある限り、この世界の謎は尽きぬ、明かされぬっ!

 未知を求め、未踏を探し求める、哀れなストレンジャー……!

 永遠に閉じた迷宮の《円環》こそ、お前の魂が求める理想のはずだぞ……!』

「…………」


 死を前にした、世迷い言に近い《円環》の言葉に。

 アリスは何も言わなかった。あるいは、答える事が出来なかったのか。

 永遠に終わることのない、閉ざされた完全な迷宮世界。

 それは確かに、《迷宮王》と呼ばれた女が挑み続けた理想の場所だった。

 けれど。


『今ならまだ間に合う……!

 《円環》の一つが砕ければ、この迷宮世界は完全では──』

「……違う。迷宮は、《アンダー》は完全に閉ざされた世界なんかじゃない」


 否定は静かに、マヒロの口から語られた。

 言葉を詰まらせる竜の姿を、冒険者の少年は真っ直ぐに見上げる。

 同じ──けれど、祈らぬが故に片方だけ刻まれた《円環》が、瞳の奥で燃えていた。


「俺は……俺たちは、必ず迷宮の底にたどり着く。

 そこに何があって、どんなモノが待っているのかは分からないけど。

 永遠に閉じたままなんて事は、あり得ない。

 どれだけ掛かっても、絶対にこの迷宮の『終わり』にたどり着いてみせる」

『ッ──半端者の小僧が……!!』


 これまでで最大の怒りに、竜は総身を震わせた。

 横で耳を傾けていたくるいは、それこそ腹でも抱えんばかりに笑っていた。


「良い啖呵。そんなのを《円環》相手に言ったのなんて、マヒロが初めてじゃない?」

「あぁ、まったくだな。迷宮の終わりにたどり着く、か。

 大言壮語もいいとこだが、若者の夢ってのはそのぐらいデカくなくちゃな」


 笑う。巌もまた、呆れ混じりだが大いに笑っていた。

 黙っていたアリスも、口の端を持ち上げる。

 右手の竜殺しをマヒロに投げ渡し、自身は愛用の王剣を正眼に構えた。


「まぁ、そういうわけだ。評価して戴いたのはありがたいがな、ズリエル。

 彼氏にここまで言われては、私の方も言わざるを得まい。

 お前はここで終わりだ。大人しく砕け散れよ、《円環》」

『ガアァァァァアアアァァァァッ!!』


 竜が吼える。それは断末魔に近い咆哮だった。

 《念動力》が荒れ狂い、開かれた大顎からは炎が吐き出される。

 宝の山も津波の如く波打ち、空間全体も轟音を上げて大きく歪み始めた。

 死力を振り絞った《円環》の抗いに、冒険者たちは迷わず挑んだ。

 《解呪》と攻撃魔法を矢継ぎ早に行使し、巌は進むべき道を切り開く。


 先陣を切ったのはくるいだ。正面から迫る炎を、彼女は自身の身体で受け止めた。

 振り下ろした斧の一撃は、竜の吐息も黄金の津波もまとめて蹴散らす。

 生じた瞬きほどの空白をアリスとマヒロが駆け抜けた。

 迫る。迫ってくる。竜は自らの死が迫ってくる事を、どうしようもなく感じていた。


 止められない。爪を振るった瞬間、二人の冒険者は消えていた。

 転移による回避。次に現れたのは竜の頭上、すぐ目の前には無防備な首がある。

 既に刻まれた傷を目掛けて、二つの刃が振り下ろされた。


『────』


 その瞬間、果たして竜は何を思ったのか。

 最後の言葉は誰にも届かず、迷宮の闇の底へと消える。

 竜殺しの剣と、その上に重なった王剣。

 完全であるはずの《円環》が、重なった剣の下で砕けた。

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