第33話:覚醒


「……パパ」

「めっちゃ頑張って時間を稼ぐわ。お前はそっちの少年と気合いで逃げろ」


 傷付いた娘を背に、《怪力乱神》は決死の覚悟を決める。

 その絆を、恐るべき《円環》は嘲り笑う。


『逃がす気はないと、繰り返し言っているだろう。

 お前たちに出来ることは、ただ祈ることのみだ。祈れよ、魂に救いがある事をな』

「っ……」


 祈れ。祈れ。マヒロの頭の中で、同じ言葉が繰り返し響く。

 祈るしかない。絶望を前にした人間は、ただ『何か』に祈る以外にはない。

 あの日も、マヒロは祈った。届くはずのない祈りを。

 その祈りを聞き届け、確かにマヒロの前に『ソレ』は現れたのだ。


 覚えているのは白く輝く姿と、光を纏った一対の羽根。

 《御使い》。頭の中に、自然とその言葉が浮かび上がっていた。

 十年前のあの日、絶望に屈しかけた少年の前に、『ソレ』は言ったのだ。

 人間には理解できない高次元の存在が、確かに言葉の形で。


【──心折れたのなら、祈り、願うと良い。それを叶えよう】


 瞬間的に、かつてのマヒロは理解した。してしまった。

 全てを燃やす災害も、誰かが『ソレ』に祈ったが故に引き起こされたのだと。

 『ソレ』に悪意はなかった。あるいは、単なる現象に過ぎないのかもしれない。

 ただ、全てを理解した時、マヒロの中に芽生えたのは絶望ではなかった。


「……ふざけるなよ」


 怒りだった。奪われた、何もかもが一瞬の内に奪われてしまった。

 マヒロの家族も、マヒロ自身とは無関係だった多くの者たちも。

 全て、等しく奪われたのだ。

 ただ、たまたまその場に居合わせたという理由だけで。


【祈り、願うと良い。お前たちは祈る者プレイヤーなのだから】


 そうしてマヒロが選ばれたのも、結局のところは

 たまたま彼は生き延びた。無慈悲な運命によって、無作為に選び出された。

 他の者たちは、『運悪く』死んだから選ばれなかっただけ。

 これほどの理不尽が、他にあるだろうか。


「……祈らない。俺は、お前には祈らない」

『……? なんだ、何を言っている? とうとう気でも触れたのか?』


 記憶と現実の間で、マヒロは呟く。

 その言葉を耳にしたズリエルは、訝しげに声を発した。

 が、それをマヒロは聞いていなかった。彼の目に映るのは、霞がかっていた過去。

 祈りを拒否された《御使い》は、それでも変わらずそこにあった。

 湧き上がる衝動のままに、マヒロは言葉を続ける。


「俺は祈らない。お前に祈った誰かのせいで、こんな地獄が生まれたのなら。

 俺は、絶対に祈らない。この地獄も、絶対に終わらせてやる……!」

【──祈らぬ者よ、それが君の願いなら。聞き届けよう】


 マヒロは祈らなかった。けれど、《御使い》は彼の怒りを『願い』と認識した。

 故に不完全ながらも、《印》は確かに刻まれたのだ。


【終わりを願うのなら、迷宮の底を目指すと良い。

 たどり着くための力も与えよう。

 私は、ソコで君を待っている】

「っ……!」


 右目が熱い。トラウマとして、蓋をされ続けていた記憶の全てが蘇った。

 顔を抑え、マヒロは膝を突きそうになる。

 その変化の真意を知らず、《円環》たる蛇は呆れたように吐息をこぼした。


『同じ《御使い》に出会った同類かと思い、手心を加えてやったが。

 ダメだな、この期に及んでもただの人間のままとは。

 そんなザマでは、『十三個目』にはなり得まい』

「っ……よせ、ズリエル……! 彼に手を出すぐらいなら、私を……!」

『神たる我が身に傷を付けた上、失望させた罪は重い。

 せめて、その薄汚い命で贖えよ人間』


 懇願に近いアリスの言葉を無視し、ズリエルは己の意思を速やかに遂行する。

 視線をマヒロに向けると同時に《念動力》を発動。

 巌やくるいの防御も間に合わず、不可視の力が哀れな少年を無惨な肉塊へと変える。

 そのはずだった。


『……消えた?』


 訝しみ、呟く《円環》。《念動力》を叩きつけた場所に、マヒロの姿はない。

 一体何が──と、僅かに困惑した直後。


『ぎっ……!?』


 意識の外から突き刺す痛み。感じたのは、アリスを捕らえる蛇の一つ。

 慌ててそちらを見れば、黒い胴体の上に立つマヒロの姿があった。

 彼は手にした竜殺しの剣を振り下ろし、蛇の頭を真っ二つに断ち割ったのだ。


「“穢れを祓い、癒やし給え。《回復リカバリー》”!」


 同時に、マヒロは素早く呪文を唱えた。

 蛇の毒に冒されたアリスの身体が、その一言で活力を取り戻す。


「これは……!」

「アリスさん、早く脱出を!」

「言われるまでもない!」


 四肢を拘束していた蛇の内、マヒロは右腕に噛み付いていた頭部を切り裂いていた。

 毒の影響も抜けた今、アリスは剣の柄を強く握り直す。

 一閃。竜殺しの刃を全力で振り抜き、残る蛇の首を一度に薙ぎ払った。

 ドス黒い血を撒き散らし、突き刺さっていた牙の力が緩む。

 後は腕力で無理やり振り払うと、アリスは宝の山へと落下した。


「おっと……!」

「大丈夫ですか、アリスさん!」

「ハハハ、かなり危ないところだったがな」


 笑う彼女の傍には、先ほどまで蛇の上にいたマヒロの姿があった。

 彼が何をしたのかは、まだ《迷宮王》にも見えていなかった。


「二人とも……!」


 苦しげな声で、くるいが警告を発した。

 直後、紅蓮の炎が大きく開かれた竜の顎から吐き出される。

 自らの宝物を溶かす勢いで、収束した灼熱が容赦なく空間を焼き焦がす。

 そこには、マヒロとアリスがいたはずだが。


「“大天使の息吹を此処に。《上級治癒ハイ・ヒーリング》”」


 呪文によって発動したのは、複数人に対して治癒を施す上位の回復術。

 淡い光がその場の全員を包み込み、肉体に刻まれた傷を消し去っていく。

 魔法を──いや、《奇跡》を行使したマヒロは、大きく息を吐いた。


「とりあえず、どうですか?」

「ん……大分良い感じ。これならまだ戦えるよ」

「私もだ。いや、まさかこの土壇場で覚醒とはな。

 流石に今回ばかりは度肝を抜かれたぞ」

「……覚醒、覚醒か。なぁ少年、お前は今使?」


 驚きと喜びを口にする中、巌だけは厳しい顔をしていた。

 炎に呑まれる直前に、マヒロはアリスと二人で瞬間的な転移を行っていた。

 魔法を使うには、必ず呪文の詠唱が必要となる。

 だが、先ほどのマヒロに詠唱を行っている様子はなかった。


「それは……」

『──はは。そうか、目覚めたか。やはり私の判断は間違っていなかった』


 笑う。憤怒に瞳を──《円環》が刻まれた両の瞳を燃やしながら。

 蛇に堕ちた竜は笑う。ズリエルは気付いていた。

 マヒロの右目に刻まれた、自分と同じ《円環》の紋章に。


『やはりお前も《御使い》と出会い、《印》を刻まれていたか!

 呪文の詠唱も無しに、私の領域で転移を自在に操る!

 そんなものは人間に許された力ではない!

 だが……何故だ? お前は何故、片方にしか《印》がない?

 お前が『十三人目』であるのなら、《印》は完全に刻まれているはずだ』

「……十三人目とか、お前が何を言ってるかは分からない。

 けど確かに、コレはその《御使い》とやらに与えられたものだ」


 右目の奥が熱く、今も疼くような痛みが続いている。

 それを片手で抑えながら、マヒロは臆することなくズリエルを睨んだ。


「俺は《御使い》には祈らなかった。けど、アイツは俺の願いを聞いていた。

 だから片方だけ与えられたんだ。お前が言う、《印》とやらが」

『……なんだ、片方だけだと? それでは我らとは違う。

 この素晴らしき迷宮世界を閉ざす、完璧な《円環》には程遠いではないか』


 今度こそ、強い失望と落胆をズリエルは感じていた。

 祈りと願いが無ければ、《御使い》は真の意味では応えない。

 欠けた者には、完全なる《円環》足り得る資格はない。


『残念だ、まったく残念だよ。ようやくを見つけたと思ったのに。

 神たる私を謀った罰だ、最上の苦痛の中で悶え死にさせてやろう』

「……俺だって残念だよ。出来れば、こんな力は使いたくないんだ」


 ズリエルに劣らない怒りを込めて、マヒロは呟く。

 全てを思い出した事で、少年はあの日に抱いた始まりの願いを取り戻していた。

 そして目の前にいるのは、十年前に地獄を作り出した元凶の一人。

 理不尽に奪われた者が、理不尽に奪った者とようやく対峙したのだ。

 この手にある力が望まず与えられた上に、相手と同種のモノだったとしても。


「使えるモノは、全部使う。それでお前に届くのなら、俺は躊躇わない」

『神の力を真似事程度に使えるからといって、思い上がるなよ人間風情がっ!!』


 咆哮に近い言葉と共に、宝物に満たされた空間を《念動力》が渦巻く。

 転移による逃げ場など許さぬとばかりに、広範囲に渡って膨大な力が襲いかかり──。


「《解呪》!!」


 どれほど強大でも、一つの《念動力》なら一発の《解呪》で吹き散らせる。

 巌が鋭く呪文を唱えると、空間を歪ませるほどの力はあっさりと消え去った。

 瞬間、他の三人も息を合わせて動き出す。


「おおぉぉぉっ!!」


 勇ましく叫びながら、先陣を切ったのはマヒロだった。

 《印》が現れたことで、魔力を含めた他の能力も明らかに向上している。

 その事実は、《円環》たるズリエルも承知していた。

 だが、向上しても尚マヒロの能力はアリスやくるいには及ばない。

 どれだけ早く動こうと、竜の目はその動きを正確に捉えていた。


『身の程知らずが!!』


 嘲りと共に、鋭い爪の一撃が振り下ろされる。

 どんな名剣にも勝る切っ先は、ミスリルの鎧ごと少年の肉体をバラバラに引き裂く。

 撫でる程度の力でも十分だと《円環》は確信していた。だが。


「──凄いね、コレ」

『何……!?』


 爪を受けたのは、マヒロではない。くるいだ。

 舐め切って大して力の籠もってない爪など、大斧の刃で容易く弾き返す。

 転移で自分と他人の位置を入れ替えた。

 その事実を認識したのは、鱗と肉を竜殺しの刃で削られた瞬間だった。


『ガァ……っ!?』

「通る……!」


 魔力による輝きを帯びた刃。一部の神官が扱う《聖なる一撃ホーリー・スマイト》。

 マヒロも同種の力により、魔力を武器に乗せて打ち込むことが出来た。

 強化された竜殺しの剣は強固な鱗を断ち、その下にある血肉まで抉り裂く。

 更に追撃を仕掛けようとしたが、その前に咆哮が響き渡る。


『不遜、不遜、不遜!! 人間が、私の身体に触れるなよっ!!』


 爆ぜる憤怒の意思を伴い、無数の《念動力》が吹き荒れる。

 足元にある金貨や武具が一気に持ち上がり、砂嵐の如くマヒロの周囲を取り囲む。

 転移で離脱しようとして、気づく。

 まだマヒロの力は、『自分で知覚できる位置』にしか跳ぶことができない。

 このままでは押し潰されると、そう覚悟した時。


「流石に、助けられてばかりでは格好がつかんからな!!」


 黄金の嵐を切り裂いたのは、アリスの掲げる王剣だった。

 渾身の一刀は《念動力》さえも蹴散らして、そのまま切っ先をズリエルにも打ち込む。

 狙うのは、つい先ほどマヒロが切り裂いたばかりの傷。

 堅固な鱗も関係なく、全力の刃が神の血肉を更に深くまで抉る。


『ギッ……!? き、さま、よくも……!!』

「ハハハハハ! さぁ逃げるぞマヒロ!」

「分かってます……!」


 怒りが報復として襲ってくる前に、マヒロはアリスと共に今度こそ転移する。

 消えたマヒロたちの行方を追おうと、ズリエルはすぐに知覚を広げるが。


「こっちも見ろよ、神様モドキ!!」


 その横っ面を、くるいが振り下ろした大斧が激しく叩いた。

 揺れる視界の中に、青白い光が生まれる。

 巌の構えた《分解》の輝きだ。己の魔力を振り絞るような全力の一撃。

 真の姿を晒してから、初めて《円環》は背筋に冷たさを感じた。


「いい加減に塵になりやがれ……!!」

『舐めるなよ、私は神だぞ!!』


 放たれた《分解》を、ズリエルはどうにか回避しようとする。

 しかし避けきれず、蛇の首が生えた肩の辺りに青白い光が突き刺さった。

 魔力による抵抗。完全には抗い切れず、鱗と肉の一部が塵に変わる。

 凄まじい痛みに叫びかけたところで、虚空から刃が閃いた。

 マヒロとアリスだ。転移で離脱した後、再び転移によって肉薄したのだ。


「狙うは首だ!」

「はい……!!」


 最初に、《聖なる一撃》を纏ったマヒロの剣が竜の首を捉えた。

 食い込む刃の上に、今度はアリスの振り下ろした王剣の一撃が重なる。

 ここで確実に仕留めるという、強烈な覚悟を伴った殺意。

 続いて、高く飛び上がったくるいが大斧を振りかぶる。


「よし、そのままやってしまえ! くるい!」

「お願いします、くるいさん……!」

「勿論、任せて──!!」


 既に二人分の剣が、強靭な竜の首に深く食い込んでいる。

 そこにくるいが渾身の力で振り下ろしたなら、どうなるのか。

 死。忘れていたはずの恐怖が、竜の総身に這い上がった。


『ガァアアアアァアアアアアア!!』


 咆哮。いや、絶叫。恐れを振り払うように、ズリエルは力を解き放った。

 吹き荒ぶ《念動力》の奔流。不安定な状態の三人に、それを堪える術はない。


「っ……くそ、後少しだというのに……!!」


 バラバラに吹き飛ばされ、あと一歩と歯噛みするアリス。

 その時、黒い影が彼女の視界を遮った。

 思念として伝わる声は、驚くほど間近から聞こえてくる。


『──先ずはお前からだ、《迷宮王》』


 大きく開かれた竜の顎。避ける術も、防ぐ手段もない。

 構えた剣ごと、アリスはズリエルの大顎に呑み込まれていた。

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